Blue jewel

拉致の解決を願って
「蒼き星々」関連テキストなど(ココログにも掲載)現在gooがメイン。
デザイン時々変更。

4.24日比谷集会(15)出席議員紹介

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
櫻井さん司会
さてこの拉致問題解決に向けての原動力の一つが拉致議連の皆様方でいらっしゃいます。
今日も拉致議連の皆様方、一部がお出でくださいました。
ここで拉致議連事務局長の古谷圭司さんに出席の議員の方をご紹介していただきたいと思います。
よろしくお願いたします。(拍手)

古屋圭司 拉致議連事務局長による出席議員紹介


ご紹介を頂きました、拉致議連事務長・自民党衆議院議員の古谷でございます。
私たちは213名の衆・参超党派の国会議員がございます。
この私たちこそがは日本を思い、日本の国益のために必死に汗を流すまともな国会議員であると自負しておる次第でございます。(拍手)

紹介をさせていただく前に一言私からもお話をさせていただきたいと思います。
この拉致議連の正式名称は皆さんご存知のように「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動をする議員連盟」
すなわち拉致被害者、並びに家族の立場に立ってこの拉致問題を早期に解決をすると言うことが我々の責任でございます。
従いまして先ほど平沼会長からもお話がありましたように、一方的に埒が明かぬ。
対話が駄目なら次はやはり圧力である。
すなわち経済制裁をかけることがこの拉致問題の解決の有力な手段であると言うことを、先ほど平沼会長からも申し上げた通りでございます。(「そうだ!」の声 拍手)

皆さん、ちなみにですね。
この春からいわゆる船舶の油濁を防止するための保険、これに入ってないと日本に全ての船が入港出来なくなります。
北朝鮮は一年にだいたい100隻くらい一隻10回くらい入りますので、千数百回でございますが。
この100隻の内、このまともな保険が付いてるのは確認できたのは17隻しか無いんですよ。
これだけ見てもですね。
当たり前のことをやるだけでもこれだけの効果がある。

だから我々のこの手に持っている経済制裁のカードを切るということは大きな力になることは間違いがないことでございます。(拍手)
頑張ってまいりたいと思います。
そこで今日ここに出席されている国会議員を私の方からもご紹介申し上げたいと思います。
皆さんご存知のように国会議員というのは日曜日はかき入れ時でございましてね。(笑い)
永田町もキナ臭いしないでもないという中で今日は来ていただきました。

まず拉致議連会長の平沼赳夫衆議院議員でございます。(拍手)
自民党拉致対策本部長 安倍晋三衆議院議員です。(拍手)
拉致議連顧問民主党 鳩山由紀夫先生でございます、あ、先ほどお帰りになりました。(拍手)
拉致議連副会長公明党衆議院議員 漆原良夫先生でございます。(拍手)
拉致議連幹事長民主党 西村眞悟衆議院議員。(大きな歓声と拍手)
盛大な拍手、ありがとうございます。
拉致議連副会長 原口一博衆議院議員でございます。(拍手)
民主党 増子輝彦衆議院議員でございます。(拍手)お帰りになりました。失礼いたしました。
民主党 渡辺周議員衆議院議員でございます。(拍手)
拉致議連副会長 中川義雄自民党参議院議員でございます。(拍手)
民主党 津田弥太郎参議院議員でございます。(拍手)
民主党 山根隆治参議院議員でございます。(拍手)お帰りになられました。
民主党 森ゆうこ参議院議員でございます。(拍手)
拉致議連副会長・自民党 山谷えり子参議院議員でございます。(拍手)
拉致議連事務局長代理・民主党 松原仁衆議院議員でございます。(拍手)


以上でございます。
あと一言だけ皆様に報告させていただきます。
実は私ども拉致議連としては最近話題になっております、「人権擁護法案」。
これにつきましては私ども断固反対の決議をしております。(拍手)
これは我々が行っている活動、あるいは家族会、あるいは救う会が行っているこの拉致問題の運動に対して不当に制限が加えられ兼ねない恐れがあるからでございます。
私たちは人権侵害に対する擁護には徹底的にされなければならない。
これは申し上げるまでもないことでございます。

しかし、この人権擁護法という美しい法案の響きの中には恐ろしい危険が隠されているからでございます。
私たちはその疑念が解決しない限りは、まぁいわば自由主義あるいは言論の自由を犯すかもしれない。
この法案が国会に提出されることが無いように徹底的に頑張ってまいりたいと思いますが、幸いにして今日は安倍晋三自民党幹事長代理もお見えでございますが、彼もこの法案には徹底して反対をしております。
どうか皆さん。
皆さんも美しい言葉の裏に隠された法案が通されることのないよう、皆様方の市民のお力添えも心からお願いいたします。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
ちなみに拉致議連の会長の平沼さんは、この人権擁護法案に反対する議盟の会長でもあります。
お願いしたいと思います。
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4.24日比谷集会(16)救う会熊本緊急報告

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
加納良寛 救う会熊本代表 緊急報告


こんにちは。
救う会熊本では去年の1月に熊本朝鮮会館の固定資産税減免取り止めを求めて行政訴訟を起こしました。
ついこの間、こういう判決を頂きました。4月の21日のことでございました。

裁判の中で私どもはずい分とずさんな調査の元で税金の減免が行われていると主張しましたが、その中で朝鮮総連が原敕晁さん事件、長銀信用組合の不正流用事件で東京地裁で損害賠償命令が出てる、そういうことをたくさん申し述べました。

そうしたところがちょっと判決文の一部を読ませていただきますが、こういう判決でございました。

「朝鮮総連が一見して反社会的で公益を害する団体であるならばともかく、その綱領によれば祖国政府への結集や愛国をうたい、祖国の発展に尽くし祖国の統一を目指すというのであるから、朝鮮総連が反社会的団体であるということは言えず、そうであれば仮に本件土地建物において朝鮮総連により一部政治活動が行われているとしても、なんら法令に反するものとは言えず公益を損なうとは言えない。」

これはあの、例えは悪いかもしれませんが、暴力団が組事務所を公民館類似施設といった場合に、刺青が見えないようにシャツを着て、そしてしかも彼らは任侠道という日本古来の美徳を体現するものであるからなんら公益に反しないと、このようなことを裁判長は言ったわけです。

私どもはよく、報復でこういうことをやってると言われますが、実は熊本朝鮮会館は、松木薫さんが拉致されましたが、通っておられました九州学院高校の目と鼻の先にあります。私どもは非常に関与を疑っております。しかもこの固定資産税というのは誰でも分かる。情報開示を請求すれば誰にでも分かる。

減免という答えが返ってくるわけですから、他に所得税とか住民税とか、はたまた駐車違反まで様々な特典が与えられておりまして、朝鮮総連の政治活動資金になったり本国の送金されたりと、私どもはそういう認識をしております。

ですからこの運動の一環として報復ではなくやらせてもらっています。私どもはこういう70年代に良く聞きましたようなアジ演説のような判決を頂きまして、とても承服できませんので福岡高裁に即日控訴いたしました。(拍手)

そういうことでこれからまた一年ぐらい戦いが続くと思いますが、いろいろまたご支援よろしくお願いします。(拍手 「頑張れ!」などの声)

