『幕末の外交官森山栄之助』
江越弘人
弦書房 (2008/06 出版)
小学校の先生だった方(いわゆる郷土史研究家?)の労作。
子孫へも取材。
読みやすいとは言えないのだが、読んで損はない。
吉村昭氏の小説に異議…というわけでは、ある(笑)。
独自の視点から「そうは考えられないのでは?」と疑問を提起。
というか、別解を提示。
晩年急速に老けこんで云々というあたり、新しい奥さんもらって子ども沢山作ったりしていることからみて、急激に老けこんでボケてしまったとは考えられないと主張。
こりゃ説得力あるな。
日本側の記録にあまり詳細残っていないのと対照的に、外国側関係者の手記などにしばしば記載があるという。
普通の通詞が(身分が低いことから)ひたすらぺこぺこするような態度だったのに対して、森山は堂々と主張すべきことは主張。
相手国側がなめたことを言い出すと容赦しないという硬骨漢ぶりを発揮したようだ。
「煩いやつだが、あいつが出てこないと実質的な話が進まない」、と評価されていたのだとわかる。
いわゆるタフ・ネゴシエイターというわけかな。
ネゴシエイトする権限は当初はなかったはずなのだが、そんなのあり?
幕臣に取り立てられる(非常時だしな)までは身分の低い専門職だったわけだが、優れた語学力と向学心・情報収集などをもとに、ここは譲ってはいけない/ここは仕方ない、などのシナリオを自分なりに描いて通訳にあたっていたのではないかと考えられる(南面堂が勝手に考えた)。
故に、交渉役の上級武士が優柔不断であっても、上手に影響力を行使して何とか交渉を前進させることができたのではないか?(と勝手に考えた)
外国側からみると、「あいつが出てこないと、いつもののらりくらり戦術で時間を浪費するだけじゃんか」になったんじゃないかな。
日本のタレーランと評した人もいた由。
どんなヒトだっけ?
百戦錬磨のスーパー外交官だ、という賛辞じゃないか!
参考:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの評価
のらりくらりと何の権限もない連中が引き延ばしを図る?日本に、「いい加減にしてよ」といいたかった外国側。
150年後も変わっていない?
「私が決断します」、「私を信じてほしい」、「連立は大切で」、「県民の意見を」、「よくご議論していただいて」…。
「結論を持ってこないヒトと会っても時間の無駄ですから」といわれるな、こりゃ。
ホントは、「決めてるオザワ出てこい」と言いたい?
【150年前に戻る】
後になって「不平等条約を結ばされやがって、俺たちが苦労するじゃないか」とばかりに森山の功績を低く評価したという背景があるとの推測。
なるほど。さもありなん。
あれやこれや取材旅行に長崎には何十回も訪れた大作家は、51歳での森山の死因を(病名書いていないが)老衰?のような経過として描いた。
未曾有の国難に対処して気力体力が抜けてしまった…という想像で創造したものと考えられる。それはそれで一つのストーリーだわな。
一方、地元の先生OB(本書の著者)は、独自に掘り起こした史料から、別のストーリーを描く。
死因に言及した資料がない(急死としかわからない)ため、病名を推測させる材料がないのだが、虚血性心疾患方面の、急性心筋梗塞のようなことではないか(と、モンガイカンの南面堂は勝手に考える)。
【書評】
[評者]松本仁一(ジャーナリスト)■開国へ向かう歴史を最前線で支える
評・磯田道史(日本史家)この150年、日米関係を担当した1人の実務家が、日本人すべての運命を左右したことが、2回あったと思う。
森山さんがとっても素敵な人で、おそらく読んだ方は彼のことが好きになることでしょう♪ by東都アロエさん
‘この著者もおっしゃっているとおり、森山をはじめ、幕末外国奉行(おもに初期)の知恵を絞った抵抗のおかげで、不平等といわれるいつくかの項目だけで済んだ・・・・・とさえいえることはもっと評価されるべきだと思います。’
んだ、んだ(深くうなずく)。
てなわけで、3日連続というか、関連テーマつながりでした。
弦(ゲン)書房?どこかで聞いたな・・・。
これか!
