真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『二十一世紀をいかに生き抜くか―近代国際政治の潮流と日本』 (岡崎久彦さん 2012年)

2014-07-10 | 読書-現代社会
二十一世紀をいかに生き抜くか―近代国際政治の潮流と日本
岡崎 久彦【著】
価格 \1,785(本体\1,700)
PHP研究所(2012/07発売)

目次
近代は終わったのか
バランス・オブ・パワー思想の誕生
むきだしの権力政治
アメリカの登場
帝国衰退の歴史
ウィルソン主義
第二次大戦とは
冷戦とは
平和共存と緊張緩和
泥沼とは
日本にとってアメリカとは
二十一世紀をいかに生き抜くか

キッシンジャーの名著『外交』上下巻からの引用を駆使しながらの記述は、さながら国際政治原論といった感じで読み応え十分である。民主党、自民党の若手政治家の要請に応えて行った講義が下地になっているという。

まえがきで著者が謝意を表している、「勉強会発足に名を連ねてくださった」先生方:
長島明久
細野豪志
北神圭朗
柴山昌彦
浅尾慶一郎
城内実
榛葉賀津也
徳永久志
大野元裕
風間直樹
佐藤正久
宇都隆史
熊谷大
磯崎仁彦
三原じゅん子
ほかに:細谷雄一慶大教授、日経秋田浩之氏、外務省北野充審議官(当時)

リンクを貼ってある方と、そうでない方の違いに大きな意味はない。
顔が浮かばない場合と、当店の過去エントリに記載があるケースなどがリンクあり。

「勉強会に名を連ねて」と、「勉強会の発足に名を連ねて」の違い:
「発足に名を連ねて」とは、忙しい中勉強会に出席した、とは意味が違うのであろう。
あくまでも、発足に際して名を連ねたのであり、名を連ねたっきりで一向に出席しなかった人も含まれているのであろう。
もちろん、熱心に出席して勉強された方も含まれているのであろう。

「発足の時だけで後は一向に出てこなくてけしからん」というような意味が込められているのかどうかは、知る由もないw

「予測をするのは難しい。未来についてはなおさらだ」

その背景として、過去数年間、中国の台頭を、20世紀初頭におけるドイツの勃興と対比して論じる論文が多く出ています。岡崎久彦著『二十一世紀をいかに生き抜くか』の最終章もその対比に触れています。

栃木県足利市の進学塾開倫塾長林明夫さん

【正論】苦節35年、集団的自衛権の時がきた 元駐タイ日本大使・岡崎久彦2014.7.2

[時代の証言者]日本外交とともに 岡崎久彦2014/6~7

総理に監視を、じゃなくて菅氏、でもない漢詩を献じられた由。

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