国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

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山陰本線、京都夜行「山陰」物語 第4話【戦後編】

2020-07-02 23:01:47 | 国鉄思いで夜話

気がつけば1ヶ月以上更新していませんでしたが、改めて昭和33年10月のダイヤ改正以降をご覧いただこうと思います。

昭和33年10月号時刻表

昭和33年10月の時刻表を参照しますと、東京発の急行出雲は、東海道区間は夜行列車として、大阪からは昼行列車として大社まで運転される列車であり、昭和31年12月改正のダイヤをそのまま踏襲しています。

昭和33年10月のダイヤ改正では、寝台特急客車用の20系が、運転を開始したダイヤ改正でした。

昭和33年10月号時刻表内開きの20系客車を紹介する記事

電源車を連結し、潤沢な電力で変性全体の空調は元より、電化食堂車が誕生しました。

それまでは、2等A寝台・B寝台、食堂車のみが冷房付であったのですが、この車両では三等寝台は元より、三等座席車も冷暖房完備であり。特急「つばめ・はと」よりも豪華な車両となりました。

なお、それまで使用されていた「あさかぜ」編成は、特急「平和」(平和は漢字書き)として、東京~長崎で運転が開始されることとなりました。

旧あさかぜ編成を使用した特急「平和」翌年の7月の改正で

ちなみに、151系「こだま」は万全を期するため、運転開始は11月1日まで延期されていますので、この改正では運転しておりません。

ちなみに、「平和」5列車は、東京16:05発、長崎 12:15 着 「あさかぜ」7列車は 東京 18:05発 博多11:40でした。

さて、脱線はこの辺にして、本題の京都夜行に戻りたいと思います。

京都夜行は下関行きとして、座席車主体の編成が組まれています。これは、新聞輸送などの使命があったからと言えます。

実は、山陰本線区間に関して言えば、京都発。並びに大阪発の夜行列車ともに大きな変更はなく。

京都発夜行は、下関まで直通、大阪夜行は、出雲市までの運転となっています。

ちなみに当時の急行白兎は、特急「つばめ」の接続列車で、特急「つばめ」を受けて16:00に京都を出発、米子には22:45に到着出来る日着ダイヤとなっています。

話題を、肝心の大阪夜行・京都夜行に戻しましょう。

京都発下関行き817列車は、2・3等車は連結されているものの、大阪発大社行きの717列車は、さらにC寝台(三等寝台ではない、現在のA寝台)が連結されており、大阪からの優等客の利用が多かったことが窺えます。

晩年は、京都夜行「山陰」と大阪夜行「だいせん」が福知山駅で両側のホームに並び時間調整する姿が見られ、相互乗り換えも可能でしたが、当時のダイヤでは、福知山通過時刻に30分ほど差があり、相互に乗り換える事は出来るダイヤではありませんでした。

大阪発の夜行列車は普通列車ながらC寝台(現在のA寝台相当)

大阪夜行 717列車

大阪 22:00 福知山 0:54 着 1:00発

京都夜行 817列車

京都 22:05 福知山 0:16 着 0:22発

さて、山陰本線のダイヤをじっくり見ていきますと、実は京都夜行は、終着の下関に到着するのは18:11なのですが、実はもう一列車、浜田から快速運転になる夜行列車がありました。

京都 9:30出発の

 

さて、そんな昭和33年はこの程度にして、次は昭和34年は、ダイヤ改正前の7月号しかありませんので、次回は、昭和35年6月(特急「つばめ・はと」の電車化に併せて実施されたダイヤ改正と山陰本線の夜行列車に関する変遷をご覧いただこうと思います。

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