阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

四十九日

2021-12-22 09:43:36 | 父の闘病
お久しぶりです。先週の土曜日に父の四十九日の法要と納骨が終わって、行事は一段落したところです。法事の説教でお寺さんは、いつまでも悲しんではいられない、四十九日は元の生活に戻るための一つの区切りとおっしゃったけれど、そう簡単に気持ちを切り替えられるものではありませんでした。親の介護というものは途中で色々あっても行きつく終点は同じところと覚悟はしていました。それに戦前の教育を受けた父とは考え方が合わないことが多く、またの趣味も理解してはくれなくて、父が死んでもドライに切り替えられるのではないかと思っていました。ところが実際は五十日たっても深い悲しみを取り去ることはできない。これは意外なことでした。

と、ここまで書いてきて、陰気な文章を長々と続けても迷惑なことだと思いました。一昨日はメガネ屋に行って遠近両用を頼んできました。来週受け取ったら読書を再開したいと思います。それからキーボードが調子も良くないので、ここにまとまった文章が書きたくなったらPCも新調したいと思っています。そしたらまたお付き合いお願いします。なお、今回コメントは辞退させてください。申し訳ありません。

ラストの八日間、個室での付き添いの許可をいただいて、父のそばで過ごすことができました。そこで、寝たきりでもう長くない父がたくさんのスタッフの方々に助けていただいているのを目のあたりにしました。父は家に帰りたいという希望をいつも筆談で書いていましたが、退院予定の前にいつも悪化して四度キャンセルとなり、父の希望をかなえることはできませんでした。臨終の五日前、くもとさんという看護師さんが、退院予定を早めて家に帰れるように、点滴のポンプの手配など努力して下さいました。くもとさんは翌日帰れるようにと考えて行動してくださいましたが、在宅の先生の都合で二日伸びた間に父は危篤となり退院は実現しませんでした。しかし、くもとさんの顔と名前はしっかり覚えておこうと思っています。今はコロナも落ち着いているようですが、また増えて来た時には、父を助けて下さった病院の先生やスタッフの方々の顔を思い出しながら行動を考えなければならないと思っています。



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