そして再び、わが祖国日本
投稿者:やまつみの声
日本人社会から行動規範が消え去り、諦めに似た空気とともに生きる力が弱くなっている。先進国でありながら、この石油高、食料高騰への抗議行動においてアジア途上国の後塵を拝する状態なのは何故か、不思議に感じていた。理念・哲学のない大衆・政治運動は存在し得ない。
社会への問題意識を醸成する場合、島国は不利である。海に囲まれた島は八方に開いているようで壁の中と同じ、内側に一人でいると「引きこもり」に似たイライラが募り、暴発するとナイフ持って表通りに飛び出したくなるのだろうか。
江戸時代までの日本は国内300諸藩の多様性と身分序列の緊張感が存在した。武士道精神は武士のみならず農民、商人、職人にも敷衍して「精神のかたち」をつくり行動を規定していた。しかし明治維新による中央集権国家は藩の壁を取り払い均質化を強制し、方言禁止令さえ出た。多細胞から単細胞社会への転換である。
単細胞の閉じた空気は腐りやすい。大陸進出は(その結果は置いといて)、閉塞空間に外気を取り込みたい本能だったのではないか。江戸末期の志士や為政者、大陸進出期の国民・上海ゴロのほうが今の日本人、福田や山拓よりも国家の意味、国際感覚を「肌で理解」していたように感じる。
日本が同じ島国のイギリスと違うのは、戦後、植民地を取りあげられ再び島の中に閉じ込められたということ。そして田舎の秀才を東京に集めた東京を細胞核とするさらに巨大な単一細胞社会ができあがり、地方は血行不良化する。左右、労使間など二項対立構造で保たれていた多細胞性も冷戦終結で政治運動の動機付けが弱まった。緊張感の無い平和ボケ社会での平和運動は維持が難しい。
生物の進化のアクションは元来リアクションとして生まれたもので、対立構造が生命力を活性化する、ライバルがいるから名勝負が成り立つ。インプットが無ければアウトプットも無いままに細胞機能は劣化してゆく。
これまで私は40カ国余りの地域でさまざまな民族に接してきたが、日本人ほどマメに本を読む民族はいないだろう、書店の蔵書の充実も類例がない。ベトナム(実はいまここにいる)の識字率は94%、途上国の中で驚異的に高いことが投資先としての魅力の一つだが、実は、この数字は明治維新時の日本人の識字率と同じなのである。昨今の異常なネットブームも、外部情報のインプットで心に刺激を与え続けたい生命本能なのではないか。
この板の立ち上げのころ(もう6年近く前だ)、「是々非々」ということばが右左それぞれの立場から出たと記憶する。ではその是々非々の判定基準、principleはいったい何なのか。絶対的な是は無く、絶対的な非も無い。二人の遭難者に一人用の筏しかなければ、双方にとっての緊急避難、相反する是々非々が同時に成り立つ。
魚を飼うときには水槽に張る水作りから始める。水族館も水槽の裏に巨大な制水設備があり、人が見ているのはその一部である。ディズニーランドも展示場(exhibition)よりもそれを支える付帯設備の面積のほうが広いのである。閉塞状態の水槽の水質を悪化させ魚を弱らせる主要因は、魚が自らの体から出す排泄物アンモニアである。
毎年3万人以上もの国民が自殺するのも空気が低下したためだろう。仕事が辛いくらいでは人は死ねない。頑張るものがない、あっても頑張れない、生きる張りも無い、そういう空気が元凶。
国、社会、家族、職場、学校の諸問題、一つの事象だけを切り離してはメカニズムが分からない。北朝鮮拉致事件に対する政治家の「職務放棄」と、秋葉の無差別殺傷事件のメンタリティーは、同じ土壌に生えた奇態なのではないか。
(以上、つらつら考えたが結論が纏まらぬ、失敬.)
蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板より
投稿者:やまつみの声
日本人社会から行動規範が消え去り、諦めに似た空気とともに生きる力が弱くなっている。先進国でありながら、この石油高、食料高騰への抗議行動においてアジア途上国の後塵を拝する状態なのは何故か、不思議に感じていた。理念・哲学のない大衆・政治運動は存在し得ない。
社会への問題意識を醸成する場合、島国は不利である。海に囲まれた島は八方に開いているようで壁の中と同じ、内側に一人でいると「引きこもり」に似たイライラが募り、暴発するとナイフ持って表通りに飛び出したくなるのだろうか。
江戸時代までの日本は国内300諸藩の多様性と身分序列の緊張感が存在した。武士道精神は武士のみならず農民、商人、職人にも敷衍して「精神のかたち」をつくり行動を規定していた。しかし明治維新による中央集権国家は藩の壁を取り払い均質化を強制し、方言禁止令さえ出た。多細胞から単細胞社会への転換である。
単細胞の閉じた空気は腐りやすい。大陸進出は(その結果は置いといて)、閉塞空間に外気を取り込みたい本能だったのではないか。江戸末期の志士や為政者、大陸進出期の国民・上海ゴロのほうが今の日本人、福田や山拓よりも国家の意味、国際感覚を「肌で理解」していたように感じる。
日本が同じ島国のイギリスと違うのは、戦後、植民地を取りあげられ再び島の中に閉じ込められたということ。そして田舎の秀才を東京に集めた東京を細胞核とするさらに巨大な単一細胞社会ができあがり、地方は血行不良化する。左右、労使間など二項対立構造で保たれていた多細胞性も冷戦終結で政治運動の動機付けが弱まった。緊張感の無い平和ボケ社会での平和運動は維持が難しい。
生物の進化のアクションは元来リアクションとして生まれたもので、対立構造が生命力を活性化する、ライバルがいるから名勝負が成り立つ。インプットが無ければアウトプットも無いままに細胞機能は劣化してゆく。
これまで私は40カ国余りの地域でさまざまな民族に接してきたが、日本人ほどマメに本を読む民族はいないだろう、書店の蔵書の充実も類例がない。ベトナム(実はいまここにいる)の識字率は94%、途上国の中で驚異的に高いことが投資先としての魅力の一つだが、実は、この数字は明治維新時の日本人の識字率と同じなのである。昨今の異常なネットブームも、外部情報のインプットで心に刺激を与え続けたい生命本能なのではないか。
この板の立ち上げのころ(もう6年近く前だ)、「是々非々」ということばが右左それぞれの立場から出たと記憶する。ではその是々非々の判定基準、principleはいったい何なのか。絶対的な是は無く、絶対的な非も無い。二人の遭難者に一人用の筏しかなければ、双方にとっての緊急避難、相反する是々非々が同時に成り立つ。
魚を飼うときには水槽に張る水作りから始める。水族館も水槽の裏に巨大な制水設備があり、人が見ているのはその一部である。ディズニーランドも展示場(exhibition)よりもそれを支える付帯設備の面積のほうが広いのである。閉塞状態の水槽の水質を悪化させ魚を弱らせる主要因は、魚が自らの体から出す排泄物アンモニアである。
毎年3万人以上もの国民が自殺するのも空気が低下したためだろう。仕事が辛いくらいでは人は死ねない。頑張るものがない、あっても頑張れない、生きる張りも無い、そういう空気が元凶。
国、社会、家族、職場、学校の諸問題、一つの事象だけを切り離してはメカニズムが分からない。北朝鮮拉致事件に対する政治家の「職務放棄」と、秋葉の無差別殺傷事件のメンタリティーは、同じ土壌に生えた奇態なのではないか。
(以上、つらつら考えたが結論が纏まらぬ、失敬.)
蒼き星々 北朝鮮に拉致された被害者と家族を支援する人の集う掲示板より