よかったら読んでいってください!

空想と現実逃避とちょっと真面目

テリィに会いたい♥️

2020-10-16 19:11:13 | キャンディキャンディ雑記
なんだか最近。


街を歩けば金木犀のあま~い香りが漂ってきたり。


空が澄みわたり。


月が冴えざえと夜を照らしていたり。


流れる風が冷たくなって。


あ~秋だなぁって感じる。


秋って。なんでだか。


非現実的な世界とつながっている季節、って思えるの。


真夏‼️とかだと「現実」ありき‼️って気持ちになるのだけど。


現実と非現実な世界とが、1年で1番近くなる気がするこの頃。


月に魔力をいただいたり。


風に予感を感じたり。


そんなことが起こりそうな気がしてくる。


だから。


こんな季節には。


お話の中のテリィに会いたいなぁ~♥️なんて思っちゃう。


いや。まじで。


昔、本の中の世界に行けるネバーエンディングストーリーって映画があったけど、あんな風にキャンディキャンディの世界に行ってみたい‼️


もちろん。


53歳の私でなく、1番イケてた、(と自分では思ってる)28歳で。


あ。


でも。


テリィ、17、18歳くらい?


ダメじゃん。


私も17歳で。


でもなぁ。高校生の頃、パーマ禁止で、それなのに無理して聖子ちゃんカットを目指すヘルメット頭だったし。。。


じゃあ。


キャンディと別れ、スザナと死別した後のテリィと28歳の私がであうの❤️

きゃーっ😆❤️


ナイスぅ~♥️


で、引退を考えるテリィを私が引き留め、バックアップするの❤️


あ~♥️妄想が止まらない‼️妄想族全開‼️




そういえば。


高校生の頃。


志保っていうクラスメートがいて、登場人物や物語のテイストをリクエストするとその通りの物語を即興で作るのがうまかった。


例えば。


私があの頃はまっていたアルフィーの高見沢俊彦さま❤️


志保に、高見沢さんと私が同じゼミにいる大学生で、バンドをやりながら同棲をしているお話を書いて、とか、


私が孤児院にいる中学生で、高見沢さんが、あしながおじさんみたいに救い出してくれるお話を書いて、とか、


そんな風に頼むと。


ルーズリーフに小さな字で物語を作ってくれた。


ギャグも入っていたり、ありそう‼️なことも書いてあって、すごく好きだった。



これって、大人になった今も「あったらいいのに」って思う。


自分と自分の好きな人とのオリジナルストーリー❤️


ラブストーリーだったら、最高‼️


キャンディと別れてからのテリィと私のオリジナルストーリー‼️


誰も読まないけど、私だけがニヤニヤしながら読むという。。。


きっと、テリィファンの女子なら、自分とテリィのオリジナルラブストーリー❤️って、読みたいはず‼️



できれば。


水木先生に書いてほし~♥️




ないかな~♥️

ベランダの窓を開けてふと下を見ると。

テリィが。


「早く降りて来いよ。好きなところに連れてってやるよ。」

とか言ってくれるの♥️














衝撃!テリィとの別れは最初から決まっていた!

2020-10-15 12:57:00 | キャンディキャンディ雑記
どうやら、テリィとの別れは水木先生の中で決まっていた、ということを知り、ショック😱⤵️⤵️を受けています。

以下、水木杏子先生の過去のエッセイです。
衝撃の部分をコピペします。

私はその部屋で、キャンディと対話しながら最終回を書きあげた。ペンを置いたときの体が浮くような感覚はまだ残っている。
 窓の外はもうまっ暗だった。
 枯れ葉が流れる音が聞こえていた。私は複雑な思いで何もみえない外をみつめていた。
 これでよかったのだ、いや、他にもっと書き方はなかったか――そんな思いとともに深い安堵感が私の中を漂っていた。

