16世紀、スペイン人が銀の鉱脈を発見して銀を掘るために作った街、ポトシ。標高4100m。銀が産出される山は更に高く4900m。
ポトシは空気が薄く(私は予防薬を飲んでいたけれど高山病一歩手前だった)、水はほとんどなく(雨も雪も少ない)、作物はとれず、人が住むには苛酷な環境にあったが、スペイン人はラグーナ(ため池、生活するための水)を32も(ガイドの話)作り、多くの教会を建て多くの神父を送り込み(精神面で支えようと)、何とか銀の採掘ができる環境を作った。
鉱夫は原住民のインディヘナ。坑内ではほとんどが手作業の状態で、週に3日も4日も坑内に入りっぱなしで連続労働、2,3日外に出てまた3,4日真っ暗な粉塵の立ち込める坑道で労働、これの繰り返しであった。余りの空腹に鉱夫たちはコカの葉をかむことですきっ腹を紛らわした。このような過酷な労働のために労働者は短命であった。30歳、40歳で死ぬため後には黒人なども連れてこられたらしい。
そんな人たちによっておびただしい銀が採掘され、造幣され、せっせとスペインに運ばれたのだった・・・。(今は銀も枯渇、他の鉱物を小規模で採掘している)
その山の名はセロ・リコ(富の山)、余りにも皮肉な名前だ。富の下に多くの命の犠牲があったこと、これもボリビアの歴史の中のひとつの事実なのだ。
ポトシ銀山に興味のある方にお薦めします。
「私にも話させて」(アンデスの鉱山に生きる人々の物語)
ドミティーラ著 現代企画室
写真はポトシの街とセロ・リコ(富の山)(標高4900m)と呼ばれる銀採掘の山。
山のふもとに広がる鉱山労働者の住宅群跡。
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