【震災2年特集】行き場ない核のごみ
豊かな大地を汚し、今も放射能の恐怖が続く福島第一原発事故から2年。原発の「負の遺産」ともいえる高い放射線量の使用済み核燃料は今や1万7000トンにも達し、貯蔵する場所がなくなりつつある。仮に全原発が再稼働すれば、わずか6年で満杯になる計算だ。処理方法も、行き先もめどが立たず、列島を漂流する核のごみ。その現実に目をそむけ、この国は再び原発を動かそうとするのだろうか。
◆袋小路の核燃サイクル
資源の乏しい日本では、原発から出た使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出し、それを再び燃料として高速増殖炉で使う「核燃料サイクル」が原子力政策の柱だった。
ところが、サイクルの要となる青森県六ケ所村の再処理工場は一九九七年完成予定が、技術的なトラブルなどから十九回も延期。運営する日本原燃は今年十月の完成を目指しているが、再び延期の可能性もある。
福井県敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」も九五年のナトリウム漏れ事故後、ほとんど停止。国家プロジェクトとして建設されたもんじゅには既に一兆円の巨費が投じられ「税金の無駄づかい」との批判が出ている。
一方、日本が再処理を通じて、核兵器に転用可能なプルトニウムを大量に保有することに国際社会から厳しい目も。
国際原子力機関(IAEA)によると、日本のプルトニウム保有量は二〇一〇年末で九・九トン、核保有国の英仏米ロに次ぐ。仮に現在ある一万七千トンの使用済み核燃料を全量再処理した場合、単純計算で一万発を超える核弾頭の製造が可能となり、北朝鮮をはじめ緊張が続く東アジアで、テロや核拡散を招きかねないという懸念の声も出ている。
◆使用済み燃料1万7000トン
原発から出る使用済み核燃料は、原子炉建屋内の巨大な核燃料プールで冷やされ一時貯蔵されている。
国の核燃料サイクルに従えば、これらは本来、青森県六ケ所村の再処理工場で再処理されるはずだが、本格稼働のめどが立たないため、プールに置かれた状態が続いている。
電気事業連合会によると、事故で廃炉が決定した福島第一原発1~4号機と、既に廃炉作業中の浜岡1、2号機を含めた全五十六基のプールは総容量の七割が埋まっている。
プールが満杯になれば、高い放射能をおびる使用済み核燃料があふれることになる。ごみ処理の点だけみても、原発の再稼働は無理がある。
プールの容量が逼迫(ひっぱく)している九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の1、2、4号機の共用プールの空きはわずか百トン。燃料交換の実績データを元に計算すると、わずか二年余分の余裕しかない。九電の広報担当者は「プール以外の新たな貯蔵施設が必要」と頭を抱える。
このため、電力各社は六ケ所村の再処理工場にある三千トン規模のプールに運んでいるが、これも98%が埋まっている。政府・自民党は安全性が確認された原発を順次稼働しながら、再処理事業にめどをつけるとしているが、再処理工場はトラブル続きで実現性は依然として不透明だ。
一方、各原発のプールに百~二千四百トンもの使用済み核燃料を長期に貯蔵することを危ぶむ指摘も。プールは原子炉格納容器の外側にあり、外界との間は建屋のコンクリート壁しかない。
福島第一原発事故では崩壊した4号機の建屋からプールがむき出しになり、水中の使用済み核燃料から大量の放射能が大気中に放出される危険性が現実味を帯びた。
元GE原発技術者で、原子力コンサルタントの佐藤暁さん(55)は「プールはテロの標的にもなりかねず、危険だ」と指摘する。
米モントレー国際研究所のマイルス・ポンパー上席研究員は静岡市で一月末に開かれた国連軍縮会議で「福島の事故で原発の冷却設備を破壊すれば、大事故になることをテロリストに教えてしまった」と警告した。
◆フィンランドは最終処分場着工 再処理せず地下に10万年
世界中が「核のごみ」の後始末に道筋を示せない中、使用済み核燃料の最終処分場の着工にこぎ着けたのが北欧フィンランド。2020年の処分開始を目指し、現地では急ピッチの工事が進む。
首都ヘルシンキから北西250キロのオルキルオト島。処分場「オンカロ」の名はフィンランド語で「深い穴」を意味する。高レベルの放射性物質の使用済み核燃料を再処理せず、銅と鋳鉄の筒で密閉して地下400~500メートルの地中に埋める。
無害化するのは10万年で、気の遠くなる期間。運営するポシバ社の地質学者ペレさん(31)は「ここは19億年前の岩盤。地震もないし、安全だ」と話す。2100年まで核のごみを運び込み、その後は入り口を固く閉ざす。
最終処分場をめぐっては、同じ北欧のスウェーデンが候補地を決定。米国はネバダ州のユッカマウンテンに決めたが、反対運動で09年に計画撤回に追い込まれた。
福島第一原発事故後、脱原発が進む欧州。その中で、フィンランドは数少ない推進国だ。バパーブオリ雇用経済相は「国民の多くが原発を支持しているのは、最終処分という『責任』のめどが立っているからだ」と、その理由を説明する。
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/twoyear/130311-2.html