◆男性6 どうも坂下と申しまして、先ほどから昭和村のお話がだいぶ出てましたけど、その隣の金山町っていうところからまいっております。
ええ、猪俣昭夫さんのこととかも話に出ましたけど、すぐ隣におられる方で、その弟子の方もまあ自分の友達なんで、よく知ってる方ばっかりなんですけれど。
まず第一に、昭和村のからむし商品に関して、僕はその織姫の第一期生とかなり近しく付き合ってた面とかがあって実態はよくわかってるんですけれど、冷や水をかけるようですけれど、正直言って、産業としてはまったく成り立ってません。
で、ええ、その前提で、どうしてその制度がこう続いているのかというと、昭和村のアイデンティティとして大切にしたい、その価値がある。それは間違いのないことです。
ただそれとともに、途中、阿部さんも消滅自治体に入ってない、その一つの要因として、からむしの方々、若い女性がたくさん入ってきたからということが非常に大きな要因なんです。
要は村の方も半分それが本意で、その制度を始めてっていうふうな面がありまして、それを私自身が責めるわけでは全くないんですけれど、皆さんに対して、まずからむし織自身がブランドとして成り立っていると誤解されるというふうなのはちょっと措いておいてほしいなあ、というふうなこと。それがまず第一です。
私自身、この映画みさしてもらって、いろんな意味で感銘を受けたんですけれど、やっぱり何がって言ったら、その土地においてどのように生きるのかっていう、それを文化と名づけようが、生活の知恵と名づけようが、いろいろあると思うんですけれど、そういったあり様が濃厚にやっぱり映し出されているからだと思うんですよね。
で、それがより便利化することによって、要は全世界、要はカスタマイズ化されて均一化されていくと。で、その影響で逆にNHKでは食の文化のことに関しても特集を組んでますけれど、要は食の内容が均一化されてしまって、それを補給するための、例えばとうもろこしとか、小麦であるとか、そういうふうなのは農地を大地を粉砕するようなやり方で潰すようなやり方で耕地を広げていく。
で、そういうことによって、その均一化された世界でさらに人口が増えていくわけなんですけれど、それが守られているという実態がある。要は非常に危険と隣り合わせだというふうなことをNHKは訴えているんですけれど、何を言いたいかというと、最近、朝日新聞のコメント欄で山極寿一さん。京大の前総長の方なんですけれど、そのかたがおっしゃってたのが、今からは適応と分散の時代に移っていく、と。
何が言いたいのかと言ったら、資本主義的な集約と、何って言ったらいいかな?それによってどんどん端が削がれていく、と。で、有利?な方に一極集中化していくかっていうふうなことになっていたわけなんですけれど、それがかえって危機を、生物史的な歴史を考えると非常に大きな危機をはらんでいる、と。
今まで適応と分散というふうな形で、その土地土地に応じた生活の有り様がそれぞれある社会が存在するというような形で、割合なんていうか、ネットがすごい敷かれていた面があるわけなんですけれど。
それがどんどん単一化することによって、逆にすごい権利になってるんで、それが次の時代としたらぜひそれは変わっていくだろうというふうなことをおっしゃってたんですね。
それは僕も非常に同意する言葉なんですけれど。にもかかわらず、それを残していこうというためには、やっぱり僕自身、民間のお金もなんですけれど、国策としてのそういう施策が、やっぱりどうしても関わらざるを得ないというふうな面もありまして。そこら辺、どういうふうな案が?っていうふうなこと、民間のお金をどう引き込むかっていうのが今、いろいろ頭の中では考えて、頭の中だけじゃなくて色々アクションをしてますけれど、まあそこら辺の、要は映画の価値として、先ほど言ったようなことを私自身、今回みさせてもらったものに対しては評価する反面、それを現代的な課題に対してどのように生かすのかっていうのを、そこが論ずべき点じゃないかなと思ってまして。もしよろしければ、各々三名の方からご意見を聞かせて頂ければと思います。
◆林 ありがとうございます。先ほどの3人衆のひとりの方ありがとうございます。また、今のご発言もありがとうございます。
