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カフェロゴは文系、理系を問わず、言葉で語れるものなら何でも気楽にお喋りできる言論カフェ活動です。

映画『ゲッベルスと私』&石田勇治氏トークイベント【お知らせ】

2018-09-24 | その他


映画『ゲッベルスと私』&石田勇治氏トークイベント
9月30日()上映13:00~15:00
        講演15:00~16:30
石田勇治氏(東京大学教授)トークイベント
場所 フォーラム福島



カフェロゴの活動とは関係ありませんが、いつもお世話になっているフォーラム福島さんで本映画作品が上映されますので、この場を借りて宣伝させていただきます。
当初、9月30日はエチカ福島@金山町の予定でしたが、当日町議会選挙が入ったため急遽中止となりました。
なので、みんなでフォーラム福島へ集いましょう!
支配人阿部さん曰く、「100歳を超えるゲッベルスの秘書を務めた女性の言葉は、まるでアイヒマンそのもの」。
この歴史の証言をドイツ思想・政治学がご専門の石田勇治氏の解説により、読み解いていきます。
こぞって観に行きましょう!

「風が吹くとき」を読む会・まとめ

2018-09-17 | 文学系
  

『風が吹くとき』という絵本は、今回のカフェマスター・宮川綾香さんから教えてもらいはじめて知りました。
その後、色々調べると映画化もされており、さっそくアマゾンで購入。
このアニメ映画の日本語版キャストが凄い。
監修は大島渚。主人公の夫ジムの声は森繁久彌、妻ヒルダの声は加藤治子。
音楽をピンク・フロイドのロジャー・ウォーター、主題歌をデヴィッド・ボウイが担当しています。

あらすじはこう。
老夫婦のジムとヒルダは、イギリスの片田舎で年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意やシェルターの作成といった準備を始める。
そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。 (wikipedhia)

とにかく暗い絵本・映画。
今回はカフェ宮川で映画を視聴してから始めたが、そのストーリーはどうしようもなく救いがない。
「互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく」二人は、聖書の祈りを唱えながら死を迎えるであろうところでストーリーが終わります。
その最後のコマは本「600万の兵士…死地に…」というセリフで幕をとじるのですが、この言葉の意味が分かりませんでした。
よくよく「あとがき」を読むとテニソンの詩「軽騎兵の突撃」の断片であることが記されていました
この詩はクリミア戦争の際に、イギリスの軽装備旅団600人が、彼らに下された命令の愚かさを承知でロシアの砲兵隊に切り込み、ほとんど全滅したことを詠った愛国的な詩であるといいます。
しかも、明治期には日本でも訳されて流行したそうです。
そして、なぜ、その詩の断片がストーリーの最後を締めくくったのかは、一読すれば腑に落ちます。


すなわち、田舎に住む老夫婦は仲睦まじく過ごしてきたのでしょう。
夫ジムは国際情勢を大いに語り、核戦争の恐ろしさを説く一方、妻ヒルダはその渦中にあっても家の中の整理など日常の秩序が壊れないことの方に気を揉みます。
いかにも男性と女性の関心の違いが描かれていますが、そのなかでジムの愚直なまでに政府を信用しているさまが印象的でした。
政府発行の「戦争に生き残るための手引き」など、そのマニュアルを忠実に守るジム。
そして、水爆投下後、被ばくによって身体が壊れていくさなかにも、すぐに政府の救援部隊が来ることを不安がる妻に語りかけながら励ますジム。
その姿は滑稽なまでに楽観的なのですが、作者のブリッグスは、彼の姿をクリミア戦争で犠牲にされた軽騎兵と重ねたのではなかったでしょうか。

マスターの宮川絢香さんは、今回の趣旨をこう書いています。

「私が『風が吹くとき』を初めて読んだのは小学校2~3年生の頃。
もちろんその時は知識など皆無でしたが、それでもこの本を『怖い(恐い)』と感じた記憶があります。
その後、1999年のJCO臨界事故を経て、現職に就いた初任校で東日本大震災を経験しました。
私の人生で放射線被爆について強く考えさせる機会が3回あったことになります。
 東日本大震災の際、いわき市四倉の実家にて水素爆発のテレビ中継を見た私は、母親と死別の覚悟で別れるときにこの本を思い出しました。
無事に生きて再会し、平和に過ごしている今もあの時の情景と共にこの本が浮かびます。
 初任校での出会いにより、この場にいる幸運を手にしたのも何かの縁と思い、人生経験や知識を伴って今、もう一度『風が吹くとき』を読んでみたい。また、多くの人にこの本を読んでいただき、何を感じるか・どう思うかを聞いてみたいと思います。」


当時、ワタクシと同僚だったマスターとは、ともにあの原発事故直後の過酷な時期をともにした戦友です。
しかし、今回、この本をめぐって語っていただいた原発事故被災の経験談には私自身が知らない事実を語られたことに驚かされるとともに、あらためて被災をめぐる葛藤の個別性と多様性を思い知らされました。

「母親との死別の覚悟で別れるとき」とは強烈な言葉です。
彼女が実家に戻っていたときに原発が水素爆発を起こした際、母上は「ここには二度と戻れないから、お前が連れてったくれ」と祖父母を託されながら、ご自身は職場に戻る選択をしたそうです。
そのとき、マスターは「こんなときくらい、家族をとってもいいじゃないか」と思いながら想起したのが本書の次のシーンでした。



