今回はブック&カフェ・コトウさんのご協力を得て、中村晋さんの第一句集『むずかしい平凡』の読書会を開催しました。
参加者は13名。
前半は中村さんによる詩と俳句の特徴・関連性、そして俳諧から現代俳句への歴史的展開の解説をいただきました。
その俳句の歴史的源流がどのように中村さんの俳句に結びついているのか、とても腑に落ちる内容に感銘を受けました。
これはこれでものすごくおもしろい講義内容だったのですが、以下では、後半部分で参加者による『むずかしい平凡』をめぐる議論を再録しました。
とても充実した、内容の濃い時間だったことを合わせて報告しておきます。
【会場】自由律俳句が何を目指しているのかがよくわからないのですが。中学校の頃から国語の教科書を読んでいてよくわからなかったからよくとまどっていました。こういう視点で見るといいんじゃないかなどアドバイスありますか?
【中村】たぶん、前衛にしても自由律俳句にしても、捉えがたい人間の内面にこだわっているんだと思います。自分のこのモヤモヤしたものにこだわっているんじゃないかな。自由律俳句は他の人と共有しようというよりも、わからなくてもいいから自分を出したいというところがあるんじゃないか。自分に正直に書いているということですかね。でも、本当に一番奥底にあるものを出そうと思うと形を破ってしまうものだし、今までの形にはまらないものが出てきてしまう。そういう内的な欲求に忠実なのが自由律俳句なんだと思う。
【会場】俳句は外国人にとって楽しもうとすると難しいし、翻訳不可能なものだと思っていたら、ジョン・レノンやスクルノベリというノーベル賞をとった文学者は俳句を好んでいたと聞きます。先ほどのお話でもフランス人が小林一茶を好むというように、外国人にも俳句がわかるんだなと思ったのですが、外国の俳壇と日本の俳壇の交流はあるのでしょうか?
【中村】多少はあるみたいですけどね。例えばビート派の詩人は結構俳句に影響を受けています。アレン・ギンズバーグは句集をつくっているし、ゲイリー・スナイダーもアメリカで英語俳句を広げています。
【会場】日本の俳壇はその外国の動きをどうみているのか?
【中村】伝統的な俳句は外国人にはわからないかもしれないけれど、一茶の句は季語とか関係なく生き物そのものを描いているから外国人でも受ける。だから、金子兜太は外国でも受けるらしいんですね。被爆後の長崎を描いている「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」という句は、ドイツ人がものすごく感動するらしいですね。文化の依存性に関わりない場合には外国でも受けるみたいですね。
【会場】外国での翻訳の段階で韻律はどうなりますか?
【中村】韻律は消えちゃうでしょうね。多少は向こうのことばの韻律を意識して翻訳するみたいだけれど、やっぱりどうしても韻律は消えちゃうよね。だから、俳句でノーベル文学賞は難しいといわれているのはそういうことですよね。金子兜太もちょっとは候補に名前が挙がっていたらしいんだけれど、いかんせん翻訳が少ないからね。
【会場】「アウシュヴィッツは人フクシマはりんご」という句はどういう思いで書かれたのですか?
【中村】直接的な背景は、クリーンセンターにごみを捨てに行ったときに、その周りがリンゴ畑だったんです。リンゴがその時はたくさんできすぎたみたいで、売りようもないし誰も食べないし、ということでものすごい山になっていた。一月の末ってアウシュヴィッツの解放記念日ですが、たまたまその時期だったのかな。自分もごみを捨てている。なんというか、福島ではリンゴを埋め、アウシュヴィッツでは人を埋めているし、理屈では説明できないけれど、ふとつながったのかな。いのちを殺戮しているという切ないなという思いがあったんじゃないかな。
【会場】タイトルにひかれて参加しました。「蠅」という言葉が何かの象徴なのかなと思いつつ、どういう意味があったのですか?
【中村】どんな印象を受けました?
【会場】蠅はいてほしくない存在ですが、でもしょうがない。だから赦してしまうような存在なのかな。
【中村】「蠅」というのが身近になったのは震災の一年目。「被曝者であること蠅を逃がすこと」。この句が僕を蠅に惹きつけた句なんですよ。あの年の夏って暑いんだけど、もう窓を開けるのもすごくこわいというか、躊躇するような感じでした。そんな部屋に蠅が来て、叩いて殺してしまえばいいんだけど、なんか切ないなぁと思ったんです。なんか被曝した自分たちと蠅が同じ存在に見えたんですよ。とりあえず逃がしてやるよって国から言われ、外に行けばつまはじきにされる。今もコロナウィルスで武漢から来た人に対する偏見があるけれど、あれと同じような存在の自分たちがいて、その自分たちが蠅を嫌っている。生き物の哀れさに対する思いや感じたことが蠅に対する思いを深めたというところです。
【会場】平仮名の「ふくしま」とカタカナの「フクシマ」がありますが、音にすると同じになります。俳句は目で見るものを意識するのでしょうか?音なのでしょうか?