ダムに沈むことを仮に納得一応した上のことであっても、どこまで切ないものだっていうのは、私も以前から高知県の早明浦ダムですね、沈むゆく大川村という調査をだいぶしていたことがあるので、渇水の度に昔の町が出てくるという早明浦ダムなんですけど、ダムというのは本当にどのような経緯を辿ってもいろんな矛盾とか、悩ましい気持ちをずっと持ったまま保たれる。
蘭さんが先ほど言ったとおり、それが本当に治水上合理的なのかという問題もいつまでもはらんでいると思いますので、常に私たちもダムカードでスタンプ集めて楽しくっていうことだけではいけないなと思います。
また、先ほどの昭和村のからむし制度。確かに女性が昭和村にIターンということですね、県外から移住してくることによって若い女性人口が増える、それで消滅可能性自治体にはならないっていう方程式になっていて、それが何か産業振興につながっているか、もしくは女性人口をなんとか維持というかですね、一定数は常に転居してくれるので小学校が維持できているということなのか。その両面が一応あるにしても難しいところだと思うんです。
昭和村は全村でいま、義務教育校一校でいろんな村を盛り立て、目の前には小中学校をなんとか維持しなきゃいけない課題がある。
私も生物多様性観察会などで福島大学・黒沢さんという生物の先生と一緒にお邪魔したりしたんですけども、なかなか根本的な産業そのもの―本来は奨励して―いまはカスミソウという花が発展してますけれども、それで若い人の仕事が生まれるっていうふうに、次にどう結びつけるかっていうのは、奥会津地域が悩んでいるところだと思います。
それで、話の後半のところで、京都大学の山極さんという霊長類の研究者の先生が言ったのは本当そうだなと思います。世界の増え続ける食料需要を満たすために、このNHKでもやってましたけども、アマゾンですら切り開いて大豆畑にしていっているっていうのが現状で、当面それで油とか食料需要をなんとかキャッチアップしようということなんですけれども、逆のベクトルも確かに生まれてきているということで、貴重な品種を守ろうとしたりですね、地域に固有の食べ物は維持していこうという動きも、それとはまた別の動きとして出てきているのも重要だと思っています。
それに関連する最新の動向として、山形県、山形で映画祭やる理由が一個これでできたわけですけど、山形大学の農学部が鶴岡にありまして、枝豆の品種でだだちゃ豆という歴史の長い品種を、ほかの一般に出回っているものから、ちゃんと区分して品種として評価していくというところから始まって、今や野菜のありとあらゆる品種を遺伝子的に解明して、それを国の農研機構というところのジーンバンク・遺伝子バンクに日本初登録したという。山形県がこれほど農業界で脚光を浴びた瞬間は過去百年間なかったぐらいの出来事が今年ありました。
それもお米とか大豆とか菜種とかすべて画一化して行くという抗いようのない大きな動きと、また別のちっちゃいかもしれないけども、地域に固有の取り組みは頑張っていこうというその両方やる必要があるんじゃないかという山形県政をあげての取り組みですので、東北地方の我々として注目したいことで、かつ福島県としてはちょっとそれが弱いところは頑張らなきゃいけないなというふうに思います。
◆阿部 そうですね。さっき昭和村の話になったんですけど、実際からむし織という『からむしのこえ』などをみてると確かにそこに夢があったりとか、何かそこに行けば新しい生き方ができるかもしれないっていうふうに、若者を呼び込む魅力の、ある意味、なんと言ったらいいかな、表象になっていて。
僕は映画をずっとやっていて思うのは、映画でサブカルチャー、いわゆる芸術以下でも娯楽以上、というところでサブカルチャーという言葉を使うのだけど、例えば『フラガール』という映画があった。これによってスパリゾート・ハワイアンズが全国に知られることになり、その大ヒットによって例えば東京女子大の―当時は就職氷河期でしたから、あの映画が公開された時は―就職ができない女の子が、一流の大学の女の子があそこに願書を送って来たっていうのが民報の記事になったくらい、サブカルチャーの影響ってすごく大きい。ある意味危険でもあるんですけど。
