阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

妙手とAI

2018-11-14 10:18:33 | 囲碁

 今回は囲碁のお話。私は中学高校大学と囲碁部に所属してそれなりに情熱を傾けて団体戦では全国大会にも出場した。広島に戻って来てからもネット対局で楽しんでいたけれど、ここ十年は両親が高齢になって家にいても時間をかけて碁に集中できる環境ではなく休止状態だ。したがって現在の囲碁界に詳しいわけではないが、少し前にAlphaGo Zeroの論文を読んでみて少し思うところがあったので書いてみたい。

 囲碁史の中で妙手と言われる手はたくさんあるだろうが、有名なのは秀策の耳赤の一手だろうか。秀策の故郷、尾道市因島にある本因坊秀策囲碁記念館の解説によると、

 

秀策は二度目の帰郷から江戸に帰る途中大阪に立ち寄り、当時準名人位(八段)として名をはせた十一世因碩と対局します。勝負は中盤まで因碩が有利な形勢で進み、秀策が長考を重ね百二十七手目を打ったその時「秀策の勝ち」を予言する男が現れます。その男は医師で、理由を尋ねる門人達に「あの一手で因碩師の耳が赤くなった。動揺し自信を失った証拠」と述べたそうです。

予言通り形勢は逆転し、秀策が勝利します。この一手は、秀策の気力と天分が凝縮した究極の一手だといわれています。

 

とある。ところが、この耳赤の一手は妙手ではない、という話もよく耳にする。直前の126手目のハザマを突いた手が疑問手で、呉清源先生は「若手棋士(40年前)なら第一感で打つ」と発言されているし、ネットで検索したら「私でも打てる」といった話も引っかかる。

しかし、そもそも妙手とはいかなる手のことを言うのであろうか。囲碁の神様から見ると、盤上には最善手(一点とは限らない)のみが存在し、それを超える手はないはずだ。すると妙手か妙手でないかという議論そのものがナンセンスということになる。何やら訳のわからない話になりそうなので、もうひとつのテーマ、AIについて考えてみよう。

AlphaGo Zeroについての論文、

Mastering the Game of Go without Human Knowledge (リンクはpdfファイル)

(ダウンロードしないと見れないようです。すみません)

を読んでみた。もちろん私にはアルゴリズムを記述した部分は理解できない。表題にもあるようにこのAlphaGo Zero”without Human Knowledge”、人間の棋譜を参考にすることなく”self-play algorithm” 自己学習のみでプロ棋士よりも、またそれまでのAIの上を行く棋力に到達した。興味深いのは人間の棋譜をインプットしていないにもかかわらず、途中の段階で我々もお世話になっている基本定石が登場していることだ。AIというのは囲碁の神様、すなわちすべてを読み切る全知全能を目指したものではなく、あくまで人間の思考、学習を極めようという目的があるように思える。囲碁のAIの実力を飛躍的に向上させたとされるモンテカルロ木のアルゴリズムは、取捨選択した候補手については終局まで読んでいるそうだ。後述するセドルさんの「神の一手」のあとAlphaGo Lee(AlphaGoの以前のバージョン)が悪手を連発したことについては当時のモンテカルロ木のアルゴリズムの弱点を露呈したものだという指摘がある。しかし、この取捨選択こそがAIのAIたるゆえんであり、他の分野での応用という意味でも、我々は最終的な実力だけでなく、その途中経過に目を向けた方がいいのだろう。

さらに興味深いのは、シチョウについての記述。

Surprisingly, shicho (“ladder” capture sequences that may span the whole board) – one of the first elements of Go knowledge learned by humans – were only understood by AlphaGo Zero much later in training.

盤を斜めに相手の石を追いかけて取ってしまうシチョウは、碁を覚えたその日に習うことが多く、人間だと視覚的にすぐ理解できるのに、AIには比較的苦手な項目だったようだ。思い出したのは高校生の時、数学の証明問題で、数学の先生が「これはあまり使わない方がいいけれども」と前置きして、「視察により」と黒板に書いた。一目見てわかることを後に続けたのだけど、その後先生が変わって、テストで視察によりと書く者続出で先生がおかんむりだったことがあった。人間が一目でわかることでも論理的数学的に論述しないといけないということなのだろう。これは逆に人間が苦手なことなのかな、話がそれた。

また、色々ネットで調べていくうちに、囲碁のように着手を数値化できるものはAIの得意とするところだけど、これを他の分野に応用となると簡単ではない、実用化できる分野は限られているという指摘をあちこちで見かけた。AIが学習を重ねて行きついた果ては狂気であった、というのはSFの中だけの話ではないかもしれない。

こちらも訳のわからない話になってきた。最後に、セドルさんの「神の一手」に登場してもらおう。前述のAlphaGo Leeに土をつけた一手、



このワリコミはAlphaGo Leeの意表をついて、その後AlphaGo Leeは悪手を連発、セドルさんの勝利となった。この碁は各所で中継されていて、私もリアルタイムで手順を追った。このワリコミによって、本当にAIが動揺したようにみえて、このあとの展開には心を動かされるものがあった。ありきたりな結論で申し訳ないが、妙手とは、見ている人に感動を与える一手のことではないかと思う。そして、セドルさんの一手は囲碁史に残る妙手と断言できる。AIはその後も進化して、今や人間が勝利するのは難しくなったと聞いている。AIの登場で、囲碁界の将来は難しくなった面は確かにあるかもしれない。しかし、考えてみると例えば陸上競技において、人間は自動車や飛行機より遅いから人間の記録には意味がないという話は聞いたことがない。AIが先に行ったからといって、これが最後の妙手だとも思わない。これからも、我々の心を動かすような手に出会えると信じたい。簡単ではないだろうが、悲観することもないだろう。



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