以前所属していたオーケストラの定期演奏会で、チャイコフスキーの「序曲1812年」という曲と、ベートーベンの「ウェリントンの勝利」という曲を同時にプログラムに入れた年があった。
いずれも、戦争を題材にした曲で、大砲や鉄砲の音、勇ましい警鐘ラッパが鳴り響く。
演奏している本人たちも、あたかも戦場にいる気分になったから、チャイコフスキー先生やベートーベン先生たちの技の凄さに改めて驚いたことを覚えている。
なぜその演奏会で「戦争もの」を2曲もプログラムに入れたのか、私は選曲会議のメンバーではなかったので、知らない。
メンバー100人以上のフルオケで、中では管楽器奏者が強い発言力を持っていて、とにかく派手なことをやるのが好きな団体だったから、やたら景気よく盛り上がれるというコンセプトだけで選曲されたとしても不思議はない。
大ホールでの定期演奏会は年一回であるから、当然ながら何ヵ月も前から練習をする。
個人練習や弦楽器だけの分奏を経て、全体合奏で仕上げをしていく。
オケの場合、プロよりもアマチュアのほうが、練習時間は多いのは当たり前なのだけれど、本番近くになったら、弾くのが嫌になってきた。
「もういい加減、戦争なんてやめようやー」
「ドンパチ、ドンパチやって、みんなアホちゃうか?」
あまりにもアホらしくて、弾きながら不覚にも笑ってしまったこともあった。
そんなことであったから、本番が終わって、もうこの曲を弾かなくていいとなったときには、「やっと戦争が終わって、スッキリした」という気持ちだった。
プーチン率いるロシアがウクライナを攻撃している状況である。
ポーランドのプロオケでチェロを弾いている友人がいる。
彼女によれば、次回の演奏会でチャイコフスキーの5番を予定していたところを急遽、ドボルザークの9番に変更したそうである。
一人の狂人の暴挙によって、文化芸術がこのような影響を受けることは非常に残念に思う。
けれども、私たちは、チャイコフスキーを嫌いになったわけではない。
それにしても、オトコたちはなぜ愚かなことを繰り返すのだろうか?
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