国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

参議員-運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日 第21話

2017-02-06 23:34:41 | 国鉄関連_国会審議
こんばんは、約2週間ぶりになりますが、参議院運輸委員会-2号 昭和五十五年十月十六日のお話を始めたいと思います。
前回は、国鉄改革と関連して、新しい交通体系構築について質問された際、「国土庁、それから大蔵省、自治省などと集まっていろいろ議論をしていると」
と言った非常に歯切れの悪い答弁をしていたのですが、理想論でいくら言っても実際には、きちんとした答えを出せていないのが現状であり、この辺は広田幸一議員も判っているようで、現状では無理であろう、しかし、無理と言うってしまっては意味がなく、国鉄を何とかしなくてはいけないということは一般国民も理解しているであろう、しかし現状の国鉄再建はかなり難しいのではないかと言う
「国鉄の再建を図らなきゃならないという重大な時期に来ておると思うんですね。私たちそのことはわかるわけです。しかし、一方においてはこういうことが、政治的な絡みでもたもたしておるような状態を国民は一体どう見るだろうか。」
ということで、実際に国鉄改革法が議論を始めた昭和55年頃は本当に国鉄改革が出来るとは誰も思っていなかったというのが正直な感想かと思います。
そこで、下記のような発言になると思うのですが。
「とにかくいずれにしてもこの問題はいろんな国鉄再建と絡んだ問題でございますから、早急に結論を出していただくと。私たちは意見として言えば、いまの時点でこのようなものは泣いて馬謖を切るといいますか、やめるべきである。切る、凍結というかな、当分の間やるべきではないと、こういうふうに思います。」
ということで、思い切って止めてしまうことも必要であると言っておりますが至極正論だと個人的には思っております。
さらに、ここで注目すべき質問をしているのですが、鉄建公団のその後の在り方についてです。
鉄建公団は、当初は昭和58年頃に廃止されてしまう可能性があったことがここで示唆されています。
さて、質問の解説を加える前に少しだけ鉄道建設公団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構の前身)について簡単にお話をさせていただこうと思います。
鉄建公団は昭和39(1964)年)3月23日に日本鉄道建設公団法に基づき発足した特殊法人で、本来鉄道建設は鉄道敷設法に基づき国鉄が建設するものとされていましたが、独立採算制の手前地方ローカル線の場合は建設しても赤字になることが判っていたこと、更に輸送力増強などの投資に回す必要からローカル線の建設は遅々として進みませんでした。
それに対して、国鉄に代えて鉄道を建設する方式としたもので、田中角栄がかなり積極的に動いたと言われています。一説によればかなりの鉄道好き(鉄道ファンとと言う意味ではない)であったと言われています。
そこで、地方交通線を建設する、A・B線と幹線系のC・D線と分類し、A・B線は建設の後国鉄に無償譲渡、C・D線は有償譲渡し、年賦で公団に建設費を償還するという仕組みでした。
逆に言えば、A・B線は引き受けても赤字になる線路が殆どであり国鉄としても引き受けたくないのにと言うのが本音でしたが、政府に押し付けられてしまうということが多々あったようです。
それが、国鉄再建法の審議がが始まったとで原則的に工事は中止となり、昭和58年頃までには解散する方向に向かっていたようです。
実際に、路盤が90%近くまで完成して放置されてしまった未成線も多く、陰陽連絡として開通した智頭急行のように、その後高速化を含めた改修を図って、A・B線でしたが現在は重要な運用連絡線になった智頭急行の例などは例外中の例外と言えそうです。

上郡駅にて、JR西日本の運転手と交代する智頭急行の運転士

実際には、前述の智頭急行のように、地域による第3セクター鉄道として建設される事例があったため、鉄建公団自体は2003年(平成15年)に運輸施設整備事業団と統合されて、
「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」として現在も引き継がれています。
なお、この当時の鉄建公団の総裁は、9代目国鉄総裁に就任する仁杉巖氏です。

広田幸一議員はここで、下記のような質問をしています。
「これは鉄建公団の総裁にお尋ねをすべきかと思うんですが、いままで論議をしてきましたように、AB線それからCD線についても、国鉄、運輸省の方針としては、第三セクターが受けてくれるものはやるということなんですが、なかなかそういうところはこれから余り、出てくるかどうかわかりませんし、決着はどういうふうにつくかわかりませんが、いずれにしても、大勢としては工事を中止する、凍結をするということになると思いますし、それから鉄建公団が工事を進めておりますところの上越新幹線は、大宮の辺で少しもたもたしておるようでありますが、それでもあと一、二年もすれば完成するであろう、それから青函トンネルも五十八年ごろには終わるだろうと、こういうふうに聞いておるわけであります。」
といいうことで、昭和58年(1983年)には鉄建公団の仕事が無くなってしまうのではないかと、「総裁としてどういうふうにお取り組みになっておりますか、少し詳しく、希望とか意見もあろうと思うんですが、お答え願いたいと思います。」
と言う質問をされています。
それに対して、「昭和五十八年度に「他との統合等を図る」という決定がされております。」ということで、解散統合は示唆されているのですが、実際にはその後、第3セクター鉄道の建設や、その後の国鉄清算事業団(3年の時限立法で設立された清算法人)の業務を引き継ぐなどして2003年まで結局は存在していたのは承知の通りだと思います。
ただ、この時は方針だけはあるけれど実際にはどうなるか鉄建公団自体が見えていなかったということに驚かされます。

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国鉄があった時代 JNR-era

*********************以下は、国会審議の本文になります。******************
○広田幸一君 局長としても非常に答弁のしにくい問題のようですが、いずれにしても国鉄再建法案というものがいま出て、きのうから衆議院で論議されておるわけでして、参議院に来るかどうかわかりませんが、とにかくいま国鉄の再建を図らなきゃならないという重大な時期に来ておると思うんですね。私たちそのことはわかるわけです。しかし、一方においてはこういうことが、政治的な絡みでもたもたしておるような状態を国民は一体どう見るだろうか。やるならやる、やらないならやらない、やる場合にはこうするとか、私はこういう報告書を見ますと、とてもやれるような状態ではない。局長にイエスかノーかと言ったら、私はノーと言われると思うんですよ。そういう質問しませんが、常識的に見ても、それは私が聞いたところでもノーという数字が出ておるんですから。しかし、それは政治的な絡みがあるわけですから。国鉄再建問題もやっぱり政治的な絡みもあるわけですからね。われわれも協力するところは協力しなきゃならぬと思っておるわけです。
 これ以上言ってもいい答弁はできぬと思いますが、とにかくいずれにしてもこの問題はいろんな国鉄再建と絡んだ問題でございますから、早急に結論を出していただくと。私たちは意見として言えば、いまの時点でこのようなものは泣いて馬謖を切るといいますか、やめるべきである。切る、凍結というかな、当分の間やるべきではないと、こういうふうに思います。
 それから、今度は話をちょっと百八十度転換をしまして、これは鉄建公団の総裁にお尋ねをすべきかと思うんですが、いままで論議をしてきましたように、AB線それからCD線についても、国鉄、運輸省の方針としては、第三セクターが受けてくれるものはやるということなんですが、なかなかそういうところはこれから余り、出てくるかどうかわかりませんし、決着はどういうふうにつくかわかりませんが、いずれにしても、大勢としては工事を中止する、凍結をするということになると思いますし、それから鉄建公団が工事を進めておりますところの上越新幹線は、大宮の辺で少しもたもたしておるようでありますが、それでもあと一、二年もすれば完成するであろう、それから青函トンネルも五十八年ごろには終わるだろうと、こういうふうに聞いておるわけであります。
 そうなってきますと、そういう仕事に従事しておる鉄建公団の職員というのは約三千数百おるように聞いておるわけであります。これは全体、役員の方も含めてかもしれませんが、そういう人たちがこれから五十七年、八年先になった場合にどこに行くのかという問題があるわけですね。私たちが聞いておりますのは鉄建公団の技術職員というのは世界的にも非常に技術の発達したといいますか、優秀な技術者のいわゆる技術集団であると、こういうふうに聞いておるわけでありまして、この人たちの技術を将来のこれからのいろいろな面における日本の経済の発展のために役立たせるべきであると、こういうふうに思っておるわけですが、こういう人たちが、もうあと二年したならばどこに行くかという問題が私は出てきておると思うのですが、この点について、最高の責任者でありますところの総裁としてどういうふうにお取り組みになっておりますか、少し詳しく、希望とか意見もあろうと思うんですが、お答え願いたいと思います。

○参考人(仁杉巖君) 先生御承知のとおり鉄道公団は、昨年の暮れに、昭和五十八年度に「他との統合等を図る」という決定がされております。いまお尋ねの総裁としての立場から申し上げますと、一つの公団あるいは企業体と申しますか、そういうものが、三年先と申しますか、そういう時期にどういうふうになるかよくわからないというようなことに立ち至りますと、現在三千三百程度の役職員がおりますが、その職員はもちろん、あるいはその家族にとりましても非常に不安になるということがございます。そしてまた職員そのもの、いま先生の御指摘にございましたように、大変総裁として申し上げるのは口幅ったいかもしれませんが、一生懸命でいい仕事をしている集団でございますが、その職員たちの士気をどういうふうに維持していくかということにつきましては非常に私ども困却をしているというようなことが実情でございます。
 事実私ども幹部が現地へ参りまして、あるいは本社の職員等といろいろ対話をいたしますと、やはり一番先に職員から出ますのは、五十八年度以降どういうふうになるでしょうか、総裁はどう考えているかというような話が出てまいるわけでございます。
 もう一つ私が非常に心配しておりますのは、こういう状況のままで時間が経過をいたしてまいりますと、公団には相当優秀な技術者、事務者、事務関係者がたくさんおるわけでございますが、そういう人たちの将来の展望の中から民間に転出していこうという、あるいは他に転出しようかというような傾向が出ないとも限らないということでございまして、現在公団が持っております優秀な技術集団としての能力がだんだん低下をするのではないかというような心配をしております。
 それで、こういう考え方がございますので、私は運輸省初め各方面にもいろいろ、五十八年度に政府決定のとおり他との統合、変貌をするということは間違いないと思いますけれども、それまでの間にだんだん仕事が少なくなってくるということによって職員の不安ないしは転出というようなことの事態の起こらないように何とか新しいプロジェクトにも参加をさしていただきたいということをお願いをしております。幸い皆様方のある程度御理解を得られまして、いろいろと御配慮をいただいておりますので、現時点におきましては職員一同も非常に張り切り、また他に転出するというような傾向も全然現在のところまだ見られていないということで、現時点におきましては皆一生懸命で業務に精励をし、上越新幹線あるいは青函トンネルあるいはAB線、CD線その他いろいろな仕事について一生懸命に精励をしているということでございます。
 今後の問題につきましては私の立場からなかなか申し上げにくいのでございますが、運輸省初め各方面からいろいろと御意見を承っておりますし、また御指導も得ておりますが、総裁といたしましては何とかこの鉄道公団の優秀な技術集団が、その力を保持したかっこうで、昭和五十八年度におきまして国益に役立つようなそういうような方向がとれるということをいたしたいということでいろいろ努力を重ねているというのが現状でございます。

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