阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ころげとって下さい(広島弁)

2019-09-07 09:21:25 | ちょこっと文学鑑賞
そろそろ夏バテから復帰したいので久しぶりに投稿します。

 以前、祖父の色紙の回で「ころげる」の用例として私が通院している安佐北区可部南の病院で聞いた「ころげとって下さい」という看護師さんの言葉を紹介した。つまづいて転べと言っているのではなく、ベッドに横になってお待ちくださいという意味だ。単に横になるという意味で「ころげる」というのは広島弁独特の言い回しだが、今は広島市中心部で耳にすることは少なくて県北や島しょ部の方の会話には時々出てくるようだ。あまり注目はされていないけれども面白い表現と思って、「ころげとって」で書籍検索してみるといくつか広島弁がヒットして、図書館で三冊借りて帰った。三冊とも原爆の本であるが、原爆文学が読みたかった訳ではなく、検索したらたまたま原爆文学ばかりになった。原爆ということもあり、単に横になるのではなく倒れるというニュアンスが少し入っているだろうか。とにかく引用してみよう。

「広島の女・八月六日」村井志摩子
隣の家は、修道中学の先生が住んどられたんじゃがね、気がついてくれちゃって、
 「火がそこまで来とるんよ」
と、そこらにあった材木を拾って来て、それをテコにして、垂木(たるき)を持ちあげてから、這い出れるようにして下さった。私は横ばいになって、やっと外に出られたんよ、無我夢中よね、火に追われて南大橋まで逃げてきたら、人が何人もころげとって・・・・・・
顔や手がふくれて、もとの顔はさっぱりわからんのよ。

「島」堀田清美(日本の原爆文学12戯曲に収録)
一々そがいなことを言いよったら、きりはありゃせんよう、町にころげとった死体の数を見たら、普通の人間なら腰をぬかすようの、はらわたがとび出て、それを持ったまま死んだ人間やら、・・・・・言うに言われんようの、じゃがのう、母親が、子供に乳房をふくませたまま死んでの、どういうはずみでのう、子供が何にも知らずにその乳を吸いよる・・・・・・

「もうひとつの被爆碑 在日韓国人被爆体験の記録」創価学会青年反戦出版委員会
 そこで、伴(安佐南区)へ疎開しとったうちの叔父さんが大火傷したんじゃいうて聞いたんよ。そいで、わし、急いで行ってみたよ、
 途中、県庁の方通ったんじゃがね、何もない原っぱになっとった。福屋のデパートの焼け跡しかないんよ。金庫だけ、真っ赤になってころげとる。
 道なんか、全然ないんよ、そこをズンズン歩いて行ったんじゃがね、そこら中、人が死んどってね、臭いいうもんじゃないよ、鼻つまんで歩いても、まだ匂うんじゃけ、どこまで行っても、匂うんじゃけ、

 以上三つの本から「ころげとって」を引いてみた。三例とも被爆証言、あるいは証言風の構成だが、いずれも証言者の広島弁というよりは収録者あるいは著者の広島弁かもしれない。これは広島弁の収録が目的の本ではないから仕方ないのだろう。それからできれば最初の看護師さんの言葉のように平和に横になってる用例がほしいのだけど、これは検索に頼らず広島弁の会話が載っている本を読んでいくしかないのだろう。引き続き探してみたい。

 広島弁の用例という観点から原爆文学に触れたのだけど、三冊目の在日韓国人の被爆体験は広島に生まれ育った私も知らない事が多かった。日本に来た事情、帰れなかった事情、差別を受けながらの仕事の様子、それぞれ様々なケースが載っている。そして書かれているのは証言者がこの時代を必死で生き延びた記録である。どちらの国が悪いとかあまり書かれていない。考える余裕もなかったように思える。今の隣国との関係悪化、もちろん先方に理があるとは思わない。しかし、今のようにこじれてない時期の、悪意のない証言には耳を傾けてみても良いのではないかと思った。


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