LIVE LOVE LIFE

ライブや旅などをご報告

Sloppy Joe Ⅲ and more・・・@Zepp Sendai

2006-05-14 23:44:28 | 大江千里さん
今回は
MC中心にします。
会場は徒歩5分のところにあります。Pagodaも近くのサンプラザでやったな。
千里さんが
「金箔の扉がまぶしかった。」
と、話していた県民会館。高校生のとき、なけなしのお金でチケットを購入し、初めて行った時、3Fの最前列で高所恐怖症なのにそれを忘れるくらいのライブだったな。仕事を終えて休んでから、会場に行く。
最初は昔聴いていた「スーパーギャング」を聴きたくってチューニングを丁寧に合わせるような感じのオープニング。よく聴ける日、そうでない日があって聴けないときはふてねしてしまった。そんなことをふと思い出した。

MCなど
・「今日はツアーにようこそ!白石蔵王のアナウンスが聞こえた瞬間、仙台に気持ちがきてました。足が早く回転して漫画で言えば足に渦を巻いているような感じになりました。」
このとき「しろいし」を「しらいし」と、言い、すぐさま客席から突っ込まれる千里さんであった。
・「Sloppy Joe Ⅲの投票に5,000ありました。あの曲も・・・(口元を手で押さえてにやり)この曲も・・・(口元を手で押さえてにやり)やりますのでお楽しみに。」
この時、とても気になったなあ。
・ハンドマイクを持ち、右回転・左回転していた千里さんであったが、ズボンのすそを踏み、ほつれてしまった。
千里さんが
「ポロシャツとかシャツのコーディネイトが何種類かあるんですが・・・。」
と、いって両手でばっとジャケットの前をあけると、滴るくらい汗だらけで上半身が透けて見えた。
「『ちょいワルおやじ』ですね。」
と、まるでジローラモのような感じでターンしていた。
・「年にしてみれば34.5歳ぐらいの整体の先生によく声がでるようにマッサージをしてもらっている。丸首シャツに短パンで髪の毛をシャギーにしたまま、ベッドにねっころがっていたら耳元で
『千里さん、この曲大好きなんですよ。千里さんの声の部分を消して歌っていましたからね。』
と、言われた。彼は「浅ヤン」で「CHEMISTRY」がデビューしたときのオーディションを受けていた。
シャツとかのボタンがとれて、どこかにおっこってしまった。その取れた部分のボタンを抜かして、他のところははめている感じです。今回はちょいワル風、ジローラモとニキータのような感じです。」
歌い終わった後、
「2006年のこの曲も愛してあげてください。」
と、話していたのは印象深い。
・バンドメンバーの紹介をしながら、1986年の頃について話す。
キーボードの山岡恭子さんは(以下ヤマキョウさん)当時小5だった。
千里さん:「なんかさあ、なわとびとかして
『ヤマキョウ、ヤマキョウ、お入んなさい。』
と、言われてもなかなか入らないんでしょ?」
ヤマキョウさん:「(おっとりした口調で)そうですねー、かけっこをしてもビリでした。」
千里さん:「初恋は?」
ヤマキョウさん:「小5で、ダイスケくん。」
千里さん:「おー」
と、歓声を上げていた。
ヤマキョウさん:「告白したら、振られてしまった。」
とのこと。
ベースの石村順さんは
「13で留学中でした。その頃はバスケをして、最初に持った楽器はギターだった。」
千里さん:「初恋は?」
石村さん:「(会場内をきょろきょろしながら、挙動不審だったな。)同じ留学生で広島から来たサクラさんでした。」
ヤマキョウさん:「私はダイスケくん。」
と、突然話していたのは笑えた。
石村さん:「告白した。でも、『わかんない』と、言われてふられた。」
ドラムのマイケル河合さんは今もだけど、ソニーの社員なんだそうだ。これは知りませんでした。転勤で大阪に来ていた時に、デビュー前の千里さんにパスタをおごっていたそう。
マイケル河合さん:「当時、大瀧詠一さんのディレクターをしていた。なかなか、OKを出してくれなかった。その頃の話をすると止まらなくなる。そのあと、プリプリもやった。当時付き合っていた人がいて、千里さんもよく知っている人だよ。」
千里さん:「えっ!だれだれ?」
と、マイケル河合さんが千里さんに耳打ちする。
千里さん:「えーっ、その人と食事に行ったことがある。」
いったい誰なんだ?とても気になった。
ギターの窪田晴男さんはパール兄弟をやっていた。ドラムは美里さんのバンドにいる松永俊弥さんもメンバーにいた。
千里さん:「曲のタイトルが『鉄カブトの女』っていうのがすごかった。」
窪田さん:「放送禁止になった曲もある。」
にはびっくりした。
窪田さん:「そういえば、すごかったじゃん。ラジオ番組とかやっていて。」
千里さん:「『スーパーギャング』とかね。」
会場から「おーっ」
と、歓声が上がる。
千里さん:「その頃は、ツアーと平行して大妻女子大などの学園祭をしていた。カメラマンの人から『撮影時に光が反射するから。』
と、いう理由でめがねにレンズをいれていないものをかけていた。学園祭の時にステージから白い煙が出たときに、そのめがねをかけていたのでよく見えなくってうまく前に進めず、横歩きになった。」
石村さん:「めがね、めがねって感じだったんだ。」
千里さん:「ステージからはけるときも『またねー』と、話したものの幕前だった。」
には爆笑。
・ある曲の前に
千里さん:「じゃあ曲にいこうかな・・・。」
照明が暗くなる。
千里さん:「あ、何かしゃべろうかな・・・。」
照明が明るくなる。
千里さん:「やっぱり曲にいこうかな・・・。」
照明が暗くなる。
千里さん:「あ、一言しゃべろうかな・・・。」
照明が明るくなる。
千里さん:「やっぱり曲にいこうかな・・・。」
照明が暗くなる。
千里さん:「すみません、根が関西人なもので。」
には思わず苦笑い。
・懐かしい音声が流れたあとの曲。イントロを聴いた瞬間から
「立ちたいなあ。」
と、思っていた。
でも、わしは身長が高く
「見えない。」
と、言われるので、ココロの中でスタンディングすることにしていた。前の席でも同じ思いの人がいたのだが、そわそわしてた。間奏から徐々にスタンディングしていったわしはそれを見てすくっと立ち上がった。千里さんにもこれは驚いていた。曲が終わった瞬間
「総立ち!」
と、千里さんが話していたので周りを見回したときにはそうなっていて、びっくりした。
千里さんが「この会場はとても大好きです!」
と、何度も話していたのはうれしかった。汗もすごく飛び散っていたし、演奏するのも楽しそうだった。こちらまでそんな気持ちになる。

