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そして再び、わが祖国日本

2008-07-21 | やまつみの声さん投稿集
そして再び、わが祖国日本  

                 投稿者:やまつみの声
日本人社会から行動規範が消え去り、諦めに似た空気とともに生きる力が弱くなっている。先進国でありながら、この石油高、食料高騰への抗議行動においてアジア途上国の後塵を拝する状態なのは何故か、不思議に感じていた。理念・哲学のない大衆・政治運動は存在し得ない。

社会への問題意識を醸成する場合、島国は不利である。海に囲まれた島は八方に開いているようで壁の中と同じ、内側に一人でいると「引きこもり」に似たイライラが募り、暴発するとナイフ持って表通りに飛び出したくなるのだろうか。

江戸時代までの日本は国内300諸藩の多様性と身分序列の緊張感が存在した。武士道精神は武士のみならず農民、商人、職人にも敷衍して「精神のかたち」をつくり行動を規定していた。しかし明治維新による中央集権国家は藩の壁を取り払い均質化を強制し、方言禁止令さえ出た。多細胞から単細胞社会への転換である。

単細胞の閉じた空気は腐りやすい。大陸進出は(その結果は置いといて)、閉塞空間に外気を取り込みたい本能だったのではないか。江戸末期の志士や為政者、大陸進出期の国民・上海ゴロのほうが今の日本人、福田や山拓よりも国家の意味、国際感覚を「肌で理解」していたように感じる。

日本が同じ島国のイギリスと違うのは、戦後、植民地を取りあげられ再び島の中に閉じ込められたということ。そして田舎の秀才を東京に集めた東京を細胞核とするさらに巨大な単一細胞社会ができあがり、地方は血行不良化する。左右、労使間など二項対立構造で保たれていた多細胞性も冷戦終結で政治運動の動機付けが弱まった。緊張感の無い平和ボケ社会での平和運動は維持が難しい。

生物の進化のアクションは元来リアクションとして生まれたもので、対立構造が生命力を活性化する、ライバルがいるから名勝負が成り立つ。インプットが無ければアウトプットも無いままに細胞機能は劣化してゆく。

これまで私は40カ国余りの地域でさまざまな民族に接してきたが、日本人ほどマメに本を読む民族はいないだろう、書店の蔵書の充実も類例がない。ベトナム(実はいまここにいる)の識字率は94%、途上国の中で驚異的に高いことが投資先としての魅力の一つだが、実は、この数字は明治維新時の日本人の識字率と同じなのである。昨今の異常なネットブームも、外部情報のインプットで心に刺激を与え続けたい生命本能なのではないか。

この板の立ち上げのころ(もう6年近く前だ)、「是々非々」ということばが右左それぞれの立場から出たと記憶する。ではその是々非々の判定基準、principleはいったい何なのか。絶対的な是は無く、絶対的な非も無い。二人の遭難者に一人用の筏しかなければ、双方にとっての緊急避難、相反する是々非々が同時に成り立つ。

魚を飼うときには水槽に張る水作りから始める。水族館も水槽の裏に巨大な制水設備があり、人が見ているのはその一部である。ディズニーランドも展示場(exhibition)よりもそれを支える付帯設備の面積のほうが広いのである。閉塞状態の水槽の水質を悪化させ魚を弱らせる主要因は、魚が自らの体から出す排泄物アンモニアである。

毎年3万人以上もの国民が自殺するのも空気が低下したためだろう。仕事が辛いくらいでは人は死ねない。頑張るものがない、あっても頑張れない、生きる張りも無い、そういう空気が元凶。

国、社会、家族、職場、学校の諸問題、一つの事象だけを切り離してはメカニズムが分からない。北朝鮮拉致事件に対する政治家の「職務放棄」と、秋葉の無差別殺傷事件のメンタリティーは、同じ土壌に生えた奇態なのではないか。

(以上、つらつら考えたが結論が纏まらぬ、失敬.)


蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板より
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ある反共中華人の話

2008-07-19 | やまつみの声さん投稿集
ある反共中華人の話 投稿者:やまつみの声
   投稿日:2008年 7月1日(火)

中国政府首脳に縁ある有力者の息子として彼は生まれた。子供の頃に文革で父親が下放・弾圧を受ける。北京大学生時代には天安門事件に連座、国籍を変えて10余年が経つ。先日、久々に彼と話をした。主に中国関連の話だが、北朝鮮をめぐる最近の動きを考える上で参考になればと思い、ご紹介する(日本の新聞は書かないだろうから)。

***********************

1.民主化は死んだ

天安門事件に関わった学生運動家の多くがアメリカに渡った。優秀な学生が多かったからIBMなどの大企業に就職しアメリカの市民権を得て、政治運動からは離れていった。いまだに中国の政治批判しているのは一部の「売れ残」った連中だ。アメリカで声を上げても中国への政治的影響は殆ど無い。彼らがアメリカへ行ったのは「政治難民」としてではなく、実質的には「中国がアメリカに引き渡した」。中国にとっては「厄介払い」。アメリカも受け入れを了解した。裏でアメリカと中国は手を結んでいたのさ。

いまの中国に「政治運動」は存在しない。共産党独裁体制の中でいい思いをするには党員になるしかない。貧しい層の最近の反発の動きは、天安門事件のときの民主化運動とは質が違う。今は不満が政治運動やパラダイム・シフトに繋がる事はない。

中国の「政治運動」は天安門事件で終わった、民主化は死んだんだ。運動家たちをアメリカが引き受けたことで、完全に潰された。今後の中国の動きに期待しないほうがいい。アメリカは中国のマーケットにだけ興味がある、人民の人権などどうでも良い。

2.「中国の国益」の視点から各事象を見れば・・・

【政治家の役割】

外交政治の目的は「国益の確保」につきる。福田が親中?・・・ならば彼は日本の政治家ではない、ありえない、「高所恐怖症のパイロット」と同じような形容矛盾だ。国(日本)の首領政治家(福田)が他国に阿諛追従するなんてことは、中国人には理解もできないだろう。