この、急性被ばくの症状が出だしたジムの明るく歌う姿は痛々しい以上の恐ろしさを読み手に与えますが、マスターは「自分の母もこうなるのかもしれない」との不安を覚えたことをはっきり記憶しているといいます。
幸い、こうしたことになることはなかったわけですが、あのとき、多くの人が同じ思いに駆られたのではなかったでしょうか。
そして、別れ際、母上には「お前は一人で生きていけるから」といわれたそうです。
以来、家族同士で連絡した最後の言葉は「生きてもう一回会おう」だったそうです。

二度と会えないかもしれないという切迫感。
まさに、ジムとヒルダが直面した出来事がリアルに経験されたことに外なりません。
その根底には、小学生の時に読んだ本書の読書経験があったということはとても印象的です。
マスターは理系の教員です。
JCO事故で亡くなられた方の凄まじい死を知るにつけ、急性被ばくによる死がどうしようもないことを認識しつつも、放射線に関する基礎資料を提示しつつ、科学的に被ばくの曲解を避けようという姿勢で語ります。
しかし、印象的なのは、科学的評価と自身の思いの振れ幅です。
いや、そのときは落ち着いて被ばくの科学的理解を深められなかったから動揺したのだ、とおっしゃるかもしれません。
それでも、ワタクシには科学的客観的評価ができれば動揺しなかったという論理とは別に、幼いころに読んだ文学の力が妄想に働いたということではないと考えています。
科学的に正しく理解すれば不安を覚えないというのは、伊藤浩志氏の『復興ストレス』によって批判されています。
むしろ、今回の読書会から出だされるのは、人文の力を妄想と切り捨てるのではなく、別の仕方で人間が思考や判断に与える可能性があることをもっと真剣に考えなければいけないのではないか、ということです。

実は、福島市が高線量に汚染された原発事故直後、ワタクシは意を決して当時の校長に全職員避難民の即時避難を進言しに行ったことがあります。
ただ、当時は異常な恐怖心を抱いていたために自分自身が狂っているのかもしれないと思い、まずは二人の若い同僚に進言する内容がおかしくないかを確認してから校長室に乗り込もうとしました。
そのときに相談した一人がマスターでした。
お二人とも異論はないというので、「じゃ、これから校長室へ行ってくる」と踵を返すと、意外なことにお二人が一緒に乗り込むと言い出しました。
その時の記憶を想い起すと、ワタクシが被ばくの危険性を校長に説いたとき、彼はまだピンときていない様子でしたが、顔色を変えたのはマスターが涙とともに訴え出た瞬間でした。
その時の内容も覚えていますが、その背景にマスターの上述の葛藤があったことは、7年を経て初めて知りました。
おそらく、ストレートにはたがいに語り合えなかったのかもしれませんが、この本を媒介に7年越しでマスターの当時の思いや経験を聴くことができたのは、ワタクシにとって忘れがたい時間となりました。

その後、マスターは素敵なおつれあいと出会い、このカフェ宮川でこうした機会を与えてくれました。
今回のお話の衝撃は個人的には大きいものであり、時間をおいてあらためて議論したいことです。
ほんとうは、マスター夫妻が準備して下さった素敵なディナーを堪能しながら、その続きを議論しようといったのですが、あまりに料理が素晴らしすぎて、すっかり楽しい饗宴になってしまいました。


こうした機会を意欲的に設けて下さった絢香マスターにはもちろん、とおるシェフには感謝してもしきれません!
まるで高級中華&アジアン料理店。
実は、ワタクシを含めてその場に誕生日を迎えた参加者向けに、いわき名物ジャンボシューもご準備くださりました。

お二人の歓待には心より感謝申し上げます。
もう、カフェ宮川にのめり込みです。
次回は、トオルシェフによる3時間クッキング講座を開催するかもしれません。
ともかく、頭も胃袋も充実した四倉カフェロゴの時間、ありがとうございました!(文・渡部 純)

【開催】R.ブリッグス『風が吹くとき』を読む会

2018-09-02 | 文学系


【テーマ】  R.ブリッグス『風が吹くとき』を読む会
【開催日時】 9月16日(日)16:00~18:00 
       ※DVD版は14:30から視聴します。
【開催場所】 いわき市四倉・宮川邸(個人宅)
※個人宅での開催ですので、参加申込された方に場所を直接お知らせします。
【申し込み】 要申込 ※参加希望者は「メッセージ」にお申し込みください。
【カフェマスター】宮川絢香
【開催趣旨】
 初カフェマスターの宮川(絢)です。
 私が【風が吹くとき】を初めて読んだのは小学校2~3年生の頃。
 もちろんその時は知識など皆無でしたが、それでもこの本を『怖い(恐い)』と感じた記憶があります。その後、1999年のJCO臨界事故を経て、現職に就いた初任校で東日本大震災を経験しました。私の人生で放射線被爆について強く考えさせる機会が3回あったことになります。
 東日本大震災の際、いわき市四倉の実家にて水素爆発のテレビ中継を見た私は、母親と死別の覚悟で別れるときにこの本を思い出しました。無事に生きて再会し、平和に過ごしている今もあの時の情景と共にこの本が浮かびます。
 初任校での出会いにより、この場にいる幸運を手にしたのも何かの縁と思い、人生経験や知識を伴って今、もう一度【風が吹くとき】を読んでみたい。また、多くの人にこの本を読んでいただき、何を感じるか・どう思うかを聞いてみたいと思います。
 当日は、軽く本をもう一度読んでいただいた後、純さん持参予定のDVD鑑賞(まぁ順番は前後します)その後、意見交換(議論)の流れを想定しています。当日までに放射線障害について簡単にレジュメを作成しておくのでおさらい的に少し目を通してもらえればとも考えています(説明は皆さんが不要なら省きます)
 個人宅開催を堅苦しい・居心地悪いと考えられる方もいらっしゃるかもしれませんが、民家を改造したカフェだとでも思っていただき、気軽にお越しいただければと思います。読む会におけるコーヒー・お茶は当方でご用意致します。