サブカルチャーがラジカルであると同時に、まず問題を共有する意味では最高の、ある意味文化なんですよね。
だからまずそこに、昭和村にからむしというのがあるよと。で、からむしをめぐって若い人たちが戻ってきたりとか、色々その何か地域振興にしたいなということで、どんどん外部から人が来ているよっていうことが一つサブカルチャーとしての位置付けというのはすごくあると思うんですよね。
で、例えば昭和村の今の舟木村長は若い頃に「奥三面」サブカルチャーをみて、自分は昭和村に戻りたいなと思って、村おこし町おこしの若者の集団のひとりとしてずっとやってきた意味を考えると、やはりされどサブカルチャー。たかがサブカルチャーされどサブカルチャーだなというふうに思います。
それと、この映画が今、なぜこの時代に必要なのかというところで言うと、やっぱり映画って僕は遅効性のサブカルチャーだと思って、即効じゃない。遅効です。遅く・ゆっくり・後からじわじわと効いてくる。
本当にすごい映画というのは、そのみた直後にはよくわからない。でも数ヶ月経って、あるいは数年経って、自分がその映画の何かの場面とスパークするような生き方を迫られた時に、すごくその、ある場面がこう自分の人生にリンクしてきた時に、それはものすごい大きな影響を及ぼしたりすることがある。それって即効性じゃなくて遅効なんですよ。本当にすごい映画は遅く・ゆっくり・効いていく。
そういうふうに考えると、この『奥三面』が作られてから40年経って、こうやって今、この映画をみたことによって問題が共有されていって、いろんな人がポジティブに、何がいまの問題なのか?何が自分の中で問題意識として生まれたんだ?みたいなことで、議論ができてるっていうのは、これこそまさに、遅効性の映画としての最高のあり方だなというふうに思うんですね。
で、ちょっと話し飛んじゃうんですけど、食べ物の話になっちゃうと、PRも半分兼ねるんですが、チャールトン・ヘストンという『ベン・ハー』の俳優さんがいて、彼が若いころに出た、ある意味B級作品なんですけど、『ソイレント・グリーン』(※米SFサスペンス、1973年公開))という映画が見直されて、いま東京で公開されています。
これも子どものころによくテレビの日曜洋画劇場の淀川長治さんが『ミクロの決死圏』とかなどの映画と一緒によく宣伝してたんですけどね。放映も当時よくされていて、僕、子どものころ何回もみてるんですよ。
このソイレントグリーンっていうのは、ソイレント社っていう、いまでいう多国籍企業が世界の食糧事情を牛耳ってて、ソイレント・イエローとかソイレント・オレンジとかっていう、クラッカーみたいな板みたいな食べ物を独占的に専売的に売ってですね、人類の食糧事情を賄っているというSFです。
いまから50年前に作られた『ソイレント・グリーン』は舞台が2022年なんですよ。だからいま公開してるんですけど。で、ソイレント社は新しい食べ物でソイレント・グリーンというのを作るんですけど、ソイレント・グリーンの製造過程をめぐってチャールトン・ヘストン扮する刑事みたいな人がその真実に迫っていくっていう話なんですけどね。
その2022年は、チャールトン・ヘストンみたいな30、40ぐらいの若者は牛肉を見たことがない、あるいは野菜を見たことがないんですよ。加工された食品しか知らないんですね。
50年前の『ソイレント・グリーン』を作ったときの、リチャード・フライシャー監督はちょうどジョージ・オーウェルの『1984年』を読んだのかもしれないけど、多分いまから50年後の2022年にはこんな世の中になってるかもしれないね――みたいなね。そういう意味ではサブカルチャーならではの飛躍ですけれども。でもいまこれを公開するっていう配給会社の狙いとしてあるのは非常にアクチュアルである、と。いま現在ソイレント・グリーンみたいな食べ物は、昆虫食とかコオロギ食みたいなものだったり、よくよく考えてみると、これだけの人口を賄うには野菜だって遺伝子組み換えだし、肉だって、もう本当にブロイラーですとか農場内での大量生産で牛なんかもほとんど飼料漬けにされて解体されていくみたいなね。そういう機械的な仕組みの中でしか、私たちの食糧を得ることが出来ていない。
でも、一方でこの『奥三面』をみていると、映画をみているだけの部分で、表層で判断するならば、すべてを自分たちで作っている。
