皆さんこんにちは、気が付けば10日以上も開けてしまいました。
申し訳ありません、振子気動車といえばJR四国の2000系やHOT7000系が浮かぶと思います。
他にもJR北海道の281系・283系がありますよね。
基は全て、JR四国鉄道総研と共同開発したシステムに起因するのですが、じつは国鉄時代にも振子気動車は研究されていました。
それは、キハ391系ガスタービン動車です。
覚えていますか?
昭和46年(1971年)に試作車が開発されて、ローカル線高速化の切り札として期待されたのですが、結果は大失敗
昭和48年(1973年)の石油ショックではもはや無用の長物となってしまったのか、昭和52年頃にはすでに米子駅構内で放置状態になっていました。
外国の事情は疎いのでここでは詳しく書きませんので興味のある方は知ら調べてみることをお勧めします。
日本では、ヘリコプターなどで使われているガスタービンエンジンが鉄道に使えるか否かを検証するため昭和42年(1967年)から45年(1970年)まで運輸省からの補助金を受けて国鉄から譲渡されたキハ07形に航空機用ガスタービンエンジンを取り付けて機関の性能試験・騒音試験・温度の測定・燃料消費量等が測定され、最初は台上試験、その後本線での試運転の流れとなり、マスクが新幹線の911形を彷彿させるようなマスクに改造されており、形式を言われなければ九州鉄道記念館に保存されているキハ07と同じとはだれも思わないでしょう。
試験の結果は、航空機用エンジンを鉄道用に転用は可能と言う結論に達したようで、今度は試作車を作って走らせてみることとなりそこで計画されたのがキハ391系ガスタービン気動車でした。
当時の非電化ローカル線は線路も脆弱で勾配も多く急曲線の連続と言う区間も多いことから下記のような方針が立てられたそうです。
1)軌道への影響を減らすため、極力軽量化し、軸重を小さくする。
2)曲線部における速度向上と転覆に対する安全性向上のため重心を低くする。
3)横風の影響を減らすため、車体全高を下げる。
4)曲線部における車輪軸圧を下げるため、台車は芯皿移動方式とする。
5)乗り心地改善のため、車体を振り子式とする。
6)軽量化の手段としてガスタービンを採用する。
と書かれています。
さらに車体についてですが、試験編成は3両で1編成となっており中間車両が動力車なのですが、この中間車は振子機能を持たないと特殊な構造となっていました。
中間車はタービンが車内に搭載されていました、画像右側の台車の構造に注目、
車輪の車体の重心を下げるために、両端の先頭車は800mm車輪を採用し、床面高さを920mmと大変低く設定されていました。
従来の気動車が概ね1.3m程度の高さですから車体床高さが40cmも低いことになります。
実際、米子駅に留置されていた時に車内に入ったことがありますが(もうさすがに30年以上前の話ですから時効ですよね。苦笑)かなり床が低いなぁというのが正直な感想でした。
完成後は、川越線、伯備線、田沢湖線で試験が行われましたが、在来のディーゼル機関と比べてトルクが低く、加速は緩慢でその上騒音は大きい、消音機の改良などを行ったようですが、騒音だけはクリアできなかったと言われています。
その後は、前述のように石油ショックによる燃料費の高騰や、騒音問題などから量産には至らず長らく放置されることとなりました。
現在は解体されて先頭部分だけが保存されているとのことであるが貴重な車体だけに保存して欲しかったと思います。
申し訳ありません、振子気動車といえばJR四国の2000系やHOT7000系が浮かぶと思います。
他にもJR北海道の281系・283系がありますよね。
基は全て、JR四国鉄道総研と共同開発したシステムに起因するのですが、じつは国鉄時代にも振子気動車は研究されていました。
それは、キハ391系ガスタービン動車です。
覚えていますか?
