今回は、「あの」フォーラム福島の阿部泰宏さんをゲスト講師に招いてのベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』読解が開催されました。
ベンヤミンは難しい。
文章そのものを追うことはできても、いったいそれがどのような意味をもつのか具体的な文脈において読まない限り、何度読んでもチンプンカンプン。
こんな悩みを抱いていたところ、阿部さんが福島県立医大で映画論講義を行っている話を思い出し、矢も楯もなくその講義をベースにしたお話を聞かせてほしいと、とてもわがままかつ贅沢な企画を無理にお願いしたという経緯がありました。
阿部さんの映画論の該博さは周知のことですが、以下そのお話のまとめたいと思います。
まず、芸術概念の歴史的変遷過程の解説から始まりました。
13世紀の中世大学におけるリベラルアーツへの発展から20世紀につながる「芸術」概念の変遷についての解説の中で、とりわけ興味深かったのは、二度の大戦を経た後、人類の存続そのものを脅かしかねない危機的状況のとば口にあることを知ってしまった段階において、文芸・芸術は政治意識の反映としてあるべきだと、サルトルのアンガージュマン、ブレヒトの異化効果が生まれてきたという点でした。そして、ここが阿部さんにとっての映画論、あるいはベンヤミン読解の肝ということになるのです。
以下、阿部さんのお話の展開をそのまま記録しましょう。
映画はフィルムという材料を使い、フィルムのコマを連鎖的につなげて映写機に投射するモーションピクチャー(動画)という科学技術を用い、成立する。これが当時の芸術家や知識人に意識変革をもたらした。映画が一対複数で観ることができるようになると根本的に文化が変容、このあたりからメディア論が生まれる。グーテンベルクの印刷術が出現した当時の人々や日進月歩のデジタル革命時代の今日に生きるわたしたちと同様に、自分の家や町にいながらにして、世界中の人種・習俗や政治背景を見ることができてしまう映画という文化が短期間のあいだに膨張していくことに、知識人や芸術家は期待と同時に、危機意識をもった。
とくに、演劇人のそれは大きかった。演劇は生身の人間が舞台で演じるものだが、映画はカメラを使う。それによって、モンタージュ(編集)ができる、クローズアップ(接写)やトラヴェリング(鉄道レールのようなものにカメラを載せ、たとえば、疾走する騎馬隊と平行移動しながら横移動撮影したり、クレーンを使った俯瞰撮影をしたり)など、さまざまな撮影技術を駆使して、自由に、人間の機能を飛び越えた画面が得られた。たとえば、人の目は一点にしかピントが合わないようにできている。しかしパン・フォーカスという撮影技法は画面の手前も奥も均質にフォーカスを合わせられる。すべてがクリアであり、これが人間の視覚では得られない映像を映画は見せていることになる。今日では4Kや8Kなどは、現実では「見えない」産毛や汗まで映しだしてしまうように。このような映画を眼前にして演出家はとまどっていた時期に、映画監督のアベル・ガンスなどは手放しで映画技術時代に熱狂し、批評家のリチョット・カニュードは、それまで大衆を堕落させる低俗文化だといわれていた映画を全く新しい「第七芸術」と位置づける。
ここから、阿部さんによる『複製技術時代の芸術作品』極私的解釈についてのお話が、5つの論点に分けて語られていきます。
≪論点1≫「〈複製〉ということについて」
ベンヤミンはファシズム台頭と情報メディア革新の時代で、複製技術としての映画が秘める功罪を如実
に予感していた。複製と聞いてわたしたちが思い浮かべるのはまず、紙のコピーだが、コピー機による複製も今や前時代的になっている。それどころか「今日、複製の概念は生命にまで及んでいる」(多木浩二)。複製技術時代というよりも「再生」、「増殖」技術時代と形容すべきではないか。
≪論点2≫「アウラの喪失がもたらすアンヴィバレンツ」
