自由空間

喘息などに効果のある呼吸法を紹介していましたが、自然環境や世の中の激変で、さまざまな話を自由にしていく事にしました。

今日は何の日・・・アインシュタインのライバルの日

2012-10-07 09:41:16 | Weblog

GOOの検索画面が、量子力学の天才ニールス・ボーワの誕生127年の祝い画面なので

嬉しくなり今日のブログを書きます。

何故嬉しいかと言うと・・・・ニールス・ボーワはビューテイコ氏が言う呼吸亢進(こうしん)の理論を

裏付けるボーア効果を発見した、クリスティアン・ボーア(Christian Bohr)の息子さんです。

ニールス・ボーアはアインシュタインの陰に隠れてしまいあまりその存在を知られていませんが、

私は、彼が居たからこそ物理の古い壁が壊され、前期量子論の展開を指導、

量子力学の確立、発展が有るのよ!ッと思います。


以下は、下記のサイトから引用させて頂きました。


アインシュタイン唯一のライバル
「神はダイスをころがさない」
 
テレビ・ドラマのタイトルにまでなったこの言葉が、かのアインシュタインによるものだということは有名です。

しかし、この言葉がいつ何のために、誰に向かって語られたものかを知る人は多くないでしょう。

より正確には、アインシュタインはこう言ったとされています。

「あなたは本当に、神がサイコロ遊びのようなことに頼ると信じますか?」それに対して、

相手はこう言って切り返しました。

「あなたは、物の性質をいわゆる神の問題に帰するときには、注意が必要だと思いませんか?」

 こう言って、アインシュタインをやりこめた人物、彼こそ20世紀の科学を代表するもうひとりの天才物理学者ニールス・ボーアです。

<第二次世界大戦勃発>
 1939年に第二次世界大戦が始まると、ヨーロッパの多くの国がドイツによって占領され、ユダヤ人の多くが次々に収容所へと送られ始
めました。ボーア自身もユダヤ系でしたが、デンマークが中立の立場を守っていたことから、彼はヨーロッパから脱出するユダヤ人や亡命する
科学者たちの窓口として活動するようになります。その後、デンマークがドイツに占領されてもなお故国を離れようとはせず、ギリギリまでユ
ダヤ人たちの脱出を手助けしました。最終的に彼もまたアメリカへ渡りますが、そこで彼は大戦の行方を左右する計画に加わることになりま
す。
 それは当時ナチス・ドイツも研究開発を進めていた核兵器の開発でした。ただし、彼はヨーロッパ戦線が終わりを迎える頃にアメリカに渡っ
たこともあり、ロス・アラモスで行われていた「マンハッタン計画」はすでに始まっており、原子爆弾はもう完成間近でした。
 
 しかし、この時彼が知ったのは、この原爆を開発した科学者たちの多くがそのことを後悔し始めているということでした。それは自分たちが
生み出した兵器が、どれほどの被害をもたらし、その放射能の影響がいかに広範囲、長時間に及ぶかを十分に理解していたからでした。

<核開発のジレンマ>
 ボーアもまたその危険の大きさを認識し、すぐにその抑止に向けた活動を始めました。この選択もまた彼がデンマークという中立的立場の
国の出身だったから可能になったことでした。
 彼はアメリカの核開発に協力したものの、けっして反ソ連の立場はとらず、さらに自らのノーベル賞受賞者という立場を利用して、イギリス
でチャーチルと会い、核の抑止に向けた取り組みへの協力を求めます。それは核兵器が実際に使用されその破壊力が世界中に明らかになってし
まった後では、もう核開発に向けた枠組み作りは不可能だと彼は考えたからでした。そのため、イギリスが仲介者となり、米ソを会議の席に着
かせようという筋書きでした。
 
しかし、そんな彼の思惑はソ連を徹底的に嫌っていたチャーチルによって、あっさりと蹴られてしまいました。それどころか、チャーチルは
ボーアを反逆者として逮捕する必要があるとさえ考えていたようです。
 
こうして、物理学の黄金時代を築いた科学者たちが建てた「バベルの塔」は、世界の破滅という悪夢を人類にもたらし、21世紀に入ってもそ
の危険は続いているのです。

<ボーアの残した言葉>
 ニールス・ボーアは1962年6月に脳溢血に倒れ、その後一時的に回復したものの同年11月18日故郷のコペンハーゲンで静かに息を
引き取りました。(享年77歳)
 彼は以外なことに生前、論文以外の文章をまったく発表していません。彼の言葉は彼の周りに集まっていた人々の脳裏に焼き付いた記憶と
してしか残らなかったことで、その存在感はしだいに薄くなりつつあるようです。それでもこんな言葉が残されています。

「自然がいかにあるかを見出すことが物理学の任務であると考えることは、誤りである。物理学は、われわれが自然について何を言い得るか
に、関するものである」
 
彼は科学者であると同時に哲学者でもあったと言った彼の伝記作者ルース・ムーアは、こうも書いています。
「・・・また彼は、自然の法則を少数の基礎的な原理に還元しようと、試みもしなかった。彼の哲学は、体系ではなくてむしろ接近のしかた、
あるいは姿勢であった」
 
さらにボーア自身こう語っていたそうです。
「私が述べるすべての文章は、断定ではなく、質問であると理解されるべきである」
なんだか哲学と言うよりも、禅問答のように聞こえます。彼が多くの科学者たちに慕われたわけも、このあたりにあったのかもしれません。


「神はダイスをころがさない」・・・そしてアインシュタインは「ベロ」を出したけれど、

ニールス・ボーアは「アカンベー」をしたと思うわ・・ウㇷㇷ

以下はウキぺディアより

ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、

後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していた。

さらに、次のようにも言っている。 「原子物理学論との類似性を認識するためには、

われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、

大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の

位置を調和あるものとするように努めねばならない。」


その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章(Order of the Elephant)を受けた時、

「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、

東洋の図面、太極図であったことからもうかがえる。 その紋章は、

デンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。

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