※司会 櫻井よしこ氏
加納さん、ありがとうございました。
さて会場には地方自治体の議員の方々で、この拉致問題に熱心に取り組んで来られた人々がいます。
どうぞご起立をお願いします。(拍手)
この地方自治体の議員の方たちは、それぞれの地元に密着する形で熱心に拉致問題に取り組んでくださいました。(拍手)
本当にありがとうございました。(拍手)
もう一度拍手をお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

さてここからはこのセッションは第2部に移りたいと思いますけども、そのためにステージの上のテーブルおよび椅子のちょっとした組み換えがございます。4~5分かかると思いますけど、どうぞロビーに出たい方ちょっと足を伸ばしたい方どうぞ随時なさってくださいませ。4~5分でこの用意が終わると思いますのでよろしくお願いいたします

・・・第7回国民大集会 第1部終了・・・

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4.24日比谷集会(17)パネルディスカッション1

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
第7回国民大集会 第2部
パネルディスカッションの模様は以下のサイトでもご覧になれます。
とても丁寧なテキストです。ご努力くださっているみなさんに感謝。
以下の2つは
aoinomama13のホームページさん
aoi blogさん
話の花束さんでご覧ください。

曾我ひとみさんからのメッセージ紹介
有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)のお話

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4.24日比谷集会(18)パネルディスカッション2

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
未帰還者家族によるパネルディスカッション 2


※司会 西岡力氏
同じよど号グループで、3人で一緒に暮らしているという手紙が来た松木薫さんのお姉さんの斉藤さんにも。今、薫さんが北朝鮮で思い出しているだろうな?と言う思い出は何かありますか?

斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

この間第3回実務者協議のときにですね。薫が北朝鮮で、母があの、たくさんカレーライスを作ってあげてたんでしょうね。たくさん私たちも食べましたけれども、その思い出があったと思うんですけれど。
北朝鮮で皆さんお世話になった方に「今日は僕がカレーライスを作って上げます」といって、作って何度か食べさせていただきました、と言う話をされたと。

言うことを聞いたときに、ああ本当に薫はいつもいつも優しい子だったのに、向こうに行ってもお母さんのことを忘れないで。いつもいつもそんなしてお父さんお母さんのことを忘れないで。そんなして日本のことを帰りたくって、辛抱して。なんとかして日本へ帰ってこなきゃいけないという気持ちと我慢強さと言うのを、本当にかわいそうだな、と思いました。

先月の18日ですかね、母が吐血いたしまして。救急車で運ばれて。本当にこれでもう今度は駄目なのかと私思いましたけども。やはり母は強いんですね。やっぱりどこの父母って強いなぁと私思いました。

胃がですね。先生に見せていただいたんですけど。胃カメラ通した所を見せていただいたんですけど、もうボロボロになってるんです。

それでもいつも病床で、ベッドで思うは薫のことばかり、毎日毎日思ってて。会いたい、会いたいという気持ちが毎日あったのか?と思うと可哀想で可哀想で。本・当・に・拉致された家族の皆さんが本・当・に・同じような苦しみを味わっているのかな?と思ったら、お母さんになんとしてでも会わせて上げなきゃと思ってですね。(拍手)私も一生懸命今看病しております。

母の苦しみは母だけで納めておきたいな、って。皆さん他の方にはこんなに苦しい思いをさせたくないなと言うことを顔を見るたびにいつも思います。私が涙を流すと母も泣きますのでなるべく泣かないように務めてるんですけど。私も泣き虫ですから、外に行ってずっと泣いては帰ってくるんですけど。
やっぱり見破られます。娘が泣いてるんだなというのは分かるんですね。

こんなことが皆苦しんでらっしゃるのかと思うと、家族会の方たち、皆歳を召して来てますので。こんな苦しい思いは母だけで十分だといつもいつも思っておりますので、何とか皆様助けてください。(拍手)生きてるうちに帰ってこられますように、よろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 西岡力氏
何回かまわそうと思いますから、一回はなるべく短めに、(笑い声)全部話さなくても大丈夫ですから。
次は増元るみ子さんの弟さんの照明さんで。今日は新事務局長ではなくて。るみ姉と呼んでたそうですが、増元さんとしてお願いします。

増元照明さん(増元るみ子さんの弟)


あの、私・・・(会場より何か話しかける声)
はい?出身ですか?鹿児島県鹿児島市です。

私小さくて、小さい頃って本当に小さくて。中学1年のとき129センチだったことを私覚えてるんですけども。今でこそちょっと皆さんに偉そうなことを言ってますが、あの頃は自分でも言うのはなんですが、非常に可愛い子で。(笑い声)

るみ姉と非常に仲が良くて。家が小さかったもんですから、小さい頃は一緒に布団に入ったんですね。中学校になってもその癖が抜けなくて、中学校の低学年まで1年か2年のくらいまで、姉と一緒の布団で寝てたんです、本当に。それほど、私は4人きょうだいの末っ子で甘えん坊で、非常に私のことを可愛がってくれた姉でした。

大学に入って私がお酒を飲んでしまって、警察に捕まったんですね。まだ未成年だったもんですから。(笑い声)軽犯罪違反で、夜中でしたね。ほとんど1時2時でした。警察に捕まって始末書書かされた時に、家に電話して親父もいて。親父は怒ってるんですけども、結局るみ子が私を迎えに警察まで来てくれて、笑ってました。怒ることもなく笑っていました。そんな優しい姉でした。

私が大学、北海道なんですけど。北海道にいる間に必ず札幌の町を見せたい、小樽の町を見せたいというふうに思っていたんですけれど。それも叶わないままに、邪悪な金正日に北海道より寒い北朝鮮に連れて行かれてしまって、私は非常に怒っております。

札幌と言う町はきれいな町です。あんな平壌よりもっときれいな町です。(「その通り」の声)でもどう、どうすればいいんでしょう?北から帰ってきたら、また寒い国へ行けとは言えなくなってしまって、困ってるんです。早く日本に連れて帰って来て、あったかい鹿児島で過ごさせてやりたいと思っています。(拍手)

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4.24日比谷集会(19)パネルディスカッション3

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
『未帰還者家族によるパネルディスカッション 3』

「市川健一さん(市川修一さんの兄)のお話」
「飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)のお話」
「増元照明さんのお話」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※司会 西岡力氏
市川修一さんの思い出を、市川健一さんお願いします。

市川健一さん(市川修一さんの兄)


鹿児島から来ました修一の兄です。
私と修一とは9つ違うんですよね。
修一が生まれたときは私は小学校の3年生。
だから修一と余りにも歳が離れておりますもので、小学校の高学年・中学校になったとき、学校から帰ってくると。
うちは商売やっておりますもんで、修一を遊ばせてくれといつも言われるんですよ。
私は修一をおぶってね、よく遊びに行っておりました。

でも余りにも、私今は人口は少ないけどもその時は同級生が一歩(外に)出れば多かったもんですから。
いつも修一をおぶって、自分も一生懸命遊びたい。
そういう気持ちがあって
「修ちゃんちょっとここで待っとってよ、お兄ちゃん遊んでくるからね、ここ動いちゃ駄目だよ」
で、修一はず~っとそれを守って、ひとりで遊んでおりましたよね。
今考えるとあぁ可哀想なことをしたな、と思っております。(笑い声)
修一はすごく両親を大事にして。
今は「両親は大丈夫かなぁ?」とそのように心配してるんじゃないかな?と思っております。
一刻も早く取り戻したいと思っております。
以上です。(拍手)

※司会 西岡力氏
田口八重子さんのご家族が並んでいるんですが。
田口八重子さんの長男の耕一郎さん、1歳だったんですね。
お母さんは耕一郎さんのことを覚えていると思いますけど。
でもお母さんと一緒の写真が出てきましたよね?
そのことをちょっとお話してくれませんか?

飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)


(拍手)
あの丁度ここに今あるんですけども。(ステージ上に飾られた八重子さんの写真を指し示す)
今西岡さんから昔のご家族の思い出を語ってくれと言われた時に、ちょっと私だけ寂しい思いをしました。
なぜなら私は1歳のときに母親が拉致をされて、私は田口八重子さんの記憶がないまま、27年の歳月が経ってしまいましたので。「本当に誠に申し訳ない」母に対して何もして上げられなくて、「誠に申し訳ない、本当にごめん」って思うんですよね。

ここにある写真を見ていつも思うのは、「あ、やっぱり八重子さんと本当に親子なんだ」と思う安堵の気持ちと、自分をわざわざお腹を痛めて産んでくれた母親に対して本当に申し訳ないという気持ち。これに尽きてしまうんですよね。ですから早く八重子さんとかお母さんとか、曖昧な。いつもいつも言う時で発言が変わってしまうんですけど。早く帰ってきて色々な話をたくさんして、北朝鮮のことを忘れさせて、早く「お母さん」って呼んであげたいと思っています。(拍手)

※司会 西岡力氏
北朝鮮は田口八重子さんと原敕晁さんが結婚したと言ってるんですね。しかしその結婚の日時がおかしいので、結婚したと言うこと事態、私たちは正しいことが分からないんですけど。

原敕晁さんの家族も実は家族会に入ってらっしゃいます。長崎に住んでらっしゃるお兄さんの原耕一さんが入ってらっしゃるんですが、大変病気がちで病院と行ったり来たりで、今回も来ることが出来なかったんですが。連絡を取ってらっしゃるのが増元さんなので、原さんのご家族の状況について若干お話をしていただけませんか?

増元照明さん(増元るみ子さんの弟)


つい先日もメッセージを頂きたいというふうに電話を差し上げたんですけれども、息子さんご夫婦が2回とも出られまして、「今病院に行っておられます」と言うふうに仰って。ご本人とは今回お話できませんでした。
昨年の実務者協議の結果が出た時に、「原敕晁さんの結果を全て公表していいですか?」と言うことをお伺いした時、「もうぜひそれはやっていただきたい。家族会の皆さん全面的に一緒にやっていきたいので、ぜひそれはお願いします」というふうに仰られました。

ただ、本当に高齢なようで病院通いをされてて、まだ一回も東京に来られてないです。どうも大分重い病気っていうか、めんどくさい病気、腎臓を患ってると言う話なんですけども。なかなか遠出が出来ないということです。ただ、昨年は声が元気でしたので、まだまだ頑張っていただけると私は思っています。

※司会 西岡力氏
ありがとうございました。
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4.24日比谷集会(20)パネルディスカッション 4

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
未帰還者家族によるパネルディスカッション 4

※司会 西岡力氏
最近報道がありましたけれども、めぐみさんはお母さんから買ってもらった小さな爪切りを大切にしていた。
そして拓也さんと哲也さん、弟さん二人の名前を書いていたと、いう報道がありました。 
蓮池さんたちがそれを見ていて教えてくれたということですが。
早紀江さん、めぐみさんがいまどんな家族のことを思い出しているか?
どういう楽しい思い出を思い出しているか?
何かありますか?

横田早紀江さん(横田めぐみさんの母)


私たちはよく旅行をしました。いろんな所に弟たちも連れて5人の家族の旅行を良くいたしましたので。いろんな所で、海に行ったり貝殻を拾ったり。そして岩をのけると小さな蟹が出てきた、そらあそこに何がいる、とキャアキャア言いながら、それを採ったりして騒いでいた時とか。

そしてもっとめぐみの小さい時は、お友達が皆下に小さい弟とか妹とかがいたんですね。4歳ちょっとになるまで下に弟たちがいなかったもんで。「みーちゃん」て自分のことを言ってたんですけど。「みーちゃんの所にはどうして赤ちゃんがいないの?」っていつも言われて。

そして幼稚園に通っている時にいつもバスで通ってまして。その通園バスが丁度鹿島神社って言う所の前で止まって、そこで降りるんですけどお。帰ってくるとそのままぱ~っと走っていって、神社の中に駆け上がって。そして神社の前に行って小さな手を合わせて「神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい。神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい」(笑い声)

てもう必ず言ってたんですね。近所のお母さんたちと一緒に噴出して笑ってたんですけども。余りにもお祈りしすぎて、後に産まれてきたのが二人も(笑い声)赤ちゃんが産まれてきまして。思いがけなく。

今度はそのことを日本銀行の(社宅の)大きな庭を大きな声で「みーちゃんのところは、赤ちゃんが二人も来たんだよ~!」って物凄い大きな声で喜んで、はしゃぎまくって歩いてたよ、ということを良く聞きまして。

とても元気な明るい子供でしたので、爪切りと買っていうのもはっきりと覚えていないんですけども。めぐみの誕生日に必ずそういう小さなものを。キティちゃんのところで買ったりとかしながら。小さい袋とかを必ずあげてたので、その中のひとつだと思いますが。

いろんなああいうさびしい所でどんなふうに耐えてきたのかなぁって。向こうが出してくるようなうつ病で入院したとか、本当に私だったらとっくにどうかなっていたと思うほど、苦しかっただろうな、寂しかっただろうなと思いますので。そういった小さなものを見ながらどんなにか泣いたんじゃないか?と思います。(拍手)

※司会 西岡力氏
お祈りして産まれたという双子の弟さんが来てらっしゃいますけども。
拓也さんか哲也さんか、どんなお姉さんだったか一言どうですか?

横田哲也さん(横田めぐみさん弟)

(拍手)
弟の哲也でございます。どこにでもある風景でありますけども、新潟にいるまえ広島にいたわけでありますが。非常に明るく楽しく、一緒に通学、手をつないで学校に行った思い出もありますし。

当時新潟へ転勤・引越しをしたときにですね。本にも書いてありますけども、当時私と兄の拓也が非常に仲が悪かったわけでありますけども。(笑い声)私のほうがどちらかといえば非常に劣勢だったわけですが、(兄とケンカをすると)非常に私の味方をしてくれたのが姉だった。(笑い声)

いうことで明るく楽しく、しかも非常に優しい姉だったということでこの両親だけでなくて双子の我々も思っていてくれるだろうな、と思っておりますが。一刻も早くこの家族5人で、この日本の平和な素晴らしい風景を味わいたいと思っています。(拍手)
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4.24日比谷集会(21)パネルディスカッション5

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 5

寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話
北野政男さん(寺越昭二さん次男・寺越武志さん従兄弟)のお話


※司会 西岡力氏
先ほど古川さんのご家族が話をされた時にですね。
日本の政府はあるいは調査機関は拉致は70年代の後半からあったんだと。
だから70年代初めの古川さんのケースはちょっと違うんじゃないか?とお話がありましたけれども。
実は家族会に入ってらっしゃいまして、特定失踪者調査会の対象ではなくて。
今家族会として一緒に活動していらっしゃる、拉致被害者の。
拉致事件が1963年に起きてるんです。
1963年に、石川県の海の磯のすぐ、100メートルくらいの所で操業していて3人の漁師がいなくなった、その寺越昭二さんの3人の息子さんが家族会に入って、ずっと今活動されています。
お父さんの思い出、何かあったらお話くださいませんか?