 あの日から、もう何年もたってしまった。なのに、今も時々彼女のことを尋ねられる。その多くが、なぜキャンディとテリィをむすばせてあげなかったのか、というお叱りなのだ。
 そのたびに私は、終ってもまだキャンディのことを思ってくれる読者の人々の気持ちに胸が熱くなり、みんなにとてもすまないことをしたような気がしてくる。
 けれど、テリィと別れることは初めから決っていたのだ。キャンディには三つの愛を考えていた。アンソニーとの淡いはかない初恋、テリイとの激しい恋、そしてアルバートさんとの運命的な穏やかな愛
 ――しかし、いがらし氏の描いたテリイがあまりにも素晴らしい少年だったため、人気が集中してしまったようだ。
 私でさえ、テリィの動きにほれぼれし、胸をときめかせた。キャンディとテリィの別れのシーンを書いている時、やけに息苦しく、目の前がくもるのでどうしたのだろう、とペンを置き、ハタと気づくと、呼吸するのを忘れ、目は涙でいっぱいだった。
 その場面を書き終ったあとも悲しくてたまらず、深夜一人で泣いていると起きてきたダンナサマがびつくりした顔をした。身内の誰かが亡くなった、ととっさに思ったらしい。
 あとで考えると、自分で物語を作りながらとおかしくなるのだが、書いている時は夢中でその世界にひたりこんでいる。
 本当に愛しあっていても運命のいたずらで別れなければならないこともある――そんな思いをこめて書いた場面なのだが、自分が恋人と別れたようにつらいのだ。
 原稿をわたしたあとも、しばらく私は重苦しい心をかかえていた。
(略)

初出『児童文芸』 一九八〇年陽春臨時増刊号、再録『マンガ批評大系4マンガ家は語る』 (1989年平凡社)より

つまり。

最初から、テリィとの別れは決まっていた‼️
ということらしいのです。

でも。なぜ、それなら、10年以上たって、小説キャンディキャンディファイナルを出されたのか⁉️

そこで。
真相をさぐるべく、小説「キャンディキャンディ」を購入しました~😆
(清水の舞台から後ろ向きで飛び降りる覚悟で‼️)

何度も読み❤️

大人の事情、も含めて、私が想像するのは。

もともと、水木先生(名木田先生)は。

漫画連載当時。
テリィは、キャンディという女の子の人生を駆け抜けていったひとりの人物として描かれたではないか、と思います。

そもそも、スイートなラブストーリーとして、「恋愛」だけを重視して物語を考えていらっしゃらなかったのだと。

だけど。

水木先生の予想以上にテリィというキャラクターが爆発的な人気になってしまい、最初のストーリーの組み立てが危うくなったのではないか?と思うのです。


水木先生が漫画の連載が終わったあとも、なぜキャンディをテリィと結ばせてあげなかったのか?とお叱りを受ける、とおっしゃっているように。


それは、たぶん、多くのファンが思うこと。

私も水木先生とお会いできたら、そう言ってしまいそう。
テリィと結ばせてあげて欲しかった、と。

つまり。

ひとつの「物語」としてキャンディキャンディを作られた水木先生のご意志とは別にファンの中の「キャンディキャンディ」がひとりだちをして歩きだしてしまったのではないかとおもうのです。