中国の対外姿勢は国益が全て。でなければ体制が崩壊する。日本では国家が見えにくいから、国益を損なうことの重大さに気付かないんじゃないか。「いつまでも、あると思うな親とクニ・・・」 あ、カネだっけ。

日本は極端なんだよ、戦前は「国益だけ」で動いて、今は「自分の政党・セクターの利益だけ」でしか動かない、戦前よりスケールも小さくなった。お前がよく言う「日本人の劣化現象」だな。

どの国の政治家も「国の繁栄」を国民に誓うものだ。外交では国益を最大に引き出すことを国民は望み、国益を損なった政治家は「売国奴」として糾弾される。「国益」が無ければ「私益」も成り立たぬ。両方が満たされ余裕ができて「正義」かな、いやたぶん、もっとゼニくれだろな。

東シナ海の油田のライン引きで日本人は中国の傲慢を怒るが、他国には傲慢なのが国家なのさ。日本人よ怒るな! 怒ってどうなるの、やり返せばいいんだよ(笑)。

【四川地震】

被災地の惨状に中国人たち驚き心配し、工場主クラスで1万元、労働者でも1000元単位で寄付しているのがいる。「国を助けたい」気持ちが湧き上がった、これは政府のやらせじゃない。地震は国家意識を高める役目をした。

【北京オリンピック】

「聖火リレーを守れ」とあちこちで中国人が行動したのも国益意識からだ。祖国が汚されるのは許せない、その衝動が彼らを駆り立てた。参加しなかった連中も騒がないほうが「祖国のタメ」と判断したからで、祖国が嫌だとか、人目を気にしてじゃないよ、日本人みたいにね(笑)。

長野の聖火リレーのときには日本にいたけど、長野へは行かなかったよ、だってオレはもともと北京オリンピックに反対だったじゃん。あんなのナチスのベルリンオリンピックと同じ、完全な国威発揚の政治祭典さ。

でもそんなこと最初からみんな分かってて北京開催に投票したはずだろ、なにをいまさら「政治利用は怪しからん」だの「人権問題」をタテにボイコットを言い始めるんだよ。中国の人権問題なんて前からあったろ、弾圧を知っててオリンピック承認していまとってつけて反対するほうも、立派な「政治利用」だよ、違うかい?

【チベット問題】

オリンピックもチベットも、外から中国を叩けば中国人は一枚岩になって反発するよ。国家意識は強いからね。それにチベットは中国にとっては本気で「内政問題」なんだ。中国とチベットは日本統治下の朝鮮半島と日本より「同国」なんだよ。チベットの分離独立は認められない、たまたま今住んでるチベット人が中国領土を切り離すのは泥棒と同じ。

中国を漢民族が支配した期間はそう長くない。漢族国家の明朝は100年しか続かなかった。漢のあとの清朝を建設したのは満族だよ。元の時代はモンゴル族が支配。つまりね、中国ってのは昔から「周辺民族も含めた雑多な民族の混合体」なんだ。しかも各民族の文化的独自性にはわりと寛容で共存が成り立っていた。

それが20世紀後半になってチベット問題が表面化したのは「中国が共産化した」からだ。共産主義者が思想の同一化を強制しチベットの宗教・文化を否定したから、ダライラマは逃亡し、チベット文化を維持する方法として「独立論」が生まれたわけだ。今のダライラマは独立の要求はしていないだろ、自分達の宗教・文化を尊重してくれればよい」、つまり(共産党以前の)昔の状態に戻してくれといっている。自分たちの文化を保てれば(面倒複雑な)国家でないほうがラクなんだよ。

要するにチベット独立問題は共産党体制が起こしたマッチポンプ問題・・・というのも今となっては実は建前でね(笑)、そこに地下資源があったから本気で独立を認めるわけにもいかなくなった。チベット族以外の99%の中国人にとってはチベット独立阻止が「国益」ということ。

【中国と朝鮮】

朝鮮半島?あれは別だ、興味も無い(笑)。あそこは清朝の範囲外、満族の影響が強くて、その満族も今や少数民族。満州語はモンゴル語に近い、モンゴル語は文法的に朝鮮語・日本語と同系列だろ。朝鮮は属国ではあっても中国ではない、あそこは「満族のむかしの属国」程度の認識。中国に限らず、アメリカもロシアも韓国も「自分の国益との関係」で冷静に、つまり感情よりも勘定で北朝鮮に接しているってこと、単純な話だ。

***********************

彼の話を聞いていて、なんだか私は、少なくとも外交姿勢に関しては、日本の政治家は「中国を見習うべき」と考えた。

政治家や役人が私欲に腐敗する体質は中国も日本も程度の差にすぎない。中国では社会格差が開き内政への不満が高まっても、いまの外交姿勢を貫く限りレジーム・チェンジには至らないだろう。思想の自由は天安門事件で終わり、今の中国公民は民主主義をそれほど求めてはいない。格差も不満なれど、国益喪失による国家崩壊の恐怖のほうが強い、だから共産党だろうが独裁だろうが、為政者が国益・国体を守る限り体制を認める、しかし党中央がもし(日本のような)「売国」に走り「国益」が失われれば民衆は暴徒化する、それを中国の政治首脳部は十分わかって「国体護持の重責」を感じながら国家運営をしている。国体崩壊の恐怖心は、彼ら、いや、他民族による侵略の中で選択的に生き延びた結果である今の人間、即ち日本を除くほとんど全ての世界の民族に染み付いた、DNAなのである。

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「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ③」

2008-07-19 | やまつみの声さん投稿集
「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ③」
投稿者:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)

【空想による連帯の限界】
1975年4月、ポルポトのプノンペン入城を日本のマスコミは当初、無邪気に歓迎した。米帝の敗北・撤退とインドシナの赤化統一は意にかなった展開だった。後に暴かれたポルポトの暴虐に衝撃は走ったが、「虐殺はあった」「なかった」の空論議は、連帯する相手を見失った日本の左翼たちのセクト主義を露呈させただけで、ウヤムヤになり、そのうちカンボジアはニュースからも消えて行った。人は、自分に不都合な、見たくないものは、見えないのだろう。

