阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(32) 待宵の月

2019-09-12 09:42:52 | 栗本軒貞国
栗本軒貞国詠「狂歌家の風」1801年刊、 今日は秋の部から一首、


         待宵

  芋売は我ものにして詠らんあすのまふけをまつ宵の月


待宵とは十五夜の前夜、旧八月十四日の宵ということになる。「まふけ」は歴史的仮名遣いだと「まうけ」、「詠」はうたうという訓もあるが狂歌の時代は「ながむ」が一般的だ。芋売りは既に儲けを手に入れたつもりで眺めているのだろうか、と明日の儲けを待つ、を末句の待宵の月につなげていて待宵という言葉が持つ風流な響きとは縁遠い狂歌、いやそこが狙いだろうか。

旧八月十五日に売り歩く芋はもちろん里芋、広島では中秋の名月には里芋を団子汁に入れて食べる風習がある。小鷹狩元凱 「自慢白島年中行事」の年中行事を列記した中に、

 「八月十五日夜の觀月と團子汁」

とあり、江戸末期にはすでに食されていた。起源ははっきりしないが広島だんご汁セットを売っている新庄みその商品紹介ページには、

●中秋の名月にはだんご汁
白みそ仕立てのだんご汁、広島では中秋の名月にだんご汁を作って食べる風習があります。その謂れは古く、安芸門徒を中心に精進料理として京より広島へ伝わったと言われています。現在では、鶏肉を入れたり、アナゴを入れたりと各ご家庭での味で親しまれています。

とある。元凱より二、三十年前の貞国の時代にも団子汁を食していたのではないかと思われる。貞国の時代の芋売りが売った里芋はどれぐらいの割合で団子汁になったのか、お供えは別にしていたのか。興味があるところだが中々手がかりがない。

あまり良い写真でなくて申し訳ないけれど、最初の団子汁の写真は我が家のもの。なぜか豚肉とサツマイモである。里芋は別にコンニャクと鶏肉とうま煮風に煮て食べて、お供えはススキぐらいだ。うちでは豚汁(ぶたじる)といってもサツマイモと団子が入った同じ料理が出てくるから母か祖母がどこかで混同したのかもしれない。なお、NHKの朝のテレビ番組で視聴者のメールにより広島はとんじる圏に入れられてしまったが、ぶたじる圏だと思う。

今チェックしたら豚肉とサツマイモを切らしてるようで、明日は病院の帰りに忘れず買わないといけない。白みそとだんご粉はある。月見といえば学生時代に京都で食べた、餡からちょっと月がのぞいているような月見団子が恋しいのだけど、このあたりでは見たことがない。