私のアフガニスタン―駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記
駒野 欽一【著】
明石書店(2005/08発売)
目次
第1章 国造りの柱1―政治プロセス
第2章 国造りの柱2―治安
第3章 国造りの柱3―復興
第4章 国際社会の取り組み
第5章 地方復興チーム(PRT)
第6章 軍閥解体(DDR)
第7章 日本のアフガン支援
第8章 私のアフガニスタン
第9章 平和構築支援実施のために
2002年(平成14年)1月 パキスタン大使館参事官[2]。
2月 アフガニスタン臨時代理大使
4月 アフガニスタン大使[2]。
2004年(平成16年) NGO、アフガニスタン支援調整担当及び人間の安全保障担当大使[2]。
2005年(平成17年) ハーバード大学ウェザーヘッド国際関係センター研究員(2006年まで)[2]。
9月 アメリカ合衆国大使館公使[2]。
2006年(平成18年) エチオピア兼ジブチ兼ソマリア大使[2]。
2010年(平成22年) イラン大使[2]。
2012年(平成24年)11月 イラン大使退任[2]
ペルシャ語専門職から一種へ上級登用だそうで。
大使館再開第一陣として、常駐者一人というカブール派遣からだって。
本書で描かれている時期は、「カルザイ大統領の下、問題山積ながら前向きに頑張っています」みたいな感じのようなのだが、10年たってみて、どうかというと、
2016.12.13 中東情勢講演会(髙橋博史 前駐アフガニスタン大使)
アフガニスタンの混乱は今後も続く。その最大の原因はカルザイ前大統領にある
とか言われちゃって、
2015年大統領選挙は、どうだったのでしょうね。
実施したこと自体?
駒野 欽一【著】
明石書店(2005/08発売)
目次
第1章 国造りの柱1―政治プロセス
第2章 国造りの柱2―治安
第3章 国造りの柱3―復興
第4章 国際社会の取り組み
第5章 地方復興チーム(PRT)
第6章 軍閥解体(DDR)
第7章 日本のアフガン支援
第8章 私のアフガニスタン
第9章 平和構築支援実施のために
2002年(平成14年)1月 パキスタン大使館参事官[2]。
2月 アフガニスタン臨時代理大使
4月 アフガニスタン大使[2]。
2004年(平成16年) NGO、アフガニスタン支援調整担当及び人間の安全保障担当大使[2]。
2005年(平成17年) ハーバード大学ウェザーヘッド国際関係センター研究員(2006年まで)[2]。
9月 アメリカ合衆国大使館公使[2]。
2006年(平成18年) エチオピア兼ジブチ兼ソマリア大使[2]。
2010年(平成22年) イラン大使[2]。
2012年(平成24年)11月 イラン大使退任[2]
ペルシャ語専門職から一種へ上級登用だそうで。
大使館再開第一陣として、常駐者一人というカブール派遣からだって。
本書で描かれている時期は、「カルザイ大統領の下、問題山積ながら前向きに頑張っています」みたいな感じのようなのだが、10年たってみて、どうかというと、
2016.12.13 中東情勢講演会(髙橋博史 前駐アフガニスタン大使)
アフガニスタンの混乱は今後も続く。その最大の原因はカルザイ前大統領にある
とか言われちゃって、
2015年大統領選挙は、どうだったのでしょうね。
実施したこと自体?