かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

パバロッティ夫人-初日-

2005年02月08日 | 昼下がりの外来で
「私が死んだら、シューベルトの冬の旅で送ってもらうの。素敵でしょ?」

パバロッティ夫人はそう言って微笑んだ。

「もういつ死んでも悔いはないの。やりたいことやってきたし。そろそろそういうことも考えるようになったわ。」

そんな風に私に話してくれる彼女の眼は輝いて見えたが、声は一日80本吸うタバコのせいで、100歳の老婆のようにしゃがれてしまっていた。

「でも、タバコに関してはほんとダメね。意気地がない・・・。別れなくちゃいけないと思うのに、いざ別れようとするとすごく寂しくなる。タバコは私にとって長年連れ添った夫みたいなものなのよ。唯一の癒しなの。」

癒してくれているはずの夫(タバコ)のことを話しているのに、彼女は悲しそうに涙ぐんだ。彼女からしてみれば小娘のような、初対面の私の前で・・・

「私のノド、かわいそう。毎日ノドで焚き火しているんですものね。前はよく台所で歌をうたったのよ。3大テノールなんか聴きながらね。でも今はダメ。うたえなくなっちゃった。」

自分を傷つけるとわかっていても、別れられない・・・。彼に依存などしていない、と断言してはいても、悪魔のような彼に、長年つきまとわれ、身も心も翻弄され、ズタズタ、ボロボロになってしまった自分に、彼女自身気がついているのだ。

『私があなたの禁煙をお手伝いします。安心してください。決して後悔させません。せっかく悔いのない人生を送ってきたんですもの。禁煙でより一層輝いてみませんか?』

悔いのない人生、そう断言できる人がこの世にはいるのだ。彼女の年になった時、私は果たしてそう言えるようになっているのだろうか?私は彼女のことが、心底羨ましかった。

「寂しくなったら、今度は誰が助けてくれるの?」

それは私ではない。禁煙サポーターは夫や恋人の代わりにはなれない。

『恋人と別れるには、自分自身、心の中で決着をつけないといけないでしょう?それができないから、まただらだらと関係を続けてしまうんです。』

私自身、決着をつけたはずのダメオトコのことをふと思い出し、危うく涙ぐみそうになってしまった。なぜ?! 幸い、パバロッティ夫人には気づかれずにすんだが・・・

『ニコチンパッチを使えば、寂しさはずいぶんやわらぎますよ。』

「大丈夫かしら?でもやらなくちゃいけないんだわ!今夜は最後の別れの夜ね。頑張ってみる!」

こうして、彼女と来週また会う約束をして、私のパバロッティ夫人禁煙サポートが始まった。











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