投稿者:燕山の声さん 投稿日:2007年 7月 4日(水)
この一年余り南米から北米、アジア、オセアニア、欧州、そしてアフリカまで(中国燕山を中心に)いわばグレートジャーニーを逆回りして多くの民族に接し感じたことから、北朝鮮・民族の問題を、少し離れた位置から俯瞰してみたい。このHNでの投稿もたぶんこれが最後になるので、板汚しの駄文に少々お付き合いください。
非礼を承知で言えば、アフリカの諸国民族は自分で自分の国を維持管理する能力が不足しているのではないか、一時が万事おおざっぱ・いい加減、よく言えば鷹揚・素朴で、政府レベルの公式アポも庶民レベルの待ち合わせ時間もアナだらけなのである。決め事が決めた通りにちっとも進まない。1960年代の独立以降、無理やり近代国家の体裁を整えようとしているわけだが、今の社会形態なんて欧州に住み着いたコーカソイドが300年前、あるいは100年前の彼らのヒエラルキーの中で考案した折衷案に過ぎず、ここの連中にはもともと馴染まない仕組みなのではと思う。
気候変動で登る木の無くなったアフリカ東部の猿が地面に降ろされ二本足歩行の猿人が現れたのが500万年前、今の我々に通じる種としてのヒトが発生したのは約250万年前のこと。それから何度もアフリカを脱出したがネアンデルタール、ジャワ原人、北京原人など化石だけを残してことごとく絶滅(死滅)していった。そしてほんの約5万年前にアフリカを脱出した、ミトコンドリア・イブの子孫たちのみが、なぜか卓越した適応能力・知恵を持っていて、氷期でも死に絶えず急速な勢いで世界へ広がる(人種の分化はさらにそのあとの出来事だ)。気候変動と部族間殺戮の中での繁栄衰亡を経ながら、生き延びるための「ワル知恵」により長けたものが新天地の逆境の中で生き残ってゆき、そして、本家のアフリカにはホモサピエンスの原型が残ってしまったのではないか、近代国家社会とは無縁の、自然と調和しながら500万年平和に幸せに生きてこられた素朴な姿で。
*
世の中を実際に動かしていながら、市井の我々には見えてこない世界がある。旧社会党の北朝鮮への「拉致人選・日本人供出」を私は事実だと思うし、これは参議院選を前に政敵の息の根を止める恰好のネタなのに、自民の議員はだれもこれを口にしたことはない。ヒル次官が先般ドイツの会議で北朝鮮に色仕掛けで篭絡されたのも常識的裏ネタだが、マスコミは決して触れない。なぜだろう。
久間大臣の「しょうがない」の何がそんなに問題なのか、被爆関係者の私にも良く分からない。どうせ騒いでるのは騒ぐのが目的の連中だろ。私には「アメリカは原爆でひでぇことしやがったが、これもまぁ起きてしまったことは前向きに解釈するよう自分を納得させるしかしょうがあるめぇ・・・・」程度の印象しかないし、北朝鮮・中国の今の核のほうがはるかに「問題」だと思うが。以下はこの「しょうがない問題」にからめた今朝の朝日の記事の、過去に「問題になった閣僚発言」リスト;
松尾文相:「(日韓併合は)韓国側にもいくらかの責任がある」
奥野国土庁長官:「(戦前は)白色人種がアジアを植民地にしていたのであり誰が侵略者かといえば白色人種だ、それが日本だけが悪いことにされてしまった」
永野法相環境庁長官:「(南京大虐殺は)でっちあげだと思う」
桜井環境庁長官:「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」
江藤総務庁長官:「(日韓併合の)村山発言は誤りだ、植民地時代に日本は良いこともした」
西村政務次官:「日本も核武装したほうがええかもわからんということも検討せなアカンな」
・・・・
これらを「問題発言」としてあげつらうのは朝日の勝手だが、上記旧社会党の日本人奴隷輸出犯罪やヒルの篭絡よりも「問題」だとは、私は思わない。
やや古い本だが、ユダヤ社会の闇の部分を描いた「ダイヤモンドは永遠か」(エドワード・エプスタイン 田中昌太郎)と「赤い盾」(広瀬 隆)という名著がある。「ダイヤモンド・・・」には、保守的な日本伝統文化をデビアスの思惑通りに変え日本を世界屈指のダイヤ消費市場にしたことが「成功例」として冒頭に紹介してあり、「赤い盾」では世界を裏で操るロスチャイルドの闇の深さをうかがい知ることができる。(「ブラッド・ダイアモンド」に描かれた世界は30年以上前からあった周知のこと、しかもあの映画は黒人民族運動に対する偏見のカタマリの犯罪的愚作であり、今この時期にああいうのを作らせた仕掛け人とその背景を我々は見据えるべきだろう)
*
日本の明治維新において我々の先代は、ものすごいことをした。奇跡あるいは神がかり的といってよい。自らの意志による封建制から近代国家への急速な大転換が、なぜ日本にだけできたのか、アフリカや中東、アジアの多くの途上国が当時の日本を手本としながらがんばっても、まだどこも成し得ていない。