寺越昭雄さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)


(拍手 )こんにちは。
私たち兄弟3人にとって父の思い出というのは、まぁ42年経ったせいもあるし、本当に断片的な思い出しかないんですけども。
父は漁師ということで気が荒いと言う一面と、よく言えば外面が良いって言うんですかね?
で、まぁ特に女の人には良かったみたいで。(笑い声)
母も相当泣かされていたようです。

私にとっての記憶って言うのは。遠洋漁業で東北へ行ったりそれから九州のほうへ行ったりして、一年の内に何ヶ月か出稼ぎの漁をしていたんで。若い頃、まぁ、私らの小さいころですね。その漁の帰りに土産と言うことでみかん箱一杯にするめを持って来てくれたり。それからラジオ、当時真空管のラジオだったですけど、ラジオを買って来てくれたり。そういうまぁやさしい面もありましたし。

ある一面、怒ったら丸いちゃぶ台ひっくり返す、そういうような一面もあったりして。私は鮮明に今でもよく覚えてるんですけど、一握りの丸い丸太ン棒持って追っかけられた。何を悪いことしたんか知らんけど追っかけられた、そういう思い出もあります。最後に事件のちょっと前だったと思うんですけども、親父と二人で銭湯へ行ったというのが私の最後の記憶になりました。

母は横浜出身なんですけども。戦後多分、私が25年生まれですから23年か24年頃だと思うんですけども。父とどこで知り合ったんか知らんけれども・・・まぁ、何というか、あの、え~、夜逃げじゃなかった、駆け落ちですか。

駆け落ちみたいにして石川県の方へ来て、父と生活するようになって。苦労して、父も心臓病を患って出稼ぎの漁に出なくなって、叔父・外雄さんとふたりで漁をするという事になったんですけどね。父も真面目になってくれたって喜んだ矢先の事故だったんですね。

それから母は私ら3人の小さい子供を育てるのに一生懸命苦労して。2002年、丁度小泉訪朝の年にパーキンソン病を患って亡くなったんです。私たちは父と母のためにもやっぱりこの問題、拉致問題を本当に解決したいと思っています。どうもありがとうございます。(拍手)

※司会 西岡力氏
実はですね。
先ほど安倍晋三さんや中山参与の方からもお話がありましたけれども。5人が帰ってきた時に日本政府は日本政府の意思で日本に残しましたよね? 本人たちは表向きは北に帰りたいと言ってたんでよね?あるいはジェンキンスさんも小泉総理に会ったときには、日本に行きたくないと言ってましたよね?

北朝鮮の影響下にあるときは言論の自由が無いんですよ。本音はしゃべれないと言うことを、私たちは目の前で見て経験しました。

今、日本政府が寺越さん事件を認定しない大きな理由は、実は武志さんが北朝鮮にいて、「自分たちは拉致じゃない」と言ってるんですね? 「拉致じゃない」と言ってる。しかしそれは蓮池さんたちが北にいた時に、日本に行きたくないと言ってた事や、ジェンキンスさんたちが日本に行きたくないと言ってた事と、どこが違うのか?と言うことなんです。

実は安明進さんの名前が何回か出てきますが、安明進さんは犯人から直接寺越さん事件の事を聞いてるんですね。金正日政治軍事大学で航海講座というのがあって、工作船で日本に侵入するときにどうするか?という講座があるんです。その先生、オと言う人が「実は1963年、ノトに進入した時になぁ」と言う話をしてくれたそうなんです。

3人その船に乗ってたんですけど、一番年上の人が子供をかばったと。
それでうるさいのでそのかばった大人を射殺して、あと二人を拉致して来たと聞いたんだと言ってるんです。
ところが北朝鮮はこの3人は遭難してたんだと。
助けてやったらば、日本より北朝鮮が良い国だったから帰らなかったんだと。(笑い声)
そして武志さんも今は「そうだ」と言ってるんです。
これを日本政府は北朝鮮の中で家族もいるのに危険を冒して、拉致されたと言わない限り認定しないのか?と。

国家として、さっき安倍さんや政治家の方が言ってましたけど、日本国としての決断はどこにあるのか?
言うことだと思うんですよね?
とくに北朝鮮は、昭二さんは射殺されたんじゃなくて、上陸て平和に楽しく暮らしていたのに、病気で死んだと言ってるんですよね。
で、最近墓が出てきたんですけども、その生年月日がおかしかったんですよね?
その事をちょっと北野さん、お話いただけませんか?

北野政男さん(寺越昭二さん次男・寺越武志さん従兄弟)

次男の北野政男でございます。
寺越事件の真相と言うのは、事件のその日以前と以後の記憶と言う所で考えれば、ちょっと分かりやすいと思います。
もし事件の以前に、武志が小さい時に、親父の生年月日を覚えてるはずがないんですね?
事件の以前に覚えていることは(武志さんの母親の)友枝さんが覚えているとことです。
大人でしたから、寺越友枝は。
事件の以後に向こうに渡った武志が日本のことをひとつも覚えていない、ということです。

安明進さんの言うように海で射殺されて捨てられた時には、武志の記憶は朝鮮へ行って一つも持っていないということです。
親父は朝鮮に渡っていませんから。
ですから墓石に刻んであった期日、生年月日というのは、武志から出て来た物でなくてこれは友枝さんが北朝鮮へ行って、「こう、しかじかこういう事ですから墓石を作りましょう」と言って、出てきた墓石だ。
そしてそこに刻まれた生年月日は、友枝さんがうろ覚えに覚えていた生年月日を書いたものだから全然違っていたと一日違っていたと、そう思います。

※司会 西岡力氏
本当は3月31日生まれなのに、3月30日と書いてあったんですよね?

