長くて短いような二週間。。。宮城県に来るまでは、ここまで被害が宮城に集中している事も知らなかったとゆうのが本当のところです。
あまり情報の無いまま、訪れる事になった仙台、大量の食料と寝袋や衣類を苦労して持って行ったら、宿泊先施設の近所にあるコンビニやスーパーには物があふれていました。。。当然、震災直後は何も無くなってしまい、買えなかったそうですが。
施設の職員さん達は、俺と上司の為に初日に歓迎会を開いてくれた。その中には家を流された職員もいた。そんな中でも歓迎会に参加して、自分の現状を冗談を交えながら明るく話してくれた事が印象的でした。
初日の歓迎会を開いて頂き、お互いの事を少しでも話せた事は、とてもよかったです。おかげで二週間お互い無駄なストレスを感じる事なく良い関係で接する事が出来ました。
翌日からの支援は、利用者さん一人一人の対応を丁寧に教えてもらいながら関わらせてもらいました。『即戦力』として力になる事が出来ず、現場の方々が逆に疲れたんじゃないかと本当に悩みました。。。
そんな時、若い職員さんが『他のボランティアさんにはプライバシー性の高い内容の支援はお願いした事が無い。川上さんが初めてなんですよ』と言ってもらい、自分が多少なりとは協力出来ているのかなと思えるようになりました。
持って行った三線で二度演奏会したんですが、皆さん本当に喜んでくれて、二度目なんて違う場所で活動している利用者さんと職員さんがわざわざ見に来てくれて、皆さん俺の下手くそな三線をとても喜んで頂きました。三線を触って頂き、音を奏でてみた時の満遍の笑み、忘れられません。改めて『音楽の力』を感じました。。。上を向いて歩こうと涙そうそうの合唱、泣けました。
支援の合間をぬって、津波被災地区を何箇所か視察に行きましたが、どこも衝撃的過ぎました。車はオモチャのようにゴロゴロ転がり・・・住宅街で見えなかったはずの沿岸部が、家が全て倒壊・流出し見えるようになっていたり。。。
鉄骨の軋む音
街中には
何ともいえない異臭が漂い
粉塵が舞い上がり
信号も復旧しておらず、自衛隊や警察が交通整理を行っている。
テレビや動画サイトから見た映像とは別次元の衝撃を受けた。。。未だこの現状だと知っている国民は少ないと思う。少なくとも俺はそうだった。情けないケドね。
今、テレビでは殆ど原発の話題した取り上げない。そして腐った政治家共の足の引っ張り合い。。。国家的危機状況の中で、何故協力して全力で取り組めない!?。お前ら被災地区視察とか行って、その目で見てるんだろ!?、それでもそんな醜態を国民に見せ続けるのか!?。
たかが二週間しか被災地に滞在していない俺ですら強い憤りを覚えるのだから、被災者の方々の感情は計り知れない。
その現場で俺は写真を、ビデオを撮影した。被災者感情を考えていない訳ではない。悩み抜いた結果、記録を残さない事には他の法人職員や、仲間達に現状を伝える事には限界がある。文章だけでは難しい。そう思っての行動だった。
実際に津波で被災した職員さんが『震災翌日にカメラ持ったオッサンを見てかなり憤りを覚えた』と言っていた。当然の感情だと思う。俺が同じ立場ならそう感じる。。。俺もオッサンと同じ穴のムジナだと、罪悪感に襲われ続けた。軽い気持ちじゃなく、本当に苦しかった。批判を受けとめる覚悟はしていたつもりだが、甘かった。
被災地区支援から戻った人が心を崩す事が多いそうだ。今ならそれを十分理解出来る。。。
そんな時、俺を救ってくれたのは、初日に歓迎会を開いてくれた仲間だった。 『川上さんが宮城の為にしてくれてるとゆう気持ちは、俺にはわかるから。だから、後悔しなくていいよ。』その言葉にどれだけ救われただろうか。
カメラオッサンに怒りを覚えた職員さんにも『俺も撮影していました』と告白しました。。。今日の別れ際に両手でガッチリ握手を求めてきて『ありがとう』と言われました。グッときました。
この二週間被災した方々に救われ、助けられてばかりいました。情けなくも幸せな男ですよ俺は。
撮影の件に関しては、批判的な御意見もあると思いますが、これ以上言われると本当に病むので、終わりにしといて下さい。
『絆』って言葉がよく使われています。『繋がり』って時にはめんどくさい事もありますが、こんな時改めて必要性を感じます。
おれの故郷の言葉に『ゆいまーる』とゆうのがあります。『ゆい』は『結(共同・協働)』で『まーる』は『順番(まわるって事かな)』
例えば、今日は俺の家のサトウキビ刈りを仲間に頼み、明日は仲間の家の屋根瓦修理をする。来週は別の仲間の手伝いを・・・
これが『ゆいまーる』。相互扶助・労働交換です。
今回の被災地支援で改めて『ゆいまーる』の大切さ、必要性を感じました。
あちらの職員さんから『万が一、金沢で震災があったらすぐに駆け付けますから』と言ってもらえた。。。万が一石川県で何かあったとしても信られる(助けてくれる)仲間が仙台の地に出来た。逆に万が一大きな余震がきたら、困った状況なったら、一個人としてでも助けに行くから。
違う形で出会えたらよかったんだろうケド、悲惨な『千年に一度』の震災で作った『ゆいまーる』で、『千年後』の子ども達まで、助け合いの輪が続きますように。
名前は出せないケド、仙台の施設職員の皆さん、本当にお世話になりました。
この度の震災で被災した全ての方々に一日でも早い平穏な日が訪れる事、そして亡くなられた方々の冥福をお祈り致します。
