ほぼ一週間ぶりの投稿になります、本日も紀勢本線を走った列車のお話しと言うことで、今回は昭和56年をご覧いただこうと思います。
今回用意しましたのは、昭和56(1981)年3月号、10月号の2冊です。あいにく、7月号がありません、今後機会があれば購入したいと思います。
それでは、今回もしばしお付き合いくださいませ。本日も昭和56年3月の時刻表から見ていきたいと思います。
臨時列車とはいえ、天王寺を7:00に出発する「くろしお」が設定されています。
この特急は、白浜9:13着となっており、日帰りで遊びには十分な時間を提供してくれそうです。
さらに、その20分後の7:20には、急行きのくに4号が天王寺を出発しています。(きのくに2号は、紀伊田辺(きいたなべ)8:40始発の急行が使っていますが、元は紀州の名古屋行きとして走っていた列車ですが、昭和53年10月の改正で、運転区間が短縮(代わりに紀伊勝浦~名古屋間は特急南紀を設定)して誕生した列車に使われています。
話が脱線してしまいました、再び8:00以降の昼行列車を見ていきますと、定期列車として特急くろしお2~6号が、8:00、9:00、9:30と連続して紀州路を目指します。
特に、8:00発の2号と、9:00発の4号は新宮まで直通しています。
両列車の所要時間を比べてみますと、8:00発の新宮行きは、阪和線で通勤輸送の影響を受けるのか、天王寺~和歌山間52分、9:00発は、同区間を48分で結んでいますが、終着は、6分ほど9:00発が遅くなっています。
途中の、白浜・紀伊勝浦で少し長めに停車時間を取っており、これが延長の原因のようです。
なお、9:30は白浜行きですが、和歌山~白浜間をノンストップの速達列車ですが、所要時間は9分しか変わらず。走らせる意味がそこまであったのかと言い気がしますね。
この頃の時刻表を見ますと、特急が一時間おきに運転されているのに比べると明らかに減っています。
10:10◆、10:30、10:38◆と連続して (◆は季節列車)運転されていますが、運転日もかなり限定されているようです。
その後も11:00◆、11:30◆、12:00季節列車や臨時列車を挟んで運転されていますが、明らかに特急シフトしていると言えそうです。
この当時の時刻表での特徴を見てみますと、高速道路が開通していないことも手伝って、天王寺~白浜間に大変力を入れているのが分かります。
余談ですが、和歌山を15:47発の新宮行きに乗れば、新宮駅で約一時間の待ち合わせで、特急「紀伊」に乗車でき東京には6:25に到着できそうです。苦笑
さて、肝腎の夜行列車の方ですが、「いそつり」の名称ではなく、「はやたま52号」として設定されている他、急行きのくに24号も季節列車となっており、いずれもちょう落ぶりが目立ちます。
夏時刻のダイヤを確認しようにも7月前後の時刻表がありませんので、次に御覧いただくのは、10月号になります。
10月の改正では。千歳空港駅【現在の南千歳】駅が開業した他、石勝線が開業し、札幌から帯広間が大幅に短縮されることに伴うダイヤ改正が行われていますが、紀勢本線では、急行から特急へのシフトが更に進んだ印象を受けます。
早速御覧いただきましょう。
南海から乗り入れの急行以外は定期列車で急行列車はなくなっているようです。
夜行列車に関しては、寝台車がそれまでの2両から1両に減車されています。
車両の老朽化と利用者の減少の双方が理由かと思われますが、かつての2両連結していた頃と比べると少し寂しさを禁じ得ません。
急行きのくには、南海乗入れ併結列車以外は、「くろしお」に格上げされてしまいました。
急行で、ABの表示があるのは、南海からの乗入れ列車を示します。
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取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
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またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era
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今回用意しましたのは、昭和56(1981)年3月号、10月号の2冊です。あいにく、7月号がありません、今後機会があれば購入したいと思います。
それでは、今回もしばしお付き合いくださいませ。本日も昭和56年3月の時刻表から見ていきたいと思います。
臨時列車とはいえ、天王寺を7:00に出発する「くろしお」が設定されています。
この特急は、白浜9:13着となっており、日帰りで遊びには十分な時間を提供してくれそうです。
さらに、その20分後の7:20には、急行きのくに4号が天王寺を出発しています。(きのくに2号は、紀伊田辺(きいたなべ)8:40始発の急行が使っていますが、元は紀州の名古屋行きとして走っていた列車ですが、昭和53年10月の改正で、運転区間が短縮(代わりに紀伊勝浦~名古屋間は特急南紀を設定)して誕生した列車に使われています。
話が脱線してしまいました、再び8:00以降の昼行列車を見ていきますと、定期列車として特急くろしお2~6号が、8:00、9:00、9:30と連続して紀州路を目指します。
特に、8:00発の2号と、9:00発の4号は新宮まで直通しています。
両列車の所要時間を比べてみますと、8:00発の新宮行きは、阪和線で通勤輸送の影響を受けるのか、天王寺~和歌山間52分、9:00発は、同区間を48分で結んでいますが、終着は、6分ほど9:00発が遅くなっています。
途中の、白浜・紀伊勝浦で少し長めに停車時間を取っており、これが延長の原因のようです。
なお、9:30は白浜行きですが、和歌山~白浜間をノンストップの速達列車ですが、所要時間は9分しか変わらず。走らせる意味がそこまであったのかと言い気がしますね。
この頃の時刻表を見ますと、特急が一時間おきに運転されているのに比べると明らかに減っています。
10:10◆、10:30、10:38◆と連続して (◆は季節列車)運転されていますが、運転日もかなり限定されているようです。
その後も11:00◆、11:30◆、12:00季節列車や臨時列車を挟んで運転されていますが、明らかに特急シフトしていると言えそうです。
この当時の時刻表での特徴を見てみますと、高速道路が開通していないことも手伝って、天王寺~白浜間に大変力を入れているのが分かります。
余談ですが、和歌山を15:47発の新宮行きに乗れば、新宮駅で約一時間の待ち合わせで、特急「紀伊」に乗車でき東京には6:25に到着できそうです。苦笑
さて、肝腎の夜行列車の方ですが、「いそつり」の名称ではなく、「はやたま52号」として設定されている他、急行きのくに24号も季節列車となっており、いずれもちょう落ぶりが目立ちます。
夏時刻のダイヤを確認しようにも7月前後の時刻表がありませんので、次に御覧いただくのは、10月号になります。
10月の改正では。千歳空港駅【現在の南千歳】駅が開業した他、石勝線が開業し、札幌から帯広間が大幅に短縮されることに伴うダイヤ改正が行われていますが、紀勢本線では、急行から特急へのシフトが更に進んだ印象を受けます。
早速御覧いただきましょう。
南海から乗り入れの急行以外は定期列車で急行列車はなくなっているようです。
夜行列車に関しては、寝台車がそれまでの2両から1両に減車されています。
車両の老朽化と利用者の減少の双方が理由かと思われますが、かつての2両連結していた頃と比べると少し寂しさを禁じ得ません。
急行きのくには、南海乗入れ併結列車以外は、「くろしお」に格上げされてしまいました。
急行で、ABの表示があるのは、南海からの乗入れ列車を示します。
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