(寺越昭男さんの声)そうです。

墓石にですね、生年月日が刻んであった。
実は誕生日の日に死んだという事になってますから、死亡日も生年月日が同じだという事になってますが、3月30日となってるんです。しかし戸籍を調べると3月31日なんです。昭二さんが北朝鮮に上陸していて、平和に楽しく暮らしていたんならば、自分の生年月日を間違えて言うはずはないんです。

今、つまり安明進さんの証言などが出てきて、寺越さんたちがお父さんの遺骨を返して欲しい。お母さんと一緒の墓に入れたいと。昭二さんは北朝鮮で結婚していませんから、家族いないんです。日本にしか家族がいないんです。

その遺骨を返すのは当たり前のことですよね?しかし遺骨は返ってこなくて、砂だけが返ってきたんです。
そして出てきた墓の写真に生年月日が一日間違っていたと。

しかし北朝鮮の言うことは、10人のまだ帰ってこられないこの家族会の人たちのこともデタラメですけども。この寺越さんの事も、自分たちが射殺しておいて、「助けてやった、感謝しなさい」と言ってるんです。それについてどちらが正しいと判断するのか?と言うことを日本政府は求められていることだと思うんです。

寺越さんたちが何回も日本政府に会って仰ってるのは、このまま拉致認定されないまま、国交正常化してしまったら、私たちは北朝鮮に感謝しなくちゃいけない。お父さんを救助してもらったと感謝しなくちゃいけない。お父さんを射殺されていて、親戚を拉致されているのに、感謝しなくちゃいけないことは絶対に認められない。そう思いませんか?皆さん。(拍手 「そうだ」の声)

真実を明らかにする決意さえあれば日本政府にできることはたくさんあると。
そういうふうに思っております。

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4.24日比谷集会(22)パネルディスカッション6

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
『未帰還者家族によるパネルディスカッション 6』

「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「飯塚繁雄さん(田口八重子さん長兄)のお話」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※司会 西岡力氏
北朝鮮は今、寺越さん以外の日本政府が認定してる被害者については、死んだと。
あるいは北朝鮮に入っていない、と言ってきたわけですけども。
おかしなことがたくさんあったわけですね。
横田さんについてのおかしなことはもうすでに皆さん知られていますけども。
実は横田さんの事だけじゃないんです。
遺骨が来たのは横田さんだけではなくて、松木薫さんの遺骨は2度も来たんです。(小さな笑い声 )
2002年の9月に遺骨が最初に来た時は喪服の準備もされたんですよね?
今それに付いてちょっとご説明いただけませんか?

斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)



私のほうに政府の方からこうやって骨を持って帰りましたということを聞いたときには、「それは薫ではありません」と「受け取るわけには行きません」と言いましたけれども。
(東京医科歯科大学の)橋本先生が「ひとつだけ絶対にこれを証明できるものを持って帰ってきたから、なんとかそれを証明して見せますから、1ヶ月待ってください」と言うことで。

それが本当に薫のものであれば、私は本当に覚悟して「薫、お帰り」と言って、父の墓に入れてあげようとまで思ってたんですけども。
まぁ全然違う人の骨でしたので、もう2度目来た時には
「また同じやり方をしたのか?だまされないぞ」
と言う気持ちで、そんなことは全然びくともしませんでした。
最初はやっぱり本当にいろんな面で悩みました。

※司会 西岡力氏
それから交通事故の現場で作られた報告書って言うのも来てるんですよね?
(斉藤さんの声 「はい」)
それは今度は飯塚さんの方に。
松木さんの方も来てますけどふたつ来てるんですよね?
あの飯塚さん、それ見られましたけど、どんなものだったんですか?

飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)


普通、交通事故報告というのは、いつどこでどういう状態で、誰が加害者で誰が被害者か、誰が死んだ。
その人の名前がなければならないのに、肝心の誰が亡くなったという名前がないんですよね。
それで場所もですね。
いろいろ後で聞くと、こんな所で交通事故が起こる所ではない、というような。
原っぱのど真ん中。(笑い声)
そういうところで交通事故で亡くなったという報告書。
これは全く、じゃぁ、誰の報告書か分からないですよ。
こんなもの信用できるわけないですよね。

※司会 西岡力氏
だから交通事故があったかどうかも
写真も何もついてないんですよ。
紙だけなんです。
その交通事故があったかどうかも本当に、そこ被害者の名前、書いてないんです。
それで人が死んだと言うことを信じろと言う。
こんな馬鹿な話ないじゃないですか?

北朝鮮はこの2年間かけて、10人が8人死んで2人は実入国だと説明したかった、証明したかったんです。
しかし証明はできなかったんです。
ゼロなんです。
さっきも斉藤さんおっしゃいましたけど、家族の人たちホントに証拠がくれば、きちんと弔ってあげたいと、無理を言ってるわけじゃないんですよね。
しかし誰一人について、死亡の証拠が出てきていないんです。
10人についてゼロなんです。
ですからこれは生きてるということです。(拍手)

つまり先ほどの曽我さんのメッセージの通り、この瞬間も、ここの写真に出ている今いろんな思い出を語った私たちの家族が、同胞が、
「日本にいつ帰れるんだろうか?父さん母さん、兄弟姉妹に会いたい」
と指折り数えているんですよ。
くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出して、この次日本に帰って楽しく暮らすことが出来ると信じて、一日一日一生懸命生きてると。
曽我さんが自分がそうだったからそうだったと今言ってるんです。
この人たちのことを絶対に忘れてはならない、と思います。(拍手)

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4.24日比谷集会(23)パネルディスカッション 7

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
『未帰還者家族によるパネルディスカッション 7』

「横田拓也さん(横田めぐみさん弟)のお話」
「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田滋さん(横田めぐみさん父)のお話」

 
※司会 西岡力氏
時間も押してますので一家族一人づつ、家族の人たちに今声をかけてあげるとすればしたら何を言いたいのか?
と言うことを言っていただきたいと思いますが。
ちょっと先ほど楽屋で打ち合わせありまして、横田拓也さんから一言皆さんに訴えたいことがあると仰ったので、そのことをしてもらってから一家族一言ずつお願いします。

横田拓也さん(横田めぐみさん弟)

誠に勝手を申し上げて申し訳ございません。実はですね、私どもの所に複数のルートからですね。
同じような情報がありまして。私ども家族としてはとても心配、そして懸念をしておりますので。
皆様にお話しを申し上げますと共に、そういう不穏な動きをどうか私たち国民の意思として力を持って阻止していただけますようにと思いまして、勝手ながらお時間いただいた次第でございます。

実は前からこの拉致問題のシンボル的な横田家の切り崩しのために、いろんな画策・工作があったわけであります。
代表的な最近の事例で言うと偽遺骨の問題があったわけであります。
ここに来まして、またと言うことなんですが。
めぐみの子供の、キム・へギョンさんを訪日をさせてはどうか?と言うことがですね。
どうも首相官邸の周辺でですね。
計画・画策されていると言ったような情報を、複数のルートから私共は聞いています。

まぁ父は、親に対してこういう言い方は失礼だと思うんですが。
情の世界で大変優しいといいますか、悪い言葉使うともろい人間でありますから。(笑い声)
孫に会いたいのは父ならずとも親としては当然なんです。
ここをまたですね。
偽遺骨の次に狙って来ている話であります。

私たちは支援室、当時の支援室・小熊室長を経由して日本政府に対して。
へギョンちゃんを、家族分断をする形で訪日要請をして欲しくないと、これまでも訴えております。(拍手 )
私たちが求めているのはめぐみをはじめとする家族帯同・全員の帰国をお願いしてるわけですが。(大きな拍手 「そうだ!」などの声)
優しい父には申し訳ありませんけども、本当にですね、ここは日本政府も安易な妥協をせずにですね。
全員の帰国を強く求めていくような強い姿勢でいっていただきたいと思います。(大きな拍手)
皆さんお願いいたします。(大きな拍手)

