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拉致の解決を願って
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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【1】

2006-01-07 | 荒木和博氏講演集
特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです。

(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね--
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。

で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。

あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。

何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。

それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、『有本恵子さんも辛光洙がやりました』という話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、『朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまった』といってですね、『もう記録も残っていない。』
それから『辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。』まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いや、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちを、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。

と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。

そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。

そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。

で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

(続く)

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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【2】

2006-01-07 | 荒木和博氏講演集
荒木和博氏講演 2005/1/7藤沢
 救う会神奈川主催 
 よど号拉致事件を考える市民集会にて

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

 ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曾我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの~(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(飯島勲首相秘書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

(続く)
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荒木和博氏講演(2005/1/7 藤沢にて)【3】

2006-01-07 | 荒木和博氏講演集
特定失踪者調査会 代表荒木和博氏

これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁が怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それ(経済制裁)をやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。

いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは『5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこい』と、『そうしたら戻してやるから』と言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかったと。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件のことでは、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。間違いなく。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。

ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話ですね。我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、やはり、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。

北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。


まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。

我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。

あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノンの)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。

それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。

今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)

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国民大集会(2005/12/22)荒木和博さん

2005-12-22 | 荒木和博氏講演集
司会櫻井よし子さん
さてここで特定失踪者問題調査会代表 荒木和博さんに特定失踪者の問題についてお話し頂きたいと思います。

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博さん



ご紹介頂きました荒木でございます。時間が有りませんので、できるだけ簡単に申し上げます。私は前回のこの日比谷の集会で『来年の末までに問題を全て解決する』というふうに申し上げました。もう残り一年しかございません。ともかくできることを全てやっておかなければならないということで、10月30日から<しおかぜ>--さきほど横田早紀江さんからお話を頂きましたけれど--短波放送を開始致しました。(ポスターを見て頂ければかいてございますが)最初30分間の放送でございましたが、12月8日から1時間30分にのばしまして(会場から拍手)お名前の読み上げ=家族会の皆様を含め276人のお名前の読み上げと家族の方々から書いて頂いたメッセージを私が代読しております。来年年が明けましたら家族会の皆様、特定失踪者のご家族の中で吹き込みをして頂いた方、直接の声のメッセージを北朝鮮に流して参ります。

なおかつ今はこのメッセージの中で北朝鮮で聞いている方に是非とも--勿論身辺の安全の問題もありますが--その安全の問題がクリアされるのであれば何とかして情報をだしてもらいたいと繰り返し繰り返して申し上げておりまして、その情報をキャッチするということについて、今回のしおかぜの短波放送と言うだけでなくて、情報のこんどは受信のほうもですね、いろんな手を使いまして、新年から始めていこうと思っております。
明日、調査会理事会がございますので、そこで決定して実現をしていくつもりでございます。

いずれにしろ時間がございません。
『対話と圧力』と言いますけれども、『対話と圧力』というのは北朝鮮が横田めぐみさんの偽遺骨を出してきたらこちらからは『そんなとを言っていたら金正日を本当の遺骨にしてやる』という、これが本当の『対話と圧力』でございます。(拍手)

おそらくこの拉致問題が明らかになっていったら、我々が今想像もしていないようなことが次から次にと出てくると思います。それに我々自信が耐えていけるかどうかという事もございますが、こういうときには、順序を追って、話をしているようなのんびりしたことは必要ではございません。必要なのは戦うことだけであります。(拍手)

幸いにしてご挨拶頂きました、平沼議連会長も先の選挙の時に先頭きって戦われました。(拍手)とにかくのんびり話し合いをしているのではなく、戦うという姿勢を、是非とも持っていなくてはならないと思っています。その意味で、今必要なのは国会議員の先生方も戦うことでございます。ゆっくりお話しすると言うことではなく相手をどうやって叩きつぶしていくかということでございましてその意味でも、残念ながら今ここにはおりませんけれど西村眞悟議員にも是非はやいところ戦列に復帰してもらいたい。(長い拍手)

この中には警察の方もおられると思いますが、そこのところ是非よろしくお願いします。(会場笑いと拍手)なおかつ、もしそれができないのではあれば、北朝鮮から金をもらった国会議員を全部根こそぎですね・・・してもらいたい。(拍手・笑い)

ともかく、来年の末までに、全ての拉致被害者救出するために、全力をあげて戦います。どうかよろしくお願い致します。ありがとうございました。


司会櫻井さん
小泉さんは郵政民営化のためには殺されても良いと仰いました。そんなことで殺されるより拉致問題のために殺された方がいい・・(会場、拍手)

=========================

荒木さんの戦う姿勢を理解してください。荒木さんの真意を読みとって頂きたいと思います。
追記
関連リンク

ぼやきくっくりさん
話の花束音声ファイル
話の花束音声ファイル2
笹団子の独り言さん
 外交のファンタジスタさん
なでしこ通信さん
退屈をブッつぶせ!さん

しおかぜ通信

 ◆―――――――――――――――――――――――――◆
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■「家族」と「国家」

2005-12-11 | 荒木和博氏講演集
家族と国家
                荒木和博

 先日来小学生の女の子を狙った凶悪事件が大きな問題になっています。子供を持つ親であれば誰しも「うちの子が被害にあったら」という思いにさいなまれたのではないでしょうか。いわんや栃木の事件はまだ犯人が逮捕されていないのですからなおさらです。

 こういう言い方をすると冷たいと言われるかも知れませんが、事件を防ぐために何もしてあげられなかった者としては、亡くなったお子さんたちにできることは、せめてその現実を受け止め、それを教訓として、次の事件がおきないように努力することしかないように思います。それにしてもあらためて、安全とか平和というのが当然のものではないということが身にしみて実感されます。

 ところで、この事件について「うちの子が被害にあっていたら」と思うのと、他人事と考えて単に「可哀想に」と思うのでは、その後の対応は当然全く異なります。拉致問題についても同様であり、昔、自分にかかわりのないところで起きた事件ととらえるのか、あるいは自分や自分の家族が今後同様の被害に遭う可能性があると考えるのかで、その対処は全く異なってきます。

 残念ながら現在政府は前者の次元で問題を処理しようとしています。これはあくまで個別の事件としての取扱いです。後者は国家の安全保障の問題なのですが、この点は徹底して隠蔽ないし無視し続けているのが現状です。しかし、北朝鮮が国家の基本方針である対南赤化統一を目指して行ってきた工作活動の一環として拉致を行っていることを考えれば、この問題の本質はあくまで後者であって前者ではありません。

 その意味から考えれば政府が「ご家族の意向」と強調することは、裏を返すと個別の事件という側面を強調して国家の安全保障にかかわる問題という側面を隠そうとしている(意識的か無意識かは別として)ことにほかなりません。ご家族が納得すればそれでおしまいということになるわけで、実際9.17のときの政府からご家族への嘘の報告は、まさにそれを狙ったものでした。

 先日横田滋家族会代表が体調を崩され、講演をキャンセルしたとの話を聞きました。ご夫妻とは時折集会などでご一緒しますが、極めてハードなスケジュールをこなし続けておられ、傍で見ていても「お身体が持つのだろうか」という思いをしたことが一度二度ではありません。

 そうは言いながら、私もときにはお願いしてしまうことがあるので偉そうなことは言えませんが、今後集会を企画しておられる方にぜひお願いしたいのは、もっとも要請の集中する横田さんご夫妻をお呼びすることは、可能な限り控えていただきたいということです。また、勝手な話ながら、それ以外のご家族もご両親はどなたも高齢であり、無理はさせられません。例えば増元さんのように年齢的にも立場上もフットワークの良い方は別として、可能な限りのご配慮をお願いしたいと思います。「横田さん夫妻が来なければ人が集まらない」ということであれば、集会の規模を変更するなり、別の企画を入れるなりして対応されるべきではないでしょうか。

 少女殺人事件の被害者のご両親を引張り回して凶悪犯罪を防止しようという訴えをしてもらおうと言ったらどう思われるでしょうか。いわんやことは国家の問題です。北朝鮮という独裁国家による犯罪の被害者の家族であり、また、日本国が守ってあげられなかったという意味では政府の不作為の被害者の家族です。その点をどうかご理解下さい。

 「そうは言っても」という側面があることは承知しています。私自身、今後も、ご家族にお願いすることはあると思います。しかし、この問題は根本的には「家族」次元の問題ではないことを、一人でも多くの方にご理解いただきたく思う次第です。

2005年12月12日調査会ニュースより
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山梨県民集会 荒木和博さん

2005-11-30 | 荒木和博氏講演集
ご紹介いただきました荒木でございます
今日はこんなにたくさんの方々、おいでいただきまして、ほんとにありがとうございます。私は山梨に別に血縁はありませんけれど、ずっと無尽のグループに加わっておりまして、最近忙しくてそこに参加できないんですが、今日は無尽の仲間も来てくれております。
そういうご縁もあるということで、お話をお聞きいただければと思います。

今日これから後ほど森本美砂さん、横田ご夫妻のお話があると思いますけれども、この問題につきまして是非ともまず一番最初にご理解をしていただかなければならないことがございます。それは何かと申しますと、この問題が、単に拉致被害者がかわいそうだから、救出運動をやるという問題ではないんだということでございます。

拉致は、何十年も前から行われて参りまして、比較的最近でも、おそらく拉致ではないかと思われるケースがある。北朝鮮は拉致をやめたということは一言も言っておりません。これから先も必要であれば拉致は行うでしょう。そして主な拉致場所というのは、別に日本海側だけではありません。太平洋側でも、この山梨県のような内陸でも、どこでも行われるんです。

ですから、拉致被害者の救出の運動というのは、拉致をされた方々がかわいそうだから、自分と違う立場になった人がかわいそうだからやるんではなくて、これから先、ここにおられるみなさんや、そのご家族をどうやって守るかということをやっていくための活動だということです。

横田めぐみさんの事件は日本海の近くで起きておりますから、海岸の事件というふうに思っていらっしゃるかもしれませんけれど、あの事件も決して海岸の事件ではありません。ずいぶん離れております。やられた場所はご自宅の近くです。つまり、それはこの韮崎の町の中であっても、何一つ変わることはないということでございます。