※懇親会(18:00~)以降、要予約制とさせていただきます。
希望される方は、下記についてメッセージにご連絡お願い致します。
1.駐車希望(先着10台程度)
2.懇親会参加希望(会費:アルコール有2,000円/アルコール無1,000円)
※食物アレルギーがある方は、品名をご連絡ください。
3.宿泊希望(布団、タオルは貸し出し致します。)

どのような話が展開するのか、楽しみにしています。皆さんのご参加お待ちしています。


【課題本の概要】※ウィキペディア参照
 核戦争に際した初老の夫婦を主人公にした作品であり、彼らの若い時までさかのぼった作品には『ジェントルマン・ジム』がある。題名は『マザー・グース』の同名の詩から。彼らが参考にする政府が発行したパンフレットは、イギリス政府が実際に刊行した手引書 "Protect and Survive" (『防護と生存』)の内容を踏まえている。
1986年にアニメーション映画化され、日本では1987年に公開された。日本語版は監修を大島渚、主人公の声を森繁久彌と加藤治子が吹き替えている。音楽をピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ[2]、主題歌をデヴィッド・ボウイが担当している。
日本での劇場公開に際しては、配給はミニシアター系のヘラルド・エースが行った。興行は、首都圏ではセゾン系映画館および国内の作品提供に朝日新聞社が加わっていたことから、有楽町朝日ホールでも行われた。また、全国では各地のミニシアターで展開されていた。その後、作品の特性から非商業上映が全国の教育会館ホールなどの公共施設で多数行われた。
2008年7月26日、アット エンタテインメントによってデジタルリマスター版DVDが発売された。
【あらすじ】
老夫婦のジムとヒルダは、イギリスの片田舎で年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意やシェルターの作成といった準備を始める。
そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。

『中動態の世界』を読む会 まとめ②

2018-09-01 | 哲学系
 
 國分功一郎『中動態の世界』を読んで  島貫 真

2018年8月25日(土)福島市飯坂 温泉のみちのく荘において、國分功一郎氏の『中動態の世界』の読書会を開いた。
14人の参加者を迎え、13:00から終了予定を大幅に超える17:30まで、二回の休憩を挟みつつ約4時間にわたってじっくり読むことができた。
『スピノザの方法』以来(ということは実質東日本大震災&東京電力福島原第一原子力発電所の事故以来ということでもある)約7年間、國分ウォッチャーとして著作を読み継いできた身としては感慨深いものがある。その間、國分氏にはエチカ福島の助言者として来福いただいたこともあった。

当日の読書会では、中動態それ自体についての読解(第一部)を島貫真が報告し、アーレントの意志論批判の部分に関するアーレント読みからの応答(第二部)を渡部純が担当した。

以下は、島貫が担当した第一部についてのまとめである。
出来るのが遅かったのでまとめ②になってますが(笑)
第二部については別途渡部のまとめ①を参照されたい。

https://blog.goo.ne.jp/cafelogos2017/e/ff49a8b2f5d4fdb11384ffd1b7961d42

1、今なぜ中動態か
 今は、仕事をしていても医療の場面でも、教育についてでも、様々な場面で生きにくさを覚えずにはいられない。能動か受動かという問いが至る所に蔓延していて私たちを「尋問」してくる。だが、その能動/受動という二分法ではうまく捉えることができないことがたくさんある、と私たちは感じる。
 そこに「中動態」という概念を当てはめてみるとどうなるのか。それがこの本の前半におけるポイントのひとつだ。


 例
a殺人か過失致死か、加害者か被害者か、原告か被告か
  b謝罪と恋愛(第一章)
  c中毒症状の治療(プロローグ)
  d強制避難と自主避難(島貫が当てはめたこと)


たとえばaでは、犯罪を裁く裁判においては徹底的に「意志」が問われる。つまり自らが能動的にその行為を行ったのかどうかが厳しく尋問されるわけだ。実際の裁判の過程では加害者と被害者、行為を能動的に行った者とその行為を受動的に被った者との対比・対立が鮮明にされていく。また、その能動性が立証されなければ被告を罪に問うことは難しい。
ところが、b謝罪や恋愛になると、その能動/受動の二分法はとたんに不便なものになる。
謝るのか謝らされるのか、もしくは愛するのか愛されるのか。
 もちろんそこでも能動/受動の区分を無理やり適用することはできるが、本当の意味での謝罪は、自分が心の底から申し訳なかった、と感じることによって初めて成立するわけだし、恋愛は愛しているのか愛されているのか、という二分法がおよそ無意味な場所、愛が自分の中から立ち現れ、かつ二人で愛し合っている「恋愛」のまっただ中の場所に身を置くことこそが恋愛に他ならない。恋愛というプロセスの中に主体があって、その中で行為が完結する、といってもよい。

 cになるとむしろ能動/受動という二分法の弊害に注目しなければならなくなる。
麻薬中毒患者においては、「ダメ、ぜったい」と、本人の意志を強く持つように仕向けるのは「ぜったい、ダメ」なのだそうだ。むしろ、薬がなくて寂しいけれど、なんとか今日も薬に頼らない一日を過ごすことができた、という感覚が治療プログラム上は極めて重要なのだという。つまり、回復は意志の力では実現せず、「回復し続けていく」プロセスの中に身をおくことこそが「回復」なのだというのである。

