真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

隊長の母親の名前をつけた爆撃機~故ティベッツ氏の話題の続き<3>

2008-05-17 | 読書-2008
「DUTY」からの連想がまだ続きますもんで。
エノラゲイ関連図書:
『エノラ・ゲイ-ドキュメント・原爆投下』 ゴードン・トマス,マックス・モーガン=ウィッツ著松田銑訳T.B.S.ブリタニカ 1980年

エノラ・ゲイは、(部隊全体の)隊長であり決まった機体を持っていたわけではなかったティベッツが、15ほどあって競わせていたチームの中で最高の訓練成績を誇っていたルイス大尉機を指名して、お気に入りの爆撃手と航法士(それぞれ、腕前は最高。欧州でB17に乗っていたときから知っており、信頼抜群)を引き連れて乗り込んできた、というもの。
(この3人は晩年まで集まったりして親密だった…昨年2人目が欠けたようです)

ティベッツから「お前の機で行くからな」と聞いて「自分が機長で…」と思っていたルイスは副操縦士としての出撃だとわかり不満っ!
しかも、隊長が勝手に整備兵に命じてペンキでお母さんの名前なんぞを書かせたと聞いて激怒、というような経緯があったのだ、と。

ソフトボールだかをしていたのに「ちょっと来い」と機体に名前を書かされた整備兵はふくれっ面だったそうだが、後年自慢できたことだろう。「この写真に写っているエノラゲイという字はな、ワシが画いたのだよ」。

機長席から手を振るティベッツ大佐
http://en.wikipedia.org/wiki/Enola_Gay

この本も読んでみないといかんな。予約しておこう。
『拒絶された原爆展 歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』
http://www.ywad.com/books/48.html

次の本:
『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』チャールズ・W・スウィーニー 黒田剛訳 原書房 2000年7月
…スウィーニーは、広島には科学観測を担当する随伴機「グレート・アーティスト」の機長として、長崎へは原爆搭載機「ボックスカー」の機長として出撃した人。
つまり、邦訳タイトルは「私はヒロシマの原爆投下を同伴機から目撃し、ナガサキには(別の機で出かけて)原爆を投下した(色々トラブルがあって、ヒヤヒヤでした)」が正確なのだが、それではタイトルにならないので、まあいいでしょう。

原著タイトルは
War's End: An Eyewitness Account of America's Last Atomic Mission

乗り換えの背景は、「お前のチームで次の原爆投下をやれ」と命じられたスウィーニー少佐25歳の乗機グレート・アーティストには(広島用に)観測機器などを据え付けてあったため、その積み替え・調整などが間に合わない、ならば人間が移ってしまおうとフレデリック・ボック大尉の「ボックスカー」と機体を交換した由。
第13組用の機体(ボックスカー)に第15組(スウィーニー少佐組)が、15組用のグレート・アーティスト号に13組(ボック大尉組)が乗りましたとさ。

長崎への原爆投下機ボックスカー:
http://www.mphpa.org/classic/CG/Photo-Pages/CGP-027.htm
[画面下方の黄色いENTERボタンは押さないように]ということです。

スウィーニー氏の死を伝えるワシントンポスト紙2004年
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A60638-2004Jul18.html
同、ボストングローブ紙(=地元)
http://www.boston.com/news/globe/obituaries/articles/2004/07/18/charles_sweeney_pilot_dropped_nagasaki_a_bomb/

ところで、「グレート・アーティスト」=大芸術家号だとばかり思っていたら(昔々、そう書いてあった手記邦訳を読んだもん)、そうではないのです、と?

(まだつづく

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