でも、今の自分の生活を見なおすと、僕は土ひとついじれないっていうことに気づかされるんですね。で、僕はちょっとここで言いたいのは大好きな思想家でブラジルのイヴァン・イリイチという人がいて、この人は最初ラジカルで、そもそも原始社会に回帰しろっていうのか?みたいなことを言われたりもして、当時は非常に批判があったんですけど、いま読んでみると全くいまの現実に合致しているとしか思えない。彼がこう言っているんですよ。
経済成長の影に覆われたところでは、どこでも職に就くか、消費に携わらない限り、我々は役立たずなのです。
公認された専門家の手によらずに家を建てたり、死体を埋葬しようとすれば、無政府主義的な傲慢とみなされるのです。我々はもう既に自分の中にある力を失っています。そうした力を発揮させる環境条件をコントロールするすべを失っています。
外からの脅威と内からの不安に自信をもって対抗するという感覚を失っているのです。
というふうに言っているんですね。
だから僕なんか『ソイレント・グリーン』をみちゃうと、本当にもう与えられたものを買わされて生きるしかないな、っていうふうな、当時の行き過ぎた消費世界に対する批判がフライシャー監督にあったと思うんですけど、姫田さんの映画をいまみてるとまさにその40年前の作品もすごく現実感を持って迫ってくるのはこういうことなのかなあと思っています。
◆姫田 ご理解いただけると思うんですけど、『越後奥三面』という作品は代表作ではあるんですけど、119本の中の1本なんですね。このプログラムの下の作品リストをみていただくと、民族文化映像研究所の中の姫田忠義監督作品は一作もないんですね。民族文化映像研究所作品と称して、みんなスタッフが一列に並ぶというようなことをやっております。それは姫田の考え方があったわけですが、この119本をみていただくと、だいたい姫田の興味っていうのが分かると思います。
というのは、いわゆるPR映画はないんです。それからまあ産業映画とかですね、70年代、60年代ご存知の方はわかると思うんですけど、そういうことも映像業界というものがあったんですけど、それとは無縁なんですね。
いろんな、当時はですね、ご縁があったところで番号が増えて119にはなったんですけど、なんか雑多なような感じがするんですけど、ひとりの人間がこれやってるんですね。岩波映画というのは6000本ですよね。確か6000本映画作ってるんですよ。民映研119に比べたら全然量があるわけですけど、ひとりの人間がかかった119本というのは凄い数だと私は思っています。
この『奥三面』がって言われると、すごく、ちょっと戸惑っちゃうですね。ひどい言い方をすると『奥三面』だけじゃないんですって説明する立場だと私は思っていますので。私の課題は何かというと、この残されたものをどう守るかっていうこと、一語に尽きるんですねえ。いま一般社団法人民族文化映像研究所として―ずっと株式会社だったんです―それを姫田が亡くなる直前、一般社団にしたものです。ほとんど休眠状態でございました。
いま3人でやってます。小原信之というものが代表をやって、私ともう一人、ドキュメンタリー監督で今井友樹という姫田忠義最後の弟子なんですけど、3人で一応社員ということでやっているんですけど、無給でございます。事務所はやめました。ただ、私が引き継いでおります、姫田が住んでいました団地を倉庫にしています。
映画のフィルムは、フィルムというのはネガですね。それが大変なんですよ保存が。湿度管理のある倉庫を借りています。その倉庫ではある程度費用かかってますけど、昔に比べると1/30ぐらいに抑えました。で、うちの団地を使ってますので家賃は無いです。
いま、どうやって収入を得ているかというと、制作はしておりません。映像制作は。私は私で自分の映像制作をしてますけど、ちょっとジャンルが違う。今井友樹は今井友樹の会社でやっています。小原は小原でカメラマンとしての収入が。
みんな手弁当でやっているんですけど、最後のページに書いてありますDVDの貸し出しっていうのをやってるんですね。こちらにも借りてくださっている方が来ているんですけど、要するに民家であったりとか、公共センター、公共ホールとかですね、お借りいただいて、そこで上映会をやっています。昔からやってるんです、民映研。
