フィリッピンからの報道によると、9月21日首都圏マニラ市での
反対集会デモが行われたとありました・・・・
以下マニラからの新聞報道を転載します。
故マルコス元大統領による戒厳令布告から44年を迎えた21日午後、
首都圏で左派系市民団体のメンバーら約5千人が、マルコス氏の英雄墓地埋葬に反対し、
二度と戒厳令が布告されないよう訴える大規模な集会とデモを行った。
ドゥテルテ大統領は同日、戒厳令布告の考えはないと表明、当面、憲法条項に基づく
「無法状態宣言」を継続する考えを強調した。
集会とデモは急進左派系市民連合バヤンが呼びかけたもので、マルコス戒厳令下で
人権侵害を受けた被害者も参加。
集会に先立ち「マルコスは英雄ではない」「全ての政治犯の解放を」などと書かれた
プラカードや横断幕を掲げて、ケソン市のウェルカム・ロトンダ広場から、集会場所の
マニラ市のメンジョラ橋までデモ行進。
集会ではマルコス氏の遺体の英雄墓地(首都圏タギッグ市)への埋葬と戒厳令の再布告反対を訴えた。
ドゥテルテ大統領は埋葬を受け入れる考えを明らかにしているが、現在、最高裁が
埋葬の一時差し止め命令の凍結期間を10月18日まで延長したため、9月18日に実施される
予定だった埋葬は10月以降にずれ込んでいる。
大学在学中に反マルコス運動に加わり、18歳で逮捕され2年間収監されたという
バーナデッテ・アキノさん(61)は、ドゥテルテ政権の政治運営について「戒厳令は布告されて
いないものの、当時と似た空気を感じ懸念を抱いている」と話した。
(マニラ新聞から)
マルコス政変が始まった時にマカティ市レガスピ ビレッジのコンドミニュアムに住んでいた・・・
休日だったので住んでいた部屋から銃声の音がする方向を窓を開けて
近くのビルを眺めた~
そうすると近くのビルの屋上に人影があって、そちらを見た瞬間に銃弾が窓ガラスを
突き破って飛び込んできた!!!
部屋のなかにガラスの破片が飛び散って、とてもではないが危険を感じて
マカティからマニラ市の以前住んでいたホテルに避難した・・・・
マルコスと聞くといつも当時のことを思い出してしまう~~~
(MAKATI市Legaspi Villageのマニラ湾からの眺め)
マニラ湾の夕日の眺めは今でも変わらない・・・・
反対集会デモが行われたとありました・・・・
以下マニラからの新聞報道を転載します。
故マルコス元大統領による戒厳令布告から44年を迎えた21日午後、
首都圏で左派系市民団体のメンバーら約5千人が、マルコス氏の英雄墓地埋葬に反対し、
二度と戒厳令が布告されないよう訴える大規模な集会とデモを行った。
ドゥテルテ大統領は同日、戒厳令布告の考えはないと表明、当面、憲法条項に基づく
「無法状態宣言」を継続する考えを強調した。
集会とデモは急進左派系市民連合バヤンが呼びかけたもので、マルコス戒厳令下で
人権侵害を受けた被害者も参加。
集会に先立ち「マルコスは英雄ではない」「全ての政治犯の解放を」などと書かれた
プラカードや横断幕を掲げて、ケソン市のウェルカム・ロトンダ広場から、集会場所の
マニラ市のメンジョラ橋までデモ行進。
集会ではマルコス氏の遺体の英雄墓地(首都圏タギッグ市)への埋葬と戒厳令の再布告反対を訴えた。
ドゥテルテ大統領は埋葬を受け入れる考えを明らかにしているが、現在、最高裁が
埋葬の一時差し止め命令の凍結期間を10月18日まで延長したため、9月18日に実施される
予定だった埋葬は10月以降にずれ込んでいる。
大学在学中に反マルコス運動に加わり、18歳で逮捕され2年間収監されたという
バーナデッテ・アキノさん(61)は、ドゥテルテ政権の政治運営について「戒厳令は布告されて
いないものの、当時と似た空気を感じ懸念を抱いている」と話した。
(マニラ新聞から)
マルコス政変が始まった時にマカティ市レガスピ ビレッジのコンドミニュアムに住んでいた・・・
休日だったので住んでいた部屋から銃声の音がする方向を窓を開けて
近くのビルを眺めた~
そうすると近くのビルの屋上に人影があって、そちらを見た瞬間に銃弾が窓ガラスを
突き破って飛び込んできた!!!
部屋のなかにガラスの破片が飛び散って、とてもではないが危険を感じて
マカティからマニラ市の以前住んでいたホテルに避難した・・・・
マルコスと聞くといつも当時のことを思い出してしまう~~~
(MAKATI市Legaspi Villageのマニラ湾からの眺め)
マニラ湾の夕日の眺めは今でも変わらない・・・・