真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

無言館の饒舌な館主が奮闘する 戦没画学生慰霊美術館の坂を上って下って

2008-12-07 | 読書-2008
最初これを読んだ訳ですわ:
「無言館」への旅 ― 戦没画学生巡礼記

上記の中に話が出てきた「絵手紙」が本になっているらしい、というので:
戦場から妻への絵手紙 前田美千雄追悼画文集
著者: 前田美千雄
編者: 高澤絹子(前田氏未亡人。再婚した高澤氏も逝去され、最初の夫前田氏からの絵手紙の展覧会などを開催)

東京藝術大学大学美術館収蔵品データベース
前田美千雄 (1914-1945)
この方は「画学生」として出征されたのではなく、すでに百貨店のデザイナーとして活躍されていたようだ。

でもって、ほかの作品も是非見てみようということで:
無言館 戦没画学生「祈りの絵」
1997/8

無言館を訪ねて―戦没画学生「祈りの絵」〈第2集〉
1999/7

無言館の詩―戦没画学生「祈りの絵」〈第3集〉
2001/7

ほかに、館主のエッセイも読む。
「信濃デッサン館」「無言館」遠景―赤ペンキとコスモス
2007/2

無言館の坂を下って―信濃デッサン館再開日記
2008/11

参考情報:
city.ueda.nagano.jp/信州上田観光情報 > 美術館・博物館 > 無言館
2005年1月から2006年4月までエントリがあった無言館のファンサイト?

それぞれの絵が戦後どのように保管されてきたかは、色々。
なかには、夫人が部屋に飾って毎日見て語りかけてきたようなケースもあるようだし、物置で朽ち果てようとしていたケースも少なくないようだ。

夫人なり、兄弟姉妹なり、さらには甥姪など、亡き画学生らを直接知る人たちがお元気なうちは自宅内でも物置内でもとにかく保管されていればよいのだが、代が替わると事情が変わる。
新しい代の人たちにとっては価値がないことになって、廃棄されてしまうケースがあるはずだ。これを救って保存し、かつ多くの人たちに無言のメッセージを受け止めてもらうという館主の活動は貴重だ。
個人経営なのだそうだが、代が替わる準備は出来ているのだろうか...

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