どぅ-ち-むに-日記

「どぅ-ち-むに-」とは沖縄の方言で独り言。日記スタートから8年!。今年もてーげ(てきとー)な日記をよろしくお願いします

マースケーフージーカチンダ!!

2011-06-20 17:30:08 | Weblog
寄付物品を頂きに訪れた保育所の裏庭で、マースケーフージーカチンダ!!。

いやぁ〓、昔はよく室川幼稚園の後にある茂み行って捕まえたなぁ~、マースケー。飽きないんだよなぁ、カチんだ時の興奮。。。
やっぱマースケーとアータクーは男の浪漫ですよね!!





え?





マースケーフージーカチンダってどうゆう意味かって?





マースケーって言ったら小さいトカゲの事!。
フージーは『っぽい』的な意味。
カチンダは捕まえた。

だからマースケーフージーカチンダ!だと『沖縄にいた小さいトカゲみたいなやつ捕まえた!!』。。かな


ちなみにアータクーは大きな木登りトカゲ(レアです)


んでヤモリはヤールーです。シーサーと並んで家の守り神でもあり、クーラーを壊すクラッシャーでもあります(笑)。


捕まえたマースケーフージー、家か施設に持って帰ったら、捕まえた俺は神と崇められるだろうから、持ち帰りしたかったケド可哀相だから逃がしました。俺も大人になったものだ(笑)



でも、逃がしたら捕まえたくなって、3度繰り返してしまいました。。。



今度沖縄帰ったら、室川幼稚園の後ろに行ってみたいなぁ。

ガラス片

2011-06-19 21:04:59 | Weblog
久しぶり公園でチビ達と遊んでいると、地面にキラっと光る物が。多分、瓶の割れたガラス片。どーゆー訳で公園にそんな物があるのかわからんが、砂を手で触ったり、裸足で走る子だっているし、もし転んだ所にそんな物が落ちていたら・・・。
子供達が遊ぶ前に公園の危険チェックをしないといけない時代なのかと思うと頭痛くなります。

秀逸な作品!!

2011-06-19 00:05:46 | Weblog
先程NHKで放送していた『笑う沖縄 百年の物語』素晴らしい作品でした。これだけ沖縄としっかり向き合って企画・構成をし、秀逸な作品にしてくれた制作スタッフには感謝の言葉しか浮かびません。一時間の中に爆笑と号泣の詰まった作品なんて、そう作れるもんじゃありませんよ。

ちなみに明日も沖縄関係番組あります。NHK総合21時から21時50分『昔 父は日本人を殺した~ピュリッツァー賞作家が見た沖縄戦~』

民間人を巻き込み20万人以上の死者を出した沖縄戦。ピュリッツァー作家 デール・マハリッジが、沖縄戦で生き残った父を生涯苦しめた過酷な沖縄戦の実態をたどる。


そしてNHK教育で22時~23時30分放送は
『深く掘れ 己の胸中の泉 沖縄学のまなざし』

沖縄学100年の系譜を、沖縄文化とともに探る


とくに21時からの番組は必見だと思います。

4日後の6月23日は『慰霊の日』です。なので今週はこうゆう番組が多いかもしれませんね。

笑う沖縄百年の物語

2011-06-18 17:22:56 | Weblog
本日21時30分~22時30分、NHK総合で『笑う沖縄 百年の物語』とゆー番組が放送されます。


戦争、基地問題と歴史に翻弄され続けてきた沖縄。。苦難の中で庶民を勇気付けてきたのが沖縄の芸人達だ。沖縄の『笑いの一世紀』を芸の完全再現などによって描く。

ネタバレになる可能性があるんでこれくらいにしておきます。番組終わったら書こっと。


ちなみに、その前に放送する『巨人VS西武』の試合によっては時間の変更があるそうですよ。



ソッコー終わってくれ。万が一放送日変更なったら受信料払わんぞーw。。。

被災地支援まとめ

2011-06-17 18:34:35 | Weblog
長くて短いような二週間。。。宮城県に来るまでは、ここまで被害が宮城に集中している事も知らなかったとゆうのが本当のところです。
あまり情報の無いまま、訪れる事になった仙台、大量の食料と寝袋や衣類を苦労して持って行ったら、宿泊先施設の近所にあるコンビニやスーパーには物があふれていました。。。当然、震災直後は何も無くなってしまい、買えなかったそうですが。
施設の職員さん達は、俺と上司の為に初日に歓迎会を開いてくれた。その中には家を流された職員もいた。そんな中でも歓迎会に参加して、自分の現状を冗談を交えながら明るく話してくれた事が印象的でした。