【中村】視覚はけっこう大事かなと思いますね。漢字をどう使うかとか。自分でいいなと思っても文字に縦書きにして書くといまいち立ち姿が悪いなぁというのはありますよね。パッと書いた時のイメージがあるし、俳人それぞれそういう美意識ってあるんじゃないかな。これが外国語に訳されるといいなと思いますけど。ただ、それは外国語になると全然別のものになりますね。あまり日本の文化にとらわれた句ではなく、生き物そのものをちゃんと引き出したような句であれば伝わるなじゃないかなとは思いますけどね。
【会場】字面という点で言うと「滝仰ぐ日本語の死は縦に縦に」という句がありますが、これは風景ではなく完全に文字の世界のことを書いてますよね。そういう見方をするんだ、写真といっしょでビジュアルなんだとものすごく納得しました。
【中村】日本語は縦に縦に、滝も上から下に流れる。自分の内面の動きと実際に目に見える光景が重なり合っているという読み方ですね。
【会場】ビジュアル的にすごくわかりやすかったのは39頁の「船の上に船を重ねてひばりかな」、61頁の「除染土の山も山なり眠りおり」。僕は仕事で南相馬鹿島まで働いていたものですからこれはわかりやすかったのですが、「滝」の句はこれもビジュアルなのか!ととても新鮮でした。
【会場】84頁の「揃いも揃って上向く蛇口夏休み」を読むと夏休みの子どもたちの様子がいいなぁと、今だからこそとても印象的だなと思いました。
【中村】これはそうですよね。震災前の割と素朴な明るい光景を詠めていた時期ですよね。
【会場】「夜学」というのが実は秋の季語だということを初めて知りました。
【中村】そうですよね。でもあまり「夜学」を季語として意識はしていないんですよ。だって、夜学は四六時中あるしね。秋だと捉えなくても通じるじゃないですか。あくまで便宜的なものです。「トマトだから夏です」という思考停止的に季語を使うんじゃなくて、句をつくるときにはトマトのつやつやした感じとか生き生きした、これをどうやって書くかと煮詰めるところが大事になってきます。
【会場】この本の最初の第一句が地球とか割と広い印象を受けるんですけれど、第二句目が自分にとって大事なことを詠まれていて、この並びがものすごくおもしろいなと思いました。句の並べ方も考えられていると思うので、この句を最初にもってこられたのは何かあるんですか?
【中村】気持ちよくスタートしたいというのはありますよね。第二章の「春の牛」でかなり重いのが来るので、最初の第一章は気持ちよくスタートして、気持ちよく読んでもらって、第二章でガクーンと重いものを出して騙し討ちをする(笑)。最初から重いと絶対手に取ってくれないんじゃないかなと思って。
【会場】実は僕は詩が好きで、いわゆる現代詩をちょこちょこ書いているのですが、3.11の経験だとか被曝だとか原発のことだとかを書き始めると、自分でも読みたくなくなるような散文になってしまい、読みたくも読ませたくもなくなっちゃう。その視点から読むと、俳句ってふっと感じていることを出して、あとは他の人に預けるっていうのがイイなと思いました。現代詩としてなかなか表現しきれないものを、制約の中で言い切るのもいいなぁ。何か書きたいとか表現したいという瞬間を書き留める。さきほどのアウシュヴィッツの詩で「リンゴ」を「牛」とはしようとは思わなかったですか?牛だと暗くなっちゃうけど、リンゴだとそこまで重くならずしみじみと考える表現の工夫になっていると思いますが。
【中村】やっぱり物ですよね。まず牛だと季語にならないというのもあるし。やっぱり、リンゴというところに福島の象徴があると思うし、リンゴということで野原とかリンゴ畑とか空間も見えてくるし。偶然だとは思うけれど、実際に見たのがリンゴだったということもあります。
【会場】「春の牛」は震災に関わる句とは言っていましたが、それ以降のものなので知らず知らず震災ことがふっと出てしまいますよね。味わいがあの震災を経験したことで。蠅を慈しむような感情などが続いていますし。
【中村】ちょっとした動作とか動きのなかにそれなりに自分の心の動きもあるのですが、それを深めてあーだこーだ書くと散文になってしまう。でも、俳句はその動作そのものを「もの」として映像としてポンと差し出す。で、差し出された方はそれをそのまま読み取ることになる。だから、差出し方そのものに工夫は要るし、どういう視点で差し出せばいいかなということに関しては、言葉がなかなか出てこなかったこともあるんですが、きっかけになったのは「春の牛空気を食べて被曝した」という句です。それが出たときに、あ、これだったらいけるかなと思ったんですね。この句が出たときにノートに書き留めたんだけれど、その晩、夢に金子兜太が出てきて「こんなの俳句じゃねぇんだ」って怒られて僕があやまっているんですよ。で、目覚めてやっぱりだめかなと思ったんだけれど、朝日新聞に投稿してみたら採用されたんですね。これでいけるかなという自信になりました。理屈ではなく感性に届くように、軽く柔らかく言葉を使っていくことが大事になってくるなと思います。