仙台の事、死ぬまで絶対忘れません。 ありがとう。
あまり情報の無いまま、訪れる事になった仙台、大量の食料と寝袋や衣類を苦労して持って行ったら、宿泊先施設の近所にあるコンビニやスーパーには物があふれていました。。。当然、震災直後は何も無くなってしまい、買えなかったそうですが。
施設の職員さん達は、俺と上司の為に初日に歓迎会を開いてくれた。その中には家を流された職員もいた。そんな中でも歓迎会に参加して、自分の現状を冗談を交えながら明るく話してくれた事が印象的でした。
初日の歓迎会を開いて頂き、お互いの事を少しでも話せた事は、とてもよかったです。おかげで二週間お互い無駄なストレスを感じる事なく良い関係で接する事が出来ました。
翌日からの支援は、利用者さん一人一人の対応を丁寧に教えてもらいながら関わらせてもらいました。『即戦力』として力になる事が出来ず、現場の方々が逆に疲れたんじゃないかと本当に悩みました。。。
そんな時、若い職員さんが『他のボランティアさんにはプライバシー性の高い内容の支援はお願いした事が無い。川上さんが初めてなんですよ』と言ってもらい、自分が多少なりとは協力出来ているのかなと思えるようになりました。
持って行った三線で二度演奏会したんですが、皆さん本当に喜んでくれて、二度目なんて違う場所で活動している利用者さんと職員さんがわざわざ見に来てくれて、皆さん俺の下手くそな三線をとても喜んで頂きました。三線を触って頂き、音を奏でてみた時の満遍の笑み、忘れられません。改めて『音楽の力』を感じました。。。上を向いて歩こうと涙そうそうの合唱、泣けました。
支援の合間をぬって、津波被災地区を何箇所か視察に行きましたが、どこも衝撃的過ぎました。車はオモチャのようにゴロゴロ転がり・・・住宅街で見えなかったはずの沿岸部が、家が全て倒壊・流出し見えるようになっていたり。。。
鉄骨の軋む音
街中には
何ともいえない異臭が漂い
粉塵が舞い上がり
信号も復旧しておらず、自衛隊や警察が交通整理を行っている。
テレビや動画サイトから見た映像とは別次元の衝撃を受けた。。。未だこの現状だと知っている国民は少ないと思う。少なくとも俺はそうだった。情けないケドね。
今、テレビでは殆ど原発の話題した取り上げない。そして腐った政治家共の足の引っ張り合い。。。国家的危機状況の中で、何故協力して全力で取り組めない!?。お前ら被災地区視察とか行って、その目で見てるんだろ!?、それでもそんな醜態を国民に見せ続けるのか!?。
たかが二週間しか被災地に滞在していない俺ですら強い憤りを覚えるのだから、被災者の方々の感情は計り知れない。
その現場で俺は写真を、ビデオを撮影した。被災者感情を考えていない訳ではない。悩み抜いた結果、記録を残さない事には他の法人職員や、仲間達に現状を伝える事には限界がある。文章だけでは難しい。そう思っての行動だった。
実際に津波で被災した職員さんが『震災翌日にカメラ持ったオッサンを見てかなり憤りを覚えた』と言っていた。当然の感情だと思う。俺が同じ立場ならそう感じる。。。俺もオッサンと同じ穴のムジナだと、罪悪感に襲われ続けた。軽い気持ちじゃなく、本当に苦しかった。批判を受けとめる覚悟はしていたつもりだが、甘かった。
被災地区支援から戻った人が心を崩す事が多いそうだ。今ならそれを十分理解出来る。。。
そんな時、俺を救ってくれたのは、初日に歓迎会を開いてくれた仲間だった。 『川上さんが宮城の為にしてくれてるとゆう気持ちは、俺にはわかるから。だから、後悔しなくていいよ。』その言葉にどれだけ救われただろうか。
カメラオッサンに怒りを覚えた職員さんにも『俺も撮影していました』と告白しました。。。今日の別れ際に両手でガッチリ握手を求めてきて『ありがとう』と言われました。グッときました。
この二週間被災した方々に救われ、助けられてばかりいました。情けなくも幸せな男ですよ俺は。
撮影の件に関しては、批判的な御意見もあると思いますが、これ以上言われると本当に病むので、終わりにしといて下さい。
『絆』って言葉がよく使われています。『繋がり』って時にはめんどくさい事もありますが、こんな時改めて必要性を感じます。
おれの故郷の言葉に『ゆいまーる』とゆうのがあります。『ゆい』は『結(共同・協働)』で『まーる』は『順番(まわるって事かな)』
例えば、今日は俺の家のサトウキビ刈りを仲間に頼み、明日は仲間の家の屋根瓦修理をする。来週は別の仲間の手伝いを・・・
これが『ゆいまーる』。相互扶助・労働交換です。
今回の被災地支援で改めて『ゆいまーる』の大切さ、必要性を感じました。
あちらの職員さんから『万が一、金沢で震災があったらすぐに駆け付けますから』と言ってもらえた。。。万が一石川県で何かあったとしても信られる(助けてくれる)仲間が仙台の地に出来た。逆に万が一大きな余震がきたら、困った状況なったら、一個人としてでも助けに行くから。
違う形で出会えたらよかったんだろうケド、悲惨な『千年に一度』の震災で作った『ゆいまーる』で、『千年後』の子ども達まで、助け合いの輪が続きますように。
名前は出せないケド、仙台の施設職員の皆さん、本当にお世話になりました。
この度の震災で被災した全ての方々に一日でも早い平穏な日が訪れる事、そして亡くなられた方々の冥福をお祈り致します。
仙台の事、死ぬまで絶対忘れません。 ありがとう。