ベンヤミンによれば、一回性(オリジナル)、所有関係(伝来の正統)、『いま、ここに』という場所性、それらすべてを伴った歴史的証言力が、複製技術によって失われる。それをアウラの消失と定義づけた。あるいは、それまでの芸術の礼拝的価値が展示的価値に転換した、とも指摘している。
(その展示的価値という概念理解につながる、オリヴィエ・アサイヤス監督の映画『夏時間の庭』の一部を視聴)
映画の内容はこうだ。フランスで有名な画家が亡くなって久しい。残された妻は、夫との思い出がつまった家や家内のおびただしい美術品を守ってきたが、自分の余命もいくばくもないことを予感、そして成人している三人の子どもたちに、家や美術品を寄贈するなり売るなり自由にしなさいと言い遺す。つまりこの映画は寄贈とは、美術品とは何か、ということを描くユニークな作品なのだ。さて、それぞれの子どもたちは思い出のある品々を整理したくはないけれど、それぞれに人生が、家庭があり、経済的にもお金が必要だ。きょうだいは話し合い、美術品はオルセーへ寄贈、ないし家は売却することを決心する。
(ここで、かつて亡父が使っていたマジョレルの文机が、美術館に展示され、その脇をギャラリーが通し過ぎていくさまを、複雑な思いで見ている長男の場面を観賞)
ここは家族の生活の中で実用されていた家具が、家の中にあって当然の、空気のようだったモノが、ある日突然、芸術として展示されることに違和感を覚える、という場面だ。家族の歴史のつまった思い出の品が、家族の側にしてみると、展示されることで「思い出」というアウラが失われるというもので、ベンヤミンのいうアウラ、芸術の展示的価値とはどうことか、をさまざま考える上で格好の場面となっている。
この映画は、オルセー美術館が開館20周年に合わせ、アサイヤスに発注した記念製作映画であるにもかかわらず、果たしてオルセーが喜ぶ映画なのかという出来栄えになっている。美術館は美術館でその限界というものをわきまえているし、とはいえ美術品は美術館に寄贈された以上はその由来を、歴史を語り継がねばならないという倫理意識も示されている。監督のアサイヤスは、もともとフランスで最も権威ある映画批評誌カイエ・デュ・シネマのライターから監督に転身した人で、独特の視点を持った映画作家で、彼には駄作が一本もない。
≪論点3≫「ベンヤミンの執筆動機」
「政治を美化しようとするあらゆる努力は戦争という一点に帰結する。戦争、ただ戦争のみが、現在の所有関係に触れることなく、大規模に大衆運動に目的を与えうるのである…」(『複製技術時代の芸術作品』からの引用)
この「あとがき」からは劇作家、ブレトレト・ブレヒトの政治的影響が色濃く見て取れる。
(ここで、ストローブ=ユイレ「アンティゴネ」の一場面を視聴)
この映画にはブレヒト、ヘルダーリンが関与している。実はベンヤミンはブレヒトと盟友であり、確執もあった。ブレヒトからベンヤミン、ストローブ&ユイレと、三者を結ぶのが「アンティゴネ」。
「アンティゴネ」は紀元前440年ころの、ソフォクレスによるギリシャ悲劇。「アンティゴネ」は善悪、男女、王と家来、父と子といったテーマを包含した哲学的・道徳的テキストで後世、さまざまな人が翻訳している。もっとも決定的だったのはヘルダーリンの翻訳だった。ヘルダーリンはヘーゲル、シェリングの同時代人。彼は30代半ば以降、統合失調症になり以後、亡くなるまで約40年間、塔のなかで閉じ込められたまま生きた文学者。隔離される直前に書いたのが、「アンティゴネ」翻訳だった。
アンティゴネはオイディプス王の娘。アンティゴネは、実の兄弟が相争って死んだ際に、オイディプス王に代わって国を治めていたクレオン王が、国のために戦死した兄を顕彰したのに対し、私怨で戦死した弟は野ざらしにするという差別的な処分をしたことを激しく非難。弟を埋葬しようとして死刑を言い渡される。
この映画のタイトルが「ソフォクレスの「アンティゴネ」のヘルダーリン訳のブレヒトによる改訂版」と書かれてあり、つまり紀元前440年ごろのソフォクレスの原典を、2200年後にヘルダーリンが訳し(1804年ごろといわれる)、それをブレヒトが気に入って1947年に改訂している、そのブレヒトに傾倒していたストローブ&ユイレが1991年に映画化。つまり、2000年にわたる一つの筋がこの映画から見えてくる。
