ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

マルコス元大統領の遺体が英雄墓地に埋葬

2016年11月20日 | Luzon島
マルコス元大統領の遺体が11月18日に英雄墓地に埋葬された。

仕事でマニラに駐在していた時にピープルパワーによる政変があって、
元大統領はアメリカに亡命した。そして亡命中ハワイで死亡した。

遺体は故郷のILOCOS NORTE州(北イロコス州)Batac町の生家に安置されていた。

それが今まで前アキノ大統領によって英雄墓地には埋葬は許可されなかった。
それがドゥテルテ大統領になってからOKになった。埋葬反対派から埋葬差止めを
求めた裁判行われていたが、それが却下された。

国会でも埋葬承認の反対決議案が否決されたので18日に埋葬された。


マニラ新聞に掲載された画像と記事を転載します。
(埋葬の様子)



(反対派のデモ)



以下マニラ新聞の記事です・・・

マルコス元大統領の遺体が18日正午、英雄墓地(首都圏タギッグ市)に埋葬された。遺体は安置されていたルソン地方北イロコス州から国軍のヘリコプターで移送された。
 埋葬決定は、遺体埋葬の約1時間前に首都圏警察本部のアルバヨルデ警視正によって公表され、これを受けて地元テレビ局は報道特別番組で伝えた。

 反対派との混乱を避けるために内密に準備が進められたと思われることについて、ロブレド副大統領は声明で「マルコス家は意図的に隠していた。かつて財産を隠し、人権侵害を隠蔽(いんぺい)していたように。マルコス元大統領は英雄ではない。もし英雄墓地にふさわしいなら、こそこそ埋葬するとはどういうことか」と厳しく批判した。
 
 英雄墓地の周辺や各地で反対派による抗議行動が行われた。
英雄墓地には大統領、軍関係者、警察官、科学者、芸術家らの遺体が埋葬されている。
 
埋葬後、長女のアイミー・マルコス北イロコス州知事は記者会見で、英雄墓地への埋葬が実現したことに対し、ドゥテルテ大統領や支援者に感謝の意を表した。
 
 マルコス元大統領は1972年、共産主義の脅威を理由にフィリピン全土に戒厳令を布告。前アキノ大統領の父ベニグノ・アキノ・ジュニア上院議員ら反マルコス派を拘束し、米国などへ亡命を余儀なくさせて独裁体制を敷いた。
 
また、反政府活動家を拘束し、拷問した。その後、86年の大統領選挙での不正行為を機に国軍が決起し、これを支持する国民によるアキノ政変(エドサ革命)で失脚。米国ハワイに亡命中の89年に死去した。
 
 マルコス元大統領の遺体は、93年にハワイから北イロコス州バタック市に移送、冷凍保存された。長男のボンボン・マルコス元上院議員らは英雄墓地への埋葬を求めてきたが、アキノ前大統領は任期中には容認しないことを表明していた。

 今年7月に就任したドゥテルテ大統領はマルコス元大統領の遺体を英雄墓地へ埋葬する意向を示し、8月に埋葬されることになっていた。しかし、戒厳令下で拷問を受けた被害者団体らが一時差し止めを最高裁に申し立てたため、凍結。だが今月8日、最高裁が一時差し止めの申し立てを却下し、埋葬を承認する決定を発表した。上院で埋葬承認への反対決議案が出されたが15日に否決されていた。


(参考:過去のブログ)


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