水木先生だけの「キャンディキャンディ」ではなく、ファンみんなのキャンディキャンディ。

それを水木先生は感じられて、小説キャンディキャンディファイナルを書かれた、と私は考えています。

当時の小中学生にトラウマを残したし💧


だけど。

そこには、当時からのアルバートさん(丘の上の王子様)ファンもいて

彼らにとっては、キャンディキャンディは、(当時から)ハッピーエンドであるので、今さらテリィとくっつけなおす、ということもできず。

だから、水木先生は、「あの人」を名前をださずに、それぞれファンが、自分の思う「あの人」と暮らしている、とおもえるようにされた、と思います。

だから。


アルバートさんファンにとっては、やっぱりね❤️と。


テリィファンにとっては、「よかった。色々あったけど、最終的にはテリィと結ばれたのね❤️」と思えるようにされたんだと思います。

だけど。

私はおもうのです。

アルバートさんと暮らしているのなら、小説「キャンディキャンディファイナル」は必要ではなく。


よって。

小説「キャンディキャンディファイナル」は、テリィファンに向けて書かれたと私は考えています。


多くの方が、「あの人」考察をされていて、今さら私がする必要もないくらいなのですが。

ここでは、私が「あの人」は、テリィ❤️と決定的‼️と思う2点についてだけ記載します。


ひとつめの決定的証拠は。

現在、キャンディは、イギリスのエイボン川近くのお家に愛する「あの人」と住んでいる。

もし。

それが、アルバートさんなら。

きっと、スカンクなどの小動物や鳥や犬やたくさんの動物に囲まれて暮らしているはず。

だって、記憶を失っていた時ですら、動物公園をさまよってしまうアルバートさんなのだから。

でも。そのキャンディたちのお家には、水仙や薔薇のお花は咲いているけれど、ペットに関する記載はなく。

動物がいる気配はまったくなし‼️

絶対テリィんちよ~😆❤️


そして。

決定的証拠‼️

ふたつめは。

アメリカにいる病気のポニー先生をお見舞いに行くのを控えている(行ってない)キャンディ。

もっとポニー先生たちの役にたちたいのだが、今は、なによりいつもわたしが近くにいることを望んでいるあのひとのそばをわたしも離れたくない。

↑これって、絶対、直情的なテリィだと思う~♥️

アルバートさんだったら、キャラが違いすぎない?

ひとりでぶらっと旅に出るタイプのアルバートさんが、キャンディと暮らしたら、超甘えんぼになる、とは思えない‼️
ましてや、シカゴでキャンディと暮らしていた時なんて、普通‼️だったもの。

それに。

そのキャンディの思いを書いてあるページのすぐ前に。

今までつらいわかれはいくつもあった。
けれど、生きてさえいればまた巡りあうことができるのだ。
だから、わたしはもう、別れを怖れない。

↑これよね❤️

最終的に、キャンディが別れても生きていれば会える、とわかった、ってこと。

キャンディが(1度)生きて別れたのは、テリィだけ。

アンソニーとステアは、生きて別れたわけじゃないよね。

だから。

水木先生の最初の構想では、キャンディとテリィは最初から別れることになっていたのだけど。

我々ファンの熱い気持ちに後押しされ、キャンディキャンディという物語が勝手に?動き出し、それを知った水木先生が、「キャンディキャンディファイナル」を書いてくださった、と信じているのです❤️


つまり。


「あの人」とは。


テリュース・G・グランチェスターなのです❤️


その後、追記しています。
テリィとキャンディの運命、というか、水木先生の最初の構想について、感じたことがあるので、追記いたします。

私のブログ、「テリィがキャンディと踊ったワルツ曲、判明」でも書かせていただいたのですが。

テリィとキャンディは、「ロミオとジュリエット」だと最初から「暗示」がされていたのだ、と思います。

結ばれぬ運命、と。

それは、セントポール学院の五月祭。

あの時、テリィは、ジュリエットに扮装しているキャンディと木立の中で踊ったのだけど。

きっと流れていたのは、「ワルツ ロミオとジュリエット」
シェークスピア好きのテリィだから「いい曲だね」って言ってたし。

キャンディは、ロミオとジュリエットが出会った仮面舞踏会と同じように「仮面」をつけて五月祭に参加して。

それに、テリィがキャンディを招待したN.Y.の公演(キャンディと別れる原因となったスザナとのお芝居)も「ロミオとジュリエット」だった。

「ロミオとジュリエット」が影のように、キャンディとテリィの人生にまとわりついている。

これって、水木先生の最初の構想では、テリィとの「激しい恋」は、ロミオとジュリエットのように結ばれぬ恋だと決まっていて、それを暗示していたんだと思います。

だけど、水木先生の予想以上にテリィの人気が高まり、ファンの声を受け止めて、「小説キャンディキャンディ ファイナル」では、テリィと結ばせてあげたのだと思います。

キャンディキャンディは、水木杏子先生だけのものではなく、世界中のファンのもの。

水木杏子先生は、そんな風にお考えになって、小説を出されたのではないでしょうか。











亡くなった彼の演奏をシェアしたい。(田中大稀くん)

2020-10-08 10:18:47 | ピアノ・音楽

息子は幼稚園からピアノをやっている。


そもそものきっけは。


幼稚園年中の時の学芸会。



昨今、学芸会のお芝居は、希望すれば、みぃ~んなやりたい役をすることができるので。


それぞれの役がうじゃうじゃいたりする。(笑)


息子は、「ピノキオ」のジュゼッペ?じいさん役だった。
もうひとりの男子とふたりで。人気なし(笑)


それが、まあ、ひどい。



ピノキオ役の子供が、やはり主役をやりたい❗というだけあって、劇団ひまわりか⁉️っていうくらいクオリティーが高い6人‼️であるのに対し、ジュゼッペじいさん2人は、2人なのに、0.5人分‼️