【会場】僕がこの句集のなかで、特に印象に残った句を眺めてみると「時間」というものに関わっています。たとえば、「末枯れや未来とは今のことでした」という句は、まさに原発事故はいつか起きるのかもしれないけれど、自分が生きているうちには起こらないだろうという迂闊な自分が、その出来事をまのあたりにしたときに経験した直感と重なりました。つまり、未来が現在に出来(しゅったい)してしまったという不思議な感覚です。それから、これは3.11前の句なのでしょうが、「母の無知を許し敗戦日を憎む」という句が、「第二の敗戦」といわれた原発事故と重なって、僕らの世代がここでいう「母」になるのだろうかと想像しました。つまり、ここでは過去に見た母の姿が現在の自分たちに重なるし、母を「許し」敗戦日を「憎む」主体が子どもたちの世代、未来の世代だとしたら、僕らの世代はそのように詠われるのかな、と。そして、「ひとりひとりフクシマを負い卒業す」という句には、「フクシマ」という重荷を教え子に背負わせて未来へ送り出してしまう、なすすべのなさと負い目を感じました。そして、これらはどれも僕自身が経験したからこそ、深く印象に残った言葉だったのです。つまり、現在という地点に過去や未来が交差しつつ、入り乱れる感じがして、中村さんの時間的な位置っていうのがどこにあるのかなという思いをしました。
【中村】自分の句をそういう捉えかたしたことなかったから、凄く新鮮ですね(笑)やっぱり、震災前のその頃から日本社会のあり方っていうのはおかしいなと思っていたんですよね。母親は政治のこと関心ないんですよ。それなりに戦後を体験してきたんだけれど、苦労してきたはずなのに、戦後の歩みに問題があったという意識はないんだよね。まじめにやっていればいいんだよ、と。僕自身が戦後の歩みはおかしいよな、それを体現していない社会はおかしいよなと思っていたんだけれど、ま、母親は無知だからしょうがねえよなって。でも、そうさせてしまったのはこの「敗戦日」。「終戦」ではなく「敗戦」という言葉にこだわっているんだけれど、この日があったっていうことが我々にとってはすごい負の遺産を背負っていかなければならないんだというのが震災前からずっとあった。それに関連すると、定時制の生徒を見ても、「夜学子離郷す日本語拙き母は喚き」(130頁)の句。お母さんがフィリピンの方で息子は日本語が堪能なんだけれど、自分の話す日本語の言葉では気持ちが母に伝わらないんですよ。お母さんは日本語わからないし、子どもはタガログ語を話せないし、微妙な感情の襞が伝わらない。そのうち家を出てしまう。話を聞くとバブル期に日本に来たお母さんは好景気の犠牲者だった。それが息子の犠牲にもつながっていく。そういうのを目の当たりにすると、日本の発展というのはいったい何なんだろうなと思うことが多かった。だから、「敗戦日」という言葉は、日本の民主主義国家としての歩みをどこか踏み間違えてきたその象徴なんじゃないかという思いがずっとあったんだと思う。
【会場】罪を憎んで人を憎まずというのかなぁ。「一人の仮設に百も柿を干す祖母を許す」という句にもそれが現れていて、原発事故を引き起こした社会にばかやろうと叫びつつ、でもそこに生きる人々の生を肯定している中村さんの愛を感じる。
【中村】矛盾を抱えているじゃないですか。矛盾そのものを短いけれどそこにボンと出しちゃう。そういう方法もある。
【会場】時間感覚で言うと、「東北は青い胸板更衣」という句ではぱっと縄文人が思い浮かんだんですね。縄文人がぐっと胸を張っているイメージ。ものすごい悠久の時間の流れを感じました。
【中村】それはすごいうれしい感想ですね。この句はいろんな人から代表句なんじゃないと言われます。
【会場】何か日本列島っぽいイメージもしたんですけれど。
【中村】そうそう。日本列島の三陸のイメージも併せている。東北の緑は深いですよね。その深さが胸板の厚さと重なっている。
【会場】東北の誇りというかアイデンティティがここにあって、そこに縄文人のイメージとつながったんです。
【中村】うれしいですね。縄文人のアニミズムとか僕は大好きなんですよ。そう受け取ってもらえると嬉しいですね。
【会場】これが代表句だとしたら、この句集のタイトルは「青い胸板」になるんじゃない?なぜ「むずかしい平凡」だったのかな?