今日は県警の方も、いろいろ警備をしてくださっていると聞いております。山本美保さんの話をしてしまえば、どうしても県警の批判をせざるを得ない。あるいはそれ以外でもこうやって一生懸命来てくださっている方々の中には、若干差し障りがあるかもしれませんが、敢えてこの問題はそういうことで遠慮を強いるわけにいかないということで、お話をさせていただきます。

横田さんの事と山本美保さんの事と、非常に共通した一つのことがございます。そして、その共通したことに直接関わった、私自身は唯一の証人でございます。

どういう話かと。3年前、いわゆる小泉第一次訪朝のとき、あの時に何があったのか、ということでございます。あの日横田さんご夫妻をはじめとする家族会のみなさん、そして私ども救う会のメンバー、あるいは拉致気連の役員、衆議院の議員会館に陣取りまして、その状況を見ておりました。

昼頃に首相管邸の方から(当時8件11人と申しましたが)「政府認定の拉致被害者全員の消息を伝える。だから外務省に来てもらいたい」というふうな話がありました。

行くつもりはなかったんですが、しかし、全員の消息が伝えられるというふうに聞きましたので、半信半疑で、外務省の麻布にございます飯倉公館というゲストハウスにみんなで向かいました。

こういうときだけは政府も手回しが良てくですね、観光バスが一台きておりまして、これに乗っかって飯倉公館というところに行きましたのが、(議員会館を出たのが丁度3時でしたから)3時半すぎだったと思います。そこで小一時間待たされまして、まず横田さんのご家族から、別室に呼ばれました。今日おみえのご両親とそして双子の弟さん、更に救う会で佐藤会長と当時事務局長だった私でございます。

そこで、植竹繁雄さんという外務省の副大臣が通告をされました。「まことにお気の毒ですがお嬢さんは亡くなっておられます。」と。お母さんは「そんなこと信じられません」というふうに言ったんですが、植竹さんは「何度も確認しました。何度も平壌に確認をして本当かどうかということを、確認をしたのでこんなにお待たせしてしまったんです。」という風に伝えました。


あの時、私自身でなくてもそうですが、この拉致の救出活動に関わっている者であればおそらく誰でも、心の奥底に<ひょっとして、この救出運動によって、拉致された方々の身が危なくなるんではないか>という懸念していない人は一人もいないだろうと思います。私自身、これをやっていけば絶対に取り返すことができるという確信をもってやっているわけでございますけれど、それでもやはり心の奥底にそういうものが無かったといえばうそになります。

あの植竹副大臣からの通告を聞いたときには、私は「自分のやったことは人殺しだったのか」ととっさに思いました。頭が真っ白にあるというのは、正にああいうことでごさいまして、「取り返しがつかないことをしてしまった」という思いがしていたわけです。


そのあと有本恵子さんのご家族、そのほかのご家族が順次呼ばれまして、「亡くなりました」といわれました。「亡くなりました」といわれたご家族が、「いつ亡くなったんですか」「何で亡くなったんですか」という風に聞いても「わかりません」「わかりません」というだけです。しかし「確認はした」ということでした。

実は、これがまったくのうそだったんです。翌日になってこれがほとんど偶然に近い形でわかりました。

さすがに外務省に連れて行かれて、副大臣、あるいは別の方は、当時の福田官房長官から、この通告を受けまして、そこまで言われるんだから、さすがにいくらなんでも「確認をしたんだろう」と思いました。それでも、やはりですね、<最後まで、本当にわれわれが納得するまではやらなければいけない>という思いだったんですけれど、半ばあきらめかけていた。

翌日、小泉首相に会って話を聞きたいというふうに、要請をしたんですが、小泉さんは「忙しくていけない」ということだったので、翌9月18日の11時半ごろだったと思いますが、記者会見をやって解散をいたしました。

泊まっているホテル荷物を片付けながら、「さてこれから先、どうしたらいいんだろう」「どういう風に責任をとれるんだろうか」という想いで、途方にくれて荷物を片付けておりましたら、電話がかかってまいりました。

電話をかけてきたのは、当時拉致気連の事務局長でありました、平沢勝栄さんでございました。平沢さんは、のちにいろいろな経緯がありまして、いろいろうまくいかないことがあったわけですけれども、あの時平沢さんの電話がなかったら、状況はまた、全く変わっております。

平沢さんの電話はどういうことかといいますと、「今平壌で、蓮池さんたちに直接会った、梅本さんという(当時イギリス大使館公使・前の北東アジア課長ですが)この方がまだ東京にいる。ひょっとしたら会えるかもしれない」という話でございました。「それはじゃぁ、是非すぐにお願いします」と頼んで、連絡の取れるご家族に引き返してもらいました。といっても、横田さんのご家族、蓮池さんのご家族だけです。蓮池さんのご両親とお兄さん、そして横田さんのご両親と双子の弟さんたち、そして私の合計8人。

その日の5時半だったと思いますが、外務省に参りまして、梅本さんにあった。
そこで話を聞いたら、梅本さんははっきりと「いや、確認はしていません」と言いました。「北朝鮮の行ってきた言葉を、東京にそのまま伝えただけです」という風にいったんです。

「話が違うじゃないか!<北朝鮮側がこういっているという話>と、<確認をしました。亡くなっておられますという話>は天と地の差がある。これはまったくの違った話である。訂正をしなさい」というふうに申し入れだんですが、梅本さんは「上司と相談して」いうだけで何も動こうとしませんでした。

みなさん、覚えていると思いますが、あの9月17日の昼過ぎから、選挙の開放速報のように、テレビにこうやって「だれだれさん、横田めぐみさん死亡、蓮池薫さん生存」と(テロップが流れました。)覚えていらっしゃる方もあると思います。あの時は、まだご家族には何も伝えられてはいない。あの時政府がやったことは、実はとんでもないことです。つまり家族を外務省の公館の中に隔離しておいて、マスコミから切り離しておいて、そこで話をする前に、もう情報をどんどんリークして、誰が生きてる、死んでるという話をどんどん流してしまった。そして家族には、確認をしていないことを、「確認をしました。間違いありません」と伝えたんです。

あの時、もし政府が、確認はしていません。北朝鮮はこういっています。という風に言ったらですね、世論の受け止め方、あるいはマスコミの報道は全部違っていました。亡くなったということだけ伝えている。

しかもそれだけではありません。あの9月17日の朝の時点で北朝鮮側から伝えられた書類には、死んだといわれた人たちは、死んだ日付まで全部入っていた。ところがその日付を聞いたときには、政府は伝えていない。ご家族が飯倉公館で「いつ死んだんですか」といってもですね、「わかりません」といっているんです。わかりませんじゃないんです。わかっているんです。わかっていて伝えなかった。どうして伝えなかったか?その日付が完全にでたらめだったからです。目撃証言があった日付より、もっと前に死んでいることになっているんです。ご家族が見たら、みただけでこれはウソだとわかる。うそだということがわかってしまえば、そこで拉致問題を終わりにしようとしていたのが、ご破算になってしまう。ということでそれを伝えようとしなかった。

のちにマスコミが事実をすっぱ抜きまして、明らかになるわけでございますけれども、私は、この一連の動きを見ていまして、『国家権力が、いかに恐ろしいものか』ということを、本当に痛感しました。

あの時は日朝国交正常化をどうしてもやりたい。そのためには、国民の命など関係ない。これが、あの時小泉政権が、やったことでございます。

そしてその一年後、二年後ですね(数えながら)3月に、夜森本美砂さんから電話をもらいまして、「山梨県警から電話をもらって、山形県で見つかった遺体とDNA鑑定の結果が一致したというふうに伝えられてきた」という話でございました。

あの時も同じようなショックを私は受けました。絶対に探し出して会うことができるとおもっていた山本美保さんがはるか前になくなっていたと。どういうことなんだという思いがしたんです。

ところが、あの、その前の、9.17の時の横田さんの話がございましたので、あのときに非常によく似たものを、私は感じました。(のちほど、この山本美保さんのことについては清水さんをはじめとしてご報告もありますし、お手元の資料にも書いてございますので、細かいことは省略しますが)とにかくDNAが一致したということ以外、すべての情報が違っているんです。体のサイズが違う、遺留品が違う。そして、もしバックのおいてあった柏崎の海岸で入水自殺をしたとしても、山形の海岸に13日後にたどり着くという可能性は、ほとんど<0>に近い。

もし警察が、本当に確信を持っているならば、DNAがちゃんとその鑑定をやったものであってそして間違いないと思っているんであれば、ほかの事の矛盾もすべて解消されるはずです。せめて一つや二つぐらい、何かですね、「いや実はこれ新しいことがわかった」ということがあるはずです。全くない。

先ほど挨拶をなさった赤池衆議院議員も初質問で、山本美保さんのことを質問をされましたけれど、そのときも、警察の刑事部長は、この事実関係について、一切答えることができません。

私は、やはりこれは、どう考えてもこれは県警が嘘をついているとしか思えない。そして、こういうことは、県警だけで決まられた問題では、私は、ないと思わざるを得ないわけでございます。

残念ながら、それがこの国の現状です。

そしてその被害者になる可能性があるのは、これから先、ひょっとしたら、ここにおられるみなさんや、そのご家族かも知れません。

前の官房長官、細田さんは、今年の6月の参議院内閣委員会の答弁の中で、「どうやって拉致された被害者を取り返すんですか。具体的に教えてください」いう質問を受けましてこういうふう答えました。
「相手側の政府、相手側にいるわけですから、話し合いをして、向こう側が『わかりました、拉致しておりました、返します』というまで粘り強く話し合いを続けます。」という言葉を言っておりました。

話し合いをして帰してくるぐらいな国ならば、最初から拉致などするわけがないのです。われわれはそういう異常な国を相手にして戦っている。それを《話し合いをして、『わかりました』というまでやるんだ》ということは何を意味しているのか?

