2005年8月30日(火)
つくる会の歴史・公民教科書は、昨年一次帰国したときに市販本を買って読んだ。実際にあの本を読んだ反対派は困ったんじゃないかな、振り上げた拳がおろせなくて。「勉強会」をやっても騒ぐほどの問題点が見つからないから、「戦争賛美のケシカラン連中が作った教科書だから戦争賛美でケシカラン」というトホホな結論になり、いつもの「半島・中国」の仲間に協力頼んでてマスコミ取材させてそのテレビ放映を見て、「よし、やることはやった」と自己満足、ってか。
昨今の教科書問題は「意地でも掲載したい」側と「意地でも掲載させたくない」側の大人同士の意地の張り合いで、当の子供たちは冷めている(そもそも教科書をまともに読んでるのかいな)。子供たちは、そういう大人たちの大人げない政治的メンツの張り合いをクールに眺めながらも、問題のポイントは把握してるように思う。私が読み終えて置いていた「市販本」を、高2の息子は勝手に部屋に持っていってゴソゴソ読んでいたようで「これ、最近話題のやつだね」と返してきた。「今使っている教科書と比べてどうだ?」と聞いたら「うん、まぁね・・・」と含みのある返事をしただけ、私もそれ以上聞かなかった。(本は親が子に読めと言えば読まず、読むなという本を子は読みたがる・・・反抗期の自分がそうだった)。
>浅川巧、阿弖流為、杉原千畝、長屋王、安重根、シャクシャイン、知里幸恵、李舜臣
momoedakeさんが挙げられた上の歴史人物は、その教科書掲載を要求した連中の人間的嫌らしさは別にして、やはり知っておくべきと私は思う、もちろん、日本のなりたちの礎となった人物をきちんと知った上での、補助的な歴史人物として。(杉原千畝は、瀋陽日本領事館の脱北者引き渡し事件と並べると分かりやすい。)
長い人類史の中で、加害者・被害者双方の経験のない国・民族は無いだろう。多くが弥生人の末裔である我々現代日本人は縄文・アイヌ人の累々たる屍の上に立っており、その縄文・アイヌの分身(mtDNAが最も近い)のケチュア~アイマラ族は南米アンデスに大侵略帝国築き、それをスペイン人が襲い破壊し黄金を略奪した400年後にそのスペイン系白人支配階層を押さえて君臨したのが、弥生人の末裔フジモリ、そのフジモリを引きずり降ろしたのが縄文・アイヌ分派ケチュア族の現トレド大統領だ。したがって、太平洋をはさんだ今のフジモリvsトレドのケンカは、数千年の時の流れを越え世界をまたぐ弥生人vs縄文人の末裔同士の戦いと言えるのだ(以上、一部曖昧な部分も混じっております)。
日本が加害者であったときの被害者の立場を知ることは、『自分の属する日本という国とそこに住む人々と文化と歴史を他の国のそれよりも自分にとっては大切だと感じる人々の側』(←これを『右翼の側』と書きかけてやめた、誰か新語を造ってくれ)にとって大切なことだ、それを知ることが、中国・北朝鮮・韓国の現在の横暴危険な振る舞いを押さえることにもなる。
やや露骨に言えば、①自分が与えた相手の傷を確認すること、②それを謝罪すること、そして③実際に補償することは、それぞれ別の問題だ(原爆投下した米国は日本の損傷データを徹底的に調べたが被爆者への謝罪も補償も無い、つまり①だけ。②~③をしないのは、米国にとってそれをしないほうが良いから)。
相手がどんなワルでも、こっちが先に足を踏んでしまったら、踏んだことは認めて「すまなかった」と言わねばならなぬ。つぶれた靴を弁償するのも仕方ない。しかし「骨も折れた、治療費も寄こさんかい」とワルの言うままに余計な弁償する必要はなく、さらに、もし弁償した靴でそのワルが別の人間をの足を踏んづけるのが分かっていれば弁償してもいけない、当然だ。もし過去に日本が与えた損害を理由に現在の中国・北朝鮮の国家犯罪を認めるなら、過去と現在トータルの犠牲者が増えるばかりだ。北東アジアの平和と安全を願うならこそ、現在の中国・北朝鮮の国家犯罪に加担するような謝罪や援助は一切してはならず、むしろ現在の彼等の動きを牽制する義務が、過去の加害者日本にこそある。
踏んだ側として靴のつぶれ具合を確認するのは、ワルを増長させないためにも大切なことなのに、「水たまりを避けるためだ、足を踏んだのはしょうがない」などとアラブ・イスラムみたいな事をいうから、墓穴を掘る(そういう言い方するなら何も言わない方がまだマシ、こらえきれずに先に踏んだ日本は辛抱負け、パールハーバーを先に踏ませたアメリカは作戦勝ち、しょうがないじゃん)。その結果、過去の日中戦争、靖国問題、現代中国・北朝鮮の国家犯罪が、同じ中華テーブルの上に一緒くたに乗ってグルグル回ってしまい収拾がつかなくなる、これはひょっとして、中国の謀略にまんまと引っかかっているんじゃないか?
