ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

記憶がよみがえるピナツボ山大噴火!!!

2017年06月29日 | Luzon島
少し前にフィリピン現地の新聞にピナツボ山大噴火の記事が載っていて、
当時はマニラに駐在していたので思い出しました。

今から26年前の平成3年(1991年)6月7日、フイリピンのルソン島Pampanga州、
Tarlac州、Zambales州の境界に位置するMt.Pinatubo(ピナツボ)山が400年ぶりに大噴火した。

20世紀最大の火山噴火で、放出された大量の火山灰が成層圏にまで達し、
世界中の日射量を長期間にわたり減少させた。
そして噴火前は標高1745mだったピナツボ山は噴火後膨大な噴出物により低くなり、
1486mの山になってしまった。









早いものであれからもう26年になるんですねぇ!!!
当時マニラに駐在していた時で、DOTC(運輸通信省)のTelofビル内にいたのですが
すぐに噴火したとわかった・・・・
その後数日間は小噴火を繰り返していた。









当時のメモをみると、6月16日は前日の噴火の影響でマニラ市内でも火山灰が
積もっていたと書かれている。






今では何もなかったようにフィリピンの人々は忘れかけているのでしょうか?
噴火直後にパンガシナン州の通信プロジェクトを行っている町に検査に出かけたが、
大量の火山灰が道路を埋めて通行に困難であったことを記憶している。

道路だけではなく畑や家屋そして教会も半分程埋まってしまったところもあった。
最大の噴火は、この年の6月15日の噴火で、この時は台風5号が接近して大雨と
なっており、火山災害を拡大させた。

噴火による死者は約300人ですが、多くは屋根に堆積してた火山灰が雨を吸収して
重くなって家が潰れたことによる。

南西に75キロメートルにあるスービック海軍基地、東に40キロメートルにある
クラーク海軍基地という、アメリカ軍の重要な基地は、噴火によって放棄となり撤退した。








このピナツボ山大噴火の前に周辺では異変が起きていた。

最初の異変が起きたのは、主噴火の約11カ月前の1990年(平成2年)7月16日。
この日、ピナツボ火山の北東約100キロメートルを震源とするM7.8のルソン島部地震が発生した。
その後この地震は「バギオ大震災」と名前がつけられた。

この直後、ピナツボ火山で土砂崩れや地震が発生し、一時的に噴気が活発化した。

さらに1991年3月、ピナツボ火山周辺で小規模な地震が群発するようになり、
4月には山頂近くの北西斜面で水蒸気爆発が起こりました。

6月初めまでの地震発生回数は数千回に上り、二酸化硫黄ガスが大量に放出されました。
そして最初の地震から11か月後の1991年6月7日に大噴火をした。







このバギオ大震災の時もマニラにいて大きな揺れを感じたのをはっきり記憶している。




そして直後1990年7月26日~8月1日かけてパンガシナン州から南イロコス州、北イロコス州の
現地に行ったが、橋が崩落していたり家屋やビルなどが倒壊していた。
建設した通信設備(局舎、鉄塔等)には大きな被害は出ていなかった。














コメント (2)
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