阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

排尿障害

2021-04-28 20:02:37 | 父の闘病
(父の入院の続き、4月19日のできごとです)

19日は私が病院に行く番、前回から中二日ということになる。いつもと同じ11時過ぎに病棟に着いて父の病室に入るとちょうど看護師さんが来ていて、まずは熱のことを聞いたら、高熱ではないが上がったり下がったり、でもかなり落ち着いて来たとのことで、今日からリハビリをやってもらう。それから尿の出が悪いから今日泌尿器科を予約して受診することになっているとのことだった。熱が落ち着いてリハビリも始まると聞いて嬉しかった。そのせいもあって、おしっこの事はそんなに大変な事だとは思っていなかった。父は「苦しいのにリハビリしてどうするんじゃ」とボードに書いた。まだ、息苦しさや肋骨脇腹の傷みを感じるようだった。しかし、文句を言うようになっただけ回復していると考えることにしよう。ともかく自宅退院のためには、少しでも歩けるようになってほしい。最初はベッドの上での運動だからと看護師さんにも言われてた。

ひとつ父に言っておかなければならない事があって、それは広島でもコロナが増えて来たから、いつ面会禁止になってもおかしくない状況であること、近々会えなくなるかもしれんよと言っておいた。そしたら父は、「タオルがようけ要る」と前と全く同じ事を書いた。

父の足が入院中に弱って歩けなくなってしまうことは私にも予想がついていて、入院の翌日には患者支援のMさんに相談してある。面会禁止も頭の中にあり、実際翌20日付で面会禁止となった。しかしこの後、想定外の事が次々に起きて私の頭脳では対処できなくなってしまう。それは次回に譲るとして、ともかく今日の所は熱も下がって父が元気そうに見えたから、すっきりした気持ちで病院をあとにした。

今日は月曜で図書館はお休み、横川へ出て昼食はランメンギョウザセット。3日前は精神的に落ち込んでいてラーメンセットに苦戦したけれど、今日はいつものペースで腹におさまった。



ランメンはごらんのように黄色い麺で(麺を引っ張り出して写真を撮ったもので食べかけではありません)、ランメンは卵麺のことだと思われる。子供の頃は国道54号線沿いの祇園のあたりだろうか、新幹線の形をした店舗があって、食べたことは無かったが祖父の家に行く時など車内からいつも眺めていた。中学高校時代はバスセンターのお店に何度も行った。その頃は焼肉屋のわかめスープの中に黄色い麵が入ったような感じの塩ランメンが基本であった。胡椒をたくさんかけるとうまかった。麺は今より細かったかな。ランメンにまつわる高校時代の青春の思い出は、改めて書くことにしよう。

そのあと大学からの十年間を京都で過ごして再び広島に戻ってきたら、センター街のランメンは250円の低価格で餃子を頼んでもワンコイン、これもよくお世話になった。しかし味は十代の頃とは変わっていて、広島ではスタンダードなとんこつ醤油がベース。したがってランメンと厨房に通したら昔は塩ランメンだったのが醤油ランメンに変わっていた。麺は少し太くなったが、昔の黄色い感じは薄れたように記憶している。

このセンター街のお店は野球がマツダスタジアムに移る頃に閉めてしまって、そのあと西原にお店ができて何度か行った。しかしこれも閉店となって、ここ数年はランメンを食べられなかったが、今年になって横川の「餃子家 龍」という餃子居酒屋のランチメニューとして復活した。元々ランメンのお店は餃子の皮を作っている老舗食品会社の経営だ。今日は5年ぶりぐらいだろうか、久しぶりのランメンだった。スープは250円時代と同じとんこつ醤油、麺の黄色さは昔のように強くなったと感じた。麺とスープは変わってしまったけれど、私にとって青春の味であることに変わりはない。

話が大きくそれてしまった。とにかくこの日は、父の熱が落ち着いてリハビリも始まるとのことで、早期退院もあるかもしれないと希望を持って家路についた。翌日から難しい問題が次々出てくるのだけど、もちろんこの時は知るよしもなかった。


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