(長いけど読んでくださいませませ❤️)
53歳の私。withコロナの中。
こうやって、キャンディキャンディについて、心の叫びを書いているものの。
実は。
私のキャンディキャンディブームは、人生2回目。
みなさんのブログを読ませていただくと、今は4回目のブームとか6回目のブームだとおっしゃる方もいて。
私なんて、ひよっこのペーペー。
それには理由があって。
ペーペーの私は、正確な記憶がなくて、Wikipediaしてみると。
キャンディキャンディは、1975年4月から1979年3月までなかよしで連載されていた模様。
そう。
私が小3になった4月から中1の3月まで。
小4でスコットランドのサマースクールのくだりをなかよし月刊誌で読み、どっか~んとはまり。
クラスには。同志と言える熱きファンの女子がいて、休み時間にはテリィのここがいいんだ、だの、この先どうなるか、など飽きもせず、語り合っていた。
小6で、テリィとの衝撃的な別れの後も。
同志と、「この先、どのようにしてテリィはキャンディと復縁するのだろうか?」と若干話し合いの議題を修正しながら、語り合っていた。
私も。ふたりがこのまま別れるなんて、まさかないよね?と復縁を95%信じながら、読み続けていたのだけど。
テリィが出なくなったあたりから、がく~んとキャンディキャンディがつまんなくなった💧
ほんと、今読んでも味気ない。
(そうでない方、ごめんなさい💦😢)
そして。追い討ちをかけるように。
その頃、私は中1になり、遅い「初恋」を経験し、現実のラブ❤️>テリィ(アンソニー)になってしまったのです。
ま、ラブ❤️って言っても、私の場合は、「机上の恋愛」
そんな中。
月刊なかよしが、キャンディキャンディ最終回まであと2ヶ月‼️的な広告を打ち出し。
「えー⁉️あと2回でどうやってテリィと復縁するの⁉️」
と焦りまくったのです。
でも。
いやいや。冷静になれ、わたし。
最終回で、テリィが、突然、「ただいま」みたいな感じで現れ、キャンディがその胸に飛び込んでいって、「完‼️」じゃない⁉️
そうよ‼️絶対そうに違いない‼️
などと自分を励ましていた。
にもかかわらず。私にとって、無情にも、テリィからはそれっきり音沙汰なく。
最後は、丘の上の王子様がアルバートさんであった、というシーンで、ジ・エンド。
へ?
それで、この大ロマン物語が終わっちゃうの⁉️
で。わたしが、その時に読み取ったのは。(間違ってるかも、だけど)
キャンディは、特定の男子とくっつくのではなく、これからも辛いことがあっても、たくましく、周りの大切な人たちに囲まれて、挫けず、イキイキと生きていくんだ、そういう物語なんだと感じたのです。
ハーレクイン、というより、1人の女の子の人生の物語であると。
だから、アルバートさんの正体が次々と暴かれる?のも、キャンディの次の彼氏候補、としてではなく、キャンディの人生の中で「大切な人」としてのエピソード。
キャンディはアルバートさんやアーチーやアニー、パティなど、すてきな友人に囲まれながら、人生を送り、またいつか誰かと出会うのかもしれない、って余韻を感じたのです。
そんな風に私は物語を読みとったので、正直。
つまらん。怒。
私は、アンソニー亡きあと、テリィになら、キャンディを託してもいい、と応援していたのに‼️
恋愛が読みたいのよ‼️
成長じゃなくて‼️
と、だいぶがっかりもしたので、それっきりキャンディキャンディを読み返すことも最近までなかったのです。
そして。
ひょんなことから小説キャンディキャンディファイナルを読み。
その時は、あの流れからみて、「あの人」って、アルバートさんしかいないよね?