それから10年余りたってPKOが始まると、憲法解釈をめぐってふたたびこの国に“日が当たった”が、「日本としてカンボジアの国と民族にどう向き合うのか」について真剣に語られることは少なかった。

【正義とは何か】
人はその気になれば人を殺せる。「憎しみ」に「正義感」が加わると抵抗も薄れる。ナチスも日帝も人民解放軍もポルポトも、正義を唱えながら人を殺した。「他人の信条を尊重する」などと言うは易く実践は難しい。その昔、反戦平和集会に紛れ込んだ右翼の妨害にいきり立った「平和学生」が右翼を指差し「ぶっ殺せ!」と叫ぶのを見た。共通するのは自分の正義、正義感が人を殺すのである、カンボジアの虐殺現場の跡を見て、そう思う。

-ザ・レイプ・オブ・プノンペン-
ポルポトのオンカーたちは街中で美しい娘を見つけると政治犯に仕立て逮捕・監禁し、尋問で陵辱の限りを尽くしながら殺したという。女優なども狙われ次々と餌食にされていった。「いまのカンボジアに美人が少ないのはポルポトが食べ尽くしたからだ」と、笑えぬ小話を耳にした。平気で人を殺せるならそれも「戦利品」くらいの軽い意識だったのだろうか。ポルポトが崇めた毛沢東も(日本の過激派学生も)下半身はだらしが無かった。しかし、こういう一部のクズの存在を理由にその集団全体を否定しても意味が無い。ポルポト派構成員たちの多くは「真面目」な気持ちで蛮行を行ったのであり、その真面目さこそが、危険をはらんでいたのである。

-猜疑心の芽生えと粛清-
中国共産党の落とし子であるポルポト派の尋問・拷問の方法は(当然ながら)中国のやり方と似ている。中国革命の指導者たちが(少なくとも最初の頃は)人民の幸福の為に自分を棄てた崇高な思想の持ち主だったことは確かだろう。そして、壮大なビジョンを掲げ大衆を導いた毛沢東は間違いなく偉大な指導者だった。ダライ・ラマも最初は毛沢東の思想に共鳴し、「自分の仏教思想は資本主義よりも社会主義の世界観に近い」と述べている。

しかし、崇高な理念は独善的正義に陥り易く、その偏狭さから「猜疑心」が生まれ、猜疑はそのうち同志にも向かう。ポルポト派による犠牲者には多数のポルポト兵・幹部自身も含まれる。こういう同志の粛清は共産主義運動の特徴のひとつといえる。

【キリングフィールド in Tibet】
中国・人民解放軍による50年以上にわたるチベット弾圧の犠牲者は120万人、チベット人口の1/5にあたる。1989年のラサ蜂起を弾圧・平定して名を挙げたのが、いまの中国共産党総書記、胡錦濤主席(であることはここの皆さんは良くご存知と思うが)。チベットでは今もキリング・フィールドが続いている。

今回のチベット蜂起・弾圧事件を伝えるテレ朝の報道ステが、「いままで中国を批判するのは右翼でしたが、これではリベラル派までが中国非難の側に回ってしまいます、中国は慎重な対応を・・・」とコメントするのを聞いて、私は唖然とした。古舘の脳回路では右翼の反対がリベラルらしい。

リベラル(liberal)の原意は「自由・寛容」でありその反語は「専制・独裁(tyranny)」、左・右の区分とは軸が違う。左右どちらにも独裁体制は生まれ、右の雄ナチスや日帝の犠牲者よりも社会主義独裁による犠牲者のほうが桁違いに多いのは事実。それは、右よりも左のほうが「真面目」で「正義感」が強いゆえに「ネクラ」で「憎しみ」や「猜疑心」も増幅しやすいからだろうか。猜疑心、それは寛容とは反対の理念である。真面目さ、正義感、憎しみ、猜疑などの要素が直列に硬直してつながり、鎖国状態の「情報閉鎖」も加わった最悪のシナジー効果がポルポト体制内部に生まれたのではないか。

もしベトナム戦争でアメリカが勝っていればポルポトの悲劇もなかったろう。しかし冷戦構造の歪みは先送りされ、日本にキリング・フィールドが生まれていたかもしれない。ポルポト派を狂気集団たらしめたファクターを、日本の「リベラル・政治団体」もひととおり備えているのであるから。

【無謬、すなわち誤らぬ、ゆえに謝らぬ「正義」】
他民族と接して感じる違和感の一つが「謝らない」ということ。失敗しても言い訳ばっかり。謝る意味のコトバはあっても使わない。特にアラブ人やイスラエル人、インド人、中国人は極端で、連中から殴られたら、謝るどころか「殴られるな!」と文句言われるくらいの覚悟がいる。

だから、先日のハンドボール判定を巡る「中東の笛」も私は「連中らしいな」と思っただけで腹も立たない。我々とは住む森が違うのであり、森が違えば掟も違う、フェアが不要は社会にアンフェアの規制は無い。根本的に異質な倫理観(システム)の中で生きている連中が存在することを、私はかつてアラブ諸国との数年間の付き合いを通して、肌で学んだ。

英語の謝罪「apologize」の原義は「apo(相手から離れて)logy(話す)→相手の攻撃をかわすために話すこと」、つまり「言い訳をすること」であり、日本語の「謝る」とは発想が違う、逆だといってよい。“I’m sorry.”で心が痛む(=sorry)のは自分の側であり、“Excuse me.” も“Beg pardon..”も俺を許したまえ」とまず相手に命じるのである。スペイン語の“Me Disculpe (私を許せ)”も同様。

一方、日本語の「謝る」は「誤る」と同源、つまり「自分の間違いを認めること」が謝ることなのである。「詫びる」も「侘びる(=迷惑をかける)」が転化したもので、自分が相手に損害を与えたことを認めること。日本人の謝罪は、あちらで言う神への「懺悔(confession)」に近い。中国語の「ごめんなさい(対不起)」にも日本的謝罪の意味は薄い。