《この国の政府が埒被害者を絶対に取り戻さないと国民の前で断言したこと》 と全く同じでございます。

ですから、皆さんのご家族が、もしこれから拉致されたとしても、この国のやり方は同じです。《向こうの国に行ってしまっているんだからあとは煮ても焼いても好きなようにしてくれ》ということにしかなりません。

私たちは、しかし、そういう中ですべての拉致被害者を取り返していかなければいけないんです。
それは単に拉致されたかたがただけではなく、私たち自身の安全を守るためでもあります。

先ほど会場の中で流れておりました、私の声で名前を呼びあげておりましたのは、現在北朝鮮向けの短波放送を流しておりまして、「しおかぜ」という名前で、毎日夜の11:30から12:00まあで、北朝鮮に向けてあのように拉致被害者、あるいは拉致の可能性がある失踪者のお名前を読み上げております。12月8日からは一時間に延長してできる予定になっておりますが、あの読み上げをしながら私自身、いつも思うんですけれども、あの中で「だれだれさん、昭和×年×月○日生まれ、昭和×年×月○日、どこどこで失踪、当時何歳、現在何歳・・・」自分で読み上げながら、一体この人達にとってこの20年、30年の日々というのは、一体何だったんだろうということを本当に感じます。

この人達がもし無事に帰ってきたとしても、私たちは、「一体どうやって謝れば良いんだろう」しかし、更に言えば、それでもまだ、謝れる相手が残っていてくれればいい。「あの時やっていなかったから間に合わなかった」と言うことになってしまったら、私たちは一生そこに悔いを残さざるを得ないわけでございます。

この拉致の問題というのは我々自身が「日本というのは本当に安全な国だ」と思っていたその間違いから起こったんです。確かに、街中に夜中に女性がひとりで歩いていても大丈夫だったかもしれません。しかしそんなことは、多少注意すればいいことです。それよりも、『外国の国家機関の力によって、人が拉致されている』そのことの方がはるかに危険なことです。

日本の政府は間違いなく、今よりもたくさん(今政府の認定者、16人ですが)それよりはるかに多くの方々が拉致をされていたことを知っていました。今でも、もちろん知っています。しかしそれを公表することはありません。

みなさん、現在政府が認定している16人。あの中で、政府のほうが誰も何にも言わないのに、自分から「この人は本当は北朝鮮が拉致をしておりました」と言ったケースが何件あるか、おわかりになりますか?
事実上一件も無いんです。

横田めぐみさんの事件は、現代コリア研究所というところの「現代コリア」という月刊誌が発端となってわかりました。アベックの拉致事件は、産経新聞が昭和55年の1月7日にスクープした記事でわかりました。あるいは田口八重子さんの事件は、大韓航空機の爆破事件、キム・ヒョンヒが、リ・ウネと呼ばれていた日本人女性に日本語や日本の風習を習っていたという事でわかった事件です。

そのように考えていくと、マスコミが明らかにしたか、あるいは工作員が捕まって自供したか、それがほとんどであって、政府の方から自分から、警察が何も知らない、国民が何も知らない時に、「この人が拉致です」と言ったケースは、実は事実上一つもないのです。

ということは、今日、本政府が認定している以外に、はるかにたくさんの人たちが、拉致をされていると言うことです。

曾我ひとみさんのことは、警察は「あれは違う」と言っていました。その人が拉致だとわかった。

でもみなさん、曾我ひとみさんのその曽我ひとみさんが拉致されていた。要は誘拐犯である北朝鮮の方が先にこれを出してきたんです。その時に日本政府の中で、誰か「曾我ひとみさん、これまで24年間、拉致を気付かなくて申し訳ありません」と言った人がいたか。ただの一人もいません。総理大臣も官房長官も、国家公安委員長も、警察庁長官も、新潟県警本部長も、誰一人として、責任を取った人も、お詫びをした人すらいません。

つまり皆さんのご家族がいなくなって、何十年か囚われていて、そしてそれにこの国が気がついていなくても、出てきても、誰も、誰もお詫びもしない。お詫びをしないと言うことは、どういう事かというと、つまり自分たちが拉致された人が何処にいるか、誰が拉致をされているかと言うことを、調べるための責任を持っている人が、ひとりもこの国にいないと言うことです。

この状態は絶対に変えていかなければいけないと思います。

この拉致問題というのは、最近タイの拉致の問題がでておりますけれど、単に一つや二つの問題ではない。レバノンでもやられておりますし、マカオでもやられておりますし、そして他の地域でも、恐らくやられていただろうというふうに捉えております。北朝鮮という国にとって、拉致をするということは当たり前のことであって、たまたま日本人をやったわけではない。

今横浜の赤煉瓦倉庫の先に置いてあります、あの九州南西沖での沈没した北朝鮮の工作船。見て頂ければわかります。全く漁船とは違う形状をしています。水の中に沈んでしまうとわかりませんが、丘の上に上げてみると、もの凄い切り立った、こういうV字型の船首をしている。シロウトが見てもこの船が工作目的につくられたということはすぐにわかる。漁船をたまたま改造して、ちょっと工作活動で使ってみようと言うのではないんです。その為の船を造る。そして、それを運用する人を育成している。こういう事をやって来た国があるわけです。

そして、あの船は海上保安庁の船に銃撃されて沈んだわけではなくて、自分で自爆して自沈をしております。この平和な日本に、自殺することを覚悟して、全員自爆することを覚悟して入ってくる工作員が、あの時のそうだったし、恐らく今でもいるだろうということです。恐らく、この山梨県の中にも、そう言う工作員はいるに違いない。ひょっとしたらこの会場の中にも来ているかもしれません。

私たちはそういうものと戦って私たち自身の安全を守って行かなければいけないと言うことでございます。

この問題は、そういう意味で言うと、非常にですね、この国はこんな事で良いのかと言うことになってしまう。しかし、そればかり話をしていくとだんだん暗くなって参ります。

一方でこの国は、大きく今変わりつつあります。そして本当に持っている力を発揮しつつある。それはどういう事か。あの9.17のあと5人が10月の15日に、羽田空港でタラップを降りて帰って参りました。そのときに五人を私は下でむかえていたわけですけれども、どういうふうに感じたかというと『なんだ、やればできるじゃないか』ということです。

拉致の救出運動の一員として世論を盛り上げて国を動かせば取り返せると思っていた私自身でも、本当にあの五人が帰ってきたときには、『あ、本当にできたんだ』という思いをしておりました。

この国の力というのは決して小さくはありません。世界第二の経済大国でございます。そしてアジアの最大の民主主義の国であって、世界のリーダーたる国です。その国の力を持って、拉致事件が解決できないわけはございません。
そして、それを実現していくのは、今日ここにこうやって集まって頂いた、たくさんの方々のお力です。こうやって集まっていただいて声を上げていただくことがこの国の政府を動かしてきたんです。外国から見れば、日本はすごい。拉致された人々をあのテロ国家から取り返したということを、非常に評価をしてくれる。ですからこの力をもっと絞り込むことが出来れば、北朝鮮から被害者を全員取り返すことは、絶対に可能でございます。

私は来年の末までに、すべての被害者を絶対に取り返して見せるということを公約致しております。それができなければ自分なりに責任を取らなければならないと思っておりますけれども、我々は、それは絶対に可能であると考えます。

そして、その方向を導いていくのは、ここにお集まりのみなさんだと言うことです。

この問題は被害者だけの問題ではない。この国全体を律していくという問題です。

我々は、この国の中に今生きておりますけれど、この国はわれわれだけの国ではありません。これまで何千年もの間、この国を創ってくださった我々祖先のものでもある。そしてこれから先生まれてくる我々子孫のものでもあります。我々は単にその中次をしているに過ぎません。

ですから、我々として過去の人たちに恥ずかしくない国を創り、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくということをしなければいけない。拉致被害者の救出は日本人だけではなく、韓国人はじめとする他国の拉致被害者の救出にもつながりますし、そしてその次には、あの北朝鮮の中で苦しんでいる2000万の国民を救うことにも繋がります。

我々自身の安全を守っていく。そしてすべての被害者を救出して、北朝鮮の人々を助けてアジアの平和を守るのか?あるいは、それらすべてを見捨ててそれによって、自分たちの安全も脅かされることを許すのか?選択は二つに一つでございます。

これからやらなければならないことは本当に今まで思っていたこととまったく違う局面が必ず出てまいります。しかしその局面を絶対に乗り切って行かなければ行けません。
皆様方のお力で、全員が帰ってこれるように、そして山梨県の被害者は山梨県に、暖かくお迎えすることができるように皆様方のご協力をお願いいたしまして、私のお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
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拉致を矮小化しているのは誰か

2005-09-14 | 荒木和博氏講演集
荒木和博さんの主張

(略)
これまで何人もの警察関係者から、直接間接に、現場では拉致だと考えた失踪事件であったのに上にあげると潰されたと言う話を聞かされているのである。

私は「拉致問題の全貌が明らかになったとき、日本の近代史は書き直しを迫られる」と言ってきた。
拉致問題はそれほど根の深い問題である。だからこそ政府はその実態を明らかにしないのだろう。あるいは帰国者5人の声が聞こえてこない理由もそこにあるのかもしれない。

もちろん今でも拉致が行われている可能性はあるのだが、長期間経過した事件の場合、名納得できる証拠の出てくるケースは拉致事件全体のごく一部にすぎないはずだ。この問題はそもそも個別に見るべきものではなく、安全保障上の問題、主権侵害、もっとはっきり言えば「戦争」ととらえるべきことなのである。

政府の中枢はこの点が分かっていると思う。だからこそ、その本質を見つめることを避け、逆に個々の事件、家族の問題に矮小化して乗り切ろうとしているのである。

「エコノミスト」より抜粋

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荒木和博氏講演2005/1/15(1)

2005-01-15 | 荒木和博氏講演集
2005年1月15日(土)
町田市民ホールで行われた集会の模様レポートします。
「拉致事件の全体像と私たちの安全」 

 特定失踪者問題調査会代表 荒木和博
 
 今日、本当に天気の悪い中多数の方お集まり頂き、本当にありがとうございます。
最初にお詫びと御礼を申し上げます。大西会長からお話しがありましたが、本来この講演会は安明進を中心とした講演会の予定でございました。安明進さんが緊急の用事で本人が出席できません。
安明進さんメッセージ
 町田の集会に参加された皆様へ

 本日は突然参加できなくなってしまい真に申し訳ありません。
ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
詳細はお知らせできませんが、拉致事件に被害者にも関係する重大な用件があり、どうしても日本にいることが出来ません。なにとぞご了承ください。