以上のことを踏まえた上でdの例を考えてみたい。

 dは私たち福島に住み、あるいは関心を持つ者たちが避けて通ることのできない事柄である。そしてここでもまた、自ら(能動的に)避難したのか、(受動的に)避難させられたのか、は大きな問題であり続けてきた。
 国によって避難させられた人は受動であり、自主避難した人は能動である、とひとまず仮に言ってみることは可能だ。だが、だからといって自主避難した人は自ら進んで好むままにゼロからその行動をとった訳ではない。

福島が危険な状態だからやむを得ずに「自主避難」したという側面が間違いなくある。というか、好き好んで動いた場合は単なる移住であって、自らも避難とは言わないだろう。そこには純粋な意志で行動したのではない、危機的な環境の中でやむを得ず避難した「自主」避難という側面がある。
 他方、強制的に避難させられていた人も、何年も経って地元のコミュニティも経済も従前通りからはほど遠い状態のまま避難解除が宣言されると、その後はなんと強制避難から「自主避難者」に分類されてしまうことになるという不条理に直面している。
 このdの状況をみた場合、どう考えても能動/受動の区分でこの福島の状況を考えることには大きな限界、不都合があることが分かる。
 むしろ、汚染され非常事態となった福島の環境の「中」でどう振る舞うかが私たちに問われているのであり、意志的にゼロから自由に出入りしたり場所をフリーに選択できるわけではない。避難していようが避難していまいが、大震災と原発事故という大きな進行中のプロセスの「中」にあって私たちはいろいろ考え、また行動し続けているのだった。

そう考えていくと、「尋問する言語」としての「能動態/受動態」でものごとを考えていくと見えなくなってしまうこと、大きな不都合が生じてくることが身近にもたくさんあることが分かる。しかし、近代以降、意志と責任をセットにして法と言葉はあくまで私たちを尋問し続けてきた。「それはおまえの意志なのか?」と。そして、その尋問する言語の根底には「能動/受動」の二項がある。それによって見えなくなってしまうものごとをうまく捉えることができるパースペクティブとして「中動態」を考えたい、そのようにしてこの本は書かれ始めたと考えることができる。


2、中動態の定義

 本文では何種類もの定義が提示されてそれぞれ詳しく吟味されているが、國分氏がもっとも適切なものとして取り上げているのが言語学者バンヴェニストの次の定義である。

「能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している。これに対立する態である中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり主語は過程の内部にある」バンヴェニスト(本文P88)
(ちなみに、アンダーソンという研究者は、能動は遂行、中動は経験、ととらえている。)

 つまり、この定義を通して見えてくるのは、能動/受動の区分をいくら駆使してみても、動詞が描写している出来事のプロセス内部に主語が存在するようなタイプの現象すなわち前項のb~dのようなことどもを、(その能動/受動の区分を前提にしているうちは)適切に記述できない、ということである。

3、なぜ文法か

さてでは、なぜ文法を丁寧に論じなければならないのか、というポイントは、この『中動態の世界』という本を論じる上ではずせない。なにせ前半の第2章~第4章までは、医療でも恋愛でもなく、文法とその歴史、それに対する批判と反論などで埋め尽くされているのだから。
そこで繰り返し強調されているのは次の点だ。

 私たちの思考の枠組みや論理の説明には文法や構文など言語的な要素が大きく関わっているから。(第2章)
 「人が考えうることは言語に影響される」
 「言語は思考の可能性条件である」(第4章)P111
 
 つまり、言語は私たちが思考する上で大きな(可能性を保障し時には制約する)条件になっている、というのだ。言語=思考でもなければ思考=言語でもない。この「可能性条件」という視点を確認しておきたい。
 つまり、神様のような視点を持たない私たち人間は、普段使っている言語の文法規則に則って思考をしているので、いってみれば私たちの視点(パースペクティヴ)は言語を基盤として展開し、言語のあり方に大きく条件付けられているということになる。
 ということは、能動態/受動態という文法の区分に則って思考することと、能動態/中動態という文法の区分によって思考することとはかなり違った世界の見え方になるのではないか、ということになる。
これが文法にこだわる大きな理由のひとつだ。

 まあ國分氏が冗談混じりに言う通り、「自身が文法ヲタク」だから、ということもあるかもしれない。それはそれで國分功一郎論を展開する上では重要なのだろうが、それはまた別の話(笑)。



4、なぜ文法の歴史なのか

「今現在の状態は完成品では少しもないからむしろ今存在している抑圧を知るためには、歴史を参照しなければならない。」P195
「(言語が思考の可能性を規定する)場とは、それは言語が語られ、思考が紡ぎ出されている現実そのもの、すなわち、社会であり歴史に他ならない」p112
「言語が変化するのはその抑圧の形が変わるということである。」p196

