虹パパの日記

40代介護福祉士です。日本を良い雰囲気にしたいです。

ざっくり自分史55〜シーズン2 暗黒時代から光の世界へ 仕事編そのその2〜

2022-03-24 21:38:00 | 自分史
の続き。

初めて勤めた介護施設(小規模多機能:24時間365日「通い」「泊まり」「訪問」サービスを利用できる)では、
・1人夜勤中に転倒、大腿部頸部骨折。救急搬送。ご家族への謝罪。
・暴言、暴力。
・入居者さんの自殺未遂。
・脱走〜、消防から「お宅にお住まいの方が転んで怪我をして消防署にいます。迎えに来てください。」と電話があり迎えに行った。
・夫のDVから避難するために急遽「泊まり」を利用した女性。
・送迎中の事故。
などなど、思い起こせば色々な経験をしたなぁ。

良い思い出もある。

・亡くなるちょっと前に「思い出づくり」で奥様と3人で昔勤めていた会社の工場見学へ行ったこと。
・認知が低下した人と通じ合えた時の嬉しさ

は忘れない。

3年勤め、介護福祉士取得と同時に「所長」のお声がかかり「できる!」と思っちゃったんですねぇ〜

今思うと、「介護リーダー」「生活相談員」「管理者」「施設長」の1人4役をやってのけるような超ハードな役職だった。私の前任者はスーパーマン、いやスーパーウーマンだった。。。。

家庭崩壊の危機を感じ、退職。

これを機に、「家庭にウエイトを置く」と決心し
・経験3年
・介護福祉士国家資格
を武器に転職活動を行なった。

振り返ると「経験3年」は弱く、「経験5年以上」が理想だったかな。
介護福祉士国家資格は絶対有利。

通勤徒歩10分
年収アップ

という理想に近い形での転職に成功。

しかし、「特養」という肉体的精神的にハードな職場に慣れるまでにまた苦労をするのでした。。。。

続く。


ざっくり自分史54〜シーズン2 暗黒時代から光の世界へ 仕事編その1〜

2022-03-20 05:54:00 | 自分史
の続き。

・飛び込み営業職1年
・整体15年
・介護職5年
・生活相談員1年

15年勤めた整体の仕事だが、なんとなく後ろめたさを感じていた。
先が見えなかった。
当時とてもお世話になっていた社長が「デイサービス立ち上げてみないか」と言ってくれた。

そこで初めて介護の世界を勉強し始めて、
・介護職員初任者研修
というものを受講した。

そこに光を見た。

介護の理念
「尊厳の保持」
「自立(自律)支援」

とても厳しい世界と聞いているが、この「理念」を忘れずに介護の仕事をできたらどんなに素晴らしいことなんだ!と思った。

母が父の両親の介護で苦労したことは知っていた。
この先の未来、介護の仕事がなくなることはないだろう、と思った。
子供2人の父親として、今よりも収入が下がることが1番引っかかったが、

実務経験3年を経て、
介護福祉士国家資格を取得すれば
確実に収入は上がること。

健康に十分気をつけて、生涯現役で働くつもりでいれば
なんとかやっていけるだろう、という覚悟を決めて「介護職」への転職を決意した。

初任者研修の時に
「自分がどんな介護士になりたいか?」
という質問を講師の方からされ、
その答えをテキストの裏表紙に書き込んだ。

私が書いたのは

・安心感を与える介護士

だった。今でもその気持ちは変わらない。できているかどうか?は別として・・・

最初に介護職として勤めたのは
・小規模多機能(通い・泊まり・訪問を24時間365日行いますよぉ〜、っていう使う側からしたら超便利。働く方は超大変。)
という施設だった。

オープン仕立ての施設だったので、利用者さんは少なく、スロースタートで駆け出しの介護職の私にとってはとても恵まれた環境だった。

1人の利用者さんに対して、5〜6人の職員が一緒にレクリエーションをできるような超ゆったりとした現場からのスタートだった。

続く。


ざっくり自分史53〜シーズン2 暗黒時代から光の世界へ 通勤編〜

2022-03-19 18:45:00 | 自分史
の続き。

暗黒時代は、
自転車+電車通勤、もしくは
徒歩+電車通勤で片道1時間くらい。

通勤電車の中でひたすら読書。
そのうちコックリコックリ船を漕ぐ。

約6年前、介護職に転職してから
自転車20分、もしくは
徒歩+バスで30分の通勤時間になった。

そして、3年前に他施設へ転職してから今。
通勤時間徒歩10分。

通勤時間が短いことがとても有難い。

電車の遅れなどの心配無用。

電車通勤していた頃は、帰宅時に「お腹空いた〜」ってコンビニでお菓子を買って食べてしまったり。
そうすると合わせてコーヒーを買って飲んだり。

と、無駄遣いも結構したなぁ。

今は公園に寄って懸垂をして帰る余裕まである。

感謝、感謝です。

ざっくり自分史52〜シーズン2 暗黒時代から光の世界へ 氏神様大好き編〜

2022-03-16 21:52:00 | 自分史
の続き。

今住む地域の氏神様に参拝するようになって8年くらい。
もう好きで好きでたまりません。これは恋か、愛か?