共通しているのはアクチュアリティ。
2000年も経ってなぜ「アンティゴネ」が読まれているのかといえば、いわばソフォクレスの時代というのは戦乱に明け暮れた時代、ヘルダーリンの時代はフランス革命後の不安定なドイツ、そしてブレヒトはナチス時代を生きた。つまり圧政という時代に人はどう生きるべきか思い悩むのだけれど、そういう哲学的な葛藤に陥った人にとって、このアンティゴネのテキストは非常にアンヴィバレントな問いを突きつけるのだ。
クレオンとアンティゴネの対立というのもよく読むと非常に面白い。
クレオンはクレオンで倫理的である。いわゆる国家を統治する王の立場としては秩序を乱した弟を許すことはできないし、一方、国家のために死んだ兄は立派な死に方だったととらえる。しかし、アンティゴネは違う。死んだ人は両方とも平等に埋葬しなければいけないと考える。この二人のボタンの掛け違いが悲劇を生む。いわば愛なのか組織なのか。倫理なのか秩序なのか。
この映画をなぜ取り上げたかというと、ストローブ=ユイレ(*事実上の夫婦で、連名表記が監督名のクレジット)は、フランスとドイツ国境に接するアルザス・ロレーヌ地方の出身。ジャン=マリー・ストローブはアルジェリア戦争を徴兵忌避したことで、11年間フランス入国を拒否された筋金入りの人道主義者。ストローブ=ユイレの映画は政治的・哲学的・美学的にとにかく興味深い。彼らの映画には、立ち上るアウラがあると思う。ベンヤミンも映画が好きで、デンマークの映画作家カール・テオドール・ドライヤーの傑作「奇跡」に言及している。やはりストローブ=ユイレのようなストイックな画面構成で、これも間違いなく一つのアウラが立ち上っている。
つまり、一回性というものやオリジナルものではない映画のなかにもアウラが感じられるということは、ベンヤミン後の映画監督たちは無意識にそれに挑戦していたともいえる。
≪論点4≫「映画とアウラの関係性」
ピカソを見ても専門知識を受けた学芸員の説明を受けないと理解できない。けれど、チャップリンの作品はそうではない。つまり、みんなが評論家になれる。それをベンヤミンは、映画は一般大衆を専門家や評論家にしてしまうのではないかということを述べている。
「映画館のなかでは観客の批判的態度と享受的態度…」
映画のオリジナルは、ネガだ。ネガから複製した、たくさんのポジフィルムが世界じゅうの映画館に配給される。だが、われわれにとってはネガもポジも画質に違いはなく同じに見える。つまり映画をフィルムという物質で捉えると、映画にアウラはそもそもないことになる。しかし、映画を空間と捉えた場合、映画の中にアウラが現出するかもしれない。そこは映画監督の腕の見せどころだ。さらに、その現出したアウラを、魔術的に礼拝的に再現できるのは映画館ということになる。映画館の闇だけである。フランス文学者で映画批評家の蓮實重彦氏は、かつて映画を見る場所は映画館によって決まるといっていた。映画館といえど、ちゃんと闇を確保していないところもある。彼は昔の映画館はよかったといっていた。猥雑ではあったが、二階から人が落ちてくるくらいの闇。映画の闇に照らし出されるスクリーンの中にこそ、映画のアウラが知覚されるのだ。今の映画館で闇が確保されているかといえば、消防法やユニバーサルデザインなどの制約上、かつてのようにはいかない。さらにもう一つ言えば、矮小なスマホなど高精細画像によって、映画のアウラは現出されうる状況が生まれている。動画配信サイト、ネットフリックスの「ROMA」は、スマホで観れるわけがないだろうと思っていた。あのパン・フォーカスや文学性は映画館のスクリーンでなければ観客は集中度を保てないはずだ、と思っていたが、観れてしまった。映像から喚起されるアウラは映画館だけの特権ではなくなりつつあるのでは、と脅威に感じる。では、映画館にまだ残されたアドバンテージは何か?それは「集団の反応」である。集団の中で見、まわりの反応も含めた五感で感じ取る何か。そこから生まれる説明不能な集団で映画を観ることでつくりだされる反応が、一つのアウラだといえる。「集団の反応」は個人の部屋では望めない。ベンヤミンがいう「遊戯空間」とはこうしたことではないか。