それを16mmのプリントでやってたら、もうこっちは16mmで貸したいんだけど借りる方が困っちゃうっていう時代になったんで、DVDにして、で返していただくという、料金的には60分までの作品が、15分でも60分までだと8000円です。厳密に言うと一回なんですけど、まあそこは黙ってましょう。だからですね、10人いると1000円で上映会みてもらえる。それを結構、全国でやっていただいています。
ですから、このような、今日のような立派なホールでみていただく贅沢はあまりにも贅沢すぎるほどの特異なことなんですね、出来事として。
初めてでした。きょうポップコーンのある映画館で上映というのは。さすがにポップコーン食べてる人はいないだろうと思ったんですけど、感激しました。
早速メールしまして、代表の小原に「ポップコーンがある」。本当に5人とか10人とか20人とか、そういうところで全国で上映していただきたいので、口コミで広がっていくと思います。このリストを見ていただくと、「これみたいな」というと、番号にあっても貸せない作品はあるんです。ただ、極力ありますので、是非ともご連絡を。(林 これ=パンフレット=を購入しないと分かんないですね)でも、なんかみんなほとんど持ってるような。ね。
◆阿部 劇場で売ってますんで大丈夫ですけど、木曜日まで。手を挙げられた方どうぞ。
◆女性 ちょっと補足したいことがありました。第1期生の織姫。昭和村のからむし織を継承する女性たちのシンポジウムに、コーディネーターをしてくれということで行ったことがあります。
もう10年近く前、25年ぐらい経ってるでしょうかね。雪の中、雪の絶壁の中を行って、昭和村の宿泊施設で皆さんのお話を聞きました。その中でおひとりの方はいまは三島町の男性と結婚して、三島町や奥会津地方の伝統食を引き継ぐような本を出されたりしている方です。それを踏まえて私が実感したのは、もちろんからむし織の伝統を継承する人たちを育成するということなんですが、大きな狙いはご指摘があったようにお嫁さんをほしかった。
先日、福島県が少子化率がどんどん、子どもの出生数が減ってるという話の中で、北塩原村がゼロ、三島町もゼロで昭和村はそこそこ生まれているのはテレビでも放映されていたんですけれども、織姫のおひとりとして福島にいらした方で、今は五十嵐さんという女性が地元の男性と結婚して5人お子さんを産んでいるんですね、これが大きいと思います。こういう現実があるということは確かです。
でも私、きょう映画をみて涙がいっぱい出ました。というのは、私が東京の杉並に生まれてほとんど高度経済成長とともに成長したんです。で、杉並も雑木林と畑しかなかったところがどんどん舗装されて、東京オリンピックになり、あ、前の東京オリンピックですよ、いろいろ変わっていった。
その私の生育歴からして、三島町にしばらく住んだことがあるんですけれども、とてもショックでした。色んな事がショックでした。
そこに住んでいた家のおじいちゃんは、熊の胆をちょっと食べれば、全ての万病は治るとおっしゃったんですけど、私は熊の胆を口にすることはできませんでしたし山鳥汁は東京の高級料亭でしか出てこないから高級な料理だと言われたんですけれども、一口食べただけで1週間寝込みました。そのぐらい何て言うんですかね、地元の新鮮なものは、高度経済成長の中で成長したやわな私の体に合わなくて。
その生活の中でいろんな学習をしました。まず雪がものすごく降るっていうことに対して、屋根から雪がドサッと夜中に落ちるんです。で、その落ち方がすごいんです。
で、この屋根から雪がドサッと落ちることによって、そこで生き埋めになる人いないんですか?ってお聞きしたら「いる」と。どうするんですかって言ったら「運命だ」っておっしゃったんです。「それが人のさだめ」だとおっしゃった。
それから、こんな雪が深くて夜は真っ暗だし、こういうところに住まないでもっと暖かいところに住みたいと思う人って多いんですか?って聞いてみたら、「ここを守っていかなければ日本の水資源は守れないんだ。だから山を守り続けなきゃならないんだ」っていうこともお聞きしました。