初日の歓迎会を開いて頂き、お互いの事を少しでも話せた事は、とてもよかったです。おかげで二週間お互い無駄なストレスを感じる事なく良い関係で接する事が出来ました。

翌日からの支援は、利用者さん一人一人の対応を丁寧に教えてもらいながら関わらせてもらいました。『即戦力』として力になる事が出来ず、現場の方々が逆に疲れたんじゃないかと本当に悩みました。。。

そんな時、若い職員さんが『他のボランティアさんにはプライバシー性の高い内容の支援はお願いした事が無い。川上さんが初めてなんですよ』と言ってもらい、自分が多少なりとは協力出来ているのかなと思えるようになりました。

持って行った三線で二度演奏会したんですが、皆さん本当に喜んでくれて、二度目なんて違う場所で活動している利用者さんと職員さんがわざわざ見に来てくれて、皆さん俺の下手くそな三線をとても喜んで頂きました。三線を触って頂き、音を奏でてみた時の満遍の笑み、忘れられません。改めて『音楽の力』を感じました。。。上を向いて歩こうと涙そうそうの合唱、泣けました。


支援の合間をぬって、津波被災地区を何箇所か視察に行きましたが、どこも衝撃的過ぎました。車はオモチャのようにゴロゴロ転がり・・・住宅街で見えなかったはずの沿岸部が、家が全て倒壊・流出し見えるようになっていたり。。。

鉄骨の軋む音


街中には
何ともいえない異臭が漂い

粉塵が舞い上がり


信号も復旧しておらず、自衛隊や警察が交通整理を行っている。

テレビや動画サイトから見た映像とは別次元の衝撃を受けた。。。未だこの現状だと知っている国民は少ないと思う。少なくとも俺はそうだった。情けないケドね。


今、テレビでは殆ど原発の話題した取り上げない。そして腐った政治家共の足の引っ張り合い。。。国家的危機状況の中で、何故協力して全力で取り組めない!?。お前ら被災地区視察とか行って、その目で見てるんだろ!?、それでもそんな醜態を国民に見せ続けるのか!?。
たかが二週間しか被災地に滞在していない俺ですら強い憤りを覚えるのだから、被災者の方々の感情は計り知れない。


その現場で俺は写真を、ビデオを撮影した。被災者感情を考えていない訳ではない。悩み抜いた結果、記録を残さない事には他の法人職員や、仲間達に現状を伝える事には限界がある。文章だけでは難しい。そう思っての行動だった。

実際に津波で被災した職員さんが『震災翌日にカメラ持ったオッサンを見てかなり憤りを覚えた』と言っていた。当然の感情だと思う。俺が同じ立場ならそう感じる。。。俺もオッサンと同じ穴のムジナだと、罪悪感に襲われ続けた。軽い気持ちじゃなく、本当に苦しかった。批判を受けとめる覚悟はしていたつもりだが、甘かった。
被災地区支援から戻った人が心を崩す事が多いそうだ。今ならそれを十分理解出来る。。。

そんな時、俺を救ってくれたのは、初日に歓迎会を開いてくれた仲間だった。 『川上さんが宮城の為にしてくれてるとゆう気持ちは、俺にはわかるから。だから、後悔しなくていいよ。』その言葉にどれだけ救われただろうか。
カメラオッサンに怒りを覚えた職員さんにも『俺も撮影していました』と告白しました。。。今日の別れ際に両手でガッチリ握手を求めてきて『ありがとう』と言われました。グッときました。