今だけをみていると抑圧の姿=全体像が見えてこない。

どんな変化の中で何が抑圧され、何が前景化してきたのか、歴史を参照することで、その今は存在しない痕跡を丁寧にたどることができ、その結果、はじめて

「今何が見えていてかつて見えていた何が見えなくなってしまっているのか、それはどんな視点、思考の枠組みの変化に因っているのか」

が見えてくる。

だから歴史を参照することが重要だ、ということだろう。

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(さて、ここでちょっと本文から離れて立ち止まっておきます)

 実は日本語にはそこいら中に中動態の名残が現存している。

 助動詞「れる・られる」の自発(自然と~なる)
 自動詞「起きる」「見える」「感じる」「分かる」「変わる」「開く」「消える」

 しかし、その中動態的な自動詞があふれている日本で、能動/受動のフレームにおける「責任」が厳しく問われている現実がある。そしてその矛盾が放置されている印象もある。新自由主義的な「自己責任論」などは能動/受動を前提とした究極のクソな視点だが、この中動態にみちあふれているような日本で同時に我々は能動態/受動態の視点にさらされているのだ。

伏見瞬『<二者>の哲学者、國分功一郎』からの孫引きで恐縮だが、
東裕紀は
「日本はそもそも責任主体を明確にしない中動態的な社会である」
とのべている。

國分氏はこの本では直接このことについて触れていないが、とりあえず補足が必要だろう。

 たしかに、軍国主義的<無責任体制>や<空気の支配>といったところに、中動態の匂いがする。全体主義においては、主体がプロセスの中にあることに間違いはない、全体がひとつのプロセスになっているわけだから。

 その<無責任>や<空気の支配>は国全体が中動態におおわれてしまい、責任なんてとれないよ、と無責任体制が蔓延していくってなことにもなりかねない。そうなると中動態は、一見、無責任体制の中で庶民が生きていく言い訳、つまりは

「だってやりたくなはいけどしょうがないよね、その中でなんとか生きていくしかないんだもん」

 といったいいわけの話に使われやすいような気もしないではない。

 だが、この本で語られている「中動態」はそれとはまったく正反対だ。
それ(全体主義的な無責任や空気の支配)はむしろ徹底的に主体を外部に取り拐われてしまった状態だ、ということを論じているものだと思われる。

 それはこういうことだ。

 中動態は、主語がその動作=出来事=プロセスの内部にある、と定義できる。

つまり、無責任体制や空気を読むといった全体主義的傾向において主語は、むしろ為政者や「国体」の側に収斂してしまい、プロセスの内部にあるどころか、私たちの「主語」は空気や無責任体制の中で拡散し、その結果私たちは徹底的に「受動的」なところに追い込まれていくことになるのだ。
 
 だから、少し先回りして書けば、「中動態」について考えることは「自己」と向き合うとはどういうことか、そして「他者」とどう向き合うか、という課題につながっている。つまり、「主体」をどう捉え直すかという現代の「困難」について考えるための手立てにもなる。

<空気の支配>や<無責任体制>が気持ち悪いのは、実は主体が私たちの生きているプロセスの中にあるのではなく、一見主体的にそれを支持しているかのようでありながら、実際には、体制や空気に対して徹底的に受動的に生きさせられているからだ。


「中動態」は「能動態でも受動態でもない」<隙間>や<残余>や<神秘>という説明の方向では不十分だという大きな理由のひとつがここにある。。そういう説明では、能動/受動のパースペクティブを前提としているため、結局強化してしまうことになる。主客図式の乗り越え、というだけではないすまないデリケートな問題なのだ。

近代の超克的な図式は、それこそが全体主義を招き寄せてしまった。
まあ歴史をみれば明らかになるわけだが。

歴史を見る必要がある、というのもそこから必然的に出てくる結論だろう。

繰り返しになるが、ポイントは

「能動/受動の二項対立では見えないものがある……そしてそこには抑圧された重要な見方が隠されている……それこそが中動態だ(ジャジャジャーン)!」

というのはむしろ危険でさえある、という点だ。

そういうロマンチックなあるいは神秘主義的な、つまりは非歴史的な話では、動詞のプロセスの中に主語があるどころか、国家や国体などに主体が取りさらわれしまい、プロセスの中でものごとを考えていくという視点からはもっとも遠いところにたどり着いてしまいかねない(と島貫は感じる)。
 
 そしてまたここにはアーレントの全体主義批判や意志論と切り結ぶ重要なポイントがあると思われるわけだが、それは後述。

 とにかく、中動態を論じるのは、能動/受動という呪縛から私たちを解放してくれるマジックワードを探すためのものではない、ということは強調しておくべきだろう。

そこを丁寧に説明するためには、第7章スピノザ=ドゥルーズの章の読解が必要だが、今回はそこまではたどりつかなかった。一言だけ早手回しに言及しておくなら、歴史を考えるという視点は、ドゥルーズ=スピノザ的にいえば「発生」から考えるという風に言い換えてみることもできるかもしれない。つまり、どこから発生して、どういう経緯(プロセス)を経て今ここの「抑圧」が成立したのか、を考えずには真理が見えてこない、ということだ。中動態という概念はだから、単に目の前の現実をうまく説明するためのフィルタなのではなく、ドゥルーズ=スピノザ=國分氏にとって基盤となるものの見方、ということにもなろうか。

(さて、では本題に戻ります。)

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5、中動態の歴史的発生は?

