国鉄の部内誌、国有鉄道という雑誌から見かけたお話から。
今回は、1970年に大阪千里山丘陵で開催された日本万国博覧会(EXPO'70)のこぼれ話として、新大阪駅での話です。
駅での宿泊は、当時も今も営業時間以外は開放されておらず、最終列車が到着すると駅を閉鎖してしまいます、当時のお話では新大阪駅は24時間開放していたようです。
現在は廃止されていますが1階飲食店街(味の小路)付近が団体待合室となっていたそうです。
この団体待合室が、万国博見学者の臨時宿泊所になったというお話です。
当時の雑誌を参照しますと、万国博覧会が始まった3月15日以降に、団体待合室で夜を明かす人が出てきたそうで、これが日に日に増えていったそうです。
その殆どが、万国博を見学するためにやってきた人たちで、駅舎に宿泊することで旅館代を浮かそうということだったそうで、冷暖房完備の、待合室は椅子での仮眠という点を除けば、安く宿泊できるとして誰いうとも無く始まったようでした。
実際、当時は新大阪駅から大阪市営地下鉄【現・大阪メトロ】に乗車して、江坂からは北大阪急行に乗り入れる直通列車が万博中央駅まで走っていましたので、地下鉄で降りてそのまま団体待合室で夜を明かすと言うことになったのかもしれません。
当初は、その対応に苦慮していたようですが、当時は、ミニスカートが流行した時代であり、そうした女性も多く、夜間に痴漢被害となっても困るということから、本来であれば鉄道営業法37条に基づき退出願うところでしたが、最終的には「ここで夜明かしされる方も新幹線を利用するお客様であり、たまたま旅館が満員、もしくは経済的な理由でやむを得ず団体待合室で夜を明かしているのだ」という駅長の判断の元、団体待合室での宿泊が認められたのでした。
そこで、公安としても、駅に協力することとなり、団体待合室を宿泊所代わりに利用する人たちを把握するために宿帳ならぬ待合室帳を作り住所・氏名などを書いてもらうようにしたそうです。
最近では、「個人情報ガー」と言って拒否する人も出てくるかもしれませんが、当時はスムーズに運用できたようです。
記録によりますと、7月末日現在で4109名うち外国人は313名であり、いささか国際色豊かな簡易宿泊所?ができあがったそうです。
現在も新大阪駅に団体待合所があったら、外国人観光客【バックパッカー】で占領?なんてことになっていたかもしれないですね。
万国博に絡む、国鉄時代のお話でした。
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