 さて、北朝鮮に対して日本の方々はあまりにも知らないと思います。
北朝鮮とはどんな国でしょうか?多くの方々は独裁国家であるというふうに言います。確かにその通りです。北朝鮮はまだ、社会主義を標榜する封建国家の状態でございます。どうか皆様、北朝鮮という国を正しく見て頂いて、金正日体制を支援することが無いように、また経済制裁を実現してくださいますように心よりお願いする次第です。

 日本の政府がやろうとしなくても、国民の皆様が立ち上がれば出来るはずです。
ここにおいでの皆様は日本が再び立ち上がることを求められて来られた方々だと思います。皆さんの安全を守り、拉致被害者を救出し、今、飢え、凍えて苦しんでいる私たちの同胞を助けるためにどうかご協力を頂きたくお願い申し上げます。重ねて集会に参加できなくなったことをお詫び申し上げます。
                                            2005年1月15日 安明進

 安明進氏の言葉の中にもありますように、正に今北朝鮮というのは、中世時代のような独裁国家でございますが、それを何とかしないことには、拉致問題も北朝鮮の人たちの人権問題も様々な北朝鮮に関わる問題は解決しません。

 抽象的な言い方ですが、彼はその根本的な問題の解決のために今、日本ではない別の国にいるということで、ごどうかご了承頂きたいと思います。ここで皆様方に彼がこれないと言うこと自体が救出活動の一環だと是非ご理解頂きたいと思います。

                      (選挙に関するお礼など・中略)

 さて、私がこれからお話しますのは、以前もお話しさせて頂いたことがございます。
今までのことは少しはしょりまして。これから今月来月と日本も北朝鮮も中国もアメリカも韓国もこれからいろんなことが急速に動くと思います。でその時どうするべきかという今後の話を中心にお話しさせて頂きたいというふうに思います。

 まず簡単に、これまでの経過を申し上げます。
家族会が出来ましたのは平成9年の3月の終わりでございまして、これは平成9年の2月に現在民主党におられます西村慎吾衆議院議員が国会で質問をした。これがきっかけとなりまして、大変大きな、拉致問題が、横田めぐみさんの事件を中心に取り上げられました。

 そしてそれまでこの拉致の問題を追ってこられました朝日放送の石高健二さんとか、あるいは当時共産党の参議院議員秘書だった兵本達吉さんとか産経新聞の現在編集局長の安倍雅美さんとか、そういう方がいろいろ協力してご家族に働きかけて家族会が出来たわけでございます。

 私はそれ以前、現代コリア研究所と言うところにおりましたので、そこで横田めぐみさんの事件が明らかになったと言うこともございまして、それ以降この救出運動に参加して参りました。

 新潟の救う会の代表の小島晴則さんをスタートにいたしまして、その後全国で救う会が出来て参りました。2000年に救う会の全国協議会の組織をきっちりさせようと言うことで事務局体制を取るようになりましてそれ以降私が事務局長ということで2年前まで務めて参りました。

 その間、余り大きな変化は5年間ぐらいは、なかなかございませんで。米支援反対の座り込みをやったりし、様々な行動をやりました。しかし増元さんをはじめご家族の皆さんが非常に熱心に訴えられたと言うことが、影響力という意味で大きな力となりました。これで世論が大変盛り上がって参りました。

 変化が起きましたのは3年前、平成14年の3月にですね、有本恵子さんの事につきまして、有本恵子さんを拉致した八尾めぐみという元よど号の妻が、「自分がやった」と証言をいたしました。警察は有本さんの事件を拉致であると認める。それまで横田めぐみさん7件 10人と言っていたものが、8件11人と言うことになりました。

 この頃から動きが急に活発化しました。
国会で衆議院、参議院、自民党から共産党まで全会一致でそれぞれ北朝鮮への非難の決議が行われました。
これに対して北朝鮮側の反論があったんですが、それは「日本は行方不明者問題を拉致問題にしようとしている」というような言い方でございまして、それまでは「我が国は一度も拉致をしたことがない」と言う風に言って「拉致などというのは日本の反動がでっち上げたことである」というふうにずーと言ってきたわけですが、それが言い方が変わりました。こういう風に言い方が変わったときは何かある証拠でございますが、何かあるんだろうと思っていたのですけれども、そしたら5ヶ月後に小泉さんが突如訪朝をすると言うことになりました。

 そしてその訪朝で北朝鮮側は拉致を認めまして、「5人生存8人死亡」というのをはじめて伝えてきたわけでございます。5人生存というふうに言われたお一人が曽我ひとみさんでございまて、曽我ひとみさんが出てきたと言うことがきっかけになりまして、全国で失踪者のご家族が「ひょっとしてうちの家族も拉致をされたんではないか。」「全く原因のわからない失踪をしている。」「どう考えても他の理由が考えられない。」ということでお問い合わせをされて参りました。(当時私は救う会の事務局長でございましたが)

 これがあっという間に何十人にもなってくる。毎日のように事務所に電話、FAX、Eメールそしてお手紙がくるようになりまして、これは何とかしなければならないと思うようになりました。
その結果として一昨年(2年前)の1月10日に救う会の全国協議会から、この失踪者の問題についてやる部分を分けて出来ましたのが、今私が代表を務めます、特定失踪者問題調査会でございまして、私はこれで調査会の代表になり、救う会の事務局長の方を退任をしたということでございます。

そして、2年間活動をやって参りました。活動をやってきて今結論で申し上げますと、それまでと認識が非常に大きく変わってまいりました。
増元さん、市川さんの拉致というのは昭和53年の8月12日でございます。横田めぐみさんのが昭和52年11月15日、政府認定者の中で一番新しいのは有本恵子さん昭和58年の8月でございます。
そのころまでは拉致というものは大体そのころに固まっているんだと思っていたわけですが、この失踪者のことをやり始めまして「これはとてもそんなもんじゃきかない」と思うようになりました。

 現在公開している中で一番古いケースというのは、昭和28年の10月に長崎県の自宅を出てから失踪した徳永 陽一郎さんという方で、この方は100%とはいえないのですが、北朝鮮で目撃情報のある方でございます。
一番新しい方、今ポスターに載っているかたであれば、確か去年だと思います。それぐらいのところまでずーと来ているわけでございます。ひょっとしたら拉致というのはず~~と行われてきたんじゃないかと感じるようになりました。なおかつ場所も北海道から沖縄まで、内陸から太平洋側、場合によっては伊豆七島まで含めてですね、失踪者が出ていると言うことでございます。これは、(我々の持っているリスト420名ほどおりますが)その全てが拉致ではないというふうに思っていますが、それにしても怪しいケースが多い。

 現在我々はこの420人の中で33人を拉致の可能性が高いとしていますがしかし、この数はこれからますます増えていくはずです。なおかつ、我々の所にお問い合わせをしてきていない方は当然、沢山いらっしゃいます。特定失踪者問題調査会と言っても政府の機関でも何でもございません。我々全くの民間の任意団体で、NPOですらない団体でございます。
 
 ですからそう言うところにお問い合わせをするというのはかなりの覚悟が、正直言っているはずです。ひょっとしたら金を請求されるのではないかとか、あるいはプライバシーに関わることを出さなければならないだろうというわけでございます。

 普通で有れば自分の所の子供がいなくなったとすればそんな表に出して明らかにしようなど思わないはずですし。我々自身はご家族からお金は一切受け取っておりません。時々送ってくる方が有りますが現金書留でお返ししておりますが、そんなこと誰にも判らないわけでございますから、そうすると最初にお声をかけてくださる時にその時点でかなりのハードルを超えてしまっているんですね。

 それくらいの覚悟をしてもやはり自分の子供、あるいは兄弟の安否を知りたい、助ける可能性を探りたいという方がこられているということで、これはかなり深刻なことだと思っている次第でございます。

 この問題は、一体どういう風に見るべきなのか?
この問題の原点というのは、日本と北朝鮮という2つの異常な国があったから出来たことでございます。
日本だけが異常でも北朝鮮が異常でなければこんな事は起こっておりません。北朝鮮がどんなに異常であっても日本がちゃんとした国で有ればこういう事は起きていない。起きたとしてもすぐに問題は解決しているはずです。

 問題が解決しないままで何十年も過ぎてしまった。これは何が意味があるかというと北朝鮮と日本が両方が異常な国だったと言うことでございます。

 北朝鮮が異常な国だというのは大体見ていれば判りますが、あの北朝鮮という国は、国が出来るとき、(正式な建国は昭和23年の9月9日ですが)日本が戦争に負けて、北半分をソ連軍が占領をいたします。その時に沿海州にいましたソ連軍の大尉であった今の金正日の父親、金日成ですね、これを連れてきて権力の座に着かせた。

 毛沢東やホーチミンなんかもやったことはひどい話ですけれど、少なくともこの人達は自分の力で、権力を奪取しようとして、人の力を借りたとしてもやはり自分の力をかなり使ったうえで権力をとった。

 金日成という人はそう言う人ではない。
要はどっかに新しい支店とか出張所を造る、そこの支店長にするのに誰がいいかと言うときに本社にいた 主任かなんかをやっている人間を連れてくる。この地域の地理に詳しいだろうとか、言うことを聞くだろうと連れてくる。これが金日成でございます。権力を自分の力で取ったんではなく人の力でもらってしまった。

 そしてあの地域のインフラは全て日本の時代に作ってあったものでございます。まぁ、かなり発電機などいろんなものをソ連が持っていってしまったらしいですが、基本的な物は残っている。

あの当時(今でも稼働していますが)満州国との国境にあった水豊(スプン)発電所(年配の方にはスイホウ発電所と言った方がわかりやすいと思いますが)この発電所は発電能力68万キロワットで、当時世界第2位の発電所でございました。こういうような、かなり良いインフラが朝鮮半島北部に(鉱山資源とか炭坑とかたくさんありましたので)集中をしていた。これも手に入る。

 軍隊は、朝鮮戦争を始めるとき朝鮮人民軍というのは10個師団の中に、(中国の人民解放軍の中で3個師団朝鮮人で構成された部隊がありまして)この部隊をそのまま入れてできたのが朝鮮人民軍の中核でございます。それ以外はソ連の軍事顧問がやってきて資材を提供してできあがったのです。