いろんなことをお聞きして、そして今日の映画に出てきた歳徳様、虫送りさまざまな行事が会津の三島町でもだいたい同じようなことが行われています。で、ゼンマイも本当に美味しいものでした。
でも、それらはことごとく失われているんですね。だって担い手いないんですから。このことを政治家に任せるとか、何とかじゃなくて、私たちは自分ごととして捉えてどうしたら若い人たちが故郷に戻ってきて生きていけるのか、教育していけるのか、この日本の経済格差の問題とか、いろんな問題を自分事として踏まえて何ができるかを考えなきゃいけないので、薫平先生がおっしゃったみたいに、学生たちがそういう田舎に住んでみたいと思っても、本当に生活が成り立つのか?子供達を教育できるのか?そういうことを私たち先に生きた世代は真剣に考えて、自分でできることをしなきゃいけないんだなということを考えました。
私は映画が楽しみたいので、そこから何か教訓を得ようとか思ってるわけではありません。ただ、自分が経験したことを、私より年上の人たちから聞いたこと、漆塗りの扉の前で語っていたおばあちゃんのような人たちが、女性としてどんな人生を生きたのか?そういうことに思いをはせながら、自分にできることを福島でやっていきたいなと思ったので、本当にお父様が残してくださった映像、心に沁みましたので、それを大切にして、残された日々を生きて行きたいと思いました。以上です。
◆阿部 ありがとうございました。もうそろそろ4時になります。4時半ぐらいに終わるということで、最後に一言ずつ。
じゃあ私の方からまず。今おっしゃられたように、本当に失われてしまったものを、映像に残すっていう簡単に言ってしまえばそれだけのことなんですけど、でもこの『越後奥三面』をみて、まだ三面は幸せだと思いました。たぶんこの時代、こんなことはあちこちにあったんだろうなって言うか、日本中できっと起こっていた。
まだ映像に残してもらえた、まだ声をとどめてもらえただけでも幸せだったなというふうに僕は思います。
今、私たちが共通認識とか、同時代意識としてすごく問題意識として持っているのは、たぶん震災を経験した僕らはいかにして、この思いというものを忘れないで継承していけるかっていうことだと思うんですけど、なかなかそれはとても難しい。
あと、いかに他者の苦しみに共感して寄り添えるかということ。この大切さを知っているんだけど、自分が逆の立場になって、それは本当に難しい。
その中で映画が果たす役割っていうのは、やはりそこに記憶の痕跡をとどめて―まずは残りますから―そこから発するっていうか、そういうことがすごく大切だなと思います。
映画って本当にすごいなあって思う瞬間が、僕たまにあるんですけど、この『越後奥三面』って、そういう意味では本当に僕にとっては大切な映画です。
あともう一つ。奥三面は消えてしまって、忘れ去られ埋もれようとしてますけど、姫田さんの仕事そのものが、蘭さんがおっしゃったように、いまだに正当な評価を得られていないのではないかなというふうに思います。
戦後の独立映画史、特に日本の映画作家、戦中戦後を経験した人たちっていうのは、すごく問題意識が高かった。皆さんが誰でも知っている大島渚のような人もいるかもしれないけど、大島さんよりももっと独立系の分野でやっていた作家がたくさんいます。
先ほど蘭さんもおっしゃったように水俣に寄り添った土本典昭ですとか、あと福祉映画をずっと続けた柳澤壽男さん(※1916年2月24日〜1999年6月16日)の映画なんかも、やはりすごいと思ってますし、今、みるべき映画ってのはたくさんあるんだけれども、忘れ去られ、埋もれようとしている。
日本の戦中戦後を経験した戦後独立系の映画というものを、この作品を通してもう一度再認識してもらって、皆さんにも興味を持ってもらえたら本当に嬉しいなあと思っています。今日はありがとうございました。
◆林 だんだん阿部さんが淀川(※映画評論家の淀川長治)さんに見えてきましたけど、最後、あの決め台詞言うのかな、「映画って本当に……」ってやるのかなと思いましたが。(注*淀川長治氏ではなく、正しくは水野晴郎氏」)