『江戸時代のロビンソン ― 七つの漂流譚』は声に出して読みたい漂流記
あなどれない地方の小規模出版社。
http://genshobo.com/
江越弘人
弦書房 (2008/06 出版)
小学校の先生だった方(いわゆる郷土史研究家?)の労作。
子孫へも取材。
読みやすいとは言えないのだが、読んで損はない。
吉村昭氏の小説に異議…というわけでは、ある(笑)。
独自の視点から「そうは考えられないのでは?」と疑問を提起。
というか、別解を提示。
晩年急速に老けこんで云々というあたり、新しい奥さんもらって子ども沢山作ったりしていることからみて、急激に老けこんでボケてしまったとは考えられないと主張。
こりゃ説得力あるな。
日本側の記録にあまり詳細残っていないのと対照的に、外国側関係者の手記などにしばしば記載があるという。
普通の通詞が(身分が低いことから)ひたすらぺこぺこするような態度だったのに対して、森山は堂々と主張すべきことは主張。
相手国側がなめたことを言い出すと容赦しないという硬骨漢ぶりを発揮したようだ。
「煩いやつだが、あいつが出てこないと実質的な話が進まない」、と評価されていたのだとわかる。
いわゆるタフ・ネゴシエイターというわけかな。
ネゴシエイトする権限は当初はなかったはずなのだが、そんなのあり?
幕臣に取り立てられる(非常時だしな)までは身分の低い専門職だったわけだが、優れた語学力と向学心・情報収集などをもとに、ここは譲ってはいけない/ここは仕方ない、などのシナリオを自分なりに描いて通訳にあたっていたのではないかと考えられる(南面堂が勝手に考えた)。
故に、交渉役の上級武士が優柔不断であっても、上手に影響力を行使して何とか交渉を前進させることができたのではないか?(と勝手に考えた)
外国側からみると、「あいつが出てこないと、いつもののらりくらり戦術で時間を浪費するだけじゃんか」になったんじゃないかな。
日本のタレーランと評した人もいた由。
どんなヒトだっけ?
百戦錬磨のスーパー外交官だ、という賛辞じゃないか!
参考:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの評価
のらりくらりと何の権限もない連中が引き延ばしを図る?日本に、「いい加減にしてよ」といいたかった外国側。
150年後も変わっていない?
「私が決断します」、「私を信じてほしい」、「連立は大切で」、「県民の意見を」、「よくご議論していただいて」…。
「結論を持ってこないヒトと会っても時間の無駄ですから」といわれるな、こりゃ。
ホントは、「決めてるオザワ出てこい」と言いたい?
【150年前に戻る】
後になって「不平等条約を結ばされやがって、俺たちが苦労するじゃないか」とばかりに森山の功績を低く評価したという背景があるとの推測。
なるほど。さもありなん。
あれやこれや取材旅行に長崎には何十回も訪れた大作家は、51歳での森山の死因を(病名書いていないが)老衰?のような経過として描いた。
未曾有の国難に対処して気力体力が抜けてしまった…という想像で創造したものと考えられる。それはそれで一つのストーリーだわな。
一方、地元の先生OB(本書の著者)は、独自に掘り起こした史料から、別のストーリーを描く。
死因に言及した資料がない(急死としかわからない)ため、病名を推測させる材料がないのだが、虚血性心疾患方面の、急性心筋梗塞のようなことではないか(と、モンガイカンの南面堂は勝手に考える)。
【書評】
[評者]松本仁一(ジャーナリスト)■開国へ向かう歴史を最前線で支える
評・磯田道史(日本史家)この150年、日米関係を担当した1人の実務家が、日本人すべての運命を左右したことが、2回あったと思う。
森山さんがとっても素敵な人で、おそらく読んだ方は彼のことが好きになることでしょう♪ by東都アロエさん
‘この著者もおっしゃっているとおり、森山をはじめ、幕末外国奉行(おもに初期)の知恵を絞った抵抗のおかげで、不平等といわれるいつくかの項目だけで済んだ・・・・・とさえいえることはもっと評価されるべきだと思います。’
んだ、んだ(深くうなずく)。
てなわけで、3日連続というか、関連テーマつながりでした。
弦(ゲン)書房?どこかで聞いたな・・・。
これか!
『江戸時代のロビンソン ― 七つの漂流譚』は声に出して読みたい漂流記
あなどれない地方の小規模出版社。
http://genshobo.com/