今回は、新規に開発された冷蔵コンテナのお話です。
引用 国鉄線1970年5月号 3報開き冷蔵コンテナR13形式から
国鉄の冷蔵コンテナ輸送が始まったのは、昭和35年に試作されたR10形が最初で、
昭和47年まで製造されたようです。
当時の国鉄コンテナは、一部試作のコンテナではコンテナ自ら電源を持っている冷凍品タイプもありましたが、あくまで試作であり、主な方法はドライアイスによる保存方法が取られていました。
当時の冷蔵車は一般的には氷冷式と呼ばれる氷を天井に積む方式や、かち割り氷を生鮮品の間に挟むようにして積み上げる方式のなっていましたので、その点が異なっていると言えるかもしれません。
今回紹介するのは、3方開きの国鉄コンテナが開発されたという記事であり、利用者のニーズに沿ったものと言え、国鉄C11形コンテナに相当するタイプでした。
このコンテナが誕生した昭和45年頃は、国鉄の赤字決算は続き、積立金も取り崩してしまい本格的に赤字対策を行う必要に迫られていました。
万博輸送は空前の旅客移動ブームを起こし、その後の定着のために考えられたのが、Disceover Japanキャンペーンであり、部内的にはマル生運動などが導入されたのもこの頃でした、国鉄としても合理化の推進と貨物輸送の改善などで赤字は改善できると思っていたと思われていました。
貨物では、車扱い輸送が大きく赤字を出しているのに対し、コンテナ輸送はヤードパスの特性上到達時間も明確なことなどから輸送量も年々増えてきていたため貨物の優等生と呼ばれていました。
そんな中で、従来の冷蔵車による輸送もコンテナに置換えようということで計画されたと書かれています。
実際には、トラックで直接産地から産地に運ぶ方式の方が積替えの手間などを含めて考えたときに安かったのかもしれません、生鮮輸送の多くは現在もトラック便の方が強いようで、こうした分野での鉄道への復権(トラックとの差額運賃については、期間を定めて説いたことも今後考えていく必要もありそうですね。
なお、当時の図面がありますので併せて参照していただこうと思います。
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