栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)今日は釈教の部から一首、
他力安心といへる題を得て
本願と同し数なる十八のきみかちからをのほる藤なみ
「本願と同じ数なる十八」は、四十八願のうち第十八願を「念仏往生の願」として真宗などではもっとも重要な本願と考えていることによる。他力安心という題からすると、「きみかちから」が他力ということだろうか、しかし藤が登っていくとはどういうことか。十八は二八の君と同じように年齢なのか。この歌も意味がとれなくてしばらく放置していた。ところが最近、「狂歌かゝみやま」を読んでいたら正月の歌にタイトルの「十八のきみ」が出てくる歌が二首あった。
わかやいて老せぬ門ととし毎にいつも十八のきみをかさるか(木端)
門毎の十八のきみの立すかた見てやかすみのなひく成らん(華産)
二首ともお正月の門松の歌、「十八のきみ」は「十八の公」で漢字の松の字をばらした言葉だった。十八公(じふはちこう)は和漢朗詠集に用例があり、より一般的な言い方のようだ。貞国の歌の十八は「じふはち」で良さそうだけど、「狂歌かゝみやま」の二首は歌の調子から言って三文字で読んでいるように思える。とはちだろうか、これは他を探してみたい。
それにしても、松と藤をセットで詠んだ狂歌は何首も見ていたのに、全く松に思い至らなかったのはいただけないことだった。それに十八公は辞書で見ていたのに全く関連性を考えなかったのもアレだった。古今夷曲集の貞徳の歌、
紫のふどしに似たりふぢのはな松のふぐりを咲きてつゝめば
男は松女は藤という言葉もあり、そういう意味もこめての組み合わせだろうか。和歌の用例でも平安時代から定着した組み合わせのようで、松(天皇家)と藤原氏の関係という指摘もある。しかし、藤を松に登らせると松が弱ってしまうような気がする。今はあまり見られない光景ではないかと思う。うちにも祖父の形見の松の木が玄関先にあるけれど、つるを登らせるとかとんでもないことだ。貞柳の歌に、
安井御門跡のお庭にて
松に藤かゝるためしは多けれどかゝる詠は京てなうては
ためしは多い、という表現はみんながやってる事ではなさそうにも思える。この一つ前のやはり松と藤を詠んだ歌は全く意味がとれない。
藤
松は千代まさいるくとや白藤はねちゑんかうん風にうなつく
どなたかわかる方いらっしゃったら教えて下さい。最初の貞国の歌に戻ると、他力の本願を藤が松を登っていく姿になぞらえた歌だった。無知に加えて頭が鈍くなってるせいで随分時間がかかってしまった。その分わかった時の喜びは大きかったとは言えるのだけど。
【追記1】「狂歌五題集」に「十八のきみ」が入った歌があった。
藤
末かけて引しめ藤も千とせ迄十八のきみにまとひつくらん 高槻 花遊
これも三文字で読むようだ。
【追記2】狂歌江都名所図会の増上寺の項に十八公が出てくる歌が二首ある(二首目はリンクの次々項、13ページ目)。
千代八千代かはらてしける枝葉さへ十八公の御手植の松 鶴のや松雄
檀林の十八公のもと木とて円坐の松も枝葉茂れり 東風のや
この二首は松という言葉も入っていて、単に十八公イコール松ということにはなっていない。増上寺は関東十八檀林の筆頭であり、この十八という数は本願である第十八願に由来し、また松平十八公の盛運を祈ってのものだという。松平十八公という言葉も松平家に十八の家系がある訳ではなく、十八公が松を指すことから来ているようだ。
【追記3】明治41年、広島尚古会編「尚古」参年第八号、倉田毎允氏「栗本軒貞国の狂歌」の中に、「十八の公」が入った歌があった。
三味線のこまさらへにてチヽチン千世の
ためしをひき猶十かへりの花をやうには
箒の竹の幾萬代をふりこめふりこむヤツ
此の所作事
いつまても長生の名は高砂や老も若木の十八の公
詞書に興味を引かれる。三味線の歌詞を探してみたい。