実は、本日親友から質問を受けまして、母を訪ねて三千里ではないですが、その答えを探して色々と調べていました。
実は、最初に見せられたのは1枚のtwitterに上がっていた1枚の写真、
新宮駅に到着した、キユニ26を先頭にした、荷物列車、後方にはきは28・58が連結されており、twitterの見解では紀州5号ではないかというお話しだったので。
実際の所はどうなのと調べてみた次第。
そこで、何回かに分けて、山陰本線のお話とは別に、紀勢本線の東線側の列車について歴史を辿っていきたいと思います。
ちなみに、名古屋発の夜行列車、紀州5号ですが、誕生は昭和43年10月のダイヤ改正です。
元々は「うしお2号」という列車でしたが、愛称統合で紀州に統合されたものでした。
廃止時期なのですが、手元にある時刻表では、昭和56年10月の改正までは残っていますが、昭和57年7月号ではすでに走っていませんので、昭和57年3月か4月頃に改正されて廃止されたのではないかと推定されます。
さて、紀州5号という列車のルーツはと言える列車を調べてみますと、昭和34年7月15日まで遡ることが出来ます。
実は、紀勢本線全通時に新しい列車が三本新設されているのですが、その一つが天王寺発名古屋行きの黒潮のルーツになる列車、もう一本は、天王寺発名古屋行きの924列車のルーツとなった列車、そしてもう一つが今回のテーマである紀州3号のルーツと言うべき列車になります。
昭和34年7月時刻表に付録として、7月15日(開業以降のダイヤ)が付録として挟み込まれており、当時の時刻を確認することが出来ました。
昭和34年7月15日からの時刻 23:00名古屋発の、無名準急がルーツ
上り列車も紀伊勝浦~名古屋間
亀山~多気間の時刻
多気~紀伊勝浦間の時刻
この時刻表によると、紀州5号のルーツと言える列車は
1907列車 名古屋発 23:00の無名の準急で、2・3等車連結となっています。
3等級制の時代ですので、今のグリーン車が連結されていたことになります。停車駅は、名古屋、八田、蟹江、桑名、富田、四日市、亀山、亀山から紀勢本線に入り、津、松阪、多気、三瀬谷、紀伊長島、尾鷲、熊野市、新宮、那智、紀伊勝浦で、紀伊勝浦には5:52の到着する客車列車が設定されています。
実は、この準急は無名なのですが、後に特急「くろしお」のルーツとなる、名古屋~天王寺間を走破する準急には「くまの」と言う愛称が設けられています。
他にも、準急列車は全て愛称が付いていますので、この準急はその後の紀州5号まで連綿と、主たる使命が新聞輸送を中心とする荷物輸送が中心であり、敢えて愛称を設ける必要が無かったとも言えそうです。
次回以降は、昭和35年以降の時刻表などを参照しながら、紀勢東線の推移などを見ていければと思います。
日本交通公社の昭和34年7月号時刻表
正直この年代の時刻表は高くて中々手が出ません。
収集していますが、正直亀の歩みです。苦笑
正しい考証を行なうには、出来るだけ当時の時刻表などが欲しいのも山々なんですけどね、苦笑
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国鉄があった時代 JNR-era
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