※司会 西岡力氏
それでは今度は寺越さんの方からですね。
まぁ、もう天国にいらっしゃてると思いますが、お父さんに一言ということで何かお願いします。
それからずっとご家族ひとりずつ、今北朝鮮で待ってるご家族に一言ずつ訴えてください。

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さんの長男・寺越武志さんの従兄弟)

あの、今私たちは本当に特別な感じになってしまったなぁと思ってるんですけども。
他の皆さんのご家族は被害者を取り戻す、そして家族を取り戻す。
それで解決すると思うんですけども。
私たちにとって、解決とは一体なんなのだろうか?
父親は死んでいない。
母親は病死。
そして従兄弟の武志は、42年間経って子供・孫が出来て、北朝鮮に根を張ってもうどうすることも出来ない。
被害者を、私らは家族を帰せと声を大にして言えないんですね。

そんな中で私たちにとっての解決ちゅうのはいったいなんなのか?と。
で、最終的には私たち考えてるんですけど。
武志の安全の保証とか、自由の保障とか、生活の保証とか。
そして外雄叔父さんの家族の保障。
そして私たちにとってはやっぱり金正日の謝罪が一番の解決じゃないか?と思ってるんです。(大きな拍手)
そのことを私は父親、そして母親に報告するまでは、やはり頑張って行きたいと思っています。
よろしくお願いします。(拍手)

横田早紀江さん(横田めぐみさん母)


めぐみの性格は本当に明るくて元気で声が大きくて。
いつも大きすぎるほどの声で家の中で歌を歌っているような明るい子でしたので。
考えられないようなことが起きて、向こうで気が狂いそうな、始めのうちは大変なことだったと思いますけども。
その中で歯を食いしばりながら、結婚してそしてあんなに元気なへギョンちゃんというような考えられないような成長した女の子が出てきて、もうびっくりいたしましたけども。

あのような女の子に恵まれて、そしてこの間の写真のように成長したあのような姿を見ますと、何とか一生懸命に日本に帰れるまで頑張ろう、一生懸命に生きようって。
拓也と哲也がどんなに大きくなっているだろうなって。
お母さんとお父さんずい分歳をとっただろうな、といろんなことを思いながら。
それでも明るく元気で周囲と楽しく、何とか楽しく過ごしていこうと思って過ごしているだろうと、私は信じているんです。
絶対にそんなようなことを信じ続けて、取り返してあげたいと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

横田滋さん(横田めぐみさんの父)

もし一言声が届くんであれば、「もう少しでへギョンさん連れて日本で会えるから、健康に気をつけて」と声をかけたいです。(拍手)

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4.24日比谷集会(24)パネルディスカッション8

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
未帰還者家族によるパネルディスカッション 8


飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)のお話

私の妹八重子も、そこに写真がありますけども。
(隣の耕一郎さんを見て)こいつが1歳の時に持ってかれちゃったもんですから。
相当慌てたんですが。
うちはきょうだいが7人おりまして、私が一番上。
連れて行かれた八重子が一番下で、年齢差が17もあるんですよね。

従って育ち盛りに何か話したとか面倒見たとかっていう記憶はあまりないんです。
むしろ親父の方が一番末っ子なんで可愛がってたと。
向こうへ行って見る夢は、親父の夢だっていう、金賢姫の本に書いてありました。
突然がばって夜中に起きて、親父の幻想が出たとかね、そういう話も聞きますし。

むこうで結婚の話も出てますけども彼女はどっちかと言うと気が強いほうで。
その気の強さが良し悪しあったんですけども、
結婚して子供が出来た時もですね。
女手ひとつで育てる羽目になったんですが、「絶対私が育てる」と。
こういうふうに頑張ってまして、私もそれに対しては少し様子を見ようと言う事でいたんですが、間も無く連れて行かれちゃった。

先ほどの結婚の話もあったんですけども、例えば、原さんには悪いんですけども、原さんと結婚したというのは全く考えられない事実ですね。
北朝鮮はやたら結婚させるのが何か好きらしくて、(笑い声)誰かといつもくっつけるんですね。
見合いをしろという命令が下って。
じゃあお願いだから見合いをする前に下見をさせてくれと。
要するにどんな人かね、扉の影で一回見たいと。

で、ある人が入って来て、やっぱり例えば原さんの年齢の男の人らしいんですけど、一見して嫌だって逃げ出しちゃった。
いうふうな話も聞いてますし。
それよりも何よりも、日本に残した小さい子がいると。
早く帰って会いたい、面倒見たい。
本当に子供だから困ってるんじゃないか?
それがもう頭が一杯で、とにかく自分がまた違う人と結婚してどうのこうのというのはまず考えられないし。

そういう意味では昼間はすごく気を強く保って、北の言うことを聞いてなるべく優等生的な態度を見せる。
これはもう例えば、帰ってこられた富貴恵さんなんかも皆話をしてですね。
とにかく田舎の収容所に入れられないように昼間は頑張ろうと、いう誓いもしてきたようですけど。
そういうなかで夜になると故郷を思い出して、今子供は何歳になったかしら?と。
もう何年経ったかな?と。
そういう話がつい出るようなんですけどね。

普通指折り数えてと言うのはせいぜい10本の指の中ですけど、それこそ30本も指がないと足りないわけですよ、もう。
それまでですね、毎日毎日思いを積み重ねてきていると言うことは、物凄い、もちろんストレスもありますし、可哀想な状態が続いてると。
で、私たちも早く親子で会わせて上げたいと、そういう言う一心で頑張っておりますけど。

(西岡さん 「それで八重子さんに一言、今言うとすれば」の声)
すみません、長くなって。
まぁ、八重子に最初に会った時は「ごめんなさい」っていうふうに思ってるんです。
なぜかと言うと「こんなに長い間、あんちゃんたちは助けてくれなかった」と思ってるかもしれないし。
日本もそれだけの間、私を助けてに来てくれなかったということも代弁して、私謝りたい、と言うふうに思っています。(拍手)

※司会 西岡力氏
続いて市川健一さんか龍子さんかどちらか、お願いします。
修一さんに一言言うとしたら何を言いたいですか?

市川龍子さん(市川修一さん義姉)のお話

3月14日に90を迎えた父と、同じく90になります母がおります。
私はこの両親に、両親の胸に(修一さんを)抱かせたやりたい一心で闘っておりますが、母の心境を言います。

彼の国へ飛んで行きたい今すぐに 翼が欲しいと母の声かな
老いてゆく我が身に鞭を打ちながら 愛しい吾子を抱く夢見て
風に舞う花の吹雪に君思う 我が家の桜も君を待ち続け
弟よ君の姿を追い求め 声を嗄らして今日もまた

これからも、とにかく取り戻すまでは声を嗄らして全国を駆け巡りたいと思います。(拍手)
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4.24日比谷集会(25)パネルディスカッション9

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 9』

「増元照明さん(増元るみ子さん弟)のお話」
「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「有本明弘さん(有本恵子さん父)のお話」
「有本嘉代子さん(有本恵子さん母)のお話」

 
増元照明さん(増元るみ子さん弟)