欧米・アラブ社会での謝罪は「賠償」が前提だから、神には懺悔しても人相手には謝罪しない(だって損するのイヤだもん)。しかるに日本では、謝ればまわりの仲間が「許す」、謝ったあとで所属社会への復帰が可能になるから謝る。つまり、自分が所属するムラ社会が神なのである。

前頭葉の発達しすぎた人間は観念なしには生きられぬ、そのために宗教も生まれた。“考えてしまう”人間の宿命だ。しかし、砂漠に生まれた一神・啓示宗教を否定して作られた唯物史観・共産主義を、アジアの森が育んだ多神・自然宗教の文化に組み入れたとき、「混ぜると危険」な、とんでもない毒が生れてしまうのではないか。

【北朝鮮よ、お前は「どちら側」なのか】
この二年間、東アジアをあちこち巡ってきた。そして思う。明らかに中国が異質である。その国家・国民のメンタリティが中東的なのだ(彼らが生んだ儒教はどこへ行った?)。

まるで、闇の奇胎のような巨大中華クラゲがユーラシア大陸の東部にベタッと張り付き、腐海の毒を撒きながらさらに周囲を侵食しようとする。この中華クラゲを囲む小国たちは一様に反中感情を秘め持つ。私の印象では、その強さは①モンゴル、②チベット、③ベトナム、④韓国(+北朝鮮?)、⑤ラオス、⑥台湾、⑦フィリピン、⑧日本の順で、特に①~③では憎悪に近い。それは中国の、遠い過去から今なお続く中華思想(覇権主義)への恐怖と憎しみである。(チベットを中国が手放さないのは、反中に囲まれた中華饅頭となって窒息しない気道確保のためか)

このように東アジアを中国と“環中国”諸国の二相でとらえた場合、朝鮮半島の境目は、38度線ではなく、中朝国境にあるように思える。そしてもしそうなら、北朝鮮への攻め方の視点も少し変える必要があるのかもしれない。ラオス、ベトナムはいずれも社会主義・共産党独裁国家だが、対中姿勢では明らかに「こちら側」である。中国の覇権・侵略を防ぎかつ受益において日本が中国に取って代わるなら、それを交換条件に締めれば、拉致被害者などは放出するのではないか、相手がベトナムならたぶんそうする。

(ところで「国境なき記者団」、こういう連中、私は好きだな。)


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「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ②」

2008-07-18 | やまつみの声さん投稿集
「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ②」


投稿者:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)

【カンボジアの今】

カンボジア政府機関CMAC(地雷対策センター)が作成した地雷と不発弾の分布図に紛争の歴史が刻まれている。不発弾はベトナム戦争末期に米軍がホーチミンルートめがけて「撒き散らかした」ので国の東部に多く、地雷はポルポトが西へ追わられながら内戦時に「埋め散らかした」もので西部に多い。米軍は正確な爆弾投下記録を残しているので不発弾は追跡しやすいが、地雷は場所の特定が難しく人海戦術で探し潰すしかない。

埋まっている地雷の多くが中国製。ポルポトにそれを買う資金援助をしたのは米・英。国境付近の森にポルポトをかくまったのはタイ。ポルポトと対立するベトナム軍とヘンサムリンはソ連が支援した。この関係は当時の米+中vsソの冷戦構造をそのまま反映したものだ。日本はカンボジア紛争に関係は無い。なのに、何ゆえ、その後始末に日本の多額のカネ(税金)が使われたのか。紛争で儲けた連中のカネで日本が自衛隊派遣したのならまだ分かるが。

ナチスの残党狩りを続けるユダヤ人の執念に比べればポルポト派への追及は生ぬるく、ポルポト本人も捕まることなくカンボジアの森の中で天寿を全うした。今の政府内にも多くの元ポルポト派幹部がいる。加害者と被害者が同民族の中に混在しているからそう単純ではないのか、あるいは真犯人は外国で、カンボジア全体が被害者だと感じているのか。

紛争・虐殺の後遺症は、歪んだ人口構成や不発弾・地雷にだけでなく、人の心にも残る。技術も気力も乏しい労働者たち、必ずキックバックを要求してくる役人・政治家たち。2~3年前まではまだ素朴だったというが、最近進出の進む中国・韓国企業のワイロ攻勢に簡単に篭絡され、堕ちた。開発独裁で社会格差は広がるが、民衆に政府高官の不正を責め立てる気配はなく、「ポルポトの時代よりはマシ」といった諦めのぼやきを聞く。豊かな自然に恵まれながら労働生産性が低いから、農産物は国内需要をギリギリ満たすに過ぎない。

しかし、そのまま普通に暮らしていれば餓えることもない。それが彼らが望む自然の姿であれば、それで良いのかもしれない。

プノンペン市が面するトレンサップ川にかかる「日本橋。」 ポルポト派が破壊した橋を日本の支援で再建、そのときの日本人技術者の活躍と苦労はNHK番組プロジェクト・X「戦場にかける橋」でも紹介された。いま日本は対カンボジア二国間ODAのトップドナーである。




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「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ①」

2008-07-18 | やまつみの声さん投稿集
「カンボジア・キリングフィールドから、中国・チベット・北朝鮮を考える ①」

:やまつみの声 投稿日:2008年 4月15日(火)
【ポルポトの時代】
プノンペン市街地の中に、コンクリートの壁で囲まれた奇妙な静寂の空間がある。鉄筋コンクリート3階建てのビルが4つ。かつてここは学校だった。いま生徒たちの喚声は聞こえない。クメールルージュ(Khmer Rouge=ポルポト派=カンボジア共産党)はこの校舎を監獄として使った(原始共産制を目指す彼らは学校を廃止していた)。反革命分子を根絶するためのクメールルージュ直属の秘密機関、S-21が設置されたのである。ここで尋問・拷問を受け処刑された犠牲者は2万人。その中に2千人の子供も含まれる。赤ん坊は母親とまとめて処理された。

