佐藤和夫『〈政治〉の危機とアーレント』の読書会です。
第1回の様子はこちらをご覧ください
⇒第1回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会・議論のまとめ
スカイプ通信での対話を行います。参加希望の方はメッセージをお送りください。

第2回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会 ⇒ レジュメ
【開催日時】2017年11月8日(水)20:00~21:30
【読み合わせ箇所】第2章「『人間の条件』と20世紀」
第1節「『人間の条件という言葉とアンドレ・マルロー」(p.63~p.76)
第2節「シモーヌ・ヴェイユ『労働の条件』と『人間の条件』」(p.76~p.89)
※第3節『「人間の条件」の中での「私的所有」=「自分らしさのためのプライヴァシー」は第3回と合わせます。
人間は「〇〇である」と本質的に規定されるものではなく、「条件づけられた存在である」という『人間の条件』のタイトルの意味を考える内容となっています。とりわけ、「労働」という人間の条件を考えることは、「過労死」が深刻化している日本社会において重要です。
第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会
【開催日時】2017年11月30日(木)20:00~21:00
【読み合わせ箇所】第3章「自分らしさと私的所有」(p.105~p.130)
「プライヴァシー」を「自分らしさ」を確保する居場所と捉え、それが切り崩されることの危機を論じています。
第1回の様子はこちらをご覧ください
⇒第1回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会・議論のまとめ
スカイプ通信での対話を行います。参加希望の方はメッセージをお送りください。

第2回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会 ⇒ レジュメ
【開催日時】2017年11月8日(水)20:00~21:30
【読み合わせ箇所】第2章「『人間の条件』と20世紀」
第1節「『人間の条件という言葉とアンドレ・マルロー」(p.63~p.76)
第2節「シモーヌ・ヴェイユ『労働の条件』と『人間の条件』」(p.76~p.89)
※第3節『「人間の条件」の中での「私的所有」=「自分らしさのためのプライヴァシー」は第3回と合わせます。
人間は「〇〇である」と本質的に規定されるものではなく、「条件づけられた存在である」という『人間の条件』のタイトルの意味を考える内容となっています。とりわけ、「労働」という人間の条件を考えることは、「過労死」が深刻化している日本社会において重要です。
第3回『〈政治〉の危機とアーレント』を読む会
【開催日時】2017年11月30日(木)20:00~21:00
【読み合わせ箇所】第3章「自分らしさと私的所有」(p.105~p.130)
「プライヴァシー」を「自分らしさ」を確保する居場所と捉え、それが切り崩されることの危機を論じています。
第2章は、アーレントの考え方が直接出ているというより、彼女に影響を与えた(と佐藤和夫さんが考える)人たちの思想を吟味しつつアーレントがそれをどう受容していったか、という議論を追うものでしたから、本文に即して話をするのが少し難しかったです。
その分いろいろお話が聞けたようにも思います。
まず、P65~P66のアーレントと実存主義の関係についての記述が興味深かったです。
ちょっと「実存主義が『理性』や『自由』といった『理性的動物』の確立を企てた」というのがよく分からないのですが、
主としてサルトル批判、と言われてなんとなく納得。
でも、すっきりしない感じも残ります。
実存主義ってのも本質批判みたいなところがあるわけで、むしろアーレントは実存主義的な系譜にありつつも、「別の仕方」で突き詰めなければならない、と腹を据えて「批判」している、みたいな印象がある、とでもいえばいいのでしょうか。
これはこの第2章だけで自分の中では腑に落ちるお話でないことだけは確かでした。でも、面白い。
次に、「条件」という話ですけれど、こちらはすごく腑に落ちる表現でした。
最初は『人下の条件』冒頭で語られる、
「労働」(生命)
「仕事」(世界)
「活動」(多数性→政治)
という三つの条件というかカテゴリーはちょっと恣意的というか強引だなあ、と思ったのですが、今日の話を聞いていると、むしろじわじわ「効いてくる」って感じがしました。
この三つのカテゴリーを、これだけで自立した区分と考えると見あやまってしまうのかもしれないな、と。
これは、「所有」という概念と関係づけて読まなければならない。
富と所有。そして私的と公的って区別ですね。
そこらあたりと関係づけて考えなければ、この「労働」という枠組みは十全な機能を発揮できないのかもしれないな、と。
それはある面では、一つ目の「実存主義批判」とも共通する身振りのようにも思われます。
アーレントには、内在的(動物的)な、徴(しるし)をもった姿勢というか身振りというか思考の「条件」がある……そんな感触を持つようにすらなりつつあります。
一見すると相反するような言葉遣いをしつつ、見えにくいものを見定めようとする姿勢の持続というか、多数性というか、この身振りに興味がさらにそそられます(面倒くさいけど)。
アーレントを読んでいると、すぐには腑に落ちないのに、途中で止められなくなる。間違いなくそれは、彼女のテキストの特性だし、佐藤和夫さんはアーレントのテキストの持つその不可思議な「生産性」に迫ってくれようとしているのかな、という風にも感じました(しごく勝手に思っただけですが)。
第3章以降が楽しみです。
ではおやすみなさい。