今日は貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました。さっきの二瓶さんの話をお聞きしても、やっぱりつくづくですね、伝統文化であれ、山村の生活の知恵であれ、それを自分でやっていこうっていう人がいるということ自体が、いま相当かけがえのないことだな、と思います。
さっきのマタギの猪俣さんの話でも、僕もたまに金山町とか行っていると、「いおりカフェ」(※三島町早戸・つるのIORIカフェ)っていう金山と三島の境界線上にあるところ、冬なんか行くと、以前だと猪俣さんが鹿が取れたって、鹿をさばいたりしてるんですね。「え?ここに吊るしておくんですか?」と聞くと、「いや、冬は一階は使わないからいいんだ」と。周りが雪なので雪室になって、今でいうスノーエイジングという、高い湿度の中で肉を熟成させるということをずっとやってるんだということだったんですけども。
一緒に行ってた学生なんかはですね、すごいことやってるんじゃないかっていうことをそこで感じ取って、自分たち、もうお肉というものについて全く考えてなかったなということを口々に言います。
そういうことで地域おこし協力隊とか、いろいろな研修制度を使って農村とか山深いところに飛び込んでいく人がどんどん出てきてるっていうのは、私たちとしてはどのようにこれを、そういった人たちをちゃんと評価して、その感性を伸ばしていってあげられるか?
この映画をみて、また考えたくなりました。
最近の三島町の町議会議員選挙で、まさに協力隊で来た人が、女性なんですけども、トップ当選して、これから外から来た人の立場・経験を活かしながら町おこし頑張りたいという公約を掲げて、圧倒的トップ当選したっていうのが何か新しい息吹を感じます。
また、ジャーナリストの小林さん、今日いらっしゃってますけれども、映画の前後でフォーラムで話したんですけども、福島県の伝統、先ほどの会津の木地師のこととかですね、宮本常一さんがいわきの方を調査したり、飯坂温泉にもよく泊まりに来てたんですけど、あと姫田監督は『樹木風土記』(※副題 木と日本人、未来社1980年)という本の中では、川内村を調査した記録なんかも克明に書いています。1970年代ですけれども、当時、河原村長(※河原武 在任期間1959年5月〜1972年3月)さんという人は山をなんとか活かして村の振興につなげたいということでいろんな努力をされている。この右下の写真が河原村長なんですけれども、私たち意外と宮本常一さんとか姫田忠義さんたちがこれまで考えてきたことから、まだまだ学べそうだなということを改めて感じます。
それで福島県もダム開発もありましたし、只見だけではなく三春ダムもありましたし、なにより原発を立地して誘致してきた浜通り地域の歴史もあって、一部は計画を東北電力が断念した場所もあります。
ですのでこれから農村のいろんな活かせる活かして行きたいという若い人たちの発想を伸ばしていきたいと同時に、電源開発とか原子力発電を誘致してきたこと自身がですね、私たちの大人の世代の責任としてはどういう課題があったのかということは、そのままほっぽらかしてはいけないというふうにその二つのことをつくづく考えました。
また、姫田さんの会社の貴重な映像資料がまだまだあるそうなので福島大学とかこの如春荘などをお借りして、また上映会やってみたいなぁと、カフェロゴさんにもお世話になりたいと思っていますので、またこのような機会、何回も出来ればありがたいと思っています。今日はありがとうございました。
◆姫田 今日はご覧いただきましてありがとうございます。本当に今日みていただいて100%みていただいた方になるわけですよね。私はフェイスブックでこの今日のイベントを知って、「ちょっと興味あり」として参加ありってしたんです。
まだ今日3日目ですよね、上映は。3日目で、映画をみた人限定で別の場所で――って、すごく興味湧いて、うちの代表の小原(信之)と「これは面白いね」。遠藤(※遠藤協)くんも「え!このイベント面白いね」。だから、この形式は、要するにここで上映しなくてもいいんだ、ということなんですけど、いつも上映後にお話をしましょうっていうのが姫田のスタイルだったのですけど、場所を変えてというのができるっていうのがすごい。
普通できないですよ。皆さん三々五々散ってしまったり、あと1回だけだったら、例えば一昨日みたよ、昨日みたよって人がいらっしゃるかもしれないですよね。それがすごいなと思いました。