1979年1月にベトナム軍がここを開放したとき、尋問用ベッドに縛り付けられた14の遺体が残されていた。看守たちが逃げる際に皆殺しにした、最後の犠牲者たちだった。この収容所はいまトールスレーン虐殺博物館として保存されていて、逮捕時と処刑後に撮られた収容者たちの数千枚に及ぶ顔写真、拷問具などが並べてある。

当初の尋問には周囲の民家が使われたが、尋問官による女囚へのレイプが絶えないのでこの校舎を使うようにしたところ、処理の流れがスムーズになったという。看守には10~15歳の子供も加わった。ポルポトの洗脳教育を受けた子供たちは期待を上回る、恐るべき冷酷・残忍さを示したそうだ。「反革命」的言動をすれば自分の親でも容赦なく告発・処刑した。

拷問による自白で処刑が決まった囚人は、約15km離れた市の郊外までダンプトラックで運ばれて撲殺された。広い穴のふちの畝の上にひざまずき、頚椎に棍棒が振り下ろされると、囚人は前のめりに穴の中に転がり落ち、死体が積み重なっていった。同様な収容・処刑場は当時カンボジアのあちこちにあり、4年間のポルポト体制下における犠牲者は約200万人。当時の国民の約3分の1が殺されたことになる。

1988年にここに供養塔が建てられた。塔の内部に、掘り起こされた9千近い頭蓋骨が積み上げられている。後頭部が破損し穴の空いた頭蓋骨が目につく。その横に小さな折り紙が挟んであり、消えかけた日本の文字が「PEACE 平和を 祈ります」と読めた。

イデオロギーや宗教、民族の差を越えて、人間として自然に湧き上がるその気持ちを大切にしたい。タメにするコップの中の運動はウンザリだ。面子と意地の張り合いで中央銀行総裁の空席が続き、庶民生活を混乱させたまま暫定税率の議決すらできぬ日本。きっとカンボジアよりは平和なのだろうが、そろそろもう、新しい感性の世代に切り替わる時ではないか。

それにしても、残酷って何だろう。ライオンがシマウマを食べても残酷じゃない。人が自然の摂理を無視し、借り物の知識とアタマだけで行動するときにそれは生まれ、暴走を始めるように思う。


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モンゴルから中国・北朝鮮を見る

2008-07-17 | やまつみの声さん投稿集
モンゴルから中国・北朝鮮を見る

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月15日(土)

昨年の秋頃から、中国~モンゴル経由の脱北者が増えている。疲れきりやせ細った朝鮮人たちが、内モンゴル自治区との国境検問までたどり着き、そこからウランバートルの韓国大使館に助けを求め、韓国政府はビザを発給しいったんモンゴルへ入国させてから韓国へ移送している。

モンゴルは北朝鮮・韓国双方と国交をもち、北・南対等のスタンスから今回の六カ国協議の作業部会開催地となったわけだが、もともと朝鮮半島に対しては「同じ民族なのに韓国と北朝鮮の生活に差がありすぎる、一緒になるべき」という心情があり、「金正日は替えるべき」とも考えている。

モンゴルは、かつて中ソの陰謀によって彼ら自身が今なお民族分断されている「内モンゴル自治区」という緩衝帯を利用して、国境検問を経由する安全な方法で「脱北者支援」を行っている。政治的言動は表に出さずに実効的な「具体的対応」をしっかりとやっているのである。陸続きの国境で「敵」と接する緊張状態の中にあれば平和ボケは育たず、当たり前の国際感覚が生まれながらに染み付いているのだろう。

モンゴルは「ロシアと中国にサンドイッチ状態の内陸国」という、最悪とも言える地理的事情から、否応無くロシア・中国の影響を受けざるを得ないが、二世紀にわたる清朝支配から中国への反感が根強い。もっとも、いまの反中感情のベースは旧ソ連時代に中ソ対立構造下のプロパガンダの中で観念的に培われたものだったが、今経済開放で中国と実際に付き合う中で、中国・中国人への反感はさらに固定しつつある。

共産革命後のモンゴルはしばらくロシア寄り・ソ連邦の一共和国としての政治スタンスをとったが、ロシアが好きだったわけではない。モンゴル文字を奪いキリル文字を強制し宗教(モンゴルはチベット仏教)を弾圧・破壊したスターリン時代のソ連への反感が残り、ある政府関係者は「ソ連が我々に与えたものはウォッカの飲み方だけだ」と吐き棄てるように言った。しかし、モンゴルの親ソ路線のきっかけを作ったのは関東軍が仕掛けたノモンハン事件(モンゴルではハルハ河「戦争」)であるから日本も無関係ではない。

ところで今の彼らは(なぜか)おしなべてとても親日的である。朝青龍がいなくても、いま日本の大相撲には34人ものモンゴル力士がいて(各地方から選りすぐりの少年たちを日本へ送り込んでいる)、場所中はモンゴル国内の4局のTVで生中継され、いまやモンゴル相撲より日本の大相撲のほうが人気が高く、日本人力士のことについても詳しい。ゲルの連中も馬の乳搾りさぼって太陽電池のTVで相撲中継に見入っている。蒙古斑を持ち言語もメンタリティーも宗教観(チベット仏教+アニミズム)も日本人に近く、かつ親日感情の強いモンゴルは、日本の重要なパートナーとなりうる。

ちなみに彼らは「日本人拉致事件」のことも知っているが、彼らはこれを(普遍的な)人権問題ではなく『日本と北朝鮮の二国間問題』として捉える傾向がある。

【新たなる民族浄化】

現在、若者を中心とする2万人のモンゴル人の男が韓国へ労働者として出稼ぎに出ている。そして、まるでそれを補填するかのように、中国の男たち2万人がモンゴル・ウランバートルの工事現場へ送り込まれている。このため結婚相手の不足する年頃のモンゴル女性と中国人出稼ぎ労働者との婚姻が急増、結婚した中国人男は(なぜか格下の)モンゴル国籍を取得する。夫が出稼ぎで不在のモンゴル人妻にも手を出し子供を産ませる。

