真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『幕臣たちと技術立国―江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢』(佐々木譲 2006年)

2010-07-01 | 読書-歴史
集英社新書
『幕臣たちと技術立国―江川英龍・中島三郎助・榎本武揚が追った夢』
佐々木 譲【著】
集英社 (2006/05/22 出版)

第1部 早すぎた男―江川太郎左衛門英龍(江川家と文化文政の知識人;鉄志向と海外志向;蘭学者への弾圧の中で ほか)
第2部 陣痛期を生きた男―中島三郎助(浦賀奉行所の与力;黒船に乗りこむ;造船の第一人者として ほか)
第3部 近代化に殉じた男―榎本武揚(技術者的な合理精神;オランダ留学;戦乱の故国へ ほか)

既刊情報

「半可通でも気にしない 近代化へ橋を架けた 幕臣の技術者がいた!」が詳細なのでリンクしてご紹介、と
その1 江川太郎左衛門

「パン祖のパン祭」
全国高校生パンコンテスト

幕臣のパン祖かあ。
ところで、(ちょっと似てる?)牧神のパンフルートは超小型パイプオルガンのような形に見えるのだが、どんな音がするのかな?

パンがブブセラ吹いてたら五月蝿くってかなわんだろな。
肺活量ありそうだし(笑)。

その2 中島三郎助
勝海舟をけなすねえ。

「くろふね」の執筆に際して散々調査されたのでね。
ちょっとかかわりがあった記憶・・・。

西野神社 社務日誌
中島三郎助という漢の生き様

Le régiment H ─ル・レジマン・アッシュ─
浦賀の住友重機工業(株)浦賀工場で開催された咸臨丸フェスティバル

その3 榎本武揚
『武揚伝』を思い出しながら読む。
勝海舟をけなすねえ。

勝海舟はねえ、長生きしたので自分に都合のよいことを散々言い残した可能性は濃厚だと思う。
佐々木氏の厳しい評価は勝ファンには面白くなかろうとは思うが。

というわけで、末期の徳川幕府も人材の育成には意を用いていた。
現在の日本企業は大丈夫かな。
「日本の大企業の若手は沈没するタイタニック号で皿洗いをさせられているようなものだ」

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