黒澤 明監督の「夢」について
May 21, 2017
約30年前に1990年に黒澤明監督が自分の見た夢をもとに撮りあげた8話形式のオムニバス形式の映画「夢」。
私は映画館でみてはいないのです。
8話目の「水車のある村」が安曇野で撮影されたことは聞いていたので、なんとなく気になっていました。
黒澤映画の中では、極端に評価が低い映画ですが、私は「黒澤明」監督の遺言的なものを感じました。
すべては私たちが失ってきたもの(信仰心や倫理観や自然への畏敬の念)に対する警鐘と慟哭、そして愛が感じられます。
特に近年、六話と七話が黒澤監督からの予言だといわれ、話題になっています。
近年は311以降は第六話の「赤富士」が原発の事故により日本?が滅亡する様を描いていた話題になりました。
「原発は安全だ!危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない。とぬかした奴らは、許せない!」と避難してきた子供を抱えた女性(女優;根岸季衣)が叫びます。
このへんのエピソードはまた書きたいと思っています。
私がお話ししたいのは第八話です。
先日法話を聴いていたら
「年を取るのはいいものです。」
といわれたのを思い出しました。
このエピソードは黒澤明監督が80歳になろうとした時に製作したとのことですが、そんな予備知識もなく、アマゾンプライムでタダでみられるからとみていたのです。
第一話からみていたのですが、やはり6話目、七話目で衝撃を受けますね。
そして多くの評論家が
黒澤明監督が「夢」全編に渡りこの映画で表現したかったことは
「全世界の人々に向けた警鐘を込めた黒澤明監督のメッセージ」を語ります。
第八話にも103才の古老が
『私たちはできるだけ、昔のように、自然な暮らし方をしたいと思ってるんだ。近頃の人間は、自分達も自然の一部だということを忘れている。自然あっての人間なのに。その自然を乱暴にいじくりまわし、俺たちは、もっといいものができると思っている。(中略)そして、そのために自然が失われ、自分達も滅んでいくことに気がつかない。まず、人間に一番大切なのは、いい空気や自然な水、それをつくりだす木や草なのに。それが汚され放題、失われ放題。汚された空気や水は、人間の心まで汚してしまう。』云々
この部分にフォーカスされますね。
g原発の問題提起 人間が鬼になってしまうお話もそうです。すぐにそこにフォーカスしてしまいます。
しかし最後に
『本来、葬式はめでたいものだよ。よく生きてよく働いて「ご苦労さん」と言われて、死んでめでたい。」以後云々
まさに阿弥陀様の本願に信心が恵まれた方の大切な言葉として味わいました。
黒澤監督も浄土真宗の熱心な信者だったのではないでしょうか?
素敵な話です。
僕もこんな葬式でめでたく送られてみたいものです。
この「夢」で語られているのは
黒澤監督の死生観や人類の警鐘などではなく
阿弥陀様のお慈悲ととらえることが出来ますね。
1「日照り雨」
2「桃畑」
3「雪あらし」
4「トンネル」
4「鴉」
6「赤富士」
7「鬼哭」
8「水車のある村」
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