欧米アングロサクソンたちは当時の日本の変化を注視した。日清戦争の勝利までは単なる驚きだったが、日露戦争からは明らかな憎悪の対象になった。白人の覇権に正面から対抗した日本、そのまましばらく暴走させておいて狂気のジハードまで達した段階で、原爆投下による見せしめ・人体実験を皮切りに、戦後60年かけてじっくりと息の根を止められつつあるのが極東の異端児日本であり、ネオコンの源流につながるユダヤ社会の危険性を悟りながら、あまりに露骨に反応して叩き潰されたのがナチス・ドイツなのかもしれない(当初ユダヤ弾圧を支持あるいは見てみぬ振りする“空気”は反ナチの米、英、仏、露の国民感情の中にも広く存在した)。
先月末の「朝生」を見た。自民と民社のどっちもどっちの掛け合いの中で印象に残ったのが金美鈴氏の「日本人が劣化している」との言葉。 実は、ほぼ同じ趣旨の「日本人の劣化」をあの香山リカ精神科医が最近の朝日新聞のコラムでも指摘していた。「こんな世の中に子供を置いていくのはかわいそう」と父親が3人の子を殺してしまう。昨夜のNHK番組「プロフェッショナル」で365日24時間頑張る世界的外科医に対しアナウンサーが「あなたの気力を支えているものは何か?」と、プロに対しまことに陳腐な質問を平気でする、つまり今の日本人はわざわざ考えないと、あるいは人から教えてもらわないと、生きるモチベーションすら見つからないのか。40億年前の発生のときからずっと、生き物はほっといても生きるようにできている、その本能すら「劣化」しているのか。
社会のさまざまな部分に表と裏(闇)があるが、今の日本の外交・政治は表だけで対応し、政党も上っ面の言葉に過剰反応し国政が停滞し国民全体の大損失が生じても党利・面子を優先し、国民もそれに迎合、一緒に騒ぎ、そんなコップの中の渦に生きがいまで感じてしまうのか。我々の表の現象が「劣化」であれば、その裏に潜むのは、劣化のしくみを仕掛けあとは民族自らによる「愚民化」に任せる、闇の意志である。
個々人の考えに温度差はあって当然なのに、皮相的な差異にこだわるあまり、基本ベクトルを揃えるべき支援者同士がつまらぬ諍いに消耗し運動本来の趣旨から脱線しやすいのも一種退行現象だろうか。明治維新期の日本人の精神風景を、我々はもはや「他国の事例」として学ぶ必要があるのではないか。
この一年余り南米から北米、アジア、オセアニア、欧州、そしてアフリカまで(中国燕山を中心に)いわばグレートジャーニーを逆回りして多くの民族に接し感じたことから、北朝鮮・民族の問題を、少し離れた位置から俯瞰してみたい。このHNでの投稿もたぶんこれが最後になるので、板汚しの駄文に少々お付き合いください。
非礼を承知で言えば、アフリカの諸国民族は自分で自分の国を維持管理する能力が不足しているのではないか、一時が万事おおざっぱ・いい加減、よく言えば鷹揚・素朴で、政府レベルの公式アポも庶民レベルの待ち合わせ時間もアナだらけなのである。決め事が決めた通りにちっとも進まない。1960年代の独立以降、無理やり近代国家の体裁を整えようとしているわけだが、今の社会形態なんて欧州に住み着いたコーカソイドが300年前、あるいは100年前の彼らのヒエラルキーの中で考案した折衷案に過ぎず、ここの連中にはもともと馴染まない仕組みなのではと思う。
気候変動で登る木の無くなったアフリカ東部の猿が地面に降ろされ二本足歩行の猿人が現れたのが500万年前、今の我々に通じる種としてのヒトが発生したのは約250万年前のこと。それから何度もアフリカを脱出したがネアンデルタール、ジャワ原人、北京原人など化石だけを残してことごとく絶滅(死滅)していった。そしてほんの約5万年前にアフリカを脱出した、ミトコンドリア・イブの子孫たちのみが、なぜか卓越した適応能力・知恵を持っていて、氷期でも死に絶えず急速な勢いで世界へ広がる(人種の分化はさらにそのあとの出来事だ)。気候変動と部族間殺戮の中での繁栄衰亡を経ながら、生き延びるための「ワル知恵」により長けたものが新天地の逆境の中で生き残ってゆき、そして、本家のアフリカにはホモサピエンスの原型が残ってしまったのではないか、近代国家社会とは無縁の、自然と調和しながら500万年平和に幸せに生きてこられた素朴な姿で。
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世の中を実際に動かしていながら、市井の我々には見えてこない世界がある。旧社会党の北朝鮮への「拉致人選・日本人供出」を私は事実だと思うし、これは参議院選を前に政敵の息の根を止める恰好のネタなのに、自民の議員はだれもこれを口にしたことはない。ヒル次官が先般ドイツの会議で北朝鮮に色仕掛けで篭絡されたのも常識的裏ネタだが、マスコミは決して触れない。なぜだろう。
