真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

強運の「寅年の一年児」~淵田美津雄自叙伝

2008-05-23 | 読書-2008
『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝』淵田 美津雄,中田 整一(編・解説)2007年

淵田氏の出身地では、「寅年の一年児」=寅年のうちに宿って、寅年のうちに生まれたものは特に強い運勢があるという、のだそうでした。
出産数が毎年、毎月ほぼ均等だとすれば、寅年が1/12(年)、40週280日として10~12月生まれを「一年児」と考えると、おおよそ3/12(ヶ月)だからと…48人に一人、って感じ?
そういう確率を云々するもんじゃないか。。

「飛行機乗りは訓練中の事故死も大変多いので30歳までは結婚しない」と頑張って、その後結婚した淵田が支那事変の戦場に赴くと聞き千人針(知らないお友達はお父さんお母さんに聞いてね。おじいちゃんおばあちゃんかな?)を用意しつつあった妻の母親。
淵田が明治35年12月生まれと知り、「じゃあこんなものはいらないわ」とばかり作りかけの千人針を屑入れに投げ捨ててしまったという。

あー知らなんだ。
本人も「迷信だ」とはっきり書いているのだが、寅年のお陰かどうかは別として、数々の危機一髪をことごとく切り抜けているのには驚く。どこまでも強運の人だったと思う。

迷信は「こうすると不幸に」、「縁起が悪い」といったネガティブなものを無視して、「運を呼ぶ」方面のポジティブなものを信じて過ごすことができれば、結果として運を呼び込むことになる!ような気もする。
でも、そんなことが可能になるかどうかも、強運の星、周囲への影響力・人望が必要なのかな?

なにかと印象の強い本でした。

ブロガーの紹介例:関連リンク等を含めて、便利なので貼らせていただくね↓
http://blog.goo.ne.jp/norilino1045/e/d7007bb80fdeb8f0432f6cedae5a0bf5
…こんなに延々と引用して、まあ。。

星亮一『淵田美津雄 真珠湾攻撃を成功させた名指揮官』(PHP文庫、2000年)という本を以前に読んでいた。
「戦後は・・・キリスト教に目覚め、米国で伝道活動に従事した」といった記載はあったのだが、いったい何を考えたのでしょうね?と思っていた。
本書で本人が詳細に記していたので少しは分かった(ような気がした)。

関連図書も多数あるようなので、そのうち読んでみようかな。

それにしても、戦後間もない時期だし、「真珠湾攻撃の飛行隊の総隊長がその信仰を皆さんに!」というのは伝道集会の人寄せパンダとして最高の素材だっただろう。

この項続く(かもしれない)

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