アンコールで、
「せんりっ!おーえ」「せんりっ!おーえ」の「おーえ」って野太く言うのが仙台らしいと話していた。
千里さんがテンションがあがっていて
♪ドゥビドゥビドゥ
と、歌いながら腰を振ったり、手を横に振って間寛平さんみたいになっていたのが、みんなついていけない様子だった。
千里さん:「みんな、恥ずかしがっちゃだめだよ。自分を棄てなきゃ。」
いや、おかしくってそれどころでは・・・。
千里さん:「ヒット曲ってあるけど、投票してもらってたくさんの思いがあり、ココロの中のヒット曲があるんだと分かりました。そのなかでも上位、下位の曲があるけど、今日はこの曲を歌います。」
と、最後に一人で演奏を始めた。
「これから10数年ぶりに行く土地があります。行って来ます。」
と、言い残し、千里さんがいなくなる。
客電が付き音楽が流れてきても、
「せんりっ!おーえ」「せんりっ!おーえ」
の掛け声と手拍子がやまず。会場の扉が開いても誰一人帰ろうともしなかった。係員の人が声をかけてやっと観客は会場を出た感じになった。

最初からテンションが高く、声援も手拍子も熱かった。今度はZeppよりもキャパが小さいところでみるので、楽しみだ。
「昔のままでは 今のままじゃいられない。一瞬一瞬を大切にしたい。」
そう思ったライブだった。
実は・・・わしかなり手あれをしていましたが、たくさん手拍子をしたせいで、手のひらから出血していました。それぐらいすごかったんです。
コメント (6)
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ガツンと来た!!

2006-05-14 21:26:52 | 大江千里さん
今回の
ツアーは本当にそんな感じ。迷っている方は参加するとよろし。詳しくは後日ね。
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