どちらかわかりませんが、感謝の気持ちでいっぱい。

週に1〜2回は参拝させていただいて
感謝のみの参拝。
参道の帰り道で氏神神社の雰囲気を感じて、
なんか、「大丈夫」と思って帰る。

2019年3月
今からちょうど3年前
・伊雑宮
・外宮
・内宮
と人生初の「お伊勢参り」をさせていただくことが出来た。

初めての介護職3年勤めて介護福祉士国家試験を終え、
今の職場への転職を決め、有休消化の時期を使って。

お伊勢参りはどうしても一度は行きたい

と思っていたので、「今しかない!」とちょっと強引に妻を説得して
1人で夜行バスに乗って0泊2日の伊勢旅行となった。

内宮では「御垣内参拝」をさせていだだき
(白い布の奥での参拝)


・日本のお役に立てる人間になります

と自分の厄(役)年に祈った。

あれから3年。

果たして私は日本のお役に立てているのだろうか?

地域のお役に立てているのだろうか?

家族のお役に立てているのだろうか?

誰かのお役に立てているのだろうか?

少なくとも暗黒時代、「自分が、自分が、」と自分のことしか頭になかった真っ黒クロスケの時代よりは少しは周りのお役に立てているのではないか。

お役に立てる環境のお膳立てを、あれよあれよ、という間に整えてもらえたのではないか?

と本当に有り難く感じている。

最近は大好きな氏神神社から少し足を伸ばして、いろいろな神社とご縁をいただいた。

「感謝」と「畏怖」

を全身に受けて、日常生活を送っている。

深く考えず

真っ当に生きる。

=誰かの、何かの役に立っているんだろう。

そのくらいのフワッとした感覚で

あまり考えすぎず

日常を楽しんで生きていけそうな

そんな気がしている今日この頃。

真っ黒黒の
暗黒時代があったから
光がはっきりと見えるなり〜

続く。。。。

ざっくり自分史51〜シーズン2 暗黒時代から光の世界へ 先祖供養編〜

2022-03-15 06:15:00 | 自分史

の続き。

「内在神」という自分の中の神様という存在への旅を始めてから、どうしても
・先祖供養
をちゃんとしたい、という強い気持ちになっていった。

子どもの頃からお墓参りなどする習慣はなかった。
中学生の頃から父方の祖父母と2世帯で住んでいが、神棚はあるけれど仏壇のない家だった。
そのためか、私には「ご先祖さまを供養する習慣」というものが全くなかった。

一方、妻の家はお彼岸とお盆には必ずお墓参りをし、親戚一同集まり食事をして帰る、という行事が当たり前の家だった。結婚してからその行事に同席することになったのだが、私には結構衝撃だった。

特に妻の母方の実家、山口県の田舎にお盆で遊びに行くと、高齢のおばあちゃんと一緒に裏山へ登って10個くらいの墓石(小さな普通の石)にお線香をあげに行く習慣があった。

なんとなくこういう習慣っていいなぁ、私はこんな大切な習慣を知らずにずっと生きてきたんだなぁ、と感じた。

・お墓参り

を当たり前のようにやってきた妻だから、家で先祖供養をすることにも抵抗はないんじゃないか?と勝手に思い込み、私は短冊にお線香を立てて先祖供養を始めた。

すると、妻は「線香臭いからやめてよ」と言ったので、線香は使わずに熱いお茶を供えて先祖供養を続けた。

しかしそれも、昔変なスピリチュアルにハマった経験を知っているからだろう、妻は私が先祖供養をすること自体を嫌がった。

しかし、私を「外の神様に頼る」ヘンテコスピリチュアルから、「自分の中に在る神様を信じる」真の精神世界への旅へと誘ってくれた本を読み始めていたので、

どうしても「線香を使って先祖供養」をしたかった。

だから、こっそりと
・妻がいないときに先祖供養をする
ということを何度かやっていたら、線香の匂いでそれがバレ、妻の逆鱗に触れてしまった・・・・

今はもう先祖供養という「形」を家で行うことができないのがわかったので、

・しっかりと仕事をする姿を見せることでご先祖さまたちに安心してもらう
・食事の前に、「ご先祖の皆様〜一緒にいただきましょう」と思って「いただきます」を言う
・難を逃れたり、いいことがあったときには「ご先祖さま〜ありがとうございます」と思ったり
・ことあるごとに、「ご先祖さま〜ありがとうございます」って思う

ことで先祖供養をさせてもらっている気になっています。

これなら妻にはバレない、笑

心は自由。

暗黒時代から光の世界へと歩みを進めてこれたのは
「先祖供養」の気持ちを持てたことが大きい。
1番近い「先祖」である「両親」へは感謝を実際に行える。
これができると「気持ちが良い」。

その両親の先の先の先の先のずーっと先まで遡って、どのご先祖さまが欠けていても私は存在しなかったわけだから、どのご先祖さまにも感謝せずにはいられない。

なんとなくだけれども
ご先祖さまの存在を感じる

いつも見守ってくれているんだ。

安心感。

ありがとうございます。


今日も「防災意識」と「大地への感謝」を忘れずにお仕事頑張ります。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
よろしければ下の応援クリックお願いします。