ところで、これはあくまで私の個人的見解ですが、社会思想立場の軸足は右に、一方の補助足を左に置くのが、程良い案配だと思う。両足とも右または左に揃えて置くとバランスを崩して倒れやすい。ただし、左足は軸足には向かない、体重を支えきれず折れる。
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つくる会の歴史・公民教科書は、昨年一次帰国したときに市販本を買って読んだ。実際にあの本を読んだ反対派は困ったんじゃないかな、振り上げた拳がおろせなくて。「勉強会」をやっても騒ぐほどの問題点が見つからないから、「戦争賛美のケシカラン連中が作った教科書だから戦争賛美でケシカラン」というトホホな結論になり、いつもの「半島・中国」の仲間に協力頼んでてマスコミ取材させてそのテレビ放映を見て、「よし、やることはやった」と自己満足、ってか。
昨今の教科書問題は「意地でも掲載したい」側と「意地でも掲載させたくない」側の大人同士の意地の張り合いで、当の子供たちは冷めている(そもそも教科書をまともに読んでるのかいな)。子供たちは、そういう大人たちの大人げない政治的メンツの張り合いをクールに眺めながらも、問題のポイントは把握してるように思う。私が読み終えて置いていた「市販本」を、高2の息子は勝手に部屋に持っていってゴソゴソ読んでいたようで「これ、最近話題のやつだね」と返してきた。「今使っている教科書と比べてどうだ?」と聞いたら「うん、まぁね・・・」と含みのある返事をしただけ、私もそれ以上聞かなかった。(本は親が子に読めと言えば読まず、読むなという本を子は読みたがる・・・反抗期の自分がそうだった)。
>浅川巧、阿弖流為、杉原千畝、長屋王、安重根、シャクシャイン、知里幸恵、李舜臣
momoedakeさんが挙げられた上の歴史人物は、その教科書掲載を要求した連中の人間的嫌らしさは別にして、やはり知っておくべきと私は思う、もちろん、日本のなりたちの礎となった人物をきちんと知った上での、補助的な歴史人物として。(杉原千畝は、瀋陽日本領事館の脱北者引き渡し事件と並べると分かりやすい。)
長い人類史の中で、加害者・被害者双方の経験のない国・民族は無いだろう。多くが弥生人の末裔である我々現代日本人は縄文・アイヌ人の累々たる屍の上に立っており、その縄文・アイヌの分身(mtDNAが最も近い)のケチュア~アイマラ族は南米アンデスに大侵略帝国築き、それをスペイン人が襲い破壊し黄金を略奪した400年後にそのスペイン系白人支配階層を押さえて君臨したのが、弥生人の末裔フジモリ、そのフジモリを引きずり降ろしたのが縄文・アイヌ分派ケチュア族の現トレド大統領だ。したがって、太平洋をはさんだ今のフジモリvsトレドのケンカは、数千年の時の流れを越え世界をまたぐ弥生人vs縄文人の末裔同士の戦いと言えるのだ(以上、一部曖昧な部分も混じっております)。
日本が加害者であったときの被害者の立場を知ることは、『自分の属する日本という国とそこに住む人々と文化と歴史を他の国のそれよりも自分にとっては大切だと感じる人々の側』(←これを『右翼の側』と書きかけてやめた、誰か新語を造ってくれ)にとって大切なことだ、それを知ることが、中国・北朝鮮・韓国の現在の横暴危険な振る舞いを押さえることにもなる。
やや露骨に言えば、①自分が与えた相手の傷を確認すること、②それを謝罪すること、そして③実際に補償することは、それぞれ別の問題だ(原爆投下した米国は日本の損傷データを徹底的に調べたが被爆者への謝罪も補償も無い、つまり①だけ。②~③をしないのは、米国にとってそれをしないほうが良いから)。
相手がどんなワルでも、こっちが先に足を踏んでしまったら、踏んだことは認めて「すまなかった」と言わねばならなぬ。つぶれた靴を弁償するのも仕方ない。しかし「骨も折れた、治療費も寄こさんかい」とワルの言うままに余計な弁償する必要はなく、さらに、もし弁償した靴でそのワルが別の人間をの足を踏んづけるのが分かっていれば弁償してもいけない、当然だ。もし過去に日本が与えた損害を理由に現在の中国・北朝鮮の国家犯罪を認めるなら、過去と現在トータルの犠牲者が増えるばかりだ。北東アジアの平和と安全を願うならこそ、現在の中国・北朝鮮の国家犯罪に加担するような謝罪や援助は一切してはならず、むしろ現在の彼等の動きを牽制する義務が、過去の加害者日本にこそある。
踏んだ側として靴のつぶれ具合を確認するのは、ワルを増長させないためにも大切なことなのに、「水たまりを避けるためだ、足を踏んだのはしょうがない」などとアラブ・イスラムみたいな事をいうから、墓穴を掘る(そういう言い方するなら何も言わない方がまだマシ、こらえきれずに先に踏んだ日本は辛抱負け、パールハーバーを先に踏ませたアメリカは作戦勝ち、しょうがないじゃん)。その結果、過去の日中戦争、靖国問題、現代中国・北朝鮮の国家犯罪が、同じ中華テーブルの上に一緒くたに乗ってグルグル回ってしまい収拾がつかなくなる、これはひょっとして、中国の謀略にまんまと引っかかっているんじゃないか?
ところで、これはあくまで私の個人的見解ですが、社会思想立場の軸足は右に、一方の補助足を左に置くのが、程良い案配だと思う。両足とも右または左に揃えて置くとバランスを崩して倒れやすい。ただし、左足は軸足には向かない、体重を支えきれず折れる。
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