私も飯塚さんと同じで、まず姉に会ったら謝らなければならない。
30年近くも・・・(涙を流しながら語る)
取り戻していないと言うことが非常に残念です。
もう30年という年月を取り戻すことは出来ない。
でも姉が30年前私にくれた時計、今非常に私大事にしておりまして。
この時計の動きを止めることは出来ないし。
今でも動いていると言うことを彼女に教えてあげたい。
そしてこれからもずっとその時計は・・・持ち続けていくということ・・・(涙で言葉にならず、声を詰まらせる)
父が死んで、あんなに可愛がっていた姉ですから、必ず北朝鮮で姉の身を・・・(再び声が詰まる 「頑張って!増元さん!」の声)・・・守ってると思います。
以上です。

※司会 西岡力氏
松木さんに一言何か。
斉藤文代さん(松木薫さん長姉)

薫に元気でいて頂戴ということと。
あの、まぁ、母の言葉として
「お母さんも頑張るから(涙で声を詰まらせる)帰ってらっしゃい」
と言うことを・・・(拍手)

※司会 西岡力氏
では有本さん、お父さん、恵子さんに一言。

有本明弘さん(有本恵子さん父)

え~、ちょっとその話はもう、子供のことは家内の話で十分やと思う。
なぁ、私はここに先生方おられた。
その時に言いたかったことあるのよ。(大きな拍手)
思うとおり言うて来た。

(西岡氏の声 「短めにおねがいします」)
えっ?
(西岡氏の声少し笑いながら 「短めにお願いします」)
言いたい事言えないじゃない。(笑い声 大きな拍手)
と言うわけで簡単にお話します。

このタイトルですね。
これは決断を求めると言うタイトルになってるんです、今日はね。
これのタイトルを決めるときに私は、決断じゃなくて糾弾をする国民集会。(拍手 「そうだ!」などの声)
これの方がいいんじゃないか?と、これが私の意見。(拍手 「そうだ!」などの声)

なぜそういうふうに言わなければならないか?
この日本の国民の70%・80%近い人が制裁せよと言ってる。
おそらくここに来られてる人は、全部の人が制裁せよと。(拍手 「そうだ!」の声)
そういう国民の皆様であって、そうでない人は朝鮮総連のまぁ人しか、そうとしか考えられない。

そのなかで国民の大きな声に応えられるのは、ここにおられた政治家の先生方なんです。
これが政治のとるべき道なんです。
どうして応えるのか?
与党も野党も先生方おられた。
私は問いかけたい。(拍手)
それでこれはこうなったら、国民がここまで言ったと言うことは、日本の国はあの凶悪な国に対して制裁せよと言ってるんですよ、国民が。(「そうだ!」の声 拍手)

これに政治が応えられない。
こういう政党は全部お払い箱にするべきやと。(大きな拍手)
これに応えられる先生方が、そういう先生方がひとつの旗の下に集まって、北朝鮮に制裁をかけると。
となればこれは有事、有事じゃなくて非常事態も想定した内閣でなければならないんです。(拍手)
そうなった場合、枠の与党・野党のなかでそういった状態に耐えられる先生おるのか?
もう半分以上はパーや、そんなもん。(笑い声 拍手)

それで簡単に申し上げますが。(笑い声)
議連の会長さん。
行動する拉致議連の会長、これがどういうことを言ってるか?
「金正日の政権の崩壊も視野に入れる」と、この文字が入ってるんですよ?(拍手)
だからこれに志のある人は全部これに結集せい!
小泉さんを放り出して、そういう人が政権を担っていく。(拍手)
これしか方法がないんです。(「その通り!」「小泉は首だ!」の声 笑い声)

※司会 西岡力氏
ありがとうございました。
時間になりました。(拍手)

有本嘉代子さん(有本恵子さん母)

やっぱり私は母親として、やはり皆さんの5人の家族が帰られたあの様子が頭から離れないんです。
あの時横田(早紀江)さんがしっかり私の肩を握って、ここの肩をサインしてくださったんです。(少し声を詰まらせる)
あの後ろに恵子もめぐみちゃんも乗ってたら良いなぁと、私は思いました。(拍手)
きっとめぐみちゃんも恵子も一緒にあのタラップから降りてくる。
あれを本当に、もう私はそういうことを願いつつ、これからも運動を続けてまいりたいと思います。(拍手)

※司会 西岡力氏
ありがとうございました。
最後に有本のお父さんの言葉ですが、僕はお父さんの言葉に感動したことがあります。

それは2年前の小泉総理が訪朝された後、一度小泉総理が家族に会うといって会ったことがあるんですね。
その時に今日もそうですけど、「うちの恵子が」と言わないんですね。
そのとき有本のお父さんが3回総理に迫ったのは、「認定されてない人がいるでしょ!」と。
「それをどうするんですか?」と。(拍手)
自分の娘が死んだと言われた直後ですよ?
処刑されたんじゃないか?と当時は思っていたわけです。

その時に総理に会った時に仰ったのは、「自分の娘は」じゃなくて、「まだたくさんいるんですよ」と。
「どうするつもりなのか?」と3回質問して、小さな声ですけど総理は「全てのことを踏まえてやります」と。
そうだったですよね?(拍手 「偉いね」の声)
小泉総理に強く強く制裁断行・決断を求めて行きたいと思います。

シンポジウムを終わります。(拍手)
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4.24日比谷集会(26)大会決議

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
※司会 櫻井よしこ氏
どうもありがとうございました。
聞いていて本当に、表現のしようのない思いで心が一杯になりました。
私たちは毎年この会を開いてきましたけれども、この壇上に立って訴えるこの家族の皆さん方の言葉を、一言も忘れたくはないと思います。
そしてさっき荒木さんが言いましたように、来年の12月末までには、何としてでもこの10件15人だけではなく、特定失踪者も含めて日本国の責任として、日本国民としてこの人たちを全員救出するということを改めて誓いたいと思います。(拍手)

さて受付の統計が入って来ました。
今日この会場に足を運んでくださった方は6000名を突破いたしました。(拍手 「お~っ」と言う声)
ありがとうございました。(拍手)
6000名の後ろにはまだだ多くの人たちの心があります。
この大会はその人たちの心を凝縮して表現するものだと私は考えております。(拍手)
今日のこの大会での私たちの思いを凝縮した大会声明を、ここで朗読していただきたいと思います。
西村眞悟さん、お願いいたします。(大きな拍手)

『西村眞悟 拉致議連幹事長・民主党衆議院議員による大会声明朗読』

6000名を超える方がこの日比谷に来られた・・・大会の声明案を私は今、提案に変えて読み上げます。
そしてこれが皆様のご承認を得られれば、4月26日午前11時30分。
首相官邸において総理に手渡します。(拍手)
どうぞよろしくお願いします。

尚、本当に良い時期に共に集まることが出来ました。
北朝鮮に同調する流れがわが国に、国政の中に外交の中にず~っと一貫してあります。
3年前の9月17日には8名死亡の線で北朝鮮の言う通りに納めざるを得ない、と言う方法にあり。
今またこれで拉致問題は終わったのだと言う方向で一見無関心を装いながら、日本外交は常任理事国入りを目指していると言うことであります。
しかし拉致被害者、自国民を救い出すことが出来ない国家が、常任委理事国入りする資格はないのであります。(拍手)