昭和46年(1971年)に試作車が開発されて、ローカル線高速化の切り札として期待されたのですが、結果は大失敗
昭和48年(1973年)の石油ショックではもはや無用の長物となってしまったのか、昭和52年頃にはすでに米子駅構内で放置状態になっていました。
外国の事情は疎いのでここでは詳しく書きませんので興味のある方は知ら調べてみることをお勧めします。
日本では、ヘリコプターなどで使われているガスタービンエンジンが鉄道に使えるか否かを検証するため昭和42年(1967年)から45年(1970年)まで運輸省からの補助金を受けて国鉄から譲渡されたキハ07形に航空機用ガスタービンエンジンを取り付けて機関の性能試験・騒音試験・温度の測定・燃料消費量等が測定され、最初は台上試験、その後本線での試運転の流れとなり、マスクが新幹線の911形を彷彿させるようなマスクに改造されており、形式を言われなければ九州鉄道記念館に保存されているキハ07と同じとはだれも思わないでしょう。
試験の結果は、航空機用エンジンを鉄道用に転用は可能と言う結論に達したようで、今度は試作車を作って走らせてみることとなりそこで計画されたのがキハ391系ガスタービン気動車でした。
当時の非電化ローカル線は線路も脆弱で勾配も多く急曲線の連続と言う区間も多いことから下記のような方針が立てられたそうです。
1)軌道への影響を減らすため、極力軽量化し、軸重を小さくする。
2)曲線部における速度向上と転覆に対する安全性向上のため重心を低くする。
3)横風の影響を減らすため、車体全高を下げる。
4)曲線部における車輪軸圧を下げるため、台車は芯皿移動方式とする。
5)乗り心地改善のため、車体を振り子式とする。
6)軽量化の手段としてガスタービンを採用する。
と書かれています。
さらに車体についてですが、試験編成は3両で1編成となっており中間車両が動力車なのですが、この中間車は振子機能を持たないと特殊な構造となっていました。
中間車はタービンが車内に搭載されていました、画像右側の台車の構造に注目、
車輪の車体の重心を下げるために、両端の先頭車は800mm車輪を採用し、床面高さを920mmと大変低く設定されていました。
従来の気動車が概ね1.3m程度の高さですから車体床高さが40cmも低いことになります。
実際、米子駅に留置されていた時に車内に入ったことがありますが(もうさすがに30年以上前の話ですから時効ですよね。苦笑)かなり床が低いなぁというのが正直な感想でした。
完成後は、川越線、伯備線、田沢湖線で試験が行われましたが、在来のディーゼル機関と比べてトルクが低く、加速は緩慢でその上騒音は大きい、消音機の改良などを行ったようですが、騒音だけはクリアできなかったと言われています。
その後は、前述のように石油ショックによる燃料費の高騰や、騒音問題などから量産には至らず長らく放置されることとなりました。
現在は解体されて先頭部分だけが保存されているとのことであるが貴重な車体だけに保存して欲しかったと思います。
非電化路線の改善は、往時には今よりも一層大きな課題だったのだろうと想像しています。
四国を端緒として北海道でも、高性能な特急型気動車の新しい世代が花を開きましたが、それまではなかなか発展しなかった分野だったようにも思います。
もしもこの試作車が量産されるところまで至っていたならば、いくつかの非電化幹線は、電化されることはなかったかもしれませんね。
騒音の問題が解決できなかったとのことですが、実際の姿や音を体感してみたかったものです。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
そうですね、この車両が実用化されていればいくつかの非電化幹線は、電化されることはなかったでしょうね。
実際に、高山線は高性能気動車キハ85を導入したことで電化計画を撤回しています。
輸送量が比較的小さい地域の場合は電路保存の手間を考えれば内燃機関の方が全体の維持費は小さくなります。
ただ、この車両騒音もそうですが、燃費もかなり悪かったこともあって、石油ショックの時にあっさりと開発が中止うになってしまいました。
ちなみに当時の標準気動車の燃費はliter400mから600mだったそうです。