 ということで、国ができるときの基本的な構成要素であります「権力」と「インフラ」とそして「軍隊」とその3つを全て人からもらってきたのが北朝鮮と言う国でございまして、そうやってできあがった国がどんなことをやるかと言えば「たんなければ持ってくればいいじゃないか」問い言う発想になってしまう。

 もともと金日成たちは戦前パルチザンをやっていたと言うことをいいますが、パルチザンというのは山賊でございまして補給を全て掠奪に頼るということですね。自分たちで最初からちゃんとした補給を確保して戦争をするのではなく人の所に行ってかっぱらってきて戦争をやると言うことですからこの発想は全然変わっていない。
だから、たんなければ、金か物かあるいは人をどっかからもってくればいいという発想でやってきたと言うことでございます。

 先日、新宿の韓国料理屋に行きまして、そこで北朝鮮製の輸出用の葡萄酒を飲みまして、味もとんでもないんですけれど、味よりびっくりしたのは瓶でございまして、こうやってみてですね(瓶を持ち上げて目の前にかざすポーズをとって)、左右が対称になっていないですね。少し歪んでいるんですね。で、輸出用ですから、今時ですね、輸出用の葡萄酒の瓶がゆがんでいる国なんていうのは世界中捜してもそう残ってないと思います。と言うぐらいの技術力の国で、なんで、ミサイルや核兵器をつくれるのか、なんでものすごい精巧な偽札が作れるのか?(技術や人を)他から持ってきている以外に絶対に考えられないんです。

 独裁国家は技術の発展にものすごい障害になります。
自由な意見が言えないと言うことは技術の発展はできない。

 ひとつだけ例を申し上げます。

(以下中略)~70年代の間違った金日成の農業指導の例をあげて説明~

 こういうようなことで経済はどんどんメチャクチャになります。メチャクチャになっている経済を金正日はどうしようとしたかというと、経済を立て直すのではなくて、「この国はすばらしい国だという幻想」を無理矢理作っていくことでごまかそうとした。これが平壌の街の中にある凱旋門であるとか、三角形のホテル(もう崩れかかっています、作っている途中にやめていますが)銅像とか、そう言う物を次から次につくって、それでこんなにすばらしいんだと見せて、個人崇拝によってこれを止めようとしてきたと言うことでございます。

 そういうような異常な国ですから、自分で、自力で物の開発なんかできません。
出来なかったときにどうするかと言いますと、たとえば物を買ってくる。ミサイルなんかでもともとの技術はソ連から供与されたものですが、そうやって友好国からは供与してくれるものは貰う。金を払って買ってこなければならないものは買ってくる。かっぱらってこられる物はかっぱらってくる。場合によってはそれを作れる人を連れてくるということございます。

 日本でも闇からの谺―北朝鮮の内幕と言う本が出ておりますが、韓国の映画監督の申 相玉(シンサンオク)さんという方が1978年、増元るみ子さんが拉致をされたと同じ年に香港で拉致をされています。増元さん市川さんと同じお二人でございます。申(シン)監督の場合は、時期は違いますが、前の奥さん崔銀姫(チェ・ウニ)さんと平壌で一緒に暮らすようになる。

 この時に申(シン)監督に対して金正日は何と言ったかというと(映画監督ですから)「我が国の映画の水準が低いんだ、だから貴方を連れてきた。」と正直にいっているんですね。映画の水準が低いんだから映画監督を連れてくると言うんですから、後はなんでもありと言う事になってしまいます。

 そう言う風にして持ってくる中の一環でありますから、北朝鮮にとって拉致をするのはあたり前の事であって決して特別なことではない。我々それまで、ず~と拉致のために特別な命令があって、その時だけ拉致をしたんだろうと思っていたんですが、そうではなくて、拉致事態はず~とやっていて、(その時その時でこういう人間が必要だとか、「アベックで連れてこい」とか「20代ぐらいの女性を連れてこい」とかいろいろあったんだと思いますが)基本的にはず~とやり続けてきたんだと言うことで間違いないと思います。

 韓国では朝鮮戦争休戦までの昭和25年の6月25日から28年7月27日までの3年間の間に、韓国の民間人で連れて行かれた数は8万3千人。これは自分の意志で北に逃れた人とか、戦争時の軍人の捕虜とかは全て除いてありまして、韓国の民間人で無理やり連れて行かれた人がそれだけの数になるという事でございまして、なおかつ休戦になった時からの50年の間に連れて行かれた韓国人は3700人を超えております。

 韓国の場合は漁船の拿捕が多いわけですが(漁船の拿捕の場合は北朝鮮は9割方返してくるんですが)それでも今残っている人は、漁船民で残っている人と日本人みたいに海岸でやられた人や海外から連れて行かれた人を合わせて韓国政府が発表しているだけで486人。実際には間違いなく500人超えている。そういう数の人がやられている。

 78年にはレバノンでも女性が4人やられている。マカオでも中国人女性がやられている。等々ありまして年がら年中世界中で拉致をしていたんだと考えたほうがいいんだろうと言うことでございます。

 その北朝鮮の国の体制は未だに全く変わっておりません。ということはどういう事かと言うと、「これから先も拉致をやる可能性は十分ある」と言うことでございまして、その拉致の対象となるのは、別に特別な人間では無いんです。ですからここにいる皆さんとかそのご家族、友人のみなさんとかが拉致をされる可能性が十分にあるんだとお考え頂きたい。

 私みたいに年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いている人間がやられりゃぁまぁ、それはそれで仕方がないんだという話になるんですが、そう言う人間は大体あんまりやられないんですね。ですからできるだけ悪口を言っていたほうが安心だと思うんですが。(会場、笑い)そういう事と何の関係もないひとがやられる。

 何の関係もない人がやられると(-皆さんお考えてみてお判りになると思うんですが、自分のお子さんや家族がいなくなったときに、たとえば町田の救う会に関係してるからやられるなんて思わないでしょう-)北朝鮮がやったなんて思わないでしょうから。そうすると、自分の家族がいなくなった時に、小さい子であれば、何かの事件に巻き込まれんじゃないかと思う、大きい人であれば、何かいやなことがあって、家出でもしたんだろうとなるわけです。そうすると家族もいいところ、家出人の捜索願ぐらいしか出さない。

 どう考えてもおかしいと思っても警察は警察で、失踪者はたくさんいますから、まともに取り扱ってくれないわけです。

 家出人の捜索願を受けても、同じ警察署の中でも、家出人の捜索願は生活安全課が受けます。ところがこの人達と公安とは仲良くないんです。情報が横に行かない。踊る大捜査線みたいな世界でございまして。(笑い)こっち(公安)の人がみればひょっとしたらと思うようなことでも、ここ(生活安全課)で止まってしまっていかない。こういう事がず~と続いてきています。

 今警察は、私が感じているところでは、このところかなり気合いを入れてやっているような感じがしていますけれども、しかしそれでもですね、皆さんだって考えて頂いて判るとおもうんですが、たとえば「42年前の8月3日に何処にいましたか」と聞かれて答えられる人間なんかいるはずがないですね。ところが警察の場合、証拠を積み上げると言うやり方ですから、そういうこと、やっていかなくてはならない。

 そうすると大部分のケースというのは判らないと言うことになってしまいます。

 今、日本の中で拉致の救出のためにどういうやり方をしているかと言いますと、まず警察が捜査するわけですね。捜査してこれはもう間違いないと言う証拠があるということになった場合それをまず首相官邸にだします。首相官邸はそれを見て「じゃぁ、これは認定しようじゃないか」ということになって認定したならば、北朝鮮との交渉の場にだす。

 ところが、まず警察が認定するということを出すというところまで、ものすごいハードルがある。大部分の事件が、これができない。そして(警察が官邸に)持って行ってもですね、今の小泉政権はともかくこの問題を小さくして終わらせようと考えています。

 警察は去年ですね、特定失踪者ではないんですが、田中実さん、小住健蔵さんと言う方お二人を、首相官邸に拉致被害者として認定すべきであると具申しています。しかし、官邸は全く動かないです。

 ともかく、それは今の15人をこれ以上増やすと「もう、大変なことになる」と。「大変なことになる」って大変なことなんですけれども、しかし「大変なことだと国民が知ってしまう」と言うことでしょうね。おそらくね。だからもうやらない。なおかつ、もしそれを官邸が「判った」と言ったとしても、(今の状態だと経済制裁もしてないわけですから)そうすると外務省が向こうが話し合い乗ってくれたら、「こういう人はどうですか?」と聞く。

 向こうがまたいい加減なことを言ってくるわけですね、骨がどうしたとかですね、それを見ると、またその書類を見て(いい加減な書類がたくさん来るんですね)たくさん来ると、(日本側のお役人は学校の成績が良い方ばっかりですから)そうすると、いい加減な書類だと思っても読みたくなる、読んでこれは何処に間違いがあるかとか調べないと我慢できなくなる。そして調べて「おかしいじゃないか」いうまで数ヶ月かかります。判ってから持って行って「ほら見ろ、おかしいじゃないか」と言うと、又、向こうはいい加減なのを出してくる。

 そこで、学校の成績が悪い人間であると、開き直ってびりびりと破いて「こんなもんやってられるか」と言って「試験問題出すヤツが悪い」と言って一発ぐらいぶん殴るんですが、頭のいい人は試験問題がでると、ついやらないと気が済まなくなる。
そうやっている間に時間がドンドン過ぎていってしまうと言うことでございます。◆―――――――――――――――――――――――――◆
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荒木和博氏講演2005/1/15(2)

2005-01-15 | 荒木和博氏講演集
つまりどういう事かと言いますと、この問題を解決するには、今のやり方では絶対解決しない、と言うことでございます。このやり方を止めろとは言いません。止めろとは言いませんけど、別の筋のやり方を、様々な方法を考えて行かなくてはならない。

 そう言うと、平沢勝栄さんがやったように、訳のわからない工作機関の人間にくっついて、いい加減な情報を流すと言うことになるんですが、そうではなくて、やはり、正面から北朝鮮に圧力をかけて、そして取り返す事。大体圧力をかければ向こうも外務省との交渉に乗ってくるんです。

 外務省の中でも、ここまでいっちゃうと、武力の裏付けがなければ、どうしようもないんじゃないかという思いも、外務省の中にも今、あるんだということをちょっと聞いています。実際その通りで、「イザとなったらお前らぶん殴るぞ」という姿勢をみせてはじめて向こうは交渉に乗ってくる。