息子は、口の中でもぐもぐ台詞を言ってて、まったく聞こえない‼️


声を張れるピノキオと、もぐもぐのジュゼッペじいさん💧


おまけに、見ているこっちが恥ずかしくなるくらいクネクネモゾモゾ😭


いや~ん💧


こんなヘロヘロ男子、カッコ悪い‼️



ということで。



舞台度胸をつけるため、ピアノを習うことにしたのです。



チェロをやっているお友達からピアノの先生を紹介してもらい、レッスンスタートしたのが、学芸会の2週間後。


正しく言うと紹介してもらった先生はスケジュールがいっぱいで、その先生のお友達の先生を紹介していただいたのです。



それが‼️



結果。



すっごく素晴らしい先生なのだけど(笑)



むちゃくちゃ厳しい‼️



まじで。



そのM先生、私と同い年、ものすごくエネルギッシュで、情熱を込めて指導してくださる。


その分、求められることもハードルが高い。


コンクール前は、週5日レッスンに行き、出来が悪ければ、別室でひとりで練習してからもう1度レッスン、なんて日もあった。


1曲弾き終わる前に、止められて、別室レッスンをするように言われ、(一応昔ピアノをやっていた私もどこがどう違うのかわからず)息子と半べそになったことも数知れず。


でも。



そんなに厳しくても続けられるのは。


ミスなく弾けるようになった後、M先生に指導(味付け)、表現をつけていただくと、びっくりするくらい素敵な曲に仕上がる。


楽譜に書かれていないことも指導して下さって、M先生のおっしゃるとおりに弾くと「確かにものすごく素敵になる♥️」


それに。


自分の生徒に対する愛が溢れているのが、よくわかる。


(同行できない時の)コンクールや、学校の合唱の伴奏の当日。


それまでの鬼から想像できないくらい、優しくてキザな文章のメールを朝、くださる。さすが、芸術家‼️


そのメールを読んであげると、息子も清々しい顔になる。


やりとげた、って感じの。


おい、おい、まだ弾いてませんけど、って母は言いたいけど(笑)、気持ちはわかる。



M先生の熱い思いに応えなくちゃ、って気持ちと「先生が太鼓判を押してくれたから大丈夫」って自信が沸いてくる。


本当に素敵な先生。



そして。



小3の終わり頃。



次の4年生でのコンクールの自由曲を何にするか?を先生と話し合っていた時。


M先生は、本来、「歌える曲」がお好きなのだろうけど、息子好みのモール(短調)で速い曲を選んでお薦めしてくださる。



その時、何曲かの候補の中から息子がどちらにするか悩んだ曲が。


モシュコフスキーの「タランテラ」


ハチャトリアンの「エチュード」


どちらもメンズの好きそうなかっこいい曲。



その場でM先生の演奏を聴いただけでは即決できず、家に帰ってYouTubeを聴いてみることに。


その時聴いたハチャトリアンのエチュードが、田中大稀くんの演奏。




息子がコンクール用に選んだ曲は、結局タランテラだったけど、彼のエチュードを聴いた息子は、次の発表会ではこのエチュードを弾く‼️と言っていた。


田中大稀くん。


YouTubeの投稿の日付から、もう大学生くらいになったのかな?


ピアニストになってるかな?


とかも思った。



なぜなら。



今、現役で活躍なさっているピアニストさんも昔の、子供の頃の演奏をアップなさっている方がたくさんいらっしゃるから。


YouTubeを追っていくと、ひとりのピアニストの成長が見られる。



しばらく前に聴いて、お気に入りに登録していた田中大稀くんのエチュード。


もう一回聴いて、田中大稀くんのもう少し成長したピアノも聴いてみよう、と思い、彼の投稿してある他の曲を聴き始めた。


まず、私の好きな曲から。





↑これだけでなく、何曲が聴いてみたのだけど。


あれ?