≪論点5≫ ゴダールが仄めかす、新たなる〈複製〉概念
かつて淀川長治は「ゴダールは映画を破壊した人だ」といった。「映画は大衆がわかるものではなければいけない」とも。とはいえ、映画の前衛と知の部分の最前線をひた走るゴダール。彼は80歳を過ぎた今もなお、ますますラディカルに映画をつくりつづけている。ジャン=リュック・ゴダールは、1950年代に起きた映画の革新ムーヴメント、ヌーベルヴァ―グの中心人物だ。映画は撮影所システムの下、大がかりなセットと集団でしか制作できないと思われていた時代に、主に映画批評をしていたパリの若者たちが、手持ちカメラをもって街々に出、演技や撮影術の修練を受けなくても映画は撮れると示した。ゴダールは、そのヌーベル・ヴァーグの中心的人物だった。彼は「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」で華々しくデビューした後、70年代に地下活動的な映画製作にふけったのちにふたたび80年代、商業映画シーンに復帰する。そのときにゴダールが試みたのは、フィルムからヴィデオに「変節」することだった。音楽がすでにコンサートから個人に部屋に移り、映画もまたヴィデオが現れ、個人が機械で自由に操作できるようになった。つまり、途中でストップをかけたり、巻き戻したり、飛ばしたり、観る側が恣意的に作品を取沙汰できる時代に、シネアスト(映画作家)はどうふるまうのかとなったとき、ゴダールはヴィデオにいったのではないか。彼の独自の映画文法ソニマージュ(Sonimage、Son(音)とimage(映像)の融合、を意味する造語)の実験の時代だ。
(「マリアの本」「ゴダールのマリア」の一部を視聴)
「マリアの本」は14分の短編映画で夫婦仲が悪くなった夫婦が別居することになったことに動揺する少女の物語だが、その少女の心象風景に突然鳴り響いたかと思えば、寸断される音楽や微妙にぎこちなくずれるシークエンスのつなぎなど、「異化」的な演出方法で観客を幻惑させ、はっとさせることで、メロドラマの新しいナラティブ(物語り方)を試みている。ゴダールは文学や音楽に精通した博覧強記のインテリだ。彼はあえて、さまざまなテクストやクラシック音楽をぶつ切りにして挿入する。
なぜ、ゴダールはこういう映画文法を採るのか。それは、映画はもはや、観客が映画館の中でちゃんと端坐して2時間、3時間なり、じっくりと起承転結のドラマを見ているといったありようではない、時間的なゆとりもない時代がやがて訪れる、だったらゴダールはぶつ切りにされ寸断され止められ、あるいは物語が解体されるなかでなお耐えうる構造の映画を作る、未来の映画を撮ろう、としているのではないか。途中、どこから見ても、順逆が入れ替わっても、物語が成立する映画を実験的にやっている。これがいわゆるソマニージュであり、ゴダールのゴダールたるゆえんだと思うのだ。
ゴダールのやりかたはまだまだ理解されていないけれど、前衛というものが50年、100年経ったときにスタンダードになるのが芸術の世の流れだとすれば、もしかしたら50年後100年後の観客はこういうものをふつうのドラマとしてみるのかもしれないと、一つの反問を観客に投げかけている。
(ストローブ=ユイレ監督作品「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」の一場面を視聴)
ストローブ=ユイレに戻ると、この「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」は映画にアウラを現出させた、最たる成功例なのではないかと思う。これを観たときはものすごい衝撃だった。