 北朝鮮の人間と話をして、もし北朝鮮の人間と日本側の人間が信頼関係を築いたらどうなるかというと

 ~日本側はそう言うんですね、北朝鮮の代表と信頼関係を結んで、だんだん向こう側を柔らかくして行かなくてはならないと。~

 しかし、北朝鮮の人間からすると日本に向かって話していることは、こっち(金正日)に向かって話している事なんです。こっち(金正日)が自分たちをどういう風に評価するかと言うことが大切なんであって、こっち(日本)なんてどうでも良いんです。

 どういう状態が評価されるかというと、「如何に日本をやっつけたか、如何に日本を騙したか」というのが評価されるんであって、もし日本の代表団と信頼関係なんて結んじゃったら、帰ったらすぐに収容所に放りこまれるんです。絶対そんなこと(信頼関係を結ぶ事)はありえない。だから北朝鮮に人間と信頼関係を結ぼうと思う方が間違いであるという事でございます。

 相手側も話がわかるのは(彼らの頭の中に信頼関係を結ぼうなんて考えは一切ないんですから)逆に日本側がこん棒を持って「ぶん殴ってやるぞ」という姿勢を見せたときに、「あぁ、なるほど、日本側の考えているのはこういう事なのか」と判るんですね。

なかなか我々の美意識でそう言うことはしにくいんですが、しかしそう言う認識でないと返ってこないと言うことでございます。

 時間がないので今後の事をお話して参ります。
先ほど安明進さんのメッセージの中で「日本の人はあまり北朝鮮の事を知らないんじゃないか」ということが有ったわけですが、(彼はこのことをあちこちで言っている訳なんですが)

 この写真、(写真を掲げながら)9年前に韓国の東海岸で座礁した潜水艦でございます。東海岸のカンヌン市というところで海岸に公園がありまして、ここに展示されている物でございます。 

 みなさんもし韓国に行かれることがあったら、お時間があったら、冬ソナばかりではなく、こういうところにも行った方が良いんじゃないかと思うんですが。

 この潜水艦は長さ35メートル、325トンあります。乗ってきたときは確か26人乗員がいたという風に思います。これは今、見学するためのハッチが付いていますが、もともとは付いていなくて、後で付けたものです。

 この潜水艦は魚雷の発射管みたいな物がありません。(表から)見えない裏側に穴がひとつございます。この穴は何かというと、工作員が水中から浸透するためのものです。つまりどういう事かと言いますと、この潜水艦というものは普通の海軍が使って作戦行動をするための潜水艦ではなくて、工作活動のための潜水艦と言うことでございます。

 工作員を敵国に潜入させて工作活動を行わせるための潜水艦だということです。これはもちろん、日本にしょっちゅうやってくる工作船も同じ事でございます。その為に彼らはやっている。

 この事件の時はですね、工作員を潜入させた、その工作員を回収しようとした時にですね、波が荒くて「もっと海岸に近づいてくれ」ということでバックをしたら、この後ろの方が波に煽られて座礁してしまった。

 もう動けなくなったんで、仕方がないから中を全部焼いてですね、外に出て山の上の方にあがって、11人は自決をした。それ以外の人間はですね、韓国軍、警察、民間ですね、ものすごい数の捜索をやったんですけれど、韓国人を(軍人、民間人あわせて)十数人殺して、最後まで一人だけは見つからずに終わりました。

 もう、すごく寒いんですね。0度ぐらいになる。しかも、あんまり木も高くない非常に険しい山中を何万人もの韓国軍の警戒の中をかいくぐって、そして逃げていったと言うことでありまして、如何にすごい能力を持った人たちであったかと言うことです。

 韓国の方はのんびりした、脳天気な国なんですけれども、韓国人は脳天気で「いや、戦争なんて起きないよ」と言っていますが、その国に対して、もう死ぬことを覚悟して、こういう潜水艦に乗ってやってくる人間が、今の、この時にもいるんだと言うことです。

 韓国は、海岸線がこうやって(写真を見せながら)ずっと鉄柵が巡らせてあります。海水浴場のようなところは入れるよういになっていますが、そういうところでもちゃんと歩哨がいてですね、そして実弾を入れて海岸を睨んでいるわけです。そう言う状態の中でも平気で入ってくる。

 日本の海岸線と比べてみても判ると思いますが、日本の海岸線の総延長はアメリカの半分あるんですね。それだけ長い海岸線で、そんな鉄柵が有る所なんてまずほとんど見たことがない。まぁ、原発があるの周囲とかぐらいで、どこでも入れます。

 私は飛行機に乗ってどこかに到着するときに、海から進入することがよくありますが、上から見ているとですね、「あ~ここだったら入りやすそうだな」という事をついつい考えてしまいます。

 なおかつ、この潜水艦の中の装備ですけれど(写真を見せながら)、モニターとかいろんなものがありますが、これはトキメック、昔の東京計器ですね、パナソニック、フルノといった日本の製品をふんだんに使って頂いておりまして、これ大変ありがたいと思っています。(笑い)大変ありがたいことですがそう言う事(日本製品が使われていると言う事)でございます。

 これは別に韓国だけにやっている事ではありません。侵入するのは韓国より日本の方がはるかにやり易いですから、日本に相当の侵入をしていることは間違いない。今もその状況は変わっていない。このところ日本側も武器を使うようになっていますから多少は気をつけているでしょうが、かなりやっているのは間違いございません。

 ですからこの拉致問題の解決というのはどういう事かと言いますと、これは増元るみ子さんがかわいそうだからとか、あるいは横田めぐみさんのご家族がかわいそうだから、これを助けると言った慈善事業ではないということございまして、これは正に今、拉致されている被害者の方々を救出すると言うことがイコール我々自信の安全を守ることになると言うことです。

 いわんや家族のみなさんから感謝して頂く必要は全くないわけでして、家族の方々が逆に我々の代表のような形で被害を受けられているわけですから、我々は、本当であれば、家族会の皆さんに「もっと休んでいてください」と言って我々がもっと先頭に立たなければならないんですが、(そうは言っても、私も今日、増元さんに無理をして頂いたわけで、余り言えないんですけれども)ともかく、我々自身の問題だということ是非ともご理解頂きたいと思います。

 去年、藤田進さん、加瀬テル子さんの写真が出て参りました。それ以降、我々の所に非常にたくさんの写真が持ち込まれるようになりました。特にマスコミ中心ですけれども、持ち込まれるようになりまして、現在既に100人以上の写真が私どもの事務所にあります。今、分析を続けているところでございます。そのうち結果を明らかに出来ると思っているわけですけれども。

 そう言うことから、去年ぐらいからかなり大きな変化が起き始めている。それまでは、写真がでることなどまずあまり考えられなかった事なんですけれど、そう言うことも起こるようになったと。今年はまだまだ<写真>も来るでしょうし、あるいは<声>とかですね、場合によっては本人が逃げ出すこともできるということすら有るのではないかと、様々考えております。

 更にそう言う動きの中で、推測の範囲をでないのですが、考えている事がありまして、これからいろんなことが判ってくると、私自身もまだ想像もしていなかったことが明らかになる可能性もございます。

 たとえば、拉致をされた方々が日本に戻ったことがあるとか、あるいは第三国に出国したことがあるとか、あるいは工作員として外国で活動をしていたことがあるとか、そう言うことが出てくる可能性があると言うことです。

 これは特に町田の皆さんにもご理解頂きたいんですが、そう言うことが有った時に、普通考えてしまうのは「なんだ、外国に出ているんだったら、人の目を盗んで、ちょっと家に電話するとか、手紙を渡すとそれくらいのことできるだろう」と言うことを思うかもしれない。「外国に出て何も北朝鮮の工作員として動くことはないだろう」と思われる方も当然おられると思います。しかし現実にはそういう(=電話ができない、手紙が書けない、工作員として動く)可能性はあるんですね。

 1978年にレバノンから拉致をされた方々4人、この方々は後に、ユーゴスラビアで別の国の大使館に逃げ込んで保護をされているんですが、その時、北朝鮮側の人間から前から、言われていたことがあるんですが、それはどういう事かと言いますと、「お前の国の大使館にはみんなスパイがいるんだから、おまえら、もし変な事をしたらすぐに判ってしまうんだぞ。」と言われていた。それで自分の国、レバノンの大使館には逃げ込むことが出来なかった。

 当然ですね、この日本ですから。「日本には朝鮮総連いくらでもいるんだ。日本の官庁の中にもいくらでもスパイはいるんだから、お前ら、もし変なことやったら、絶対にあとで只じゃ置かないぞ」と言われたら、もう、自分から行動を規制せざるを得ないんです。

 拉致被害者で政府認定者ではありませんが福留貴美子さんと言う元よど号の岡本武の妻にさせられた方がおられますが、この人は一度日本に入ってきている。入ってきて、横浜の友人のところにちょっと泊まって、その時はもちろん何も言っていないです。それから、高知の実家に戻ろうとして、どうも途中で捕まったらしい。捕まって北朝鮮に引き戻された。

 そう言うときですら連絡がとれないという、それは、如何に北朝鮮が恐いかという証拠でもありますし、だからこそ、今の帰っている5人も話さないんだろうと、私は思います。

 そう言う状況をご理解頂きまして、これから先、どこかでそう言う話が出てきたときに、「それはそんなことではないんだ」(簡単に連絡できない、脅されている)と言う風に、周りの人に言って頂きたいというふうに思います。

 ともかくそういうことも含めて、これからいろんな事がおそらく明らかになっていくだろうと考えるわけです。これをですね、一体どうしていけばいいのか言うと、私がさっき言いました、今のルート以外の別なやり方、(これは経済制裁ももちろん、その一つなんですけれど)別の手段を使うと言うことでございます。

 本来で有れば、普通の国であれば、これだけのたくさんの日本人が拉致されたとすれば、軍事力を使っても全く何の不思議もないということです。 私は少なくとも北朝鮮の中で体制崩壊が起きた時には自衛隊を投入するしか方法はないと再三再四、言っておりますし、私自身も予備自衛官ですので、その時は入れてもらおうと思っているんですが。

