特攻―空母バンカーヒルと二人のカミカゼ 米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実
Danger's Hour: Maxwell Taylor Kennedy
プロローグ
第一部 浮上蜃気楼
第一章 真珠湾への道
第二章 小川 清
第三章 一九四二年
第四章 USSバンカーヒル
第五章 艦内のシステム
第六章 徴兵
第七章 玉砕
第八章 神風特別攻撃隊
第九章 バンカーヒル出港
第一〇章 敵地へ
第一一章 東京空襲
第一二章 人種問題
第一三章 学徒兵
第一四章 ウルシー特攻
第一五章 戦艦大和
第一六章 鹿屋
第一七章 死闘
第一八章 桜花
第一九章 志願者
第二〇章 一九四五年の絶望
第二一章 バイスロイ
第二部 死神との約束
第二二章 安則盛三
第二三章 敵空母 見ユ
第二四章 火炎
第二五章 黒煙
第二六章 激流
第二七章 救いの手
第二八章 死の誘惑
第二九章 救出
第三〇章 熱傷
第三一章 漂流
第三二章 遺体
第三部 戦いのあと
第三三章 ダメージ
第三四章 水葬
第三五章 すべてへの別れ
第三六章 勇者の帰還
第三七章 故郷への船路
第三八章 桜散る
エピローグ
著者あとがき
謝辞
小川少尉 最後の便り
訳注
参考文献
重い。669頁もあって重量もあるし、内容も重い。
ハート出版ニュース
【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)より
この動画は、一部のユーザーに適さない可能性があります。←(本書中にも掲載されている)遺体の写真が登場
参考文献一覧等
バンカー・ヒル (空母) - Wikipedia
USS Bunker Hill (CV-17) damaged by suicide planes - 11 May 1945
A Ceremony for the Fallen: Aftermath of a Kamikaze Attack
USS Bunker Hill (CV-17) burns and emits heavy black smoke off the Japanese coast.
USS Bunker Hill CV-17 | World War Photos
Kamikaze Survivor: USS Bunker Hill CV-17 in 30 Photos
さてと。
日本側から見た場合、空母への特攻の理想形だったのだろう。
僅か2機2名の犠牲で強力な空母を戦域からの退場を余儀なくさせ、(終戦になったというタイミングもあったが)同艦は二度と現役に復帰しなかったのだった(予備としてずっとモスボールされたあげく、スクラップとして日本の会社に売却)。
この背景には同日出撃したものの目標到達の遥か手前で落とされた機が数十倍(もっとか?)いた訳なので、収支としては同日の総出撃機数・人員数との比較になるのだろう。
米側から見た場合、多重に用意した警戒防御網をまんまとかいくぐられ、在空機の収容のタイミングに紛れて突入を許してしまい、パイロットの待機室にいた操縦士が全員一酸化炭素中毒で死亡してしまうわ、飛行甲板上の発艦準備中の攻撃機が次々と誘爆するわという、最悪の展開に。
でも、機関部員は自分たちが閉じ込められて脱出不可能と知りながら、艦の速度維持に全力を傾注して南下を続け、更なる攻撃を受けないよう機関海域を脱出した。
換気システムの不備が(多くの犠牲を出した結果)明らかとなったり、消火ホースの規格が2系統あって接続できないなど、多くの不備が約400名死亡(約650名死傷)という多大の犠牲により明らかとなり、その後の改善に生きたのだろう。
結果として同空母は修理のため本国帰港、戦場にどころか、配備もされずに艦歴を閉じることになったので、「機関部員も脱出を図り艦は停止してしまい、後続の特攻機の突入も許して撃沈されたが死亡者数は現実よりも少なくて済んだ」という、あったかもしれない結果となっていたという展開も考えられなくはないものの、再配備なしなどその時点でわかる筈はないので、脱出の許可を求める艦内電話の要請を却下して艦の速度維持を図った機関長の判断は軍人の鏡なのだろうね。
持ち場を離れる許可を求められて却下する、その部下たちは確実に死ぬとわかっていて、そうせざるを得ないという…。
Saving the U.S.S. Bunker Hill (Published 2011)
Joseph Carmichael Jr., a Carrier Hero, Dies at 96 (Published 2011)
著者は硫黄島攻略の意義を認めていないね。
「後になってみると、この硫黄島の戦いに異議を見つけるのは難しい。
・・・
結局、硫黄島はB29の基地としても、もしくはB29を護衛していた航続距離の短いムスタング戦闘機の基地としても、大きな役割を果たすことはなかった。」
と総括している。
そうなの?聞いていた話とは違うみたいだけど。
多大の犠牲を払った末の獲得なので、海兵隊や米政府は無理に意義を強調してきたの?
B29乗員の手記などでも、日本爆撃の帰路に中間点で緊急着陸場としての硫黄島が確保されてからの安心感は何物にも代えがたいという絶賛だったと理解しているけど。
硫黄島から発進するP51が日本上空まで援護してくれるようになったのも大いなる安心材料になったと聞いているけど。
硫黄島の戦い - Wikipedia
日本本土爆撃での硫黄島の役割
肯定的、否定的、両方の評価があるようね。
著者は否定の立場ということね。
そういえば、巻末参考文献リストにも掲げられている記事だけど、
Knot Burke
この記事は、元記事のコピー取得の際に ' 31- が落ちてしまったのではないかね?