名詞文→非人称動詞→(中動態的な?)動詞→中動態と能動態が対になる→中動態の中から受動態が派生する→中動態が痩せ細っていき、その後は能動/受動の二項で語られるようになる。

・能動/受動と分けた時と、中動/能動と分けた時とでは、「能動」の意味も変わってくる。
だから、中動は、能動/受動の「間」ではないし、あるいは「外部」にある「残余」でもない(それは能動/受動を前提としているからダメ)。
能動/受動というパースペクティヴではない、中動/能動のパースペクティヴによって世界の見え方がどう変わるのか、そしてそれがどんなプロセスを経て変化したのかという捉え方が重要。


6、プロセスの重要性って?

・ギリシャのアテナイの民主制で
 人民を支配する法律→能動態
 自分たちを統治する法律を自分達で作る→中動態
今だと「法律を定める」とどちらも能動態になってしまうが。

・薬物依存から回復する場合、有効なのは
「回復とは回復し続けること」
決して切断ではない。
「ダメ、ゼッタイ」は「ゼッタイ、ダメ」

ちょっとちょっと寂しいけど、ちょっと退屈だけど、まあいいか、こんなもんかというぐらいの状態に自然にはいっていけるようになると、だんだん依存症から回復していける。
薬物治療も勉強も中動態。プロセスだけがある。

7、では責任の問題はどうなるのか?

(以下は、國分功一郎氏と千葉雅也氏の対談から拾っている)

法だけじゃない。宗教とか文法とか、さまざまな規則がある。
そもそも法律には限界がある。程度がある。

世の中は法的な帰責性の判断だけでうごいているわけじゃないということですよね(中略)。もっとグレーゾーンでうごいていることがたくさんある。(千葉)

僕らが使っている言葉の文法が、今の社会を規定している法と非常に密着している(國分)。
 ↓
尋問している言語が僕らを大きく規定している。ということは近代以降我々は尋問する言語に支配されている、


エビデンス(証拠による論証、ということか)中心主義は大嫌い。(千葉・國分)
でも、僕自身はすごく尋問するタイプ(國分)。

そういう自分をすごく反省している。

デカルトは「我思う、故に我あり」(cogito ergo sum)証明的
それに対してスピノザは「私は考えつつ、存在している」(ego sum cogitanse)描写的
証拠もクソもない、実際にそうなのだ。

「真理であることが確かになるためには、真の観念を持つこと以外何ら他の標識を必要としない」(『知性改善論』P32)


それに対して、デカルトは、みんなで共有できるエビデンスを出せたときに初めて真理は真理。こちらはスピノザに比して尋問的、といえる。


8、國分氏のアレント評価は?

 アレントは哲学の伝統の中から意志の概念を救いだそうとするが、國分氏はむしろ意志は特殊な世界観の中でしか現れないものであって、それを立てた途端見えなくなるものがあるんだという立場。

では、國分氏はアレントをどう評価するのか。


例:アメリカの独立革命についての評価で比較
  アレント
  フランス革命よりもアメリカ独立革命の方が偉いという。
  永続性のあるものを人間が作ることに価値を見出すアーレント。ゼロからの創造を支
 える意志を救い出そうとする。そこはどうか?

國分
 アメリカの憲法がなぜそこまで権威を持つことができるのかというと、自分たちで自分たちに憲法を与える、つまり能動態というより中動態で記述されるべき過程がそこにあったからではないか。
 軍国主義における「無責任の体系」は中動態で説明することができる。でも、これを積極的に使うこともできるはずだし、憲法についても(漱石的な)内発/外発の図式とは違うところでこれを捉えられるのではないか。

 アレントは、古代ギリシャの意志概念は全部ポテンシャルだと言う。過去に事情があるから何かをやるということだ、と。
これまでの哲学史は未来に向けての意志という議論に対する反対を表明している、と書いている。そこで彼女はその哲学史をひっくり返し、意志を救い出そうととするのである。

そして國分氏は、アレントがなんで 「未来に向けての絶対的なゼロからの意志」というものを擁護する方向に進むのか分からないと書いている。

 でも僕、そうは思わないんです(千葉)。
P136の「読みにくい」(分からない)というのは要するに、國分さんがわからないということなのに、その國分さんの「疑問」に読者を巻き込んでいく。(千葉)

國分さんの応答。
 合理主義に基づいて物事を考える道筋から行くと、もはや意志という概念を、しかもアレントが定義した意志という概念を支持することは不可能である、とそういうことになる。
合理主義というのは必ず、どんなことにも原因はあると考えるから。
ゼロからの意志概念は支持できない。つまりこの本は徹底した合理主義(スピノザ主義)の立場から書かれている。

意志という概念は、最晩年のアレントにおいてクローズアップされる。それ以前のアレントは、自由とは言っていても、それは「フリーダム」のことでいわゆる「意志の自由」というものと区別していた。なぜ晩年の著作『精神の生活』において、アーレントは意志に注目するようになったのか。

アレントは、意志の自由は「経緯があっての選択」の問題に還元してはいけないといっている。

國分+千葉
パレーシア(フーコーのいう)の問題。自分が絶対的な起点になるということ。
ゼロからの意志。非合理的な意志。アーレントはそれI(パレーシア)にたどり着いたともいえるか。
なぜなら、政治に参加する自由をつきつめていったから。政治に参加する自由をつきつめていくと、意志の問題は避けられないということなのかもしれない。

・では、無からの創造を認めるのか?