日本の4倍の国土面積をもち、中国からそのまま続く広大で豊かな牧草地を持つモンゴルは、人口の膨らみすぎた中国にとって魅力的な「人口の捌け口」である。チベットの民族浄化では人民軍兵士による「強姦による種付け」が行われてきたが、国際世論の反発を避けたい中国はこのモンゴル方式を考え出した、そしてそれを可能にするモンゴル、韓国、中国間の密約がある・・・という話を、さるスジから聞いた。

【汚れちまった悲しみに】

美しく変えるには日本の国は汚れすぎていたのだろう。辞意表明をする安倍総理の憔悴した表情を見て、中原中也の詩を思った。(中也は安倍氏の父と祖父が通った旧制山口中学の同窓でもある。)

拉致の事実が露呈したとき、我々はそのあまりの理不尽さに率直に驚き、怒った。しかしあの日から5年経っても本質的には何も解決していないという現実は、この問題が「拉致という行為」だけではなく、その事実を前に何も動けないこの国の構造が芯まで腐っていることを示している。

日本人よ、政治家も“市民”も“国民”も、右も左も中道も、資本家も労働者も、金持ちも貧乏人も、いったいどれほどの日本人が、本気で「世界の中の日本のありかた」を考えているのか。目先の「政敵」の誤謬を懸命にほじくり出しては得意満面「鬼の首を取ったように」喜び勇んで足を引っ張る、政策議論よりもアラ捜しの人格否定に専心する政治家、マスコミ、そしてそれに踊る国民。ドロ舟は自民党だけではない、この国まとめてドロ舟じゃないのか。

首相になる前、安倍氏の拉致事件での仕事ぶりは頼もしかった。冴えていた。しかし、私は安倍氏を嫌いではないが特に好きでもなく、情を感じる縁もない。首相としては経験・力量不足、地盤・ブレーン集団の欠如も致命的であり、今の「安倍内閣」を私は支持しない、今の彼にはまだ、このドロ舟全体を管理統率する能力は無い。しかし彼の信念に穢れは無いように思う(むしろ愚直に過ぎる)。意地汚い利権・エゴイズム・嫉妬に満ちたドロ舟の雑務なんざ、他の老練タヌキ総理にまかせてといて、安倍氏が再び拉致事件に専念し本領を発揮してくれることを、私は願っている。

【中国は取り囲まれている】

この一年余り、中国をベースにその隣国をほぼぐるり一周、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ラオス、タイ、モンゴルと巡ってきた。その結果、中国を除くほぼ全てのこれらの国が基本的に親日・尊日・好日的な感情を持ち、ラオスを除くほぼ全ての国に中国への反感が根強く染み込んでいることを、私は肌で感じた。ただしどの国も反中国感情を政治的には表に出さず、どうやって中国の政治・経済侵略を食い止め、環境破壊や中国人犯罪を排除するか、その具体的方策の立案・対応に腐心している。表向きは机上で握手しつつ机下で蹴たぐりあうのがオトナの外交だ。

昨夜、TBSのニュース23だったか、「日中国交正常化35周年記念」なる楊貴妃の舞台劇紹介で、森山良子の歌う「中国賛美歌」を「小泉靖国参拝vs中国の反日デモ」のシーンをダブらせて流していた。・・・こういう、現実を見据えぬ、あるいは見る勇気が無い、あるいは単なる無知ゆえの思い込みで感傷的・能天気に自己陶酔し、「歌に国境はありませんから・・・」などと臭いセリフを平気でのたまう、いい歳こいたオトナの愚鈍な姿を見せられると、私は反吐(ヘド)が出そうになる。然るに、「チョン」だの「チャンコロ」だの「シナ人」だのと観念で遊んでいる幼稚な手合いも同様、チョン・チャンコロ以下の下衆に過ぎぬ。観念の世界に自己満足しているだけでは事態は動かない。

最近、韓国企業と付き合う機会が増えた。世界展開する韓国メーカーの40歳前後の中堅・若手社員たち、精神的にも技術的にもしっかりしていて、なかなか手ごわい。初めて大韓航空にも乗ったが客室乗務員の「見た目」はJALより上。対北戦時体制の緊張感と徴兵制が若者たちの精神と肉体を鍛えているのだろうか。彼らから学ぶものも多そうだ。いずれ韓国の視点からも北朝鮮を見てみたいと思っている。

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ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮

2007-10-17 | やまつみの声さん投稿集
ミャンマーで日本人ジャーナリストが「殺された」背景と北朝鮮


投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月29日(土)01時48分30秒

北朝鮮の「利権問題」にはケリがついた。つけるためにヒルを色仕掛け篭絡したのは北朝鮮・・・を動かしたアングロサクソンのアングラだった。ケリがついた北は「悪の枢軸」に残せない。アフガンも当面「英国管理」に委ねることが水面下で固まった。イラクは思惑外れて見通しが立たぬ。で、用済みの北朝鮮の補填候補にミャンマーが選ばれた。軍事政権崩壊・民主化移行期の過程(ドサクサ)で「政治経済の要所を押さえる」ために。

先日の豪州でブッシュがその名を間違えてまで(=もともと興味もなかった)「アウンサン・スーチー」に言及したのは、今回の布石。仕掛けたのはネオコン? 違う違う(何でもかんでもネオコン・ネオリベのせいにするなよ、思考停止小児病サヨクじゃあるまいし)、正体はその“上”にいる「英国銀行」あたり(らしい)。ミャンマーはもと英国の植民地でアウンサン・スーチーはイギリスと個人的関係も深い、夫も英国人だった。

「ミャンマー版タリバン」として軍事政権を崩壊させるにあたって、崩壊を肯定する世論形成のために、アジアの“宗主”日本の「北朝鮮の軍事独裁に甘くミャンマーの軍事独裁に厳しいサヨク的万年平和ボケマスコミ」の特性を利用し世論誘導するために日本人ジャーナリストを「殺させた。」 べつに、簡単である。兵士の一部を買収しターゲットを教え引金を引かせればよい。

