墓石クリーニングの女

お墓と向き合うことで『大切なもの』を日々感じながら、あつく生きる女…それが、アタシ。

父とアタシの話 

2014年02月07日 | あきねぇ便り
アタシは父が嫌いだった。

母も姉もいつも父の顔色をうかがっていた。

中2の時、「お前は馬鹿でどうしようもない。もう通信簿は見せなくていい。気分が悪くなる。」と言われ、その後一度もアタシの成績を見たことがない。

姉は成績優秀で、剣道では東北一強い女剣士になったこともある自慢の娘だったけど、アタシのように何の取り柄もなくデブで不細工な娘は許せなかったと思う。いや、こんな人間がいることにビックリし、とまどっていたのかもしれない。

そのくせ、あっけらかんとみんなが絶対触れないようなことを指摘したり、遠慮のないおこちゃまだったからますます怒りに触れる。
だからいつも本気で怒鳴られたし、ぶたれたり、外に出され、「馬鹿でどうしようもない人間」と言われ続け育った。

そんな父を、好きでいられる訳がない。



晩年、世捨て人のようになった父。
偏屈でワガママでどうしようもない父。



外部との交流を絶って、10年くらい経過していた。



お葬式は、身内しか来てくれないだろうと思っていた。



しかし、沢山の花輪が届いた。中には秋田銀行野球部と書かれたものもあった。野球部だったのは何十年前のことだろう。
たとえ、何十年も前のことだろうが、父がつけた足跡は消えはしないのだろうか。

姉の会社関係や、アタシの友人も多かったが、秋田銀行時代の友人や奥様達がいらしてくれた。八郎潟事業団時代の方もいらしてくれた。

弔辞では銀行の同期の方が話をしてくれた。

父が、若い時から野球や竿燈会等でリーダーとして頑張ってきたこと、歌が上手でよく歌ってくれたこと、誰からも好かれるムードメーカーであり、優秀な銀行員だったこと。
忘れていた若き日の父の姿を思い出させてくれた。

とても温かい、立派なお葬式になった。

これも、生前父に関わった多くの方々のおかげであり、父の人柄のおかげなのだろう。



亡くなってアタシは気づいた。

アタシは父を嫌いではなかった。

家ではワガママ放題でいい父親とは言えなかったかもしれないけど、実はいろんな人に愛されるキャラで、魅力あふれる男であり、決まった器に収まりきらないとこが結構好きだった。

亡くなった母も、振り回されながら、父のことを好きだった。

父の兄や弟も、いつだってシンの話で盛り上がり、楽しいお酒を飲んでいた。



そんな人が、アタシの父なんだ。



そして、法事の時に和尚さんがアタシに言った言葉と、叔母の言葉が、後にアタシが「墓石クリーニングの女」となるきっかけになる。

この道は、父がアタシに与えた道かもしれないと、時々思う。



これがアタシの父の話だ。


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