國分

 認めないのがここでのこの本における立場。(國分)
 僕は無を認めてるから認めますね。メイヤスーに関連することですが。(千葉)
意志を認めると周りが「神様」だらけになってしまう(ような感じ?)なのかな。(千葉)

 だが一方、それまでの物事の流れを中断、ぶったぎることができるのが奇跡。(國分)
それをイエスは起こした。それは実際起こっている。(國分)
スピノザ主義的な神みたいな視点から見たら、それにも全部原因があるという話になっちゃう。でも、人間ぐらいの知性から見たら、それはやっぱり大きな変化。それは使い分けた方がいいと思っている。
精神分析的に言えば、象徴秩序が変わった、といってもいい。
しかし、この本ではとりあえず一度、そういう行為というか、尋問する言語に冒されまくったものの考え方を、スピノザ的な視点で全部説明したかった。(國分)

9、レポーターの感想

 ・スピノザ-ドゥルーズ-國分の流れはどちらかというと「発生的」
  だから、他者のないところには自己もないという当たり前のところからはじまる。
  あるいはそこまで遡行して考える。存在が原因、みたいな記述の姿勢がある。
  ある意味では、アレントのいう「闇」から始めようとする。

 ・アレントはそこには手をつけてはならぬ、という。
  むしろ、その闇をくぐり抜けた上で、個人が個人として市民が市民として「複数性」をもって議論すること、彼女が理想とする「政治」の場における「意志」を論じるということ、に力点がある(ように見える)

 ここには明らかに「二者」……自己と他者という重要な存在の基本設定の違い、いわば「OS」の決定的な違いがある。

「中動態」について論じているこの本は、「中動態」を歴史的に論じることによって、その「OS」がどうしてそういう「文法」を持っているのか、そしてそれはどんな抑圧を抱えているのか、またそのことによって何が見え、何が見えなくなっているのか、そしてさらにその抑圧はどんな変遷をたどって「今」のこの「不均衡」にたどり着いているのか、ということをある意味で根底から論じようとしているのではないか。

⑩、参加者のコメント

参加された方の感想を、思い出せる範囲で書いておきます(漏れがありますので、ぜひコメントをくださいませ)

・参加者の中の英語の先生は、⑤の歴史について次第に洗練されてきた、進歩してきたということではないか。
と指摘していた。確かに、名詞文から動詞が発生し、それが中動態的なものから能動態を生み、さらに中動態から受動態が分かれていくというのは、シンプルな区分が洗練・進化していく過程と言える。
その洗練・進化の中で能動/受動の区分が「普通」になっていくプロセス、シンプルに見える二つの態がいかにして「当たり前」になっていったか、を見ていこうというのがこの本のテーマのひとつ、ということになろうか。

・同じく⑤の歴史について、「この名詞文」を見ている主体はどこにいるのか?という疑問があがった。
 この時点では恐らく、主体と客体という区分はなかったのだろうと思われる。
 敢えて言えば、ただそう「見えている」ということか。つまり名詞文の段階では、「見る/見られる」という区分は存在しない、と想像できる。島貫にもよくわかっていないが、主客の二分方以前の、そしてさらに「見ゆ」「思ほゆ」という動詞が析出する以前の、原初的な名付けだけがあるという感じかな、というところで。

・スピノザの話をしていたところ、どうも親鸞に近いのでは、という感想が出てきた。
 「今ここが浄土」という鎌倉仏教の過激さと、スピノザの神が唯一の実体であって、すべてはその様態だという過激さとは、どこかで響きあっているように思われる。参照する外部を持たないという点では確かに。
そういえば、親鸞とスピノザの響き合いを論じた本もありますね。
『親鸞と学的精神』今村仁司(岩波書店)

・会の最中だったか、二次会でのことだったから、純さんの師匠である佐藤和夫さんが「(スピノザには、あるいは國分さんのこの本には)他者がいないね」という評を言っていた、というお話があった。
私が佐藤和夫さんから直接聞いたコメントは
「(『中動態の世界』におけるアーレントの意志論批判について)國分さんは誠実かつ丁寧に論じているが、正面からは論じていないね」
という評だった。
なるほど、と思った。その辺りのことは純さんの報告に委ねていいと思うが、端的にいって、國分さんの考えている「他者」と佐藤和夫=アーレントの考えている「他者」ではかなり大きな隔たりがあるのだと感じている。

この辺り、國分さんが去年のアーレント研究会で発表した「ハンナ・アーレントにおける二者の問題」で話題にした、「二者」という「数」をどう捉えるかということとも関連してくる。伏見瞬の論文「<二者>の哲学者、國分功一郎」でも言及されているポイントだ。

分かる範囲でノートから國分氏の発表を思い出してメモを再現し、今回のまとめの結語にしておく。

①アーレントは哲学者は真理を求めるから一人にならざるを得ない、という。政治は違う。政治はそれぞれにどう見えているかを前提とするから、当然複数の見方があることを前提とする。政治の根本条件は複数性だ。つまり哲学者は真理を求めるから「一者」であり、政治を行う者は複数の意見を前提とするから必ず「多数」だ。

単数か、複数か、という問題。

②しかし同時に、アレントは哲学者は常に一人で思考するが、実は一人ではない、という。必ず哲学者は対話している。「思考というのは自分自身との対話、声なき対話」だともいっている。「一者における二者の経験」(ゴルギアスの表現)。
一者における二者の経験が思考であるとアレント。