この二週間被災した方々に救われ、助けられてばかりいました。情けなくも幸せな男ですよ俺は。

撮影の件に関しては、批判的な御意見もあると思いますが、これ以上言われると本当に病むので、終わりにしといて下さい。



『絆』って言葉がよく使われています。『繋がり』って時にはめんどくさい事もありますが、こんな時改めて必要性を感じます。

おれの故郷の言葉に『ゆいまーる』とゆうのがあります。『ゆい』は『結(共同・協働)』で『まーる』は『順番(まわるって事かな)』
例えば、今日は俺の家のサトウキビ刈りを仲間に頼み、明日は仲間の家の屋根瓦修理をする。来週は別の仲間の手伝いを・・・
これが『ゆいまーる』。相互扶助・労働交換です。
今回の被災地支援で改めて『ゆいまーる』の大切さ、必要性を感じました。
あちらの職員さんから『万が一、金沢で震災があったらすぐに駆け付けますから』と言ってもらえた。。。万が一石川県で何かあったとしても信られる(助けてくれる)仲間が仙台の地に出来た。逆に万が一大きな余震がきたら、困った状況なったら、一個人としてでも助けに行くから。
違う形で出会えたらよかったんだろうケド、悲惨な『千年に一度』の震災で作った『ゆいまーる』で、『千年後』の子ども達まで、助け合いの輪が続きますように。

名前は出せないケド、仙台の施設職員の皆さん、本当にお世話になりました。

この度の震災で被災した全ての方々に一日でも早い平穏な日が訪れる事、そして亡くなられた方々の冥福をお祈り致します。


仙台の事、死ぬまで絶対忘れません。 ありがとう。

笹かま館と七夕館

2011-06-15 21:54:07 | Weblog

利用者さんと一緒に有名な『笹かま館』に行ってきました。仙台港から少し内陸部にある『笹かま館』は津波は受けなかったものの、二度の大きな地震で製造ラインやお土産コーナーがめちゃくちゃになったそうです。4月から営業再開したらしいのですが、まだまだ爪痕を感じる部分が至る所にありました。店員さんは縮小したお土産品売り場で元気に笑顔で接客していました。笹カマって笹の上に乗った蒲鉾なんじゃなくて、笹の形した蒲鉾なんすね、知ってたような、知らなかったような・・・。
沖縄の蒲鉾とは違ってて、味や食感はチクワと蒲鉾の間って感じすかね、わさび醤油に付けて食べたらめっちゃおいしかったです。
チーズ入りや牛タン入り、昆布・ゴマ、イカシソとバリエーションも豊富でしたよ。
桃鉄ファンには馴染みの笹蒲鉾、めっちゃ美味しかったです!!!。


ちなみに仙台の七夕は8月で、駅前のアーケード街は、色鮮やかな吹き流しが飾られて、凄く綺麗らしいですよ。どこかに旅行を計画されるのでしたら、沖縄か北陸、そして宮城県で検討お願いします!!。駅前(街中)は、ほぼ普通に観光出来るので。是非!!!


ちなみに餅入りのドラ焼きが超美味かったです!!。笹かま館の近くで作ってる有名店らしいんですが、、、忘れた(笑)

塩竈・女川地区

2011-06-13 01:41:00 | Weblog
塩竈地区、異臭が漂っていました。梅雨、そして夏を前にし住民の衛生面や体調が心配です。津波の爪痕、凄まじいです。

写真は女川地区。病院のある高台からは絶望的な風景が広がっていました。写真に写っている建物は津波で倒れされています。
泥まみれになった絵本を見つけた時は、涙を止める事が出来ませんでした。


金沢に戻る金曜日まで残りわずか。もっともっと動けるはず。全力出していこう。

津波被災地区。。。

2011-06-12 09:16:19 | Weblog
宿泊している施設は海まで直線で5キロもありません。施設職員の案内で被災地区を視察してきました。
海から内陸部に2キロくらいの場所に有料道路が走っていて、地面から15メートルくらいの高さで、それが防波堤になり、高速道路手前側のほぼ日常の風景と、向こう側の現実離れした光景。。。
いたる所に散らばるガラス片、土台しか残っていない住宅跡地、壊れたオモチャのようにいたる所に転がる車。無残に壊れた老人ホーム。。。

震災後、この地区には二百体の遺体が打ち上げられていたそうです。
御冥福をお祈り致します。

石川県に残る法人職員への情報提供や、皆さんに知って頂く為とは言え、写真を撮る行為は凄く罪悪感を感じました。


今日はこれから石巻港周辺に行ってきます


震災から昨日で三ヶ月、余震の続く宮城県、もう一度大きな余震が来ると言われ、皆不安を感じながら生きています。。。