って思い始めた。


普通、投稿した日が古くても、段々と日付が新しくなっていき、本人も成長した様子が見える。

小学生が、中学生に、そして高校生に、みたいに。


でも。


この田中大稀くんは、成長した姿も幼い姿も全部9年前くらいにまとめて投稿されていて、その後のYouTube投稿がない。


このくらい上手い子なら、ピアニストも夢じゃないのに、ピアノ、やめちゃった⁉️


そう思いながら、見続けていると。



彼が、病気で亡くなっていることを知ってしまった。


正直。



私が、ここで彼について詳しく書くのはちょっと違うかなと思うし、知り合いでもないので、それ以上は書けない。


ただ。



もっともっと弾きたい曲があっただろうなぁ、と思うと涙が止まらない。


彼のピアノ演奏がこんなにも人の心をうつのは、彼が幼い頃から抱えきれないくらいの悲しみや辛さと共に人生を歩んできたからだと感じた。


もちろん、悲しみだけでなく、たくさんの愛や幸せを感じているから、彼のピアノは、どこまでも澄みわたっていて、繊細で美しいのだと。



私は、子供の頃ちょろっと習っていたレベルだし、「耳」も持っていない。


だけど。



もしお時間があれば、彼のピアノ演奏を聴いていだけたら、と思って今日は書きました。



他にもたくさんアップなさっているので、ぜひ聴いてみてください。

私の源義経は国広富之

2020-10-06 11:55:38 | 息子のこと

中学受験は、「親の受験」と言われるそうだ。


始める前は、なんでよ(怒)、って思っていた。
やるのは、本人でしょ、って。


それが。



始めてみると。



ううん。



正しく言うと。



先月から「本当に親の受験だわ」って感じ始めた。涙。



というのが。



五年生になって、夏休み以降、飛行機がぐう~んと離陸🛫するように一気に「量」も「内容」も急上昇してきたのだ‼️
おぇっ💧

「正体を現したなぁ~‼️怪物‼️」って感じ💧


特に‼️「社会」は半端ない!


中学なら、数ヶ月くらいかけて教えてもらうところを1週間で覚えさせられる。
平安時代1週間で、鎌倉時代を1週間で、って要領。


しかも‼️


人の名前、事件名、場所など、特定の事柄を示す言葉は、全て漢字で覚えなくてはならないの💧


「最澄、天台宗、比叡山」、とか、「徒然草、吉田兼好」っていうように。


「つれづれ草」とか「吉田けん好」じゃあ、ダメ。



自慢じゃないけど、比叡山なんて、わたし、書けない💧


でも息子には、「書かないとダメじゃん‼️」って注意することになる。



確かに小5には難しすぎる漢字がいっぱい。

こんなの、1人じゃ無理だー‼️



そこで仕方なく、一緒に社会を覚えることにしたのです😭アシストやります‼️って。



承久の乱は、誰と誰が戦った?


とか。


新古今和歌集の撰者は?



ってかんじで。



私自身も答えを覚えていないと正解⭕を出せないし、ううん、質問すら出せない。



自動的に私も日本史を覚えなくてはできない。



53歳、私にはきつすぎる~💧



だけど。やらなくちゃならない。



人物や歴史の流れを覚えるためには。



歴史の人物をリアルに頭の中で思い描けるように。




そう‼️♥️



歴史上の人物を自分の中で動かす。



例えば。



私の中の「源義経」は、国広富之♥️


少年隊のヒガシやタッキーが、後に源義経をなさったそうだけど、私の中では、源義経は国広富之‼️


小学生の頃みていた「草燃える」


鎌倉時代を描いたNHKの大河ドラマ。



国広富之の源義経がかっこよくて♥️↓


そもそも。話がそれるけど。


日本人って、判官贔屓、って言葉があるように悲劇の「源義経」が大好き❤️


だから?なのか、源義経イコールイケメン、とみんな思っているよう。


源義経を演じる俳優は、みんなイケメン。



だけど。↓





↑これが、源義経のお姿。

えー😱😱😱


でも。



誰がなんと言おうと、源義経はイケメン‼️



ついでに、私の中の石田三成は、小栗旬❤️


直江兼続は、妻夫木聡。


ない?そういうの。

演じた俳優さんのイメージが定着しちゃって、その俳優さんが、歴史上の人物みたいに思えてくる、っていうのが。



そうやって、その人の(俳優)顔を思い描くと遠い昔の事柄がイキイキと動き出して、覚えやすい❤️


例えば、(国広富之の)源義経は、1185年の「壇之浦の合戦」で最大の功労者となるが、兄(石坂浩二)源頼朝の怒りをかい、「奥州藤原氏」を頼り、岩手県平泉町ににげるが、そこで自刃した、っていうように覚える。
トミーかわいそう💧って具合。


↑の肖像画の義経より、国広富之(トミー)の義経の方が、かわいそうな感じが倍増するもの。

こうやって覚えれば、本当によく覚えられる。


好きのパワーって、すごい。



同じ頃。


お隣の朝鮮がどうだったか?