わが国の名誉がかかった拉致問題。
本日の国民大集会の決議案を朗読させていただきます。


国民大集会決議
 
 いまこの瞬間も多くの拉致被害者たちが北朝鮮で「いつ帰れるだろうか」と指折り数えて待っている。
 彼らを救出するため、私たちは本日「小泉首相の決断を求める国民大集会」を開催した。
 日本は昨年12月24日、死亡診断書や遺骨などがすべて偽物であったことを受けて、「迅速かつ誠意ある対応をしない場合、厳しい対応をとらざるを得ない」と金正日政権に制裁を予告した。
 本日で4か月が過ぎた。誰が見ても「迅速かつ誠意ある対応」は、なされていない。それなのに、小泉首相は制裁発動を決断しない。
 制裁発動は、拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を内外に示すことだ。
それを躊躇していると、拉致問題を重視していないという間違ったメッセージが発せられてしまう。
 すでに国会は制裁法を成立させており、衆参両院の拉致特委は制裁発動を決議し、拉致議連、自民、民主、公明3党の拉致対策本部も制裁発動を訴えている。
 国民の大多数も制裁発動に賛成しており、その意思は500万を超える署名となって政府に提出されている。
 未帰還者家族も、愛する肉親が北朝鮮で囚われている苦しい立場でありながら座り込みも辞さない覚悟で制裁発動を求めている。
 私たちは小泉首相に、北朝鮮に対する、制裁発動を強く求める。
 制裁法による送金・貿易停止、船舶入港禁止と合わせて、北朝鮮最高人民会議(国会)代議員を勤める総連幹部への再入国許可取り消しを行っていただきたい。
拉致被害者追加認定も実現して欲しい。
 金正日政権に要求する。いますぐ、日本人拉致被害者を全員返せ。韓国人拉致被害者もすべて返せ。核武装と戦争準備を止めて、北朝鮮民衆の生活向上に力を尽くせ。
 私たちは全ての拉致被害者を取り戻すまで、たたかい続けていくことを誓う。

平成17年4月24日
「小泉首相の決断を求める国民大集会」 参加者一同

以上でございます。
何卒ご承認をお願いいたします。(長く大きな拍手)
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4.24日比谷集会(27)閉会の挨拶

2005-04-24 | 国民大集会7(2005/4/24)
佐藤勝巳 救う会会長 閉会の挨拶



佐藤でございます。(拍手)
今回で7回目の集会となりました。
この種の集会は今年が最後、今年が最後と思ってやってまいりましたが、なかなか止めることが出来ないでおります。
ただいま現在、皆様方がお聞き及びの通り何が問題か?というと、経済制裁を発動するのは閣議決定が必要です。
閣議の責任者は小泉総理大臣です。
この人が邪魔をいたしております。

政府が制裁を発動しないと言うのは正確な表現ではありません。
小泉純一郎が制裁を発動しないんです。(拍手)
制裁を発動しなくて拉致の問題が解決するならば、とっくの昔に解決しております。(拍手)
ではどうやって制裁を発動して拉致を解決するのか?
それは、国会議員の先生方が衆参両院で決議を取ってもらうこと。
大切なことです。

しかし、現状を見ておりますと、仮に決議が通っても小泉さんは発動しないだろうと言うのが私の見通しです。
なぜか?
それは今の総理大臣の頭の中には、国会議員の先生方の来賓の挨拶の中にも触れられておりましたけれども、日朝(国交)正常化を図って歴史に名を残すというとんでもない間違った考えを持っているからです。(拍手)
多分、漆原先生が仰ったんだと思いますが、彼が政治家として歴史に名を残したいのならば、拉致を解決することです!(拍手)

そこで閉会の挨拶として、皆さん方にお願いを申し上げたいことは、小泉さん宛てに直接、手紙でFAXでメールで葉書で、拉致解決の為に制裁を発動しろということを、首相官邸に集中していただきたいということです。(拍手)
去年も申し上げましたけど、あの人は支持率が命の人ですから。(小さな笑い声)
支持率を下げることなんです。
その運動を今日お集まりの6000人の方が、そして全国で本日の集会を固唾を飲んで見ていらしゃる国民の皆さん方が、ひとりひとりが行動を起こしていただければ、私は絶対に拉致は解決すると確信をいたしております。(拍手)

本日は中国の問題があり、韓国の問題があり。
などなどで、皆さん方のお集まりが少ないのではないか?と私正直、内心危惧をいたしておりましたが。
私はそういう意味では大変日和見であったわけです。
実際6000の人たちがお集まりを頂いたことにとって、私をはじめとして、主催者の皆さんは家族会の皆さんは、改めて国民の支持の厚さに感謝をし確信を持ったと思っております。(拍手)
我々3団体は文字通り総力を上げて首相官邸並びに金正日に対し戦ってまいりますので、よろしくご声援をお願いたします。(拍手)


※司会 櫻井よしこ氏
会場の皆様方、長い間・・・(「官邸のFAX番号を教えてください」の声)
このお配りした紙の所に首相官邸のFAX番号が書いてございますのでご参照ください。

はがき/手紙:100-9868千代田区永田町2-3-1内閣総理大臣小泉純一郎殿
メール:官邸ホームページ「ご意見募集」から
FAX:官邸FAX番号03-3581-3883

さて会場の皆様、今日は本当に長い時間ありがとうございました。
家族の皆様がお話になっている間、私日比谷公園の外の第二会場の方に行ってまいりました。
多くの人が地面に座って、もしくは立って、そこでず~っとこの会場から向こうに順繰り順繰りに行く人の話を聞いて、同じように時間を過ごしてくださっておりました。

彼らにはモニターもございません。
会場の中で何が話し合われているかも、彼らは知りません。
けれども拉致問題を解決するために、その力となるためにここにやって来たんだという熱い思いひとつで、ず~っとそこにいてくださいました。
会場にいらしてくださった皆さん方、そして会場の外でずっと一緒に過ごしてくださった皆様方、6000名を超える熱い心を持った皆様に心より感謝いたします。
ありがとうございました。(拍手)

私たちは私たちの決意を持って、来年の12月末までに10件15人の皆様だけでなく、特定失踪者全員の皆様方、そしてお隣の韓国から拉致されたかわいそうな被害者の皆様にも救いの手を差し伸べることをここで改めて決意いたしましょう。(拍手)
どうぞお家にお帰りになりましたら、、お友達、周りの人々、会社の人々にお伝えいただきたいと思います。(「インターネットに書くぞ!」の声)
インターネット書いてください。
そしてこの輪を広げていきましょう。
私たちの心をひとつにして、拉致被害者の皆様と心をひとつにして、そして北朝鮮で救いを待っている人々に一日も早く私たちがたどり着けるよう、頑張っていきましょう。

本日は本当にありがとうございました。(拍手)
ありがとうございました。
そしてこの長い間、手話をしてくださった方が二人いらっしゃいます。
もう一人、(ステージ裏からもう一人出てくる)ありがとうございました(拍手)
本当にありがとうございました。(拍手)
皆さん心から御礼を申し上げます。(拍手)
本当にありがとうございました。(拍手)
どうぞ気をつけてお帰りくださいませ。(拍手)
ありがとうございました。(拍手 )
ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・

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