その文脈でアレントはSolitude (孤独)と Loneliness(寂しさ)は違うという。

孤独は私が私自身と一緒にいて対話ができる状態、寂しさは私が私自身と一緒にいられない状態のこと。
前者は一人でいられるけれど、後者のさみしさは、誰か一緒にいてくれる非とを追い求めてしまう、とアレントは『全体主義の起源』で書いている。このLonelinessを全体主義は利用するのだ、と。

③上の①と②を踏まえて、アレントは例によって哲学者に厳しい姿勢で望む。哲学者は政治に関与できない。なぜなら一人ならそれは真理といえるが、多数の人が考えたときにはそれは単なる「意見」になってしまうから。政治に「真理」なんぞ持ち込んだらえらいことになる、とアレントは考えている。

だが、ここからがアレントらしいといえばらしいけれど、哲学者も、政治の実践的なシーンで役割を果たすことができるかのうせいがある。それは、自らの命を真理に賭けて、その真理を「範例」にすることだ、と言う(ソクラテスみたいにね)。範例とはつまり、自らやって見せることのことである。つまり、逃げられるし、周りも逃げていいよっていってたのに、敢えて命を賭けて死刑宣告を受け入れる。冤罪だけれども受け入れる……そうやってはじめて哲学者は政治的な役割を果たせるのだと。
厳しい(例によってアレントは厳しすぎる:島貫)。
「哲学者はいつも自分自身を同伴しているという考えに慰められる」アレント

④さてここまでは哲学と政治との関係における1(真理)と多(政治)と2(思考)の関係のお話。
 次に、アレントは2(島貫的にいえばやはりこれはある意味究極の他者概念と関連してると思うんですがね)の話において、哲学と宗教を比べている(正確にいうとアレントの読み手である國分さんがそう対比しているというべきかな)。
つまり哲学者の「2」の実践をソクラテスで代表させているとすると、宗教における「2」を代表しているのは無論、ナザレのイエス。「善行を行う者」としてのイエス。
イエスの有名な教えに「右手のしていることを左手に知らしめるなかれ」というものがある。つまり、善行はそれを他者に見られてはならない。そればかりか、自分自身でさえそれを意識してはならない、他者や自己を意識したとたん、善行は変質してしまうというのだ。

アレントはこのことについて、『人間の条件』でこんなことをいっている
「善行を行う者が生きなければならない寂しさ(Loneliness)というのは、多数性という人間の条件にあまりにも矛盾している。だから長時間に渡ってはとてもそれに耐えられない。それが人間存在を完全に滅ぼしてしまわないためには、善行を目撃する唯一の想像上の証人、神の同伴を必要とする」
つまり、善行を徹底すると、人は寂しさのなかで絶対的な孤独に陥るから、超越的な存在を要請えざるを得ないというのである。
哲学者は自己との対話をしつつ思考するわけだから常に「2」を抱えている。ある意味では分裂している。他方、絶対善を行う者は絶対的に「1」でなければならないために、それには耐えられず、逆説的に神との二者関係に入っていかざるをえないのだ。
ここでは哲学と宗教が対立していて、どちらも「2」という数が問題になっている、と。

だいたい國分氏の発表の概要は以上。


私はこの発表を聞いて、この「2」って、「他者」のあり方と大きく関わってるんじゃね?と思った。
もちろん、この多様な他者のありようを容易に単純化はできない。
言えるのは、このぎりぎりの地点での自己/他者という「2」の関係を、どう位置付けるかという究極において、アレントと國分氏のOSは各々まったく異なった扱いをしているという程度のことだ。

だが、間違いなく、國分氏はアレントを単に否定しているのではないことぐらいは私にも分かる。
ツンデレというのもどうかと思うが、國分氏はダメ出しを続けながら、アレントの核心のところにじわじわと端から近づいていく営為を続けている。佐藤和夫氏は正面から論じていないといい、千葉雅也氏はその疑問は國分さんのさじ加減でしょうという突っ込みをいれている。それはそれとして納得なのだが、この<2>の発表を聞いていると、アレントのやり方ではないやり方で、しかしアレントの求めた「善く生きる」という意味での自己への配慮をなす、ということを、スピノザ主義者の國分氏はスピノザ=ドゥルーズ的なOSで論じようとしているのではないか、そう期待を込めて受け止めておきたい。

終わり。





参考資料
URL『中動態の世界』読書会の予習としてよろしければこんなものが。
①対談:大澤真幸×國分功一郎
https://dokushojin.com/article.html?i=1580
②「<二者>の哲学者、國分功一郎」伏見瞬
http://school.genron.co.jp/…/…/2017/students/shunnnn00/2738/
③対談:千葉雅也×國分功一郎
その1
人生は「それはお前の意志が弱いからだ」では解決できない問題で満ちている
http://www.gentosha.jp/articles/-/8263
その2
僕たちは「尋問する言語」に支配されている
http://www.gentosha.jp/articles/-/8343
その3
一発ですべてを変える「革命」を求めても、世界は変わらない
http://www.gentosha.jp/articles/-/8414
その4
「勉強は楽しい」なんてウソ。でもその先に……
http://www.gentosha.jp/articles/-/8466
(大澤真幸、千葉雅也との対談、および「<二者>の哲学者、國分功一郎」伏見瞬」)