・・・という話を今日さるスジから聞いた。確証は無く、そのスジの者も実際に関わったわけではないが、私の心証では70%くらいの確率でこの情報は事実だと思っている。

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モンゴルから中国・北朝鮮を見る

2007-10-17 | やまつみの声さん投稿集
モンゴルから中国・北朝鮮を見る

蒼き星々メインボードへの投稿より


投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年 9月15日(土)21時26分18秒

昨年の秋頃から、中国~モンゴル経由の脱北者が増えている。疲れきりやせ細った朝鮮人たちが、内モンゴル自治区との国境検問までたどり着き、そこからウランバートルの韓国大使館に助けを求め、韓国政府はビザを発給しいったんモンゴルへ入国させてから韓国へ移送している。

モンゴルは北朝鮮・韓国双方と国交をもち、北・南対等のスタンスから今回の六カ国協議の作業部会開催地となったわけだが、もともと朝鮮半島に対しては「同じ民族なのに韓国と北朝鮮の生活に差がありすぎる、一緒になるべき」という心情があり、「金正日は替えるべき」とも考えている。

モンゴルは、かつて中ソの陰謀によって彼ら自身が今なお民族分断されている「内モンゴル自治区」という緩衝帯を利用して、国境検問を経由する安全な方法で「脱北者支援」を行っている。政治的言動は表に出さずに実効的な「具体的対応」をしっかりとやっているのである。陸続きの国境で「敵」と接する緊張状態の中にあれば平和ボケは育たず、当たり前の国際感覚が生まれながらに染み付いているのだろう。

モンゴルは「ロシアと中国にサンドイッチ状態の内陸国」という、最悪とも言える地理的事情から、否応無くロシア・中国の影響を受けざるを得ないが、二世紀にわたる清朝支配から中国への反感が根強い。もっとも、いまの反中感情のベースは旧ソ連時代に中ソ対立構造下のプロパガンダの中で観念的に培われたものだったが、今経済開放で中国と実際に付き合う中で、中国・中国人への反感はさらに固定しつつある。

共産革命後のモンゴルはしばらくロシア寄り・ソ連邦の一共和国としての政治スタンスをとったが、ロシアが好きだったわけではない。モンゴル文字を奪いキリル文字を強制し宗教(モンゴルはチベット仏教)を弾圧・破壊したスターリン時代のソ連への反感が残り、ある政府関係者は「ソ連が我々に与えたものはウォッカの飲み方だけだ」と吐き棄てるように言った。しかし、モンゴルの親ソ路線のきっかけを作ったのは関東軍が仕掛けたノモンハン事件(モンゴルではハルハ河「戦争」)であるから日本も無関係ではない。

ところで今の彼らは(なぜか)おしなべてとても親日的である。朝青龍がいなくても、いま日本の大相撲には34人ものモンゴル力士がいて(各地方から選りすぐりの少年たちを日本へ送り込んでいる)、場所中はモンゴル国内の4局のTVで生中継され、いまやモンゴル相撲より日本の大相撲のほうが人気が高く、日本人力士のことについても詳しい。ゲルの連中も馬の乳搾りさぼって太陽電池のTVで相撲中継に見入っている。蒙古斑を持ち言語もメンタリティーも宗教観(チベット仏教+アニミズム)も日本人に近く、かつ親日感情の強いモンゴルは、日本の重要なパートナーとなりうる。

ちなみに彼らは「日本人拉致事件」のことも知っているが、彼らはこれを(普遍的な)人権問題ではなく『日本と北朝鮮の二国間問題』として捉える傾向がある。

【新たなる民族浄化】

現在、若者を中心とする2万人のモンゴル人の男が韓国へ労働者として出稼ぎに出ている。そして、まるでそれを補填するかのように、中国の男たち2万人がモンゴル・ウランバートルの工事現場へ送り込まれている。このため結婚相手の不足する年頃のモンゴル女性と中国人出稼ぎ労働者との婚姻が急増、結婚した中国人男は(なぜか格下の)モンゴル国籍を取得する。夫が出稼ぎで不在のモンゴル人妻にも手を出し子供を産ませる。

日本の4倍の国土面積をもち、中国からそのまま続く広大で豊かな牧草地を持つモンゴルは、人口の膨らみすぎた中国にとって魅力的な「人口の捌け口」である。チベットの民族浄化では人民軍兵士による「強姦による種付け」が行われてきたが、国際世論の反発を避けたい中国はこのモンゴル方式を考え出した、そしてそれを可能にするモンゴル、韓国、中国間の密約がある・・・という話を、さるスジから聞いた。

【汚れちまった悲しみに】

美しく変えるには日本の国は汚れすぎていたのだろう。辞意表明をする安倍総理の憔悴した表情を見て、中原中也の詩を思った。(中也は安倍氏の父と祖父が通った旧制山口中学の同窓でもある。)

拉致の事実が露呈したとき、我々はそのあまりの理不尽さに率直に驚き、怒った。しかしあの日から5年経っても本質的には何も解決していないという現実は、この問題が「拉致という行為」だけではなく、その事実を前に何も動けないこの国の構造が芯まで腐っていることを示している。

日本人よ、政治家も“市民”も“国民”も、右も左も中道も、資本家も労働者も、金持ちも貧乏人も、いったいどれほどの日本人が、本気で「世界の中の日本のありかた」を考えているのか。目先の「政敵」の誤謬を懸命にほじくり出しては得意満面「鬼の首を取ったように」喜び勇んで足を引っ張る、政策議論よりもアラ捜しの人格否定に専心する政治家、マスコミ、そしてそれに踊る国民。ドロ舟は自民党だけではない、この国まとめてドロ舟じゃないのか。