 それ以上の、本来でであれば、軍事制裁をやることだって当然オプションとしてあって良い事だろうと思っています。

 逆に言うと、経済制裁ぐらいで済まして貰えるんだったら、金正日は大喜びして日本に感謝しなければならない。

 「経済制裁をやってきたら戦争だ」なんて言うのは、とんでもない話で、感謝して貰ってもいいくらいの事でございます。 経済制裁で戦争だというぐらい、如何に彼らが経済制裁が恐いかという証拠で、経済制裁すれば効果が上がると言うことを、彼ら自信が正直にしゃべってくれているのと同じ事でございます。

 藤田さん、加瀬さんの写真が出たときに、みなさんもそう思われたと思うんですが、「やっぱりホントだったんだな」と、政府の言っている15人なんて違ったんだなと思われた方も多いでしょう。

これから先我々がやらなければならないのは、情報をともかくいろいろ収集して、それを可能な限り明らかにしていく。

 この国は平和ボケの国と言われますが、日本は災害にはぼけていない。

 皆さんいつでも、東京周辺に地震が起きるにじゃないかと想定していらっしゃる。自身は簡単に予知できませんが、台風が来る時は、もし来たらどうするか、もし被害が出たらどうやって助けるか、民間もお役所も一緒になってやっていくわけです。

 ですから、国民が今、日本が安全保障上こんなに危険な国なんだと判っていれば、ではこれはこういう風にしなければならないと絶対に理解が得られるはずだと言うことです。

 我々が今やらなければいけない事は、「この国が如何に危険な国であったか」と言うことについて、現実を国民の皆さんの前に明らかにしていく。そして同時に、その被害を受けている拉致被害者が一体何処にいて、どういう状況にあるのか、どうやれば助け出せるのかという事について具体的に調べていくことをやっていかなければいけない。

もちろんこれは国の仕事ではあるのですが、なかなかお役所と言うところはプラスアルファーの仕事をしても評価されませんけどマイナスだと失点になっちゃいますので、非常にやりづらいです。

 警察が認定の所でなかなか渋いのも、やはり認定しようと出した人の中でそうじゃない人が出てしまったら非常にマズイと言うところにあります。本当は拉致じゃないと思っていた人が拉致だったと言うのが一番マズイはずなんですが、そこについては余り言われない。

 ですから、こういう事を我々国民としても警察とかそういう国家機関をバックアップして、多少勇み足でも、一生懸命やっているときは、「そうだ、がんばれ」と言っていくことも必要だと思います。 

 我々自身が、有る意味で言うとパイロット的な役割で、情報集めなどを、やっていってそれによって後からお役所が本気になって動けば、我々のやる事なんて無くなってしまいますから、とにかくその方向付けだけはやっていこうと思っています。

 これをどんどん明らかにして、国民の中に安全保障の意識を持って頂くようにしていきたいと思っている次第でございます。

 そのあとは具体的にどうやって助けるかと言うことでございまして、中国や第3国に出た人はそこの在外公館が保護をする、これは外務省もおそらく、ちゃんとやってくれると思います。

 あるいは向こう側でなにか起きたら時は自衛隊を入れてちゃんと取り返していく。
今の時点では自衛隊というと、ピンとこない方も多いと思いますし、自衛官でもピンとこない人も結構いるんですね。

 しかし考えてみれば、基本的人権を侵されて何十年も苦しんでいる国民を助けないと言うこと自体が、憲法違反でございまして、その為に自衛隊を出すか出さないかと言う事が憲法違反かどうかなんて事は、条文をどういう風に解釈するかの問題ですから。

 イラクに多国籍軍で自衛隊を出しておいて、それで、拉致被害者救出にいけないようなら、どう考えても理屈が合わない訳でございます。 イラクに多国籍軍で自衛隊を出しておいて、それで、拉致被害者救出にいけないようなら、どう考えても理屈が合わない訳でございます。

 そんな時にそれでも行けない自衛隊だったらそんなもの、税金泥棒以外の何者でもないんで、そんなもの無くしてしまえばいいと言う風にすら思います。その為に年間何兆円もの税金を国民は払っている訳ですから。

 自衛隊の中でも本気になって考えている人達はたくさんいますから、我々もいろんな次元で連携を取りながら、そっちに向かって何とか持っていきたいと思っている次第でございます。

 ともかくですね、この問題は、日本という国が、自分たちがどれくらいちゃんとした国であるかという意識を持つかという事だと思います。

 この国には、あれもいけない、これもいけないといろいろ山ほど行けない事はあるんですが、いくらそんな事言ってもですね、周りの国は全く信用してくれません。

 昔、(エリツインの政権の頃ですが)ロシア人の友人と話していて、「今日本の政界は大混乱状態なんだ」と言ったら、ロシア人の友人曰く「一体何処が混乱しているんだ」という話でございまして、(会場笑い)あの当時のロシアに比べれたらば、日本が混乱しているなんて誰も信じてくれない。

 経済がメチャクチャだと言えば、メチャクチャな国は世界にいっぱいあるわけですから、日本の経済がメチャクチャだと言ったら、メチョクチャじゃない国の方がほとんど少ないわけでございます。

 「軍隊が?」と言っても、イージス艦だって何だって有るじゃないかという話になるわけでして。
 「憲法は?」と言えば、そんなもの変えれば良いじゃないかとそれだけの話であります。

 だから、この国にはそれだけの力があるわけです。

 評価は様々あるでしょうが、ともかくですね、戦争の時にですね、ロシア・中国・イギリス・アメリカ、世界中の大国と戦争してしまった国は日本しかない訳ですから。(笑い)

 しかも第二次世界大戦の時というのは、普通考えたら、「あんな戦争、まず、しない」中国で足を取られてそれだけでも大変な時に、アメリカ・イギリス相手に戦争をするなんて事は、よっぽど「上にいる人間がアホだったんだ」と私は確信を持っていいますが、それだけ上にいる人間がアホでも、4年間アメリカ相手に闘い続けたんですから、如何に中堅が優秀であるかの証拠でございまして。(会場笑い)

 この国の最大の問題は、中堅の人材が優秀な人が多すぎて、上がアホでもなんとかやっていけると言うことに問題がある。だから、その方針を作ればいい。

 この国が明治維新以来非常に大きな力を持ってきたのは、どういう時か?(自分から方向性をつけたことはほとんどないんです)明治維新の時は、お解りのように、外国から何時侵略されるか判らない、一刻も早く近代化しなければいけないと言う事で、コンセンサスがあったから、そこに向かってどうするか、ここにいる人と、ここにいる人が全然連携もとらないで、お互いが何をすべきか考えて動くことが出来る。

 アメリカとの戦争もそうですし、戦争に負けた後、復興という大方針ができたらば、ここで何とかやらなければならないと言うことになれば、それでものすごいスピードで復興することが出来るし、高度成長となれば、そういうふうになる。

 ところが、その方針をひとりのリーダーが提示すると言うことができない。残念ながら。

 韓国の場合、かつて1960年代、クーデターで政権を取った朴正煕大統領という人は、この国を絶対近代化して北朝鮮から攻められない豊かな国にしなければならないというはっきりとした方針を持ってやった人ですが、ああいうリーダーは日本には、まず、ほとんどでてきません。

 とするとその代わりをどうすればいいかというと、国民の手で作るしかない。我々国民の声でこの国がアジアの中で中心的な民主主義の国であると、我々自身が認識し、「だから恥ずかしいことは絶対出来ないんだ」という思いを持って、政府の動きをチェックして、その代わり、政府がちゃんとやるんであれば、進んで協力をしていくということをしたときにこの国は、他の国が付いてこれない力を発揮すると、私は確信をいたしております。

 昔、カンボジアのPKOの後で、中国の軍人さんが言っていたそうですが、「日本の自衛隊はすごい」と。、どうすごいかと言いますと、ともかく隊長が部下にちょこちょこと指示、命令をすると、すぐにみんなかってに動いていって、全部できちゃう。我が国だったらば、一人一人「お前は、これやって」と細かく指示しないと動かないんだという話をしていたそうです。

 そのプラスの部分を我々は最大限に活用して、マイナスをできるだけ少なくすることによって問題を進めていく。

 この方向ができるようになったらですね、私はこの拉致問題は簡単に解決すると思っています。
 今まで時間がかかりましたけれど、解決し始めたらそんなに長時間はかからないと、絶対の確信をしております。

 さっき安明進さんのメッセージにもありましたが、北朝鮮2000万の公民の大部分は苦しんでいます。今も一月ですから、北朝鮮の中国の国境近くは、冬ですから、零下20度30度です。そう言うところで子供が着の身着のまま凍え死んでいく状況は今でも続いているわけです。

 これを誰が助けるかと言えば、金正日が改心するわけ無いわけですから、そして韓国は今、金正日のご機嫌をとることで精一杯ですから。そうすると、誰がやるかと言えば、我々がやるしかない。日本はアジアの中心的な民主主義の国なんですから、我々の手で、あの金正日の独裁政権を打倒してしまって、あの国で今苦しんでいる人達を一刻も早く幸せなごく普通の生活が送れるようにする。その中にはもちろん日本から帰国していった帰国者の人もいるでしょうし、日本人妻とかその家族もいると思います。

 そう言うことをやって、我々が大国としての責任を果たしていく。これはもう、アジアの中では日本しかできない。アメリカにいくら任したって、アメリカはアメリカなんですから、アジアの国ではない。だから必要が無くなれば出て行くわけでありまして、日本はアジアから絶対に出て行くことができないのです。

 我々がその責任を遂行する。
そうしなければいけないし、そして、日本には絶対にその力があると私は確信をいたしております。

ご静聴ありがとうございました。
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ますもとさんを励ます会 にて(2004/6/19)

2004-06-19 | 荒木和博氏講演集
荒木和博さんの挨拶 (拓殖大学助教授・特定失踪者調査会代表)

2004年6月19日~ますもとさんを励ます会(照北会主催)にて~

ご紹介頂きました荒木でございます。現在『特定失踪者問題調査会』と申します、北朝鮮に拉致された可能性のある人の失踪事件について調査する団体の代表を致しております。

私は昨年の一月まで『救う会全国協議会』の事務局長を致しておりましたが、9.17以降、曽我ひとみさんがでてきたことによって『あるいは自分のところの家族も拉致をされたのではないか』との問い合わせが救う会に相次ぐようになりました。これに対応するために別途の団体を作りその代表となることになった次第でございます。