すみません、あんまりうまくしゃべれないんですけど、姫田が生きてたら本当に驚くようなことが福島でみていただいたと思います。これ東京でやったんです。大阪でもやって、先週は1回だけですね、1日だけでしたけれど高知でやりました。その高知は40年間上映会をやってくださっているところがあるので行きました。先々週は湯布院でやりまして、これも1回だけですね。
みていただいて驚いていると思います。ただこれ40年間誰もみてないわけではなくて、ものすごく貸し出し率は高い作品です。出荷(?)の多い作品なんですけど、新しくしたということを売りにして、「前みたのと全然変わらないじゃんか」っていう人もいらっしゃるかもしれないですよね。まあ当たり前なんです。何も変えてないんです。ただ、音がちょっと変わってるんですよね。
映画っていうのは引かれている磁気。このフィルムの中にこういう波形で音が入っているのでレンジが狭くなるんですね。今回はそれをマスターの6ミリテープから立ち上げたので、すごく低域が。今日驚いたのは、ちょっと音が大きすぎましたね。僕にはちょっと大きすぎるなと思う。
皆さん前の方の人、ちょっと重低音で困ったんじゃないかなと思う。細かいことですが6デシベル下げてもいいぐらいな感じ。6デシベルていうと50%なんですけどね。エネルギー。それぐらい。明るくなったら、スピーカーがあんなに並んでるのを知らなくて、あ、これか?これはちょっと低域をカットしないといけないぐらい、前の人はつらかったんじゃないかなと思いました。そう大きかったなあと思って。そんなちょっと余計な話をしています。
ぜひ、広めていただきたいと思います。「よかったよ」とか「いや、案外よかったよ」とか「とんでもなくよかったよ」とか言っていただいて、若い方はSNSで宣伝してください。
私はフェイスブックしかやらないんですが、代表の小原はツイッター・エックスでやっていますので、「奥三面」って検索で引っ掛かるとシェアとかしますので、ぜひ今日の感想など、ここでは言えなかったけれど、ネットだったら吐いて(?)やるっていう人もいるかもしれない。悪いことも含めてですね、みていただいて、書いていただければそれで広がると思います。
幸いにして東京は3週間やったんですけど、好評につき7月13日からアンコール上映が――。ぜひここでもアンコールがかかる、そんなような成功をさせたいなと思っていますので。(阿部 うちの仙台、他の地区でもやってほしいな、と)(会場 山形もやりまーす。山形も)
◆阿部 あ、言っちゃっていい?(会場 OK)山形もやるそうです。
◆姫田 ものすごく早く福島さん手を挙げたのは何故だろうと思ってたら、阿部さんという方がいらっしゃるから早々にできたんだ、と今日わかりました。初めてお会いしたので。
「なんで新潟でやらないの?」とかいろいろ文句が来るんですね。ただ、作戦司令部が遠藤くんというのと今井くんの2人でやってますので、次どこでかけてもらおうかという作戦をして、僕は年は取ってますけど若者の言いなりで。「30日やるんだったら行ってくるよ」という感じで動いてます。
本当に今日はありがとうございます。長時間10時から『越後奥三面』のことばっかり、絶対忘れませんよね。これね、ありがとうございました。
◆荒川 ええ朝からですね。2時間以上ドキュメンタリーみて、お昼もそこそこに集まって、また2時間以上熱いトークということで、非常に私としては、非常に幸せな時間でした。
たくさんの方に集まっていただいて主催した甲斐があったなと思っております。お集まりいただいた皆さんに御礼申し上げます。本当にどうもありがとうございました。
いろいろお話をしていただいた3人の講師陣にもう一度拍手をお願いしたいと思います。
林先生からも宿題をいただいて、また姫田作品をみる機会、話す機会があればいいなと思いますし、あとぜひとも第2部の方も何とかして、みたいなと思いますので力をお借りできることがあれば少しでもと思いますので、何とか第2部の方もみせていただきたいなと思います。以上でございます。これで解散といたしまして、皆さんどうぞ今日はお気をつけてお帰りください。どうもありがとうございました。