いたずら坊主だったシンもめでたく秋田高校に入った。
三兄弟揃ってサッカー部のキャプテンを務め、モテモテだったらしい。(本人曰く)
昭和8年生まれのシンは、身長180センチもありスポーツマンでがっしりとしていて、鼻筋が通ったいいオトコだったから、その時代にはかなり目立った。
それだけではなく、シンは三兄弟の中でも天才型で何をやらせても器用にこなすし、努力をしなくても勉強もできる男だった。他の兄弟は真面目で努力家秀才型で、シンを羨ましいと言っていた。しかし、結局は真面目でコツコツ努力する人の方が、本当に欲しいものを手に入れるのではないかと、三人を見ていて思う。
大学時代は、裕次郎と歳が近いので、映画「狂った果実」や「嵐を呼ぶ男」の影響を大きく受け、ちょっとバンカラな遊び人風を目指していたようだ。
早くに父親を亡くし、教師をやっていた母親一人で男三人を育てて大学にも行かせたのだから並々ならぬ苦労があったと思うが、兄貴が働いて家計を支えたので、いくつになっても兄貴には頭が上がらなかった。それも、裕次郎と慎太郎に少し重なる。
三人兄弟はとても仲が良く、三人でお酒を飲む時は本当に楽しそうで、少年の顔に戻っていた。いつも盛り上がるのは「シンの逸話」だ。逸話を書き始めると、一冊の本にできるかもしれないほど沢山ある。
今でも、思い出すと笑ってしまうのは「犬鍋事件」だ。
兄貴のお嫁さんの実家は秋田県の神代というところにあり、酒豪が住む土地と言われている。その辺りの家は、家族全員大酒飲みで、毎日、トト様が歌えばカカ様が踊り、バ様が三味線を弾けばジ様が太鼓を叩く…お酒はケースで買い、あっという間に飲んでしまう。それが普通だ。
三兄弟にとっては天国である。その土地の名物の赤犬の鍋を食べながらお酒を煽り、歌い踊り大騒ぎ。友人が訪ねてきて、「犬は食わんぞ!」と言われたら、「猪鍋だ!」と騙し食べさせ、さんざん酔っ払った頃打ち明けて、そのリアクションを楽しむのだそうだ。ドッキリTVと同じである。
自由奔放、大胆不敵な性格だというのに、シンは沢山の人に愛されていたような気がする。
大学を卒業して、ゼネコンに入りたかったが、兄貴のススメと秋田に残りたい気持ちとで秋田銀行に入行した。
銀行員らしくない銀行員と言われ続け、シン自身もなじめない部分もあったと思うが、結局は出世道を外れ、彼らしい道を進んだ。
その頃のシンの写真を見たことがある。
スーツをバリッと着こなし白いエナメルの靴、片足を台の上にあげて肘をつき手を顎にあてニヤッと決めて、隣にはまき子夫人のようなキレイな女性も写っていた。
30歳になるまで、とにかく遊びまくったようだ。
奨学金も滞納し、一切貯金もせず、全てお酒と遊びにつぎ込んだ。母が、こんな銀行員いるなんて、騙された…とよく言っていた。
銀行の中では野球部の部長や竿燈部の仕切り役をやったり、ゴルフ大会や麻雀大会や釣り大会では必ず賞品をもらい、仕事はちょちょいと適当にこなし、飲み会も遊びも大胆にとことんやるタイプのオトコだった。
その頃の銀行員は所帯を持ってやっと一人前のような感覚があり、早く結婚する人も多かったが、シンは30歳でやっと結婚した。
母とは、札幌で一度だけデートをして結婚した。
山形からわざわざシンの転勤先まで訪ねていった母は食事も連れて行ってもらえずに、ちょっと会って別れたそうだ。
後に、その理由はジンギスカンが食べたくなったから(汚い店で連れていけない)と聞かされ、呆れた母であった。
そんな男でも、母はシンに一目惚れし、惚れた弱みで一生尽くしてしまい、シンはますます図にのっていくのである。
父180センチ。母149センチ。身長差婚の走りだったが、この二人は最後まで添い遂げた。