そして、特定失踪者問題調査会がスタートするときに、家族会からもだれ理事を出てくれないかとお願いしたところ増元さんが快く引き受けてくださいました。『私しかやる人はいないでしょう』というふうなことで自分からすすんでで私どもの活動にご協力をして頂き、ご家族とお会いいただいたりいろいろ議論をするということで忙しい時間の中を割いて頂いてきました。

私と増元さんは救う会のときからご一緒に活動しているのですが、(3年前になりますか)一緒に二人でジュネーブに参りました。-国連の人権委員会に要請を行うと言うことだったのですけれども-その帰りの飛行機の中でお話をしていて、-まぁ、その当時で23年間ですか-『大変だったでしょうね』という話をいたしましたら、増元さんがポツッと『よくおふくろが頭がおかしくならなかったと思いますよ』というふうに仰っていました。
こういう苦しみというのは我々いくら支援者として活動していてもあくまで支援者でありまして、そういう苦しみを自分が受けることはありません。『ひょっとして自分の家族がそうなったらどうだろうな?』と考えることはありますけれど、しかしいくら想像しても想像の範囲とそれ(苦しみ)を実際に受けてきたと言うことはそれは全く違うのでございまして、わたしはそういう意味でも、そういう苦しみを26年間これまで受け続けてきた増元さんが国政の場で活躍して頂くと言うことが、やはり大きな意味があるのではないかというふうに思っているわけでございます。

自分自身この救う会でやって参りました5年間の間『家族のいなくなる』と言うことの苦しみが眞にお恥ずかしい話ですが正直言って解りませんでした。
-被害者は北朝鮮にる、それをどうやって取り返すか-ということに自分の気持ちも焦点がいっておりましたので(家族が)その間どういった想いだったかということについて、思いを致すことはなかったわけです。

ところが、失踪者のことをやりまして、失踪者のご家族とお会いをする。(まだ北朝鮮かどうかわからないというところからスタートするわけですけれども)その家族がいなくなったときの気持ち---ある日お母さんからタバコを買いに行ってと言われて家を出ていく、わずか50mさきのタバコの自動販売機のところまでダバコを買いに行く、短パンにTシャツで、そしてわずか2~300円のお金だけ持って出で行ってその後全く行方がわからない---そういうような話を次から次に聞きまして家族が消えるということの恐ろしさというものを、もちろんそれは実感ではないんです、人から聞いた話でしかないんですけれども、それでもこんなに恐ろしいことだったのかとホントにつくづく感じました。
考えてみれば家族会の皆さんも全く同じ苦しみをそうやって受けてきたわけでありまして、5年間救う会の活動をしてきて自分がそんなことにも気が付かなかったと非常に強く反省をした次第でございます。

北朝鮮は今でも拉致をやめていないのです。これから先も必要で有ればいくらでも拉致をしてくると思います。そして今、この国はそういった拉致に対して本当に無防備な国です。
日本の海岸線というのはアメリカの半分あるんだそうです。どっからでも入れます。
韓国は、(今もう随分いい加減になりましたが)かなりきっちりと海岸線にず~と陸軍の兵士を歩哨にたてて警戒して、鉄条網を張り巡らせていたわけです。それでも入ってくるのです。
日本はもう、何もしていないと同じです。

そして拉致も、いわゆる海岸線で袋をもって待ちかまえるというようなケースはおそらく極少ないのではないかと思っています。私どもは増元さんと市川さんの拉致も、やはりある程度周到な準備されていておこなわれたのではないかというような感じがしております。
準備をしていて、どこかで騙して、そして一端(この部屋でも同じですが)密室の中に入ってしまえば跡は何してもわかりません。当て身を食らわせて気絶をさせて、あとは箱とか袋に詰めて荷物に偽装して持ち出せば誰にも解らない。車で走ればすぐに海岸にでる。おそらくそれも、工作船がまっているところにいきなり捕まえて連れて行ったと言うケースよりも、どこかにアジトがあってそこに何日間か監禁した上で連れて行ったというケースも少なくないと思っております。

そうすると、今でも拉致というのはいくらでも出来るんです。
そして増元さんがそうであったように拉致される対象というのは北朝鮮と何の関係もない人たちです。
ここにおられるみなさんやそのご家族が拉致の対象になるということも十分に考えられると言うことございまして、この拉致問題というのは正に『我々が我々自身、あるいは我々の家族を救う為にどうするかという戦い』であるのだと私は思っております。今この国は拉致と言う拉致に本当に無防備なのです。

私自身もスタートしたときは、横田さんのご両親あるいは増元さん、みなさん一生懸命やっていらっしゃるのをみて、これはやっぱりなんか少しは役に立たなければいけないということではじめたことではあったんですけれども、今私の気持ちは、単にこれがご家族が、あるいは被害者がかわいそうだからやるというのではなくて、これをやって拉致をされた方を全員連れ戻すことがイコール私達自身の安全を守ることになるという風に感じています。

東京の町中からも消えた人の数というのは非常に沢山いるんです。
拉致は北海道から沖縄まで、日本海側であろうが内陸だろうが太平洋だろうが関係なく行われております
そしてなおかつ始末の悪いことにはこの国の政府はその事実をず~と隠蔽をしてきました。拉致などと言うことは有ってはならないことだと言ったときに、当然拉致をされたならそれを絶対に取り返すんだというふうにならなければいけないのに、この国のやってきたことは『有ってはならないことだから無かったことにしよう。。。。』いう方になってしまったのです。

その為に被害者が更に増えていった。昭和52年の9月に久米裕さんが拉致をされました。見つかったときに石川県警は犯人の一人を逮捕しています。しかしその事実は一切外に出しませんでした。もしあのときにせめて日本海側だけでも『こういうことが行われている、(北朝鮮に拉致だと言うことは間もなくその犯人が自供して解るんですが)拉致が行われている、警戒をしてください』ということを一般の国民に広報することが出来たなら、そのあと2月後に起こった横田めぐみさんの事件、あるいは翌年におきた増元さんをはじめとするアベックの拉致事件は起きなかったかもしれないのです。
しかしそれを一切政府は明らかにしてきませんでした。

時間がないので詳しい話はできませんが我々やってくにしたがって、そういうことについての話を次から次に聞くに至りまして、本当にこれは『国の問題だ』ということを感じました。
今、日朝の国交正常化ということを言う人がたくさおられますけれど、しかし必要なことは国交の正常化ではなくて『日本と北朝鮮のそれぞれの正常化』です。日本が正常な国になり、北朝鮮が正常な国になったら国交なんかその次の日にでも結ぶことが出来るです。両方が不正常な状態で国交を結ぶなんてことは絶対に有ってはいけないことだと私どもは考えております。

どうかこの今回増元さんの選挙、厳しい中で増元さんが決意をしてくれました。
私どもとしても、決意に答えてそして増元さんの当選をステップとして拉致問題の全面解決へと一気に乗っていきたいと思っております。

日本と北朝鮮を比べた時に、人口で言えば3倍、面積で言えば6倍、経済力などくらべものにもなりません。軍隊は北朝鮮は100万いると言いますけれど、その大部分がまともに飯も食えないで山賊まがいのことをしていると言う国です。こんな国に日本が負けているはずがありません。我が国が力を出せばこの問題は絶対に簡単に解決することが出来ます。しかしその決断を下せる人間がいないと言う残念な状況がずっと続いています。増元さんが国会議員になることでそこに何とか持っていきたい。この国の国民が決意をもって北朝鮮に対するとき絶対に全ての拉致被害者を取り返すことができます。どうかみなさんこの選挙を通じてそれを実現するための場だと、是非ともお考え頂きたいとお願いを申し上げまして私のご挨拶を終わらせて頂きます。
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国民大集会Ⅵにて 特定失踪者報告

2004-04-30 | 荒木和博氏講演集
6.報告 特定失踪者問題調査会代表 荒木 和博

2004/4/30 国民大集会-Ⅵ 日比谷野外音楽堂にて
 
ご紹介頂きました荒木でございます。

 本日この会合にもたくさん特定失踪者のご家族、関係者の方がおみえになっています。
その中のひとりで我々が拉致の可能性が高いと言って発表した山本さん、山梨県甲府昭和56年6月4日に失踪した山本美保さんの件に関しましてみなさん報道などででご存じの通り警察は同じ年に山形で見つかった遺体が山本美保さんであるとつい先頃発表いたしました。
 そして我々としては、いろいろな疑問を示したわけですが、おととい警察庁すぐそこですけれど参りまして外字課長から説明をうけました。その結果ますます疑惑を増すばかりでございましてこんな事も知らなかったのかというような状態でした。

 誠に残念なことですが我々は一年余活動を通してこの国の政府は実はとんでもないことを隠しているのではないかというような疑念を持たざるを得ないのでございますこの国の中には多くの北朝鮮を助けた人々が様々な処におります。是非ともそういう方々は一刻も早くその全てを話して頂きたい。そしてこれはいろんな形で脅迫などを受けている在日のかたもいると思います

 しかし戦わなければ拉致被害者全員を救出することもその家族を救出することもできません。
このことは実は家族会にも救う会にも相談しないで上で一言申し上げれば帰国されている5人のかたもあえて北朝鮮と戦ってその全てを語って頂きたい。私の想いはおそらく多くの方が共有していることと思います。

 我々はあのテロ国家と戦っているのです。
 我々のやっていることは戦争です。
 戦争は勝たなければいけない。
 それをすることが日本人の拉致被害者を救出し、韓国人の拉致被害者を救出し、北朝鮮2000万の国民を救い最後にはこの東アジアに平和をもたらすことになります。

 どうぞみなさんこの問題は『外務省がけしからん』『政府が悪い』『警察がいけない』と言っているだけで、気がついたらみんな北朝鮮で死んでしまったと言うことでは許されないのです。 
我々1億2500万国民の全ての責任です。
我々もここにいる人も皆さんもその家族を守っていくために拉致被害者全員を救出しなければいけない。
最後までどうかご協力頂きたい。よろしくお願いします。◆―――――――――――――――――――――――――◆
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