ストローブ&ユイレがここでやっているのは、完全にバッハを再現すること。当時の楽器を使い、オルガン奏者のグスタフ・レオンハルトがバッハに扮し、パトロンだったケーテン侯もアーノンクールという音楽家が演じている。バッハの生涯と人物像を、二番目の妻アンナ・マグダレーナの日記から読み解くが、彼女のモノローグと演奏シーンのつなぎで構成されるバッハのこの「伝記映画」に驚かされるのは徹底したリアリズムというか、ストイシズムというか、ストローブ=ユイレの完全主義が見て取れる。この映画そのものがアウラではないかと思うぐらいだ。
最後にまとめとして、ゴダールの言葉を引きたい。
「以前にはこんなことは起こりようがなかった。戦争のためだったり、たくさんの映画を見る機会がなかったり、批評の状態のせいだったり、その後にも本当は起こりはしなかった。理由は単純なことで、見るべき映画、追いかけるべき映画がいきなり膨大になって、映画史はこんな風に巨大な遺産と化したわけだ。というのも60年代になると4つか5つの映画大国の映画のみばかりか、世界中の映画が見られるようになったからだ。今どきの20歳か25歳ぐらいの人だったら、シネマテークに10年も15年も通い詰めでもしなければ、見たことがなかったものを追いかけ、それだけでなくさらに一つの軸を手にして、そのまわりに自分自身の歴史を組み立てて、君たちを含めた誰の後ろに自分が連なっているのかを知り、自分のことはそれとの兼ね合いで決めなければならないとわかるようになるのが無理であるのは、言うまでもないことだ」(「映画史」2A・映画だけが…より)
これはゴダールが「映画史」という映画の中でいろんな哲学者や文学者、画家、過去の映画作家のさまざまな場面をコラージュ風にちりばめながら、自らの著述を画面の中にさしはさむ長大な作品の中の述懐だけれども、ここに映画を観ることの歓び、ダイナミズムが表象されている気がする。
あるいはボードレールのことば。
「私たちは旅をしたいのだ、蒸気もなしに、帆もなしに!お願いだ、われらの牢獄のアンニュイを紛らわすため、カンヴァスのようにぴんと張られたわれらの精神の上に、地平線を額縁にした御身らの思い出の数々を過(よぎ)らしめよ。話してくれ、何を見たのか」 (『悪の華』所収「旅」より)
これを映画になぞらえると、映画の無限の可能性を感じてしまう。
ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』を書いた30年代、40年代というのは、映画が人々の生活の中でプレゼンスを強めていった時期だった。だが一方でこの映画をどう受け止めていいのか。娯楽なのか、メディアなのか、芸術なのか、どれにもカテゴライズすることができなかった時代に、多義的な感性で受け止めようとしたベンヤミン自身の心の揺れ動きを半ば迷走しながら矛盾しながら定義しようとしたのが本書であり、我々の時代における「ベンヤミンにとっての映画」とは何か、それを考える契機となるテキストなのではないかと考える。
とても重厚かつ濃密な阿部さんの映画論に、参加者一同魅了されっぱなしの2時間でした。
実は、大学の講義では学生さんに興味を持ってもらえなかったエピソードをお話のあいだにさしはさまれたのですが、一同まったく眠くならない映画論に至福の時間を過ごすことができました。
きっと、その学生さんたちも、年齢と経験とともにその深みを理解してくれるのではないでしょうか。
実際の映像資料が用いられたことで、より深くベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を理解することもできましたし、ベンヤミンの問題提起を超えた現代の映画論についてお話を聞かせていただいたことは、まさに大学の講義そのものでした。
思想とは、まさにこうした生活の中から解読されるべきものであることをあらためて学ばせていただきました。
お忙しいところ、レジュメや機材まで準備して下さった阿部さんには心から感謝申し上げます。
こうした福島の力人文知を開拓していく可能性をあらためて感じさせていただけたことに無上の喜びを感じます。(文:渡部 純)