三兄弟揃ってサッカー部のキャプテンを務め、モテモテだったらしい。(本人曰く)
昭和8年生まれのシンは、身長180センチもありスポーツマンでがっしりとしていて、鼻筋が通ったいいオトコだったから、その時代にはかなり目立った。
それだけではなく、シンは三兄弟の中でも天才型で何をやらせても器用にこなすし、努力をしなくても勉強もできる男だった。他の兄弟は真面目で努力家秀才型で、シンを羨ましいと言っていた。しかし、結局は真面目でコツコツ努力する人の方が、本当に欲しいものを手に入れるのではないかと、三人を見ていて思う。
大学時代は、裕次郎と歳が近いので、映画「狂った果実」や「嵐を呼ぶ男」の影響を大きく受け、ちょっとバンカラな遊び人風を目指していたようだ。
早くに父親を亡くし、教師をやっていた母親一人で男三人を育てて大学にも行かせたのだから並々ならぬ苦労があったと思うが、兄貴が働いて家計を支えたので、いくつになっても兄貴には頭が上がらなかった。それも、裕次郎と慎太郎に少し重なる。
三人兄弟はとても仲が良く、三人でお酒を飲む時は本当に楽しそうで、少年の顔に戻っていた。いつも盛り上がるのは「シンの逸話」だ。逸話を書き始めると、一冊の本にできるかもしれないほど沢山ある。
今でも、思い出すと笑ってしまうのは「犬鍋事件」だ。
兄貴のお嫁さんの実家は秋田県の神代というところにあり、酒豪が住む土地と言われている。その辺りの家は、家族全員大酒飲みで、毎日、トト様が歌えばカカ様が踊り、バ様が三味線を弾けばジ様が太鼓を叩く…お酒はケースで買い、あっという間に飲んでしまう。それが普通だ。
三兄弟にとっては天国である。その土地の名物の赤犬の鍋を食べながらお酒を煽り、歌い踊り大騒ぎ。友人が訪ねてきて、「犬は食わんぞ!」と言われたら、「猪鍋だ!」と騙し食べさせ、さんざん酔っ払った頃打ち明けて、そのリアクションを楽しむのだそうだ。ドッキリTVと同じである。
自由奔放、大胆不敵な性格だというのに、シンは沢山の人に愛されていたような気がする。
大学を卒業して、ゼネコンに入りたかったが、兄貴のススメと秋田に残りたい気持ちとで秋田銀行に入行した。
銀行員らしくない銀行員と言われ続け、シン自身もなじめない部分もあったと思うが、結局は出世道を外れ、彼らしい道を進んだ。
その頃のシンの写真を見たことがある。
スーツをバリッと着こなし白いエナメルの靴、片足を台の上にあげて肘をつき手を顎にあてニヤッと決めて、隣にはまき子夫人のようなキレイな女性も写っていた。
30歳になるまで、とにかく遊びまくったようだ。
奨学金も滞納し、一切貯金もせず、全てお酒と遊びにつぎ込んだ。母が、こんな銀行員いるなんて、騙された…とよく言っていた。
銀行の中では野球部の部長や竿燈部の仕切り役をやったり、ゴルフ大会や麻雀大会や釣り大会では必ず賞品をもらい、仕事はちょちょいと適当にこなし、飲み会も遊びも大胆にとことんやるタイプのオトコだった。
その頃の銀行員は所帯を持ってやっと一人前のような感覚があり、早く結婚する人も多かったが、シンは30歳でやっと結婚した。
母とは、札幌で一度だけデートをして結婚した。
山形からわざわざシンの転勤先まで訪ねていった母は食事も連れて行ってもらえずに、ちょっと会って別れたそうだ。
後に、その理由はジンギスカンが食べたくなったから(汚い店で連れていけない)と聞かされ、呆れた母であった。
そんな男でも、母はシンに一目惚れし、惚れた弱みで一生尽くしてしまい、シンはますます図にのっていくのである。
父180センチ。母149センチ。身長差婚の走りだったが、この二人は最後まで添い遂げた。
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