首相になる前、安倍氏の拉致事件での仕事ぶりは頼もしかった。冴えていた。しかし、私は安倍氏を嫌いではないが特に好きでもなく、情を感じる縁もない。首相としては経験・力量不足、地盤・ブレーン集団の欠如も致命的であり、今の「安倍内閣」を私は支持しない、今の彼にはまだ、このドロ舟全体を管理統率する能力は無い。しかし彼の信念に穢れは無いように思う(むしろ愚直に過ぎる)。意地汚い利権・エゴイズム・嫉妬に満ちたドロ舟の雑務なんざ、他の老練タヌキ総理にまかせてといて、安倍氏が再び拉致事件に専念し本領を発揮してくれることを、私は願っている。

【中国は取り囲まれている】

この一年余り、中国をベースにその隣国をほぼぐるり一周、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ラオス、タイ、モンゴルと巡ってきた。その結果、中国を除くほぼ全てのこれらの国が基本的に親日・尊日・好日的な感情を持ち、ラオスを除くほぼ全ての国に中国への反感が根強く染み込んでいることを、私は肌で感じた。ただしどの国も反中国感情を政治的には表に出さず、どうやって中国の政治・経済侵略を食い止め、環境破壊や中国人犯罪を排除するか、その具体的方策の立案・対応に腐心している。表向きは机上で握手しつつ机下で蹴たぐりあうのがオトナの外交だ。

昨夜、TBSのニュース23だったか、「日中国交正常化35周年記念」なる楊貴妃の舞台劇紹介で、森山良子の歌う「中国賛美歌」を「小泉靖国参拝vs中国の反日デモ」のシーンをダブらせて流していた。・・・こういう、現実を見据えぬ、あるいは見る勇気が無い、あるいは単なる無知ゆえの思い込みで感傷的・能天気に自己陶酔し、「歌に国境はありませんから・・・」などと臭いセリフを平気でのたまう、いい歳こいたオトナの愚鈍な姿を見せられると、私は反吐(ヘド)が出そうになる。然るに、「チョン」だの「チャンコロ」だの「シナ人」だのと観念で遊んでいる幼稚な手合いも同様、チョン・チャンコロ以下の下衆に過ぎぬ。観念の世界に自己満足しているだけでは事態は動かない。

最近、韓国企業と付き合う機会が増えた。世界展開する韓国メーカーの40歳前後の中堅・若手社員たち、精神的にも技術的にもしっかりしていて、なかなか手ごわい。初めて大韓航空にも乗ったが客室乗務員の「見た目」はJALより上。対北戦時体制の緊張感と徴兵制が若者たちの精神と肉体を鍛えているのだろうか。彼らから学ぶものも多そうだ。いずれ韓国の視点からも北朝鮮を見てみたいと思っている。

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ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮

2007-10-17 | やまつみの声さん投稿集
ふたたびモンゴルより中国・北朝鮮
蒼き星々掲示板の投稿より

投稿者:やまつみの声 投稿日:2007年10月16日(火)23時39分31秒




いま、モンゴルの国民人口は260万人、北朝鮮よりも少ない。しかしモンゴル族は2000万人もいる、その多くは中国内モンゴル自治区とロシアシベリアに分布する。もともとソ連・中国の密約で行われたその分割の目的は、「モンゴル族の愚民化・無力化」にある。清朝支配時代から中国はモンゴル族の有能な青年を選んで(結婚できない)僧侶にしていった。辛亥革命後もソ連・スターリン支配時代には、その僧侶を中心に知識・支配階層の国民10数万人が片っ端から粛清されていった。この有能・知識階層の喪失はいまだに禍根を引きずる。カンボジア・ポルポトの原型もここにある。そしてそれは、スペイン人コンキスタドーレ(征服者)によるインカ帝国の知識階層の選択的虐殺処刑に遠く呼応する(知識階層が消滅したため剃刀の歯も通さないインカ壁の石積み加工技術もナスカの頭蓋手術も歴史の闇に閉ざされたまま全く今に伝わっていない)。

蒼き狼チンギスハーン。モンゴル人にとって建国の英雄であるが、ロシア・東欧人には「タタールのくびき」の元凶であり、その名をソ連圏社会主義時代には公然と口にすることもできなかった。当時の学校教育のモンゴル史は1921年の社会主義革命から始まり、それ以前の歴史は教えることを禁止された。しかしソ連圏からの独立・自由化を機にチンギスハーンの名誉も復活、今の英雄視ぶりは過剰なくらいである。昨年は国を挙げて「チンギスハーン建国800年」を祝った。

つまり、歴史は「作られる」ものであり、「消される」ものなのである。歴史認識問題とはとどのつまり「誰のための歴史か」という問題である。

その歴史が動くとき、特に社会主義から資本主義への急速な転換期は政治・社会腐敗を生む。東欧・ソ連だけではない、モンゴルでは今それが進行している。マスの経済は向上しつつも貧富の差の拡大が国民の精神不安定を生じ殺人事件も増え新興宗教に流れる連中が急増している。そういう中に資本主義化の陰の汚物として発生したマフィアがいま経済から政治マフィア化しつつあり、中国との結託をはじめた。

最近ウランバートル市内名物の「マンホール・チルドレン」(と聞いてわからない人は「天才柳沢教授の生活124~126話ご参照)が減ってきた。経済が良くなったからではない。中国人がかっさらってマカオ経由で女は売春、男は臓器売買に回され(つまり殺され)ているらしい。中国ブローカーは政治家とマスコミを(賄賂で)おさえているから、政治問題化せず市民の「噂」に留まっている。

独裁政治体制が解かれた直後の社会の混沌は、そういう連中にとってはとっても「おいしい」餌だらけの社会でもある。ハゲタカは腐った内臓を飲み込んで食う。東アジアにあと残る餌場が、「北朝鮮」。

(いま日本で活躍するモンゴル力士は、こういう社会の混沌の中でモンゴル国民が精神的によすがとする「民族の英雄」であり、朝青龍問題をそういう視点でも少しは見てほしい・・・と朝青龍の同郷の知人にさっきウランバートルの居酒屋でたのまれた)


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