ぶっちゃけ、朝鮮史、大嫌いだったのよね。


私が学生の頃なんて、韓流ドラマもなかったし、情報が皆無。


高句麗とか新羅とかでてきても興味がないから、覚えられない。



それが。



今なんて(笑)


韓流ドラマ「麗」のお陰で、新羅が朝鮮半島を統一するんだけど、その後、高麗に滅ぼされるの、なんて、息子にスラスラ教えられちゃう❤️
ついでに、新羅は、日本だと「しらぎ」、高麗は「こうらい」っていうけど、韓国じゃあ、「シルラ」「コリョ」っていうんだよ、とまでレクチャー。


全部、韓流ドラマ「麗」のお陰。


韓流ドラマ「麗」は、高麗の皇子の物語で、その中に、滅ぼされた新羅の王を祖父に持つ皇子が、嫌みを言われる、ってシーンがあって覚えたの。


ベガの祖父は、新羅の王だったのに、今じゃあ、高麗の皇帝を恐れてびくびくしてる、みたいな台詞。


ついでに、高麗の皇帝の名前まで覚えちゃう。


「麗」の主人公のお相手は、高麗の第4代「光宗」。クァンジョン、と読むらしい。

もちろん、頭の中の「光宗」皇帝は、イ・ジュンギオッパ❤️


でも、よ。



私が好みの俳優で、名前や年号、事件名を覚えても、息子の頭の中には、その映像は伝わらない😱


仕方ないから、最近の漫画で覚えてもらうべきか??




歴史上の人物がそれぞれ違ったテイストのイケメンとして描かれている人物事典なるものがあるらしい‼️


どの人物もほぼイケメンで(笑)


いい時代がきたわ~♥️


私の小学生の頃は、教科書に載っている地味な(不細工)肖像画だけだったもの。

興味がわかなかった。



早速、イケメン歴史人物大事典をアマゾンすることにします❤️(笑)

↓その歴史人物大事典の中の「源義経」

かっこいい~‼️












なんて素敵にジャパネスク

2020-10-01 11:19:10 | アニメ・漫画・ドラマ

この物語、小説と漫画があるのだけど。


私はリアルタイムで小説を読んでいた。

一生のうちで、たぶん1番読書をしていた高1の頃。



ストーリーは、と言うと。


(画像、お借りしました~♥️)



時は平安。


京でも指折りの名門貴族の娘である瑠璃姫は16歳。


本来ならとっくに結婚していてもおかしくない深窓の姫君、なはずなのだけど。


母君が亡くなって喪もあけないうちに新しい女性を連れてきた父親に幻滅し、すっかり独身主義になっている。


そして、幼き日の初恋の相手、吉野君(よしののきみ)の面影を胸に独身主義を貫こうと思っていたところ。


世間体を気にする父親は、結婚適齢期をすぎた娘を権少将と無理やり結婚させようと、ある夜、陰謀をはかる。


陰謀、というと大袈裟だけど、早い話が、娘の部屋に権少将を強行突破させる、という手荒なもの。


あわや、強行突破(笑)されそうになったところを助けてくれたのが、幼なじみで年下、筒井筒の仲の高彬(たかあきら)だった~♥️


実は瑠璃姫は、高彬と行く末を契ったことなど、すっかり忘れていたのだけど、高彬の方は幼少の頃に共に遊んだ瑠璃を一途に想い続けていたかわゆい年下男子。
きゃ❤️すてき。