'31-Knot' Burke でしょうが。
Danger's Hour: Maxwell Taylor Kennedy
プロローグ
第一部 浮上蜃気楼
第一章 真珠湾への道
第二章 小川 清
第三章 一九四二年
第四章 USSバンカーヒル
第五章 艦内のシステム
第六章 徴兵
第七章 玉砕
第八章 神風特別攻撃隊
第九章 バンカーヒル出港
第一〇章 敵地へ
第一一章 東京空襲
第一二章 人種問題
第一三章 学徒兵
第一四章 ウルシー特攻
第一五章 戦艦大和
第一六章 鹿屋
第一七章 死闘
第一八章 桜花
第一九章 志願者
第二〇章 一九四五年の絶望
第二一章 バイスロイ
第二部 死神との約束
第二二章 安則盛三
第二三章 敵空母 見ユ
第二四章 火炎
第二五章 黒煙
第二六章 激流
第二七章 救いの手
第二八章 死の誘惑
第二九章 救出
第三〇章 熱傷
第三一章 漂流
第三二章 遺体
第三部 戦いのあと
第三三章 ダメージ
第三四章 水葬
第三五章 すべてへの別れ
第三六章 勇者の帰還
第三七章 故郷への船路
第三八章 桜散る
エピローグ
著者あとがき
謝辞
小川少尉 最後の便り
訳注
参考文献
重い。669頁もあって重量もあるし、内容も重い。
ハート出版ニュース
【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)より
この動画は、一部のユーザーに適さない可能性があります。←(本書中にも掲載されている)遺体の写真が登場
参考文献一覧等
バンカー・ヒル (空母) - Wikipedia
USS Bunker Hill (CV-17) damaged by suicide planes - 11 May 1945
A Ceremony for the Fallen: Aftermath of a Kamikaze Attack
USS Bunker Hill (CV-17) burns and emits heavy black smoke off the Japanese coast.
USS Bunker Hill CV-17 | World War Photos
Kamikaze Survivor: USS Bunker Hill CV-17 in 30 Photos
さてと。
日本側から見た場合、空母への特攻の理想形だったのだろう。
僅か2機2名の犠牲で強力な空母を戦域からの退場を余儀なくさせ、(終戦になったというタイミングもあったが)同艦は二度と現役に復帰しなかったのだった(予備としてずっとモスボールされたあげく、スクラップとして日本の会社に売却)。
この背景には同日出撃したものの目標到達の遥か手前で落とされた機が数十倍(もっとか?)いた訳なので、収支としては同日の総出撃機数・人員数との比較になるのだろう。
米側から見た場合、多重に用意した警戒防御網をまんまとかいくぐられ、在空機の収容のタイミングに紛れて突入を許してしまい、パイロットの待機室にいた操縦士が全員一酸化炭素中毒で死亡してしまうわ、飛行甲板上の発艦準備中の攻撃機が次々と誘爆するわという、最悪の展開に。
でも、機関部員は自分たちが閉じ込められて脱出不可能と知りながら、艦の速度維持に全力を傾注して南下を続け、更なる攻撃を受けないよう機関海域を脱出した。
換気システムの不備が(多くの犠牲を出した結果)明らかとなったり、消火ホースの規格が2系統あって接続できないなど、多くの不備が約400名死亡(約650名死傷)という多大の犠牲により明らかとなり、その後の改善に生きたのだろう。
結果として同空母は修理のため本国帰港、戦場にどころか、配備もされずに艦歴を閉じることになったので、「機関部員も脱出を図り艦は停止してしまい、後続の特攻機の突入も許して撃沈されたが死亡者数は現実よりも少なくて済んだ」という、あったかもしれない結果となっていたという展開も考えられなくはないものの、再配備なしなどその時点でわかる筈はないので、脱出の許可を求める艦内電話の要請を却下して艦の速度維持を図った機関長の判断は軍人の鏡なのだろうね。
持ち場を離れる許可を求められて却下する、その部下たちは確実に死ぬとわかっていて、そうせざるを得ないという…。
Saving the U.S.S. Bunker Hill (Published 2011)
Joseph Carmichael Jr., a Carrier Hero, Dies at 96 (Published 2011)
著者は硫黄島攻略の意義を認めていないね。
「後になってみると、この硫黄島の戦いに異議を見つけるのは難しい。
・・・
結局、硫黄島はB29の基地としても、もしくはB29を護衛していた航続距離の短いムスタング戦闘機の基地としても、大きな役割を果たすことはなかった。」
と総括している。
そうなの?聞いていた話とは違うみたいだけど。
多大の犠牲を払った末の獲得なので、海兵隊や米政府は無理に意義を強調してきたの?
B29乗員の手記などでも、日本爆撃の帰路に中間点で緊急着陸場としての硫黄島が確保されてからの安心感は何物にも代えがたいという絶賛だったと理解しているけど。
硫黄島から発進するP51が日本上空まで援護してくれるようになったのも大いなる安心材料になったと聞いているけど。
硫黄島の戦い - Wikipedia
日本本土爆撃での硫黄島の役割
肯定的、否定的、両方の評価があるようね。
著者は否定の立場ということね。
そういえば、巻末参考文献リストにも掲げられている記事だけど、
Knot Burke
この記事は、元記事のコピー取得の際に ' 31- が落ちてしまったのではないかね?
'31-Knot' Burke でしょうが。