自転車屋男 2

神戸で自転車屋を営み
4年半スナックを営んだ
変な男の人生色々日記

「大河ドラマ「べらぼう」登場人物」!!「長谷川平蔵宜以」!!

2025-02-14 13:10:39 | 面白ネタ
「2月14日(金)」
「聖バレンタインデー」

「大河ドラマ「べらぼう」
「主要登場人物」

「長谷川平蔵宜以」
(中村隼人)

長谷川 宣以(はせがわ のぶため)は、
江戸時代中期の旗本。

寛政の改革期に
火付盗賊改役を務め、人足寄場を創設した。

通称は平蔵(へいぞう)。

長谷川平蔵の名は、
池波正太郎の時代小説
『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、
日本の時代小説・時代劇ファンに知られている。

天明4年(1784年)
39歳で徒歩組の指揮官である西丸徒頭、

天明6年(1786年)
41歳で番方(武官)の要職である
先手弓頭に任ぜられた。

天明7年(1787年)9月9日
42歳の時に宣以は老中・松平定信の人事で
先手頭の中から冬期に限って兼務を命じられる
火付盗賊改方の当分加役となり、

翌年8年(1788年)4月に
加役を免じられた後、同年10月、
先手頭1名が通年で兼務する
本役の火付盗賊改方加役となった。

『よしの冊子』
(松平定信の家臣・水野為長が、
世情を定信に伝えるために記録した風聞書)によると、
宣以の評判は悪く
「長谷川宣以のようなものを、
なんで加役に仰せ付けるのか」と
同僚の旗本たちは口々に不満を訴えたという。

宣以は部下の与力や同心達に厭わず酒食を与え、
町方の者が盗賊を連れてくれば
気前よく蕎麦などを振舞った。

庶民からは
「本所の平蔵さま」「今大岡」と呼ばれ、
非常に人気があった。

「よしの冊子」には当時のことを
長谷川はさして評判がよくなかったが
町方で受けがよく、
定信も「平蔵ならば」と言うようになったと
書かれている。

寛政元年(1789年)4月
関八州を荒らしまわっていた大盗、
神道(真刀・神稲)徳次郎一味を一網打尽にし、
その勇名を天下に響き渡らせる。

また、
寛政3年5月3日(1791年6月4日)
江戸市中で強盗および婦女暴行を繰り返していた
凶悪盗賊団の首領・葵小僧を逮捕、斬首した。

逮捕後わずか10日という
異例の速さで処刑している。

寛政元年(1789年)
松平定信に人足寄場設置を建言し認められ
寄場建設運営の指揮を執り、
江戸石川島に収容所を設け、
無宿人、刑期を終えた浮浪人などに
大工、建具、塗物などの技術を修得させ、
その更生をはかった。

宣以は町奉行になることを望んでおり、
寛政3年、町奉行が空席になると
宣以が下馬評にあがったが
最終的に別の者が奉行になった。

宣以が奉行になれなかった理由は
番方の先手頭の兼職である
火付盗賊改から町奉行になるという先例がなく、
町奉行になるための慣例である
目付を務めた経験もなかったからだった。

宣以はどれだけ出精しても
出世できないことを愚痴り、
「越中殿(定信)の信頼だけが心の支え」と
勤務に励んでいたという。

だが、
その頼みとした定信も
寛政5年(1793年)に失脚した。

寛政7年(1795年)
50歳で病気となり、
11代将軍・家斉からねんごろな労いの言葉を受け、
「瓊玉膏」(けいぎょくこう)を下賜されたが、
間もなく死去した。

東京都新宿区須賀町の戒行寺に供養碑がある。

戒名は「海雲院殿光遠日耀居士」
(かいうんいんでんこうえんにちようこじ)。

長谷川家の家督は嫡子宣義が継いだ。

次男・正以は長谷川正満の養子となった。


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