この高彬、性格は生真面目でお役目一辺倒、瑠璃とは違い、身分や世間体を重んじる常識人。


堅物すぎる余り、帝をはじめとする他の宮中人からその生真面目さをからかわれるような年下男子。


一方。

この瑠璃姫、そんじゃそこらの姫じゃない。


勘が鋭く、頭の回転がいい。

その上、勇敢で情にもあつく、必要とあらば、女房に変装し他家(時として後宮)に忍び込むことも辞さない行動力の持ち主。


これが、深窓の姫君でなければ、素晴らしい長所なのだけど。


なよやかな女性がよいとされる平安においては、瑠璃姫は、物の怪つきの姫と噂されてしまう。


売れ残り、と父親が心配していた瑠璃姫には、有望な公達、高彬という筒井筒の幼なじみがいて、めでたしめでたし、とならないのが、このなんて素敵にジャパネスク、なのだ。


ひょんなことから。
瑠璃姫が、帝を巻き込む陰謀に巻き込まれる。


そこには。

鷹男、という東宮の命を受けて暗躍する、きりりとした端正な男性が登場するのだけど。


↓鷹男


実は、鷹男というのは、仮の姿で、実は東宮(次期帝ね🍀)ご本人なのだ~❤️


つまり。

東宮、御自ら宮中を出て、スパイとして暗躍していたの。

鷹男は。
盗賊もどきの行動ができる胆力の持ち主でもあり。

和歌を読ませれば、当代随一‼️

また、瑠璃姫には高彬という婚約者がいることを知っていながら、雅な、でも嫉妬に苦しむ恋を歌った文を送ってきたりもできる粋な男。


たぶん、人気No.1。


一途でかわゆい年下夫の高彬派とみやびな東宮、鷹男派。


当時から誰派?ってファン同士の中で、熱き戦いが繰り広げられてきた。


そう‼️まさに、キャンディキャンディのアンソニーか?テリィか?
アルバートさんか?みたいに。


で。やっぱり。

キャンディキャンディと同じように。


やはり、第3のイケメンが出てくるのだ‼️


それは。


「吉野の君❤️」


瑠璃姫が、幼き頃過ごした吉野の里で一緒にあそんだ童。

女の子と見まがうばかりのきれいなお顔で、瑠璃と将来を近い合うのだけど、流行り病で、ぽっくり亡くなる。

と言うのは、表向きで。


実はその吉野の君、帝のご落胤。

父親の身分も知らず、田舎暮らし。
幼き日から何もない吉野の君が、たったひとつ望んだのは、一人の姫と幸せに暮らすことだけ。


それなのに、帝は、争いの種をつもうと吉野の君を無理矢理落飾させるの。


そして。その吉野の君は、父親である帝近くに僧侶としてつかえていたのだけど。


昔、好きだった瑠璃姫が、異母兄である東宮(鷹男ね)の女御にあがる、との噂を耳にする。


全てを手にいれている兄が、自分がたったひとつ欲しいと夢見てかなわなかった姫を手にいれる‼️

そして。
吉野の君は、鬼になる。


と、まあ、こんなストーリー❤️


私は、もちろん?「吉野の君派」


薄幸の美少年、吉野の君❤️


当時。関西に住んでいたこともあり、吉野にはまって、ちょくちょく訪れていた。


特に。


桜の季節は最高なの❤️


そして。


不謹慎かも、だけど、私は、「僧侶」にロマンを感じるようになった❤️


勝手な妄想を抱いちゃう。


そして、それが高じて、高野山やら比叡山に参拝し、お坊さん観察をしてしまう。


実家がお寺、とかいう友達もいて、実際のお坊さんの「なまぐ○坊主」ぶりも十分わかっているんだけど。


でも、その中にも本物がいらっしゃる、と感じることがある。


大願成就と所願成就はどっちが、得か⁉️みたいなえげつない冗談を友達としていたら、そばにいた高野山の若い僧侶が、「仏光倍増」という言葉もありますよ、と教えてくれた。

仏さまの光が増しますように、という意味であると。


そして、彼は。


真冬の寒い季節にも。


弘法大師さまが、入定なさったお堂(立ち入り禁止)の扉の隙間に手をかざすと。


真冬の極寒の中ですら、お堂の中から暖かな空気が流れてくるんだと教えてくれた。


それを聞いて、私はものすごく恥ずかしくなった。


私と年の変わらない若い僧侶の気持ちの凛々しさ、清々しさに、圧倒され、自分が大切なものを大切にしていない、と気づかされた。


それから。少し。



目に見えないもの、心にだけ住むものを大切にするようになった。


なんて素敵にジャパネスクを読むたび、あの時の、私と同い年くらいの若い僧侶はどうしているんだろう?と思い出してしまう。


どこのお寺にいようとも決して、なまぐ○坊主にはなっていない、と確信している。