【中村】「青い胸板」は震災前の句なんですよ。やっぱり震災の後との対比ということを、俳句を長くやってきたなかで出したかった。
【会場】「むずかしい平凡」っていうのは、あの直後子どもたちがよく言っていた「当たり前のことが当たり前じゃなかった」ことが思い出された。それでいて、日常生活に安らかなありがたみがあるんだけれど、それが案外難しいみたいな。
【中村】いつも厳しい妻も「タイトルはよかったんじゃない」といってくれました(笑)。
【会場】私がこの本を最初に手にとったきっかけは表紙のアリンコの絵だったんです。なぜアリだったのでしょうか?
【中村】この句集をつくるときに完全な自費出版で、全部自費出版にしたんですけれど、そのときにシンプルながら統一感のあるもので印象をつけるものがあった方がいいなと思ったときに、この「蟻と蟻ごっつんこする光かな」という句が思いついて、それで蟻がページを一枚めくると近づいてごっつんこする漫画みたいなものを自分でデザインした。そうすると見た目でだませるんじゃないかなと(笑)。これもお金かけないで百円ショップで消しゴムハンコを大きく掘ってそれをパソコンでスキャナで取り込んで、位置を微妙に変えながら印刷していく。カネがない故の工夫です(笑)。
【会場】大好きな句がいっぱいありました。皆さんは理性の方で読んでいるんだなと驚いた。私は90%感性で俳句や短歌を詠むので、あまり躓かずに読み進められるんです。「春の牛」のところでは一瞬で涙が出る体験をさせてくれるのが俳句なんですよね。一瞬で感情が出てくる。
【中村】それはやっぱり韻律の力だと思いますね。五七五というリズムがなにか身体に訴えかける。どこか日本人の、日本語を使う人たちのどこかにすごく響いているんじゃないかなぁ。
【会場】短歌を書いていた時期がありました。解説のどこかに俳句をつくるのは修行であると書かれていましたが、表現したいことはいっぱいあるんだけれど、自分の表現を韻律のなかで削らなければいけませんよね。本当は散文のように言いたいこともあえて形にはめて言う。苦行を経るとそういう力は出るのでしょうか?
【中村】俳句って大したことのない思いや発見はこの短い形式が弾き飛ばすんですよ。形にならないんじゃなくて、俳句がかたちにしてくれない。俳句が拒んでいるんだなって思ってる。だから、新しい言葉なんかも俳句の作品になってはじめてものになるという感じかな。レジュメにあった「万緑のなかや吾子の歯もはえそむる」という句はは、あの句ができてはじめて「万緑」が季語になったんです。結局、自分が思ったことを俳句の形になったら俳句が認めてくれたと思っています。
【会場】最後に「フリージアのけっこうむずかしい平凡」を書いた背景を教えて下さい。
【中村】フリージアはすごく香りもいいし、楚々とした目立たない花ですが、ちゃんとその存在感がある。フリージアをじっと見ていると、こういう平凡さで花がたたずんでいるのっていいなぁって思う。でもこういう風なたたずまいで存在するって結構難しいなぁっていう、そんな感覚。フリージア感覚。でも、別にそんな大した句ではない(笑)。タイトルにするにはよかったよね(笑)。
実に面白い充実した内容の議論でした。
中村さんの句はまだまだこうした議論を継続できるような気がしました。
今回、このような会が実現できたのはコトウさんのご理解とご協力があってこそです。
中村さん、コトウさんにはあらためて御礼申し上げます。また引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m(文:渡部純)