ニールはお断りしたし。
ステアはいないし。
アーチーはアニーの彼氏。
残るメンズは、アルバートさんくらいしかいないもん。
そして。
泣きそうになり。(今度は怒りより、悲しくて💧)
じゃあ、テリィはどうなるのよぉ~💧って3日3晩眠れず、小説は図書館に返却。
そして、ある方のブログにたまたま出会い、そこで、「あの人」はテリィとの考察にすっかり洗脳(笑)され、ご機嫌になったのです~😆
が。
実は最近、また別の方のブログに出会い、「あの人」考察を読み。
なんだか、肩書きのあるその方の考察によると「あの人」はアルバートさんに決まってんじゃん‼️テリィだなんていう間違った認識もあるけど的な視点で書いてあり、今度はその方の考察に(悲しいけど確かにそうかもと)洗脳されておりまする。ちーん。
もう、読むブログ読むブログに洗脳される‼️(笑)
だから、また日にちがたったら、違うことを書いているかもしれないけど。
その中に。
水木杏子先生のファンクラブ(今は閉鎖みたい)に掲載されていたコメントやらインタビューにお答えになっていた過去の雑誌が載っているサイトを見つけたのです。
これ↓
どうやらキャンディキャンディ、大人の事情がいっぱい絡んでいる、みたいなことを読みました。
(そのサイトから抜粋)
↓
「企画立ち上げ時の担当編集者と名木田氏はこの作品を「少女の成長ドラマ」と捉えていたが、漫画家と二代目担当は「スイートなラブストーリー」と解釈し、原作原稿を改変し自分達の望む方向に引っ張っていこうとしていたようだ。」
いいじゃん‼️スイートなラブストーリー♥️と思うのだけど、水木杏子先生から見たら、そうじゃなかったのよね、きっと。
そのサイトやら裁判の記録とかみると。
水木杏子先生は、繊細な芸術家肌で、お金よりも自らの作品を何より大切にし、こだわり、キャンディキャンディの世界観を大切にする方。
いがらしゆみこ先生は、情熱的で恋愛もバリバリこなす活動的な方。
もちろん、人生には、お金も大切‼️男子も必要‼️みたいな考えの方。
そんな気がする。
キャンディキャンディが始まった頃のお二人のインタビューをみると。
仲良さそうなコメントの中に、「静」と「動」のまったく正反対な性格、みたいなことが書いてある。
だから、テリィが
「おまえをメチャクチャにしてやる。」
とか
「アンソニーならどういうキスをしたんだ。アンソニーならもっとやさしくしたっていうのか!ふざけるな!」
とか、赤面するような台詞を言ってたもんね。
これって、絶対いがらしゆみこ先生の使う台詞よ‼️
水木杏子先生の人気の物語をあれから最近3冊また追加で読んだけど、やはりデコチュー♥️止まりのエロさ0%。
↓この本
サイトの情報によると。
水木杏子先生は。いがらしゆみこ先生と2人目の担当者との意見の違いにモンモンとされたことが何度かあるそうな。
たとえば。
ステアが空中戦で、戦死する場面でも。
漫画の中で。
ステアは、親友を撃ち殺した凄腕のバーディシュニッツェルという男と空中戦を繰り広げるんだけど、ステアはその男の機銃が壊れていたから撃とうとせず、機銃が直ったらまた戦おう、とするの。
だけど、結局、ステアは他の戦闘機に撃たれて戦死する、ってシーンがあった。
あのシーン。
水木杏子先生にとっては、ご自分の納得のいく場面ではない、とのこと。
水木先生は、他の戦闘機ではだめで、ステアはバーディシュニッツェルという男に撃たれなければならない、と思われていたそう。
そして、撃たれたステアは、「自分は甘いな」って呟いて空に散っていく、と。
そのくらい作品に込める「意味」や「ディテール」にもこだわる方。
そりゃあ、合わんだろ、って思う。言葉が悪いけど💦
友達としてなら、そういう考え方かあるのね‼️とか言ってられるけど、一緒に何かを作るのって、無理じゃね⁉️って感じ。
おまけに。
元いがらし先生のアシスタントをしていらした原ちえこ先生が、「フォスティーヌ」の中で、フォスティーヌのことを好きな3人の(これもじゃん。笑)メンズの中のひとり(フォスティーヌと血のつながらないミルコ兄さん)を殺しましょう♥️って、さらっと編集担当者に言われて、殺しちゃった、みたいなことをあとがきに書いてらした。
たぶん、この編集者の方って、キャンディキャンディの2番目の担当者の方。
当時、キャンディキャンディとフォスティーヌを両方担当していたらしくて。
ばっさりミルコ兄さん殺害💦を提案するってタイプは、水木先生とはあわないかも。
もちろん。
作品のクオリティーを求める作家とそれが売れるかどうか?を考えなくてはならない編集者は、それぞれの正義があって、大人の事情が発生する。
それもわかるし。
どうやらこのキャンディキャンディは。
大まかなストーリーは水木先生が決めていらしたけど、台詞やシーン(コマワリ)はいがらし先生がなさっていたそう。
いがらし先生がご自分で台詞やコマワリをした後、水木先生に許可をいただくシステムだそうな。
自分の大切な世界観は変えたくない気持ちも理解できるし、ストーリーを読んで自分なりに台詞まわしを考えたり、コマワリしたりしたのにケチつけられたくない、って気持ちも両方わかる気がする。
色々あったんだろうなぁ~💧って感じる。
だから。
水木先生からは、アンソニーの匂いがして、アンソニーの素敵さは、水木先生が作り上げた、と感じる。
いがらし先生からは、テリィの匂いがして、テリィはいがらし先生が作った、って気もするような。。。
じゃあさ。
こうしない???
アンソニーは、水木先生の権利。
テリィは、いがらし先生の権利。
見たいのよ、アンソニーを。
キザな「~だせ」って、テリィの台詞を聞きたいのよ。
今でも。キャンディキャンディの続きを読みたい‼️
まだまだ書きたいことがあるんだけど、長くなったので、今日はここまでにします❤️