さらっと書くつもりが、個々に見ていきますと、時刻が微妙に変化しているため、中々進みません。
今回こそ、昭和53年の電化前まで、進められればと思っております。
さて、当時の時刻表本当にあまり今まで気にしていなかったのですが、じっくりと見比べていくとこれ程違うのかと改めて驚かされています。
昭和45年当時は、昼間の列車もそうですが紀勢本線は関西の奥座敷と呼ばれた白浜を中心に観光入り込み客が多く、和歌山市の和歌浦も週末になると観光客で溢れていました。
可処分所得は増えたとは言え、1ドルが360円の固定相場では、外国への旅行などは夢のまた夢で有り、国内旅行が一般的でした。
特に白浜を中心とした紀南観光は活発で、特急・急行でもグリーン車を2両連結する列車も珍しくありませんでした。
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さて、そうした前置きはこれぐらいにして、早速昭和45年からの時刻の変遷を見ていきたいと思います。
昭和45年3月の時刻改正と紀勢本線
昭和45年、大阪吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催されました。
この改正で、全国から大阪に向けて臨時列車が運転されることになりますが、昼間帯は大きく変更は無いのですが、夜行列車に変化が見られます。
臨時列車きのくに54号の時間が1時間繰り下がっています。
天王寺発 22:00→23:00に変更されています。
終着駅、新宮は変更無しですが、到着時間が、4:52→5:03となっています。
私的な見解ですが、万博輸送の最終列車としての位置づけもあったのかなぁと考えています。ちなみに、きのくに54号、7月のダイヤでは、新宮から先、熊野市まで延長運転されており、万博輸送の一貫で延長された可能性は十分ありそうです。
ちなみに、通称新宮夜行、924列車に寝台車が連結されたのは、昭和42年10月以降だと思うのですが、昭和43年9月の時刻表では既に寝台列車が連結されていました。
昭和42年11月から昭和43年の8月号の間の時刻表が手元に無いので確認できないのですが、ご存じの方居られましたら是非ご教示願います。
私も、できるだけ資料として、時刻表を探しているのですが中々揃えられなくて・・・、苦笑
ということで、随時時系列で時刻表をご覧いただこうと思います。
① 昭和44年 10月改正 紀勢本線
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上述のきのくに54号ですが、天王寺発22:00、その後、いそつり、924列車、きのくに13号と立て続けに、夜行列車【寝台列車では無い】が続きます。
紀南方面への重要な移動手段として紀勢本線が活躍していた頃でした。
② 昭和45年 3月改正 紀勢本線
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昭和45年3月の改正では、きのくに54号は、23:00に繰り下げられます。いそつり、926列車、きのくに54号、きのくに13号の並びになります。夜の和歌山駅は0:00前後は賑やかであったことが想像できます。
③ 昭和45年 7月改正 紀勢本線
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昭和45年7月の改正では基本は大きく変わっていませんが、「いそつり号」の運転区間が熊野市まで延長されています。
④ 昭和45年 10月改正 紀勢本線
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万博が終了し、きのくに54号は運転されなくなりますが、926列車後続の臨時列車として9928列車が設定されています。この列車、天王寺出発は、20分遅いのですが、御坊では1分差まで追い上げて、南部では逆に1分先行するダイヤになっています。926列車は定期列車ですので、9928列車運転時にはダイヤ変更があったのかもしれませんが、臨時列車の方が普通列車を追い抜くというのもなんとも痛快というか不思議な列車です。
⑤ 昭和46年 4月改正 紀勢本線
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昭和46年4月の時刻表を参照しますと、「いそつり」が、時期によっては熊野市まで延長されています。
熊野市までの延長運転は列車名が示すように太公望のための列車だったのかなぁと思わせてしまいます。実際、926列車にも太公望と言える人が多く乗っており、寝台車もそうした人の専用といった風情がありました。、
⑦ 昭和46年 10月改正 紀勢本線
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昭和46年10月の時刻表を参照しますと、さほど大きな変更はありません。
それでも、多客期を中心に「いそつり」が運転されており、紀勢本線の新宮方面行き夜行列車は、3本体制が続きます。
すみません。やっと昭和46年10月ですね、次回は昭和47年から始めさせていただきます。
続く
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今回こそ、昭和53年の電化前まで、進められればと思っております。
さて、当時の時刻表本当にあまり今まで気にしていなかったのですが、じっくりと見比べていくとこれ程違うのかと改めて驚かされています。
昭和45年当時は、昼間の列車もそうですが紀勢本線は関西の奥座敷と呼ばれた白浜を中心に観光入り込み客が多く、和歌山市の和歌浦も週末になると観光客で溢れていました。
可処分所得は増えたとは言え、1ドルが360円の固定相場では、外国への旅行などは夢のまた夢で有り、国内旅行が一般的でした。
特に白浜を中心とした紀南観光は活発で、特急・急行でもグリーン車を2両連結する列車も珍しくありませんでした。
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さて、そうした前置きはこれぐらいにして、早速昭和45年からの時刻の変遷を見ていきたいと思います。
昭和45年3月の時刻改正と紀勢本線
昭和45年、大阪吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催されました。
この改正で、全国から大阪に向けて臨時列車が運転されることになりますが、昼間帯は大きく変更は無いのですが、夜行列車に変化が見られます。
臨時列車きのくに54号の時間が1時間繰り下がっています。
天王寺発 22:00→23:00に変更されています。
終着駅、新宮は変更無しですが、到着時間が、4:52→5:03となっています。
私的な見解ですが、万博輸送の最終列車としての位置づけもあったのかなぁと考えています。ちなみに、きのくに54号、7月のダイヤでは、新宮から先、熊野市まで延長運転されており、万博輸送の一貫で延長された可能性は十分ありそうです。
ちなみに、通称新宮夜行、924列車に寝台車が連結されたのは、昭和42年10月以降だと思うのですが、昭和43年9月の時刻表では既に寝台列車が連結されていました。
昭和42年11月から昭和43年の8月号の間の時刻表が手元に無いので確認できないのですが、ご存じの方居られましたら是非ご教示願います。
私も、できるだけ資料として、時刻表を探しているのですが中々揃えられなくて・・・、苦笑
ということで、随時時系列で時刻表をご覧いただこうと思います。
① 昭和44年 10月改正 紀勢本線
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上述のきのくに54号ですが、天王寺発22:00、その後、いそつり、924列車、きのくに13号と立て続けに、夜行列車【寝台列車では無い】が続きます。
紀南方面への重要な移動手段として紀勢本線が活躍していた頃でした。
② 昭和45年 3月改正 紀勢本線
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昭和45年3月の改正では、きのくに54号は、23:00に繰り下げられます。いそつり、926列車、きのくに54号、きのくに13号の並びになります。夜の和歌山駅は0:00前後は賑やかであったことが想像できます。
③ 昭和45年 7月改正 紀勢本線
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昭和45年7月の改正では基本は大きく変わっていませんが、「いそつり号」の運転区間が熊野市まで延長されています。
④ 昭和45年 10月改正 紀勢本線
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万博が終了し、きのくに54号は運転されなくなりますが、926列車後続の臨時列車として9928列車が設定されています。この列車、天王寺出発は、20分遅いのですが、御坊では1分差まで追い上げて、南部では逆に1分先行するダイヤになっています。926列車は定期列車ですので、9928列車運転時にはダイヤ変更があったのかもしれませんが、臨時列車の方が普通列車を追い抜くというのもなんとも痛快というか不思議な列車です。
⑤ 昭和46年 4月改正 紀勢本線
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昭和46年4月の時刻表を参照しますと、「いそつり」が、時期によっては熊野市まで延長されています。
熊野市までの延長運転は列車名が示すように太公望のための列車だったのかなぁと思わせてしまいます。実際、926列車にも太公望と言える人が多く乗っており、寝台車もそうした人の専用といった風情がありました。、
⑦ 昭和46年 10月改正 紀勢本線
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それでも、多客期を中心に「いそつり」が運転されており、紀勢本線の新宮方面行き夜行列車は、3本体制が続きます。
すみません。やっと昭和46年10月ですね、次回は昭和47年から始めさせていただきます。
続く
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