久間大臣の「しょうがない」の何がそんなに問題なのか、被爆関係者の私にも良く分からない。どうせ騒いでるのは騒ぐのが目的の連中だろ。私には「アメリカは原爆でひでぇことしやがったが、これもまぁ起きてしまったことは前向きに解釈するよう自分を納得させるしかしょうがあるめぇ・・・・」程度の印象しかないし、北朝鮮・中国の今の核のほうがはるかに「問題」だと思うが。以下はこの「しょうがない問題」にからめた今朝の朝日の記事の、過去に「問題になった閣僚発言」リスト;
松尾文相:「(日韓併合は)韓国側にもいくらかの責任がある」
奥野国土庁長官:「(戦前は)白色人種がアジアを植民地にしていたのであり誰が侵略者かといえば白色人種だ、それが日本だけが悪いことにされてしまった」
永野法相環境庁長官:「(南京大虐殺は)でっちあげだと思う」
桜井環境庁長官:「日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかった」
江藤総務庁長官:「(日韓併合の)村山発言は誤りだ、植民地時代に日本は良いこともした」
西村政務次官:「日本も核武装したほうがええかもわからんということも検討せなアカンな」
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これらを「問題発言」としてあげつらうのは朝日の勝手だが、上記旧社会党の日本人奴隷輸出犯罪やヒルの篭絡よりも「問題」だとは、私は思わない。
やや古い本だが、ユダヤ社会の闇の部分を描いた「ダイヤモンドは永遠か」(エドワード・エプスタイン 田中昌太郎)と「赤い盾」(広瀬 隆)という名著がある。「ダイヤモンド・・・」には、保守的な日本伝統文化をデビアスの思惑通りに変え日本を世界屈指のダイヤ消費市場にしたことが「成功例」として冒頭に紹介してあり、「赤い盾」では世界を裏で操るロスチャイルドの闇の深さをうかがい知ることができる。(「ブラッド・ダイアモンド」に描かれた世界は30年以上前からあった周知のこと、しかもあの映画は黒人民族運動に対する偏見のカタマリの犯罪的愚作であり、今この時期にああいうのを作らせた仕掛け人とその背景を我々は見据えるべきだろう)
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日本の明治維新において我々の先代は、ものすごいことをした。奇跡あるいは神がかり的といってよい。自らの意志による封建制から近代国家への急速な大転換が、なぜ日本にだけできたのか、アフリカや中東、アジアの多くの途上国が当時の日本を手本としながらがんばっても、まだどこも成し得ていない。
欧米アングロサクソンたちは当時の日本の変化を注視した。日清戦争の勝利までは単なる驚きだったが、日露戦争からは明らかな憎悪の対象になった。白人の覇権に正面から対抗した日本、そのまましばらく暴走させておいて狂気のジハードまで達した段階で、原爆投下による見せしめ・人体実験を皮切りに、戦後60年かけてじっくりと息の根を止められつつあるのが極東の異端児日本であり、ネオコンの源流につながるユダヤ社会の危険性を悟りながら、あまりに露骨に反応して叩き潰されたのがナチス・ドイツなのかもしれない(当初ユダヤ弾圧を支持あるいは見てみぬ振りする“空気”は反ナチの米、英、仏、露の国民感情の中にも広く存在した)。
先月末の「朝生」を見た。自民と民社のどっちもどっちの掛け合いの中で印象に残ったのが金美鈴氏の「日本人が劣化している」との言葉。 実は、ほぼ同じ趣旨の「日本人の劣化」をあの香山リカ精神科医が最近の朝日新聞のコラムでも指摘していた。「こんな世の中に子供を置いていくのはかわいそう」と父親が3人の子を殺してしまう。昨夜のNHK番組「プロフェッショナル」で365日24時間頑張る世界的外科医に対しアナウンサーが「あなたの気力を支えているものは何か?」と、プロに対しまことに陳腐な質問を平気でする、つまり今の日本人はわざわざ考えないと、あるいは人から教えてもらわないと、生きるモチベーションすら見つからないのか。40億年前の発生のときからずっと、生き物はほっといても生きるようにできている、その本能すら「劣化」しているのか。
社会のさまざまな部分に表と裏(闇)があるが、今の日本の外交・政治は表だけで対応し、政党も上っ面の言葉に過剰反応し国政が停滞し国民全体の大損失が生じても党利・面子を優先し、国民もそれに迎合、一緒に騒ぎ、そんなコップの中の渦に生きがいまで感じてしまうのか。我々の表の現象が「劣化」であれば、その裏に潜むのは、劣化のしくみを仕掛けあとは民族自らによる「愚民化」に任せる、闇の意志である。
個々人の考えに温度差はあって当然なのに、皮相的な差異にこだわるあまり、基本ベクトルを揃えるべき支援者同士がつまらぬ諍いに消耗し運動本来の趣旨から脱線しやすいのも一種退行現象だろうか。明治維新期の日本人の精神風景を、我々